若さゆえの無謀
あれから更に五年経ち、俺は十歳になった。
俺が住んでいる港湾都市は流通の中継地点なので、色々な物資が都市の中で溢れている。香辛料やこの地方の野菜など、所狭しと商店の棚に並んでいる。この土地は緑豊かで結構物価は安い。目の前は海なので海の幸も豊富にある。
だが無い物もある。
それは醤油である。米は有る。しかし醤油は無い。
そこで学生の頃の経験が役に立った。
冬休みになると、実家の近くのペンションにバイトに行っていたのだが、そこのペンションのオーナーが凝り性な人で、味噌と醤油を自家製で作ってペンションに泊まった客にお土産として渡していたのだ。
お土産目当てで泊まる客もいた。更にそのオーナーの凄い所は麹までも自分で作っていた事だ。木灰を使ってカビから麹だけを選別して使っていた。
あの時は、豆を見たくない程、味噌と醤油の素を作らされて嫌になったが、今となってはオーナーには感謝している。俺はペンションには泊らなかったので、オーナーの作った味噌と醤油は終ぞ食べる事が無かった。今思えば少し心残りではあった。
小遣いを全て豆に費やし、親の目を盗んでは、隠れて調理場を使い、数年の歳月を経て味噌と醤油は完成した。家族には味噌と醤油の件は秘密にしている。
どう考えても可笑しいでしょ、十歳児が味噌と醤油を作るなんて。両親に追及されたら、良い言い訳が思い付かない。
後数年は、俺個人と小人妖精さん達で楽しむ予定である。
そして身の回りも前とは少し変わった。
まず朝の小人さん達の俺への強制行為だが、そんなに疲れなくなった。吸われた直後は流石に疲れるが、一時間もしないうちに体力が回復するようになって来ている。
そして兄だが、やはり兄も魔力は人並みだった。そして十二歳の時に父の後を継ぐために帝都の学校へ旅立っていった。卒業まで六年の予定になっている。卒業と同時にこの地の領主に父共々仕える事が既に確定している。
家を継ぐ。それが長男の義務だからだ。
では次男の俺はどうなるか。
父は兄の様に帝都の学校に進学しても良いと言っているが、帝都の学校を卒業しても就職口がある可能性は低く、ならばいっそ魔物を狩るハンター養成学校に進もうと思っている。
ハンター養成学校はこの都市の中にも有り、十二歳から十五歳の三年間で一人前のハンターを育てる学校である。
常に命の危険は伴うが、魔石の需要が有る限り食いっぱぐれは無い。一生ハンターをするつもりも更々なく、ハンターで稼いだ金で前世の世界の料理屋を開くのも良いだろう。
ここでもまた料理を作るのを手伝わされたり、裏の山で山菜採りに強制的に連れて行ってくれたペンションのオーナーには、ひたすら感謝である。
そして今現在、俺は港湾都市の東側に広がる森の入り口に立っている。
この森は緑豊かで山の恵みが豊富だが、困った問題も発生している。余りに豊富すぎてそれを目当てに数多くの魔獣がやってくる。
定期的に領主は配下の騎士団が、森に入った魔獣を駆除している為、都市への被害は全く無い。
実はその駆除が行われたのは、最近では昨日であり、つまり今はこの森の中は一番安全な状態にあると言う事だ。
ならば行かない手は無いだろう。
何故ならばどうしても手に入れたい食材が有るからだ。この森の奥に、緑色の実を成す木がある。その実は酸味が強く、鳥達も食さないが、その実から取れる果汁と醤油を混ぜると最高のポン酢が完成する。
そして山で採れた山菜やキノコと海で採れた魚達が共演する鍋にポン酢を浸けて食べる。
正に至福の瞬間である。
