3/30(水)
続。
山下公園のベンチに腰掛けて、ウオークマンを聴いているとき。彼が、赤い靴の女の子の前を、行ったり来たりしている。カメラを持って、色々な角度から写している。彼も、すぐに気付いた振をして、照笑をしながら寄ってきた。
私は、表情ひとつ変えなかった。彼の接近を見守った。「やー。これはどうも。さきほどは失礼を。」とか、何とか言って、視界を塞ぐように、前に立った。私は、脚を組んで、下を向いた。音量のつまみを回した。脚が、二本、踵を返すのを見た。
これで、彼も諦めたみたい。私は、ウオークマンをしまって、楽譜を出した。晴れた、暖い日には、公園のベンチに腰掛けて、楽譜を読むと楽しい。バッグに、常に、三四冊入っている。
男のことを忘れてしまったころ、不意に、肩を叩かれた。「すみません。手を貸して頂けますか。」白い歯を、くっきり浮べた笑顔で、コーヒーの入った 紙コップを差出す。私が、目をぱちぱちして受取ると、ベンチの端に、背負っているリュックを下して、体に触れんばかりに腰掛けた。
何だか、もん君そっくりの手ね。覚えてる?初て口説いたとき。私、それで、急におかしくなって。思わず、口許が弛んだの。それを、彼は見逃さなかった。
「ミルクと砂糖入で良かったですか、僕のブラックですけど何なら取替えましょか。」とか言って、譜面を覗込む。「偉い難しそうな曲ですねー。何ですか、それ。僕、クラスィックはメンデルスゾーンしかよう聴かんけど。」
「あの!どういう心算か知りませんけれど、あまり失礼なことをしないで下さい。これはおかえしします。」
思切恐い顔をして突返したけれど、彼は、気にもしないという顔で、コーヒーを、一口啜った。
滋子の手書き原稿に忠実な翻字は以下で
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