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一話 「葉山たどる」の「部活事情」とか、「劣等感」とか。 

 1

 なにか才能がある、または他人とは違う特技を持っているという人間が、葉山たどるには理解できなかった。葉山たどるという人間には、才能と呼ばれるものが何一つないのだ。それはまだ「見つかっていないだけ」という可能性は十分にあった。しかし葉山たどるには、それを見つけようとする努力すらも、拒んでいた。いうならば、努力する才能すらも、備えていないのだ。だから葉山たどるは学校での成績も悪い。しかし、それを改善させようという気は葉山たどるには無い。葉山たどるは何事にも、「自分には才能がない」という事を口実にして逃げているのだ。それは葉山たどる自身も、わかっていた。しかし――葉山たどるにそれを改心しよう、という気は毛の先程にも満たないのだ。

 中学校の校舎は、放課後を迎えると暗渠の中みたいな静寂に包まれる。それは好奇心旺盛な子猫のように、眠気を覚えると潔く沈むのだ。葉山たどるは、この時間帯が好きだった。自分だけを残して世界が遠のいていくように思えるからだ。

 外からは、部活動の声がまるで遠くから渉ってきた余韻のように聞えていた。野球部が金属製のバットでボールを打つ甲高い音がし、サッカー部がパスを求めて叫ぶ声が響いていた。夕陽を称える橙色の日差しは葉山たどるの肌に同化してまとわりつくようで、葉山たどるはいささかな眠気を覚えた。その眠気は心地よく身にまるで効き過ぎる頭痛薬のように溶けていき、ゆっくりと浸透していった。まるで壮大な海面に小降りの雨がひとしきり降るような、音もない静かで穏やかなものだった。 

 葉山たどるにも、所属している部活動はある。陸上部だ。葉山たどるは陸上部の百メートル走を種目としていた。土の地面を歩くと妙な違和感しか残らないスパイクシューズを一丁前に履き(土地面専用のスパイクピンもあるが、わざわざ交換するのが億劫なのでそのままにしていた)、特別速くもないのに気取りを張っていた。正直、葉山たどるは陸上部という肩書きだけが欲しかっただけなのだ。

 葉山たどるが部活を時々休むようになってきたのは、一年の終り頃(三学期も終盤を迎えた時期)くらいからだった。休む理由など、ごく一般的な事だった。「部員からいじめを受けている」というような、大それた原因ではない。ただ、その部活に楽しみというものが無いからだ。

 元々葉山たどるは体を動かすこと――いわゆる運動というものが――苦手だった。決して運動神経が悪いというわけではないが、無駄に体力を消費するという行為に葉山たどるは面白みを感じなかった。陸上部に入った理由はといえば、母親に「スポーツ系に入れ」と言われただけなのだ。しかし、それも今思えばそんなもの無視しておけば良かったと葉山たどるはいささか後悔する。文芸系の部活に所属していれば、こんなことにはならなかったかもしれない、と。けれどそれも――ただの口実に過ぎない。もちろん葉山たどる自身も自覚している。

 葉山たどるは自分だけしか存在しない静かな教室で、本を読んでいた。しかし、内容は一切脳には渉ってこなかった。文章だけが自動的に読まれていくだけで、内容は数ページ前から入ってきてはなかった。文章だけが円滑に読み進まれていき、内容は閉塞している。溜息を洩らしながら葉山たどるはその文庫本を閉じ、机に置いた。そして緩慢に脳を包んでいく眠気に委ねて瞼を閉じた。教科書などが詰め込まれたリュックを机に持ち上げ、そこに顔を埋めて沈黙している教室と一体化するように、全身の動きを心臓の鼓動と血管を流れる血液だけにした。すぐに意識は遠のいていった。遠くから聞える部活動の声と、時を刻む時計の秒針だけが静寂の中に旋律を奏でていた。

 教室の廊下を誰かが歩く足音がした。二人組で、何かを話している。声からすると女子生徒だろう、とたどるは予想した。しかし正解かどうかの確認はしなかった。気にするほどでもない。

  


  