だが油断してはならない。森にはまだ魔物が生き残っている可能性が高い。
ナイフ一本と麻の服とズボンと籠だけを背負っているだけの姿の俺が言っても説得力は無いが、俺には頼もしい助っ人がいる。
緑の服を着た小人妖精のみーちゃんだ。
このみーちゃん、森の中にいる魔物の位置が判るらしく、しかも探している食材の位置まで教えてくれる、頼れる男の子?女の子?なのだ。
森の中には定期的に騎士団が入る為、幅は小さいが道が整備されており、子供の俺でも苦労せず森の中を進む事が出来る。
みーちやんを左肩に載り、あーちゃんは俺の頭の上に居座り、くーちゃんは背負った籠の底の隅でじっとしていて、残りのみんなは籠の中から縁に手を掛けて、ぼーと外を見詰めている。
みーちゃんの指示に従い、時には道を外れて森の中を進んでいると、チョッピリ食いしん坊のきーちゃんが食べられるキノコを発見した。
「キノコみつけたー」
籠の中からフワフワ飛んでキノコの元に近ずいてゆく。
飛びながらキノコを掴んで引っこ抜こうとするが、敵もさるもの中々素直に抜けてくれない。
「よいしょ、よいしょ、ぬけないよー、てつだってー」
きーちゃんの助けを呼ぶ声に俺の頭の上で暇してたあーちゃんが、いち早く反応した。
「まかせろー」
俺の頭の上で気合を入れた元気なあーちゃんが、きーちゃんの元へと飛んで行く。きーちゃんの後ろについてきーちゃんと一緒にキノコを引っ張っている。
まるでキノコと、きーちゃんあーちゃんの綱引きみたいだ。
他のみんなは籠の底にいるくーちゃん以外、じっとキノコと2人の戦いを見守っている。
キノコと2人の激しい戦いはしばらく続いたが、軍配は、きーちゃん、あーちゃんに上がる。ポンと音がしそうなほど勢い良くキノコが引っこ抜かれると、2人仲良くキノコを持って籠の中へ入れてくれた。
そんな出来事を繰り返しつつ一度も魔物に遭遇する事無く、酸っぱい実を付ける木の元へたどり着いた。
木が実を付ける場所は、俺よりも遥かに高い場所にある為、ここでもまたみんなが大活躍をする出番である。
今度は三人組、二手に別れて酸っぱい実との綱引きが始まった。酸っぱい実はキノコよりも遥かに強く、一人では絶対に勝てない。三人一組でやっと勝てる強敵なのだ。
激闘の果てに、小人さん達が木から離れた酸っぱい実を地面に落としてくれる。俺は落ちた酸っぱい実を拾い上げて籠に入れて行く。
「おつかれー」
「いい仕事した―」
「ぽんずー」
十個程度籠に酸っぱい実が溜まると任務終了である。もうこの森に用は無い、さっさと帰ろう。
来た時とは違い、幾分重くなった籠を背負い、みーちゃんの指示に従い森の出口を目指す。森の出口まで半分ほど来た所でみーちゃんの何度めかの方向転換の指示が入る。
「うーんとねー、あっちー」
右を指さしたみーちゃんの指示に従い方向転換すると、その反対側の左の奥の方から、木が倒れる音と共に甲高い女の子の悲鳴が聞こえて来た。
「キヤァァァァ」
思わずしゃがんで、声のした方を恐る恐る見てみる。距離にして三百メートル、ここからでは木々の擦れた音と揺れている姿しか確認できない。
どうする。助けに行くべきか。だが自分に何が出来る。今の自分は十歳の只の子供だ。ここは急いで森を出て助けを呼びに行くべきだ。だが少しでも状況確認をしたい。
俺は口の中の唾を飲み込み、ゆっくりと気付かれず、戦闘が行われているであろう場所まで近付いて行った。
「どうしたの?、こっちはあぶないよー」
「なになにー」
全く緊張感の欠片もない何時も通りの、まったりとした小人達の声に思わず苦笑いを浮かべてしまった。
