辰海の変化
「失敗したじゃない!!」
「負けたじゃない!!」
狂ったように喚く、青と黄の少女――ルニャとフライヤを、辰海は地面に座り込んだままじっと眺めている。
「なんでっ!!」
「どうしてぇ!?」
二人は彷徨っていた辰海を拾った。人間が一人いたら、計画の幅も広がるだろうと、物でも拾うみたいに言っていた。彼女らは『命』というものについてよく分かっていないのか、自分たち含めて全てを道具のように扱う。
ただ「強くしてあげる」と言われ、辰海はおとなしくついて行った。それさえあれば良かった。
「やっぱり、欠けているからだわ。四人。私達は四人必要だった。このままじゃ、完全になれない……。まがい物の魂……狂ってる……崩れてる……」
「四人になるためにあの人間を倒さないといけないのに、四人じゃないから倒せない……。私達をこんな目に遭わせた敵。辱めて、苦しめてやりたいのに……」
「このままじゃ、マリアのところに帰れない」
「ダイヤモンドの冠だって取り戻せない」
ぶつぶつと続く彼女らの嘆きから目を逸らし、辰海は視線を地面に落とした。
オリを襲った辰海らは破れた。彼女の仲間を襲ったらしい雇われどもも、あっけなく破れたとか。
――オリの力。暴力。何者にも負けぬ、どのような道理にも理不尽にも屈しない、屈せずに済む力。素晴らしい、何者にも勝る、この世で唯一、目指す価値があるもの。目指したいと思えるもの。
「あの人間、あれだけ精神が弱ってた。なのに、負けた……私達じゃ勝てない……」
「このままじゃ、きっと勝てない。だから、どうにかしないと、どこにも行けない……」
強くなりたい。力がほしい。あの美しく勝利したオリのように。
そうしたら怯え、震えるばかりでどこにも行けなかった辰海はきっと、自由を得るだろう。開放されるだろう。救われるだろう。気高く敵を打ち破った、あの少女のように。
「ねえ」
ふと辰海が顔を上げれば、先程までぶつぶつと呟いていた二人が側にいて、虚ろな笑みを浮かべている。
「戦えるようにしてあげようか。約束したものね」
「強くしてあげようか。約束したものね」
「それしか考えてないものね」
「それしか頭にないものね」
頬と口角だけ動かしたみたいな、心無い無機物的な笑み。
それでも、辰海には構わなかった。彼にはオリのような鈍器もなく、仲間もいない。全てを圧する――そんな力を得る方法は、限られている。
「痛いのは恐いでしょう」
「恐いのは憎いでしょう」
「うん。暴力なんて大嫌いだ」
自分に振るわれる暴力は嫌いだ。
「だったらやっつけてしまおう」
「やっつけて無くしてしまおう」
「うん。全部に勝てる力がほしい」
泣いて懇願して狂ってしまうほどに欲しい。
ルニャとフライヤは二人、目を合わせ、微笑みあう。小さな両手を絡め、互いに額を当て、じっとしている。やがて、青色と黄色の双眸は、静かに辰海を見据える。
「力、あげる」
「強さ、あげる」
「そうしたら、戦うのよ。私達のために」
「二人を、王冠を取り戻すの。なんとしても」
「強くなれるなら、なんでも構わないよ」
なんだってよかったので、辰海は頷く。――自分を跪かせる理不尽、全てを跳ね除ける力。望みを押し通せる力。欲しい。手に入れなくてはならない。なんとしても。
そうやって、自分の考えに熱中している辰海は、気づかない。微かに、ルニャとフライヤの手は震えていた。彼女らはかぼそい息を吸い、吐く。そして、苦しげな声の裏で囁く。
「さよなら、私の体」
「さよなら、私の姉妹」
目覚めた辰海は、ぼんやりとしていた。長い前髪が、視界に揺れる。白い毛先。つまむと、たしかに自分の髪だった。
立ち上がり、手足を、身体を確認する。髪以外、どこも違和感はない。外側は、だが。
「うる、さい……」
体の内側、いや、頭の中がうるさい。がんがんと、何かが打ち合うように響いている。頭を抑え、ふらつきを堪えつつ、地面に手をついた。
声がする。反響するささやきのような、無数の虫の這うような、鬱蒼とした森を風の抜けるような、ざわざわとした、絶えず止まぬ音。
何かがいる。辰海の芯を這い、蠢いている。
ルニャ。フライヤ。二人の小さく不完全な魂――あるいは命、自我が、『辰海』を、奪おうとしている。乗っ取ろうとしている。欠けた二人を、辰海という存在で補強しようとしている。
――騙されていたのだな、と気付いた。
