この土臭い少女は、横浜に越してくるまで故郷を出たことがなかった。修学旅行にも参加しなかったという。
高校には行かず働始めた。
「食品工場」と、由加里は言う。
今年一月に、「食品工場」を辞めて、以前、中学校で仲良だった、先輩の女の子を頼って、横浜に出てきた。今は、杉田の、その子のアパートに居候させてもらって、近所の工場でアルバイトしている。
坊の望は、早く、しっかりした仕事を見付けて、自分の部屋を借りること。仕事は、当面、今のようでも仕方がない。でも、友達にすまないから、部屋は 借りたい。そのお金が欲しい。だから、もっと働かなくてはいけない。今の仕事だって、勿論、もっと良いのがあれば変えたい。
職さがしに不利なのが、言葉の訛、ひいては学問のなさ。面接を申込みに電話を掛ける。話しかたが不得要領だといって、その場で断られる場合もある。面接をしてもらえない。
そのような、酷い会社ばかりではない。ちゃんと、面接はしてくれる。でも、大概は、何処でも、三四人纏めて、同時に面接する。自分の順番になると、いつも、ほかの受験者の注目を浴びる。いつも笑われているようで、消入るようで、本当に辛い。
でも、本当に恐ろしいのは、面接のあと。広い部屋に連れていかれる。机が、いくつも並べてあって、自分と同じ、面接を終えた者達が、机に、大勢屈込んでいる。鉛筆をガリガリさせて、書きものをしている。自分には目もくれない。
「私が、この会社に入って成遂げたいこと。」
「会社組織の一員になるにあたっての、貴方の心構。」
「現代日本社会における、町工場の役割。」
「私が、社会人として大事に思うこと。」
「日本社会の将来を担う、現代の若者の、あるべき姿。」
そのような題の作文を書かされている。「貴方の席は、何列目の何番です。」と指示されて、席に着く。
既に、答案用紙は配付済。机の上の、正しい位置に置かれた、縦長の、白い長方形が、自分を迎える。「四百字程度に纏めよ。」ずっと座続ける。とても惨めで、何も書けなくて、涙が溢れてくる。
答案を回収しにくる。ほんの、二行か、三行書いた紙を取上げて、「難しかった?でも、頑張って、もう少し書いてほしかったですね。とにかく、今日は ご苦労様。結果は、後日、電話でね。」と薄笑する。会社によっては、「一般教養試験」という物まで付いていて、そういう物を受けるときの気持は、ただ推 量ってほしい。
もしも、自分がお姉さんのようだったら、どんなに良いだろうと言って、あの子が、「お姉さん」と呼ぶ。
「今から、由加里ちゃんは坊よ。」と、スチューを作っているときに、綽名を付けた。きょとんとして、意味が呑込めない。「坊が、今日から、あなたの 綽名よ。そのように付ける理由は、しょっちゅう被っていて、現に、今も被っている、その、野球帽に因んでのこと。それに、あなたは、まるで、小さな男の子 が、お母さんに待ちぼうけを喰ったように、いつも膨れっ面をしている。坊は、待ちぼうけの坊、野球帽の坊、坊やの坊。だから、あなたは、今から坊よ!」と 言ったら、呆気にとられて、目をまんまるにした。少し涙になったように見えた。そしたら、俯いてもじもじした。首根っ子まで赤くなって、「それじゃー、私 は、お姉さん。」と言った。
世間知らずではなくて、お姉さんのような「ナウイ」女の人だったらどんなに良いか。外国の本が読めたり、ピアノが弾けたりする人に、心配事があるだろうか。そのような「階級」の人が羨ましい。
けれど、一生、縁のない世界を想像しても、仕方がない。今の、ささやかな願は、「正しい話しかた」を習って、他人に、引目を感ぜず、求職活動をしたい。自分にとっては、お姉さんに教ることは、本当に、意義のあることで、心から感謝している。
曲が、よっぽど気に入ったらしい。恐ろしく集中して聴いている。二楽章と、三楽章の切目で、少し紅茶を啜った以外には、ずーっと、同じ猫背を保って聴入っている。
この子、出てきて、三箇月になると言うのに、都会の花やかさみたいなものは、全然知らない。毎晩通っている、スーパーと、お湯屋への道順。工場街の無機質。知っているのはそれだけ。休日は、アパートで過して、稀にしか出掛けない。
4/3(日)の記事はまだ続きます。長いので分けて載せます。[編者]
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