ジョージというのは綽名だった。物理を教える先生で、演劇部の顧問が、そう呼始めた。理由は私と同じだった。面白そうな先生。キクヤで見た、口髭の紳士がその人で、凄い教養人だと言う。何でも、部員の一人一人に、文学的な綽名を付けているそうだ。古今東西、重要な書物で、読んでいない物を挙げるのは難しく、"Do you know this book, sir?"とでも尋ねようものなら、心外千万という面持で"Well of course I know the book. How uneducated do you think I am? I read it when I was twelve."と返ってくる。母国語がロシア語のくせに、英語も、フランス語も、ドイツ語も、同じようにできるという、前世紀の貴族が化けて出てきたような人だ。何とかスキーという、偉く難しい名前だったけれど、伶門が、ファウストを習った先生というのは、あの先生ではないかしら。あるときなど、歌右衛門の隅田川がすばらしいという話から、能の話題になって、「お前は、関寺小町のテキストを、どう思うね。」と尋ねられ、返答に困った。「なんだ、京都人のくせに、三老女のことも語れないのか。情ないやつだ。」と叱られた。作曲もすれば、ピアノの腕も大したもので、このあいだ、ちょっとスカルボを弾いて聴かせたとやら。私も会ってみたいな、そういう人なら。なぜかしら、一介の教師でいることに満足している。綽名が、ジョージになったのは、舞台で尻餅をついた晩からだった。それまではナルキッソスで、更に前はデミアンだった。ゲーテ座で転んだのは、まったくの事故で、私は、演出だと思ったのだけれど、そうではなかった。確に、二日目の、セント・ジョセフでのときは、袖に飛込んで退場した。私は、それを、演出の急変更と解釈した。前日は、皆が、どっと笑ったので、それで変えたのだと。そういえば、あの先生、坊の隣に座っていたけれど、何か、低い声で、呪の言葉を呟いていたのは、観客に対してではなくて、ひろおき君に対してだったのか。
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