 たどるは静かに眠りに浸かり、静かに目を覚ました。規則正しく時を刻む時計の音は止め処なく続いていた。教室の端側に付いている掛け時計に目をやると、午後五時を超してすぐだった。たどるが睡眠していた時間は、僅か十五分ほどだった。たどるは一度頭部を掻き、再び文庫本を手に取った。しかし丁度栞を挟んだページが文字数の多いところだったので、読む気が失せて再び本を閉じた。

 たどるはもう一度時計に目をやった。すべての部活動が終了するまで、あと約四十五分もあった。――なぜたどるは放課後の教室で時間を潰しているかというと、親に疑われないためだ。そう、たどるはまだ母親に部活をサボっていることを話していないのだ。理由など当然だ。なかなか言い出せないからだ。だからたどるはこうして部活動が終了する午後六時まで(母親が仕事から帰ってくる時刻は、約午後五時半だ)、暇を教室で持て余しているのだ。

 たどるは椅子から腰を浮かせ、窓際の方へと向かった。この二年生の教室があるのは二階で、窓から見ると高いのか高くないのかよくわからない中途半端な高さだった。普通に飛び降りても足を痺れさせるだけで済みそうな距離だ。たどるはまるで新鮮な人参のような色をした夕焼けの空を眺めた。カラスが数羽ほど、空を横切って宙を駆けていた。たどるはそれを目で追い、黒い点にしか見えなくなったところでやめた。たどるは空を眺める事に飽き、再び自分の席に戻った。そして文庫本を開いて、目を文章に滑らせた。

 たどるの脳は未だにぼんやりと靄を佩びていた。メトロノームのように優雅に揺れており、上手くシーンの想像ができなかった。やがてたどるは諦めて、本を読む事を中断した。そして溜息を吐いた。それは真冬の吐息のように宙へ紛れて消えていった。

 たどるは教室から出、廊下をひとしきり眺めた。すでに廊下には夏の空気など漂ってはおらず、肌を撫でるような丁度良い気温をしていた。去年の秋はまだたどるは部活に行っていた。それが一年後にはこの様なのだから、空しいものだな、とたどるは自嘲気味に苦笑した。沈黙はそんな苦笑すらも逃がさずに掴んでそれを廊下へと響かせた。

 特にすることも無いので、たどるは図書室にへと向かった。歩みを運んでいると、途中で吹奏楽部が演奏の練習をしているのが耳に入り込み、それをしばらく堪能した。まだ未完成らしく、所々でミスが致命的だった感じの演奏ではあったが、たどるは別に構わなかった。中学生なんだし、こんなもんか、というのがたどるの素直な感想だった。図書室へ向かう足取りを再開させる。

 図書室はまるで散歩に連れて行かせてもらえないことに慣れた飼い犬みたいに、静かで無愛想な空気が佇んでいた。たどるはその空気を気にすること無く、図書館へと入った。図書室内はとても空いていた。たどるを合わせても二、三人ほどしかおらず、ましてやたどると同じ二年生など――どうやら一人だけいた。たどるはその事に驚いた。僕と同じ二年生が何をしてるんだ、と。

 単行本サイズの本を立ち読みしているその少女に、たどるは見覚えが無かった。同じ二年生という事を証明させる青い靴紐は確かにあった(一年生は靴紐が赤色で、三年生は黄色だ)。たどるはその女子生徒を横目で見てみる。やはり見覚えは無かったが、なかなかの優れた容姿だという事はわかった。夕方の色を馴染ませると似合いそうな黒髪は脇ほどまで伸びており、二つに結んでいる。顔はいかにも文学少女、といった凛々しい顔つきでおり、中学二年生よりかはすこし大人びた官能さを佩びていた。瞳は奥行きが深く奇麗な黒色をしており、睫毛が長かった。肌はバターのように白く、身体はいささか細すぎているのではないだろうか、とたどるは思った。しかしその細さも魅力と化していた。

「もしかして、これ見たいの?」と彼女はたどるの視線に気づき、読んでいた本の表紙を見せてたどるに訊ねた。

「いや、そうじゃないんだ」とたどるはいささか焦って言った。「なんで二年生がここにいるのかなあ、て」

「君もじゃん」とその子は言った。

「僕もだけど」とたどるも言った。



   

新作です。いろいろわけあって更新が遅いかもしれませんが、その分自分の好きな文章だけを詰めて書きたいと思います。

恋愛モノです

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