少年時代・外伝1
私は夢を見ていた。
夢の中では別の世界の住人だった。
でも、五歳くらい……
この夢の中では私は「僕」だった。
本当は「ボク」なのだろう。
でも、それ自身を考えられない。
なぜならそれは自分にとって当然だったからだ。
水が美味しい、空気が美味しい、
…… 田舎であるにせよ、そんな贅沢と同じだった。
毎日が楽しみ。
起きている精神の「僕」と、寝ているときの「ボク」
今想い出すことができるのは、自分が別の世界に存在していたこと。
毎日が楽しみ。
でも、夢の中には、もう一人家族がいた。
兄がいたのだ。
熱い息で、おでこにタオルを乗せて、ゼイゼイしている。
今日は兄ちゃんが帰ってくるのに!
狩りの途中で体調を崩した僕は、大好きな兄ちゃんにここまで運んでもらった、らしい。
途中リタイアで、家で待っていた。
自分が憶えているのは、突然クラクラっとして地面が回ったこと。
自分が憶えているのは、いつの間にか兄ちゃんにおんぶされていたこと。
そして、自分の暮らしている家で目を覚ましたこと。
僕は思っていることがある!
兄ちゃんは僕を置いていく時に、ほっぺをちょん、てつついてくれたんだ。
きっとそうだ、そうに違いない!
いつもそうだ。兄ちゃんがどういう「龍」かは、自分が一番分かってる。
僕は倒れたことよりも、それを想像するのがとても幸せだった。
「かあちゃ、かあちゃ?」と母を呼んだ。
遠くから、とんとん、と音が聞こえる。
刹那、嬉しくなる。
だって、ご飯の準備の音だもん。
兄ちゃんがもうすぐ来る!
母はさっき僕が眠るときに、「今日はみんな帰ってくる」と教えてくれた。
僕は急いで上体を起こすが、そのままくるりと反対になってしまった。
やっぱり地面は「くるくる」だった。
…… 暫くして、オオカミさんの声で気が付いた。
前に兄ちゃんは僕の前でオオカミさんを撫でて言ってくれた。
「オオカミさん仲間、イヌさん友達」
だから、兄ちゃんはすぐそこまで来ている!
僕は残った体力を全部使うつもりで、家を這い出た。
空には真ん丸なお月さま。
空にはいっぱいのお星さま。
「オオカミさん、チカクいる」
段々声が近くなる。
もうすぐ兄ちゃんと会える。
火照った身体を冷たい風が通り過ぎていく。
草を掻き分けて入ったオス(男)しかしらない裏道。
兄ちゃんが狩りに行く時にそっと教えてくれた近道。
「ああっ!」
僕は躓いてしまった。
そのまま、ずてーんと転げた。
そこは大きな草原だった。
僕は道を真っすぐに歩いたことしかなかったから、初めてこんなところに出た。
「くぅ~ん、くぅ~ん」、と鳴き声。
「イヌさんいた、おともだち!」
僕はイヌさんに顔中を舐められたので、兄ちゃんがしてるみたいにグシグシしてあげた。
「にいちゃ、こないね……」
イヌさんに話しかけた。
すると突然、イヌさんは走っていった。
「おともだち、いなくなた……」
そう思うか否か、目の前の草が揺れる。
全身の肌がビリビリする…… クマだ。
「にいちゃー、にいちゃー」、悲鳴を上げる。
クマはこちらの様子を見てか、どん、どん、と歩いてくる!
「こら、クマ、イタイイタイしたら、にいちゃこわいよ!」
のっし、のっし。
強がっていても止まらない、近づいてくる。
兄ちゃんなら、このクマは逃げていくはずだ!
なんで僕は駄目なんだろう?
クマはもう目の前、僕は本気になった。
ここで兄ちゃんに会いなくなるのは嫌だ!
「にいちゃーーーーーーーーーーー!」
そのとき、草原の真ん中に巨大な光の束が落ちてきた。
僕は腰が抜けて立てなくなった。
目の前には、こんがり焼けたクマの姿。
自分は何が起こったのか分からない。
…… 僕は何も考えられなくなって、暫く放心状態になったのかもしれない。
つん、つん…… ほっぺをつつかれた。
兄ちゃん?
ベロベロ、何かが這った。顔がドロドロ。
兄ちゃんじゃない?
急いで目を開く!
目の前には、さっきのイヌと兄ちゃんがいた。
イヌさんが兄ちゃんを呼んでくれた。
兄ちゃんは、この前みたいに僕を背中に乗っけたまま、家へ向かった。
イヌさんはオオカミさんに命令されて、クマを引きずってついてきた。
兄ちゃんは「良かったな、また一つ大人!」、そう言ってくれた。
僕が「?」になると教えてくれた。
「いいか? 龍は大人になると三回だけ精霊さんが助けてくれる、もう大人だな!」
と兄ちゃんは言う。
兄ちゃんの暖かい背中でボーっとしながら聞いていた。
「うん、ぼくオトナ! こんどは『カリ』、ちゃんといく!」
そう強がっているうちに、涙がポロポロ出てきた。
でも、兄ちゃんは笑ってた。
「今日は『狩り』一人でできたな」、って。
…… 家に帰り着くまでに、どれだけ兄ちゃんに近づいただろう?
ほんのちょっと。
ううん、絶対追いつけない。
僕にとって兄ちゃんは絶対追い越せない人だ。
僕もいつか兄ちゃんになったら、同じように弟の面倒を見る! ずっと思っていた。
本当に兄ちゃんは自分の尊敬の対象だった。
龍は大人になるための試練があるという、僕もそれをいずれ受けるのかな?
そして兄ちゃんの言葉が終わるか否や、目の前が蜃気楼のように消えていった。
兄ちゃんにしっかり抱き着いたはずの手から、兄ちゃんの感覚が消える。
今まですぐ傍から聞こえていた声が、遠く、小さくなっていく。
嫌だったけど、いつものことだ。…… 私は分かっていた。
精神は完全にこちらへ戻ってきた。
変な話だが、自分はまだ寝ている。
「さあ、起きよう……」、そう思って目を開ける。
そうして、この壮大(?)な夢は終わった。
目を覚ませば、このことは当分思い出せない。
自分なりに「理が違うのだ」と思っていた。
寂しいけど、諦めていた。
P.S.
実は続きがある。
夢の世界で二度目の力を使ってしまったのだ。
それも、兄ちゃんとケンカしたとき。
兄ちゃんは真っ黒になって、僕を殴る蹴るした。
三発目は命を引き換えにする場合もある、と言われたのを憶えている。
そうして兄ちゃんは言うのだ。
「もしお前が最後の一発を使うときには、俺の最後のをやる」
僕はそのときの兄ちゃんの寂しい笑顔を、一生忘れたくないと誓った。
何年経とうと、僕がどうなろうと、兄ちゃんはずーっと僕を見てくれている。
あの世界はどこかにあるんだ!
それだけを信じて、いつかこの続きを書こう。