少年時代2
春の柔らかい風の中、毎日が楽しみだらけだった。
家の真ン中にある、祖母が言うところの「精霊樹」のも花が咲きかけていた。
精霊樹には、二つの種類があるらしい。
なんでも、大きく育って「魂」を持った木。
それと、自分が生まれた時に一緒に育つように植えられた木。
自分と一緒に育つ木は、子供の成長を祈り、共に高く大きく育つということだ。
僕の人生を共にする木は「ねむの木」
詳細は分からないが、僕の生まれた当時一番樹齢が近かったからだそうだ。
「寝る子は育つ」家の祖母は話していた。
古い家には精霊も集う。
庭石の中には、蜘蛛に宿った「ケセラン・パサラン」がいると言うらしい。
祖母が「庭石の中は決して開けていけないよ」と言う。
ケセラン・パサランは我が家の安寧を願ってくれている。
精霊達の加護を受けつつ過ごしている、そんなことを実感したのはいつからだろうか?
どちらにせよ、私には夢であり、現実であり、幻である。
なぜかと聞かれても、それは「子供の時に聞いたおとぎ話を覚えているの?」と言うことになるからだ。
夢は現——
僕は相変わらず元気いっぱいだった。
新しい「勉強」が楽しかった。
そして相変わらず夢でしか会えない「兄ちゃん」達はいつものように、優しく接してくれるのだ。
「ににんがし、にさんがろく、」
いつもの兄ちゃんは、忘れる度に何度も教えてくれた。
「よしよし、だけどこれで最後な。だって、あの兄ちゃんに駄目って言われたんだろう?」
兄ちゃんは僕の目をしっかり見て言う。
そう、そうなのだ。もう一人の別の兄ちゃん、色んな兄たちに囲まれている、その中の一人だ。
いっつも僕と一緒にいて面倒を見てくれる、生まれた時からの兄ちゃん。
そして、兄ちゃんが兄ちゃんと呼べば、その人も兄ちゃん。
それだけでなく、若い男はみんな兄ちゃん!
その中には「頭が良くなったら駄目だ」としつこく言う兄ちゃんがいた。
「勉強は学校に入ってからやるもんだ!」、とその兄ちゃんは言う。
そしてその兄ちゃんは、現実にいた。
夢の世界は複雑に絡みつき、五歳当時の記憶を正確に持っていない僕は、すべてを把握することはできない。
限りなく、現実に近い夢の世界と言うのも存在したからだ。
その兄ちゃんは現実にいたのかもしれないが、思い出せない。
その人は初めて僕の顔を見た時から、名前も僕のこともみんな知っていて、僕は怖かった。
僕は龍の世界で、いつもの優しい兄ちゃんに相談した。
「あのね、あのにいちゃにあうとね、にいちゃのめが『クルクル~』とまわって、ぜんぶワスレターって、わかんなくなっちゃうの。そしてね、にいちゃがね、『くく』はしょうがっこうにいってからおぼえるから。ぜんぶきおくをふういんしちゃうぞ、って……」
僕は一生懸命話した。
相談のつもりだったけど、僕は話すだけでいっぱいいっぱい!
だけど、「どっちの兄ちゃんも悪くない、本当のことを言っている」、そう子供ながらに分かるのだ。
「じゃ、ほんとに最後だからな、あの兄ちゃんの前では、絶対『知らない』って言うんだぞ」
と、兄ちゃんは言ってくれた。
…… それから、目が覚めた私は、幼稚園へ行き、さんざんこのことを隠した挙句、覚えたことを見つかり、また催眠術らしい技で記憶をなくされてしまった。
当時の私は「ワスレタ、ワスレタ」といつもの兄ちゃんの周りを走って叫んでいたのを憶えている。
大好きな兄ちゃんは「駄目だったか」と教えてくれなくなってしまった。
こんな事があった自体、私は忘れていた。
だが「自分本来の世界」を時折夢で顧みられるようになって以来、この「因縁付けられた」自分を思い出すようになる。
自分自身、会っているはずの「目を回す」兄ちゃんの存在を最後まで夢だと思っていたが、
「自分が必要になった時に思い出すよ」と言う彼の言葉を、その都度その都度、何物にも怒りをぶつけられない状況下で苦々しく受け入れている自分がいた。
……「僕はこうなることを知っていたはずなのに!」
その兄ちゃんたちにも、最後には会えなくなってしまった。
なんでも人間界にいる私の精神と、精霊界や龍人界にいる兄ちゃん達と波長が合うのは、純粋無垢な子供だったかららしい。
僕は兄に「僕の心がキレイなら会えるよね」と約束した。
人の心は決して汚れない。
埃がつくだけ。
「こびり付いた泥でも、自分はキレイでいたい、と心から信じていれば、いつか神様は認めてくれる」
そう僕は思う。
神様がいるなら、自分の心とどれだけ正直に向き合ったかが問われるのだと思う。
自分にその想いがあるなら、他人の魂を汚すことがどれだけ、相手に苦労を与えるか自ずから分かる、と今の私だから言えるけど、幼い自分は言葉にできなかったのだと思う。
今現在、書きながら自分でも今後の在り方を考えている。
二つの世界を繋ぐべき周期は、普通最低でも五年から七年かかるらしい。
そしてそれも、魂がキレイな若い内だけらしかった。
五歳までの子供は、自由に行き来できるらしい。
僕は歳を取り、周期が近づくたびに、彼らのことを思い出し、そして忘れた。
そして、思い出した。
だから確信がある。
来年くらいに会えそうな予感がするのだ!
あの素晴らしい記憶をくれた世界へ、ほんの少しの間だけでも戻れるかも。
兄に会ったら、僕は五歳の子供だと思う。