2
作戦会議を終えてしばらく。体や頭を休めるため、オリ達は泉のそばで一休みすることとなった。
朝も夜もないこの場では、休むことのできる時が休み時なのだ。
妖精は、オリの制服のリボンタイにくるまって早々と眠りにつき、ミオは見張りなら任せろと一人で息巻いている。
オリも休むよう言い聞かせられ、乞われるがまま体を横たえ目を閉じた。うとうとと微睡むことはできたが、いつまで経ってもふわつく意識は眠りの表層を漂うだけだった。
「……寝れない」
何度か寝返りをうったあと、結局うまく寝つけなかったオリは、早々に体を起こした。
ミオに出会う前、すでに心行くまで眠っていたし、特に体を動かしてもいなかったため疲れていなかったからだ。
あまり夢を見たくなかった、というのもあるのかもしれない。
そんなとき少年は唐突に、降って湧いたかのように現れた。道端で通りすがる際の軽い挨拶みたいに「や」となまっちろい手があげられる。
対するオリはどうリアクションすべきか迷ったが、結局ごく普通の友人と出会ったときみたいに手をあげ返しておいた。
「ひさしぶり。なにしてるの?」
「いや、それは僕が聞きたいな」
オリは困った。本当になにもしていなかったからだ。考え事をするでも物思いに浸るでもなく、ただ特に意味もなくぼけっと座っていたに過ぎない。
ここが屋外なら夜空を見上げつつ「星を見ていたんだ」と哀愁深く言えるかもしれないが、ここにあるのはつまらない天井だけ。上にあるのは、敷きつめられた煉瓦ばかりである。
今こそあの懐かしき伝統、「息してた」を口に出すときなのかもしれない――オリはちょっとドキドキした。
ほんの少しそわ付いているオリに気付いているのかいないのか、少年はすこし視線を動かした。
「……」
オリの傍らで、地面に無防備なまま寝転がっているのはミオである。
壁に抱き着くかのようにべったり引っ付いて、体を伸ばしきっている様は、野生というものが欠片にも感じられない。
「見張りはお任せください!」
と意気込んで三分後にはこっくりこっくり舟を漕いでいたことを思いだす。まあそれは別にいいのだが、この一目みただけで寝辛いと断言できる体勢をなぜ取ってしまったのだろう。体温が高いから、冷たいところが心地よいのだろうか。
ミオを不思議そうな、というよりも不審そうな目で見つめているオリ。成立したてのしょっぱい仲間関係を眺めながら、少年は宙に胡坐をかいて頬杖をついた。
「仲間ができたみたいだね」
「うん。まだ、信用していいのかは分かんないけど……」
「嘘だったら殺せばいいって?」
「……」
否定すれば嘘になり、肯定すれば非道な自分を直視しなければいけなくなる。つぐんだ口はそのまま肯定を意味していると分かっていたが、それでもオリは何も答えられなかった。
「人でなし」
ハッと目を見開いたオリが少年を見上げれば、その口元には微笑がうかんでいるだけであった。少年はただ、ほんの少し嫌がらせ混じりに思念を飛ばしただけであるから、声に出したわけではない。
今のが何事なのか判断のつかないオリは、困惑したように視線を泳がせはしたが、それ以上のさしたる反応は見せなかった。つまらないな、と思う。
「まあ、用心深くてなにより。こっちとしてもありがたいよ」
「……そっすか」
そういえばこの少年は、自分に最奥まで向かって欲しいんだったな、とオリは思い出した。初めにそんな話を何度かした覚えがある。それにしては扱いが丁寧なのかぞんざいなのか、イマイチはっきりしない。
――はっきりしないと言えば、そうだ、オリが初めてこの世界で顔を認識したあの娘。今になって、なぜだか無性に気がかりだった。
「あの、私の着付けをしてくれた子がなにか知ってる? 美人でまっしろで長い髪でね、背が高くて……」
「このまえ説明されたとき聞いたよ。白子の娘だろ?」
そう言われてオリの脳裏にぱっと浮かんだのは、魚の精巣のほうである。こってりした味で結構うまい。ポン酢であっさりいただくもよし。煮魚として煮込んだものをいただくもよし。
なんて考えているとお腹がすいてきた。なんでこんな状況で腹が減るのか不思議だった。まあとりあえず白米食べたい。
「お腹空いたなぁ……」
「ほらよ」
ぽけっと開いていた口に遠慮なくつっこまれたのは、ブロック状の固形食糧である。現代日本でもお目にかかれるようなアレに似ていた。
ただ、あっちよりも舌触りはざらざらと粗く、味ももっと淡白だ。口どけも悪く、和菓子のようにいつまでも口の中にはりついている。ぶっちゃけまずい。
もっすもっすと咀嚼し出して静かになったオリに、少年は説明をはじめた。
「白皮症は知ってる?」
オリはこくこく頷いた。あの彼女のように、先天的に色素が薄い人間、もしくはその他の生物のことだ。アルビノという名でよく知られているが、海外ではこの呼び方を変えようとしているらしい。少年が呟いた白子という名称も、今ではあまり好んで使われないようだ。
