小学五年生のときだった。パパは、それまでは、滋子は可愛いな、本当に可愛い、ほかの、どの子と比べても、一番可愛い顔をしている、心が優しい、正直だ、滋子は良い子だと言って喜んでくれたのが、胸が膨みはじめると、パパは、お湯に漬りながら、優しいような、悲しいような目で見るようになった。それが、私は大好きだった。そのときから、パパは、別の言葉で褒めた。滋子は美人だ、すばらしい美人だ、ほかの、どの子と比べても、一番綺麗だ、滋子は優しい子だ、滋子は正直な子だ、滋子は良い子だと、一緒に漬りながら、ふた言目には、そんなことを言って、私を、良い気分にさせた。ママはそうでもないけれど、パパは、どんなときにでも褒めることしかしない。きっと、本当に、私を世界一だと信じて疑わないのだろう。私も、パパの言うことを、そのまま信じた。私は美人で、優しくて、正直で、良い女の子になったと。高慢にもなったかもしれないけれど。性教育も、学校で習うより先に、お風呂で、パパの膝上で、すっかり習ってしまった。
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