もうひとつ安心したこと。坊が、自分で気にしだした。テテマロに、顔を嘗められているときなど、ふと、胸が開いていると気付いて、手でおさえていた。どうせ、もう、二度と、あのような物は着せないから同じだけれど。
そのあとで、三時過に、テテマロを連れて、タカハシかたがた石川町まで散歩した。書忘れたけれど、(確、まだ書いていなかったと思う。)山の音を読んでしまって、手持無沙汰なので、タカハシに催促しにいった。本は、まだ来ていなかった。そのかわり、シバタで面白いレコードを見付けた。真赤なジャケット入の、比較的最近のホロヴィッツで、シューマンのフモレスケ。さては、これだったかと納得。最近、日本中のコンサート・ホールで、このオブスキュアな曲を弾出したのは変だと思っていた。どうせなら、アレグロも復活してほしい。裏にはメフィストワルツ。帰ってきて、夕食後に、聴いていたら、坊は、すぐに分った。ひと月も前に、一度聴いただけ、しかも、解釈が極度に違うのに。コーダがまるで別なことまで言当てる。すごいすごいと褒めたけれど、本人は何でもないようにしていた。そのようなことよりも、坊にとって驚天動地だったのは、そのあとで渡された、銀色のチケットだった。六月十六日のリサイタルで、キャンセルが出て、漸く手に入った、隣あわせになったうちの一枚。ゼロの数を見て硬直した。曰く、誘われたときは、是非行きますとは答えたけれど、まさか、五万円だとは、夢にも思わなかった。ゲーテ座で観た劇が千円だったので、ピアノを聴きにゆくのなら二三千円と考えていた。でも、私払いますと。
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