「なら話は早い。君のとこがどうだったかは知らないけど、こっちでは人間の場合、その明らかな異貌から、町を歩けば指さされ嘲笑される対象となる」
そう少ないわけでもないし、今じゃだいぶマシになったみたいだけどね。
「しかし、そういった特別な生き物は、しばしば神聖視される。動物だったら王様に献上されたり、もしくは話を創って祀られたりね」
白は人間にとって聖性を想起させる色らしい。だからか白い獣は聖気をまとっていると崇められる存在となる。ある時は見世物にされる一方で、目にしただけで利益があるとされた。
オリは口の中の水分を持っていかれながらもレーション的なそれを飲みこむと、
「なんか分かる気がする。写真で見る動物とか、びっくりするぐらい白かったもん」
言い終わるか終らないかのうちに、また別の食糧を口につっこまれた。またもぐもぐ咀嚼を開始する。
「そういった子どもを疎ましがる親もいるんだ。そんな赤子を引きとって、杷の巫女にする。幼いころから、清浄な空間と正しい規律のなかで丁寧に丁寧に、生綿で首を絞めるように育てていくんだ。この世で最も清らかな存在。これが、神と人の唯一の橋渡し役さ」
「唯一?」
「死んだら代替わりするらしいね」
つまり彼女は杷の巫女候補だったということか。
ということは、あの老婆も、もしかしてアルビノだったのだろうか。白髪は年齢のせいだと思ったし、目の色は寄った皺のせいでよく見えなかった。そういえばあの老婆の声も聞いていないことを思い出した。もしかしたら、彼女と同じように咽喉を潰されていたのかもしれない。
「なんでそんな子が、私を助けようとか思ったんだろう」
気になるのはそこだった。初対面なのに頭を下げて助けようかと申し出て、それから最後まで付いてきた。
……まあ結局助けてはくれなかったが、とりあえず気にはかけてくれたのだ。その意図がよく分からない。
少年を見ると、彼はなにか考えこむように口元に指先をあてていた。
「これは予想だけど、その娘はたぶん、神官以外の人間を見たのも、同い年くらいの女の子を見たのも、君がはじめてだったんじゃないかな」
「……」
「杷の巫女はなによりも清くあらなければいけないから、君の正体も知らされていないだろうね。例の儀式にも、参加義務はないはずだけど」
ただの興味だったのだろうか。それとも一瞬でも、自分と仲良くなりたいと思ってくれたのだろうか。ああして暴力まで振るったというのに。
オリはあの、名前すら知らない美しい少女を想った。
来てくれたのは、わずかでも助けようとして様子を見にきてくれたのだろう。気になったから来てみた程度の考えだったかもしれないが、前者だったら嬉しい――。
そんなしんみりした空気をぶった切るように、少年は水をさしてきた。
「というか君、結局見捨てられてるじゃないか」
「いや、もしちょっとでも――はさすがにないか。余裕で助けられるチャンスがあったら、助けてくれたに違いない」
「それでいいの?」
「お前だったら助けるのかよ。そんな状況でも私はたぶん助けないね。――だから、あれで十分」
目があった瞬間は、イヤ目ぇ背けてないで助けてくれよ! と心の中で絶叫したが、こうして落ち着いて考えてみると、まああの程度でも十分だと思えた。それもこれも助かった余裕からだろう。あそこで死んでいたら、化けて出て呪っていたに違いない。
少年はそんなオリを冷めた目で見ながら、こいつはこんなこと言っているが実際そうなったら助けるんだろうなぁ、と思っていた。
「そうだ。杷ってなに?」
「農具」
「へー」
今度は口に突っこまれず、ただ手渡された固形食糧。オリが歯を立てると粉がぱらりと散った。
これは餌だろうかと、紺のスカートの上に舞った欠片を眺める。
(香餌の下、必ず死魚あり……だったかな)
どこかで見かけたことわざが脳裏をよぎる。しかしすぐ、これは香餌ではないよなぁと思い直して首を振った。
「まずい?」
どうやら勘違いされたらしい。オリは少年を仰いで少し笑った。
「――パサパサするね」
そう言いつつ笑顔のままのオリを、少年は不思議そうな顔をして眺めていた。
それから時間をたっぷりかけてオリが全部食べきると、少年はいつの間にかいなくなっていた。
一人取り残されたオリは、ふとぐっすり寝こけている仲間を見て、そういえば一人ではなかったと気付いた。
寝転がれば、寝息のみがすやすやと聞こえてくる。不思議なものだ。安らかな一時とは、こんなところでも生まれるものなのか。
そんなことを考えているうちに、オリはいつの間にか眠っていた。夢も見ないくらいぐっすりと、ひどく穏やかな気持ちを抱いて。
それから。眠っていたことに気付いたミオが慌てて飛び起きて騒いだり、妖精がそれに驚いて怒鳴ったり、それでも目を覚まさないオリを見て「お寝坊さんね」と呆れたり。
それらの何一つ気付かないまま、オリは二人に起こされるまでぐっすりと眠ったのだった。