まるで緊張している自分が馬鹿みたいだ。
ゆっくりと慌てずに少しずつ少しずつ近付いて行く。心臓の鼓動が速くなるのを感じる。
草木の間からそっと戦闘の様子を窺うと、俺と同い年くらいの2人の女の子と一メートルの大きさの犬型の魔物が五匹、女の子達を襲っている。魔物の内の二匹は、地を吐いて地面に倒れて絶命している。
残りは後三匹か…
一人は無傷だがもう一人の女の子の方は無傷では無かった。左肩に魔物の攻撃を受けたのか、服が真っ赤に染まっている。しかも動かせないのか左腕をだらんとぶら下げて、右手だけで魔物とやりあっている。
大きな木を背に銀色の髪の少女を間に挟んで守りつつ、赤みがかかった髪の少女が一人で戦っている。銀色の髪の少女は戦っている少女の背で震えているだけだ。
負傷した少女に三匹の内の一匹が襲い掛かる。少女は犬の横っ面に右パンチを叩き込む。
叩きこまれた犬は、信じられない事に、五メートル程空中を吹っ飛んで背中から木にぶつかりそのまま地面に倒れ込んで動かなくなってしまった。
だがこの犬の魔物犠牲は無駄ではなかった。少女が殴り終わり、身体が伸びた瞬間を見計らって右腕に噛み付いてきたのだ。
「ぐっ、このおぉぉ」
右腕に噛み付いたままの犬の魔物右キックを喰らわそうとするが、噛み付いた魔物も女の子の動きを察したのか直ぐ様噛みついた右腕を離して素早く少女から距離を取った。
凄いな、あの女の子、なんであんなに力があるんだ。
だが、女の子の方も頼みの綱の右腕にダメージを負って、かなり状況の分が悪い。動かせるとしても後少しの間だけだろう。
とても救援を呼んで帰ってくるまで持ちそうにない。
だがどうする。今の俺には力なんて無い。だからと言って2人を見殺しにするのか。
逡巡している間に、犬の魔物に動きがあった。
二匹同時に女の子に襲いかかろうとしていた。
二匹同時では傷付いた少女では対応できない。
俺は無意識の内に身体を動かしていた。
籠を背中から降ろし、籠の中の酸っぱい実を犬の魔物の一匹に投げつけていたのだ。
投げた実は二匹の魔物の注意を俺に引きつける事に成功した。
魔物の視線が俺に向いた隙に犬の魔物に攻撃すれば良いのに、女の子の視線も俺に向いてしまった。
「今の内に魔物を攻撃しろぉぉ」
俺は女の子に叫んだ。
今の俺ではどうあがいても、この魔物には勝てない。女の子に頼るしかないのだ。
犬の魔物はどうやら狙いを俺に定めたようだ。本能的に傷ついた少女より俺のほうが与しやすいと判断したのだろう。
二匹の魔物は俺の方へ向って走り出そうとしている。俺はその場に籠を置いたまま、その場から逃げだした。
犬の魔物が動き出す前に、傷ついた少女が先に動いた。動き出す前の犬の魔物の一匹の脇腹に少女の渾身の力を込めた右拳がめり込み、犬の魔物を吹き飛ばした。
残りの一匹はそのまま俺を追い駆けて来た。
もう少女達の心配をしている場合では無い。
俺の方が遥かに命の危機なのだから…
もう帰り道が判らなくなってもいい、とにかく魔物から逃げるんだ。
生きる為に、全力疾走で森の中を走り抜ける。
だがそんな俺の走りより、犬の魔物方が遥かに足が速かった。
かなり逃げ回ったが遂に追い付かれてしまった。
ナイフを抜いて戦おうとしたが、圧倒的な力で押し倒されてしまった。
倒されながらもナイフを犬の魔物の皮膚に突き立てたが、十歳児の子供の力では致命傷を与えるのは不可能だった。
森の中で、一匹の犬の魔物の手によって、一人の少年の命が失われた。