だけど、すごくすごく嬉しかった。
あんまり嬉しくて嬉しくて、興奮のあまり滲んだ涙がぼろぼろ頬を零れ落ちていく。
「ああ……」
この身に漲る力に気付かない馬鹿はいないだろう。
誰だって辰海の強さに恐怖する。気付かないような愚図はいらないだろう。
涙を流す辰海の眼前には、抜け殻のように放置された人形があった。色違いの青と黄のドレスを纏い、大きな帽子を被った、美しい磁器人形。辰海はそれを、振り上げた足で思い切り踏み砕いた。胴も頭も、粉微塵になるまで、踏む。踏みにじる。ドレスも帽子も粉塵にまみれぺたんこになり、ぎらつく宝石だけが異質なほどに美しい。それを取り上げると、ポケットにしまう。そして、残った白い四肢も踏み砕いた。
この行動が辰海の意志なのか、頭の中の二人の意志なのか。そんなことは、さして問題ではない。辰海は笑っていた。嬉しい。嬉しかった。
もう何も恐れなくていい。安心して眠ることできる。
だってもう、苛められる夢をみることはない。
誰かを殺す夢をみる必要もない。
「現実で殺せばいい」
あまりの感奮につい口をついて出た声は、二重三重に重なりあって聞こえた。それにあわせて脳みそもぶるぶる振動し、ぶれていくつか残像のようなイメージをうむ。辰海のもの、辰海じゃないもの、辰海じゃないもの。憑りついたであろう二体のものだろう。
それもすでにどうでもよいことだった。この渾然一体の興奮のなかでは、なによりも彼の狂喜が優先される気がした。されなければならないと思った。入り込んできた二人も、この歓喜の前では後に引くほかないのだ。
だってそうじゃなければ あまりにも嬉しくて嬉しくて死んでしまう。
眠る仲間たちのなか、オリは一人見張りをしていた。とてもではないが眠れる気分ではなかったので、自ら申し出た見張りだった。
危険な場所、あるいは危険かどうか分からない場所でも、一人での見張りを任せられるようになって、ずいぶん経つ。戦いに自信もついてきた。前に出くわしたような規格外な魔物以外なら、それなりに立ち回れるようになった。
……だからこそ、辰海に押し倒され、抵抗すらできなかったことは衝撃的だった。自分以外の人間だって、魔物とチームを組んで戦う。そんな考えも抜けていた。
「……あのままだったら、彼は私を殺したかな?」
「さて、どうかな?」
座り込んだオリの背後で、少年の笑う声が聞こえる。
オリは自省する。きっと驕っていた。長い迷宮暮らしで、精神的に余裕が持てるようになった反面、油断がでた。
気を引き締めなければならない。全てにおいて。
同族――同じ人間だからといって、油断してはいけない。味方以外はみんな敵だ。
「彼が何を望んでいたのか、僕には分からないからね。それによって変わると思うよ」
「望み……」
「君の命を奪いたいのか、尊厳を奪いたいのか。もしくは、……それ以外の何かが望みなのかもしれないが、」
と、そこで少年は言葉を切った。
尊厳、とオリは自分の体を見下ろす。一応脂肪の柔らかさがあった胸も尻も、今では不自然なほどに引き締まって堅い。鍛えられた体からは女性らしい丸みも消えた。もともと肉付きは薄かったけれど、今では体付きだけ見れば、少年と間違えられてもおかしくない程だ。まさか、これが目的なわけではないだろう。
では何を、と振り返る。至近距離で見た、恍惚に歪んだ目。そして、頬を這ったぬるい手の感触を思い出し、オリは自分の頬を撫でた。
『強くなれば暴力も怖くないんだ、あの時の君が教えてくれた』
『人間も魔物も関係ない、強くなればいい、力さえあれば勝てるんだ』
『なにも恐れなくていい、力さえあれば、生き物はもう、なにも、生きることも、恐れなくていいんだね……』
自らを打ち据えるオリを見て、彼は何かに歓喜していた。力。暴力。あるいは、それを振るうこと。
「……」
「……そもそも、敵は彼だけじゃないだろう? 思い出してごらん。ほら、あの人形達はきっと君を殺したかっただろうね」
「他人事みたいに……ま、実際他人事だし、どうでもいいのかもしれないけどさあ」
「まさか。僕は常に君の旅路を気にかけているよ。そう簡単に挫けられたら困ると思っている。僕との契約を忘れたのかな?」
「ええと、迷宮を踏破する、みたいなやつ、だったよね?」
「合ってるけど、大雑把だなあ」
「合ってるならいいでしょ。というか、これってそんなに重要なの? いや、その為に私の前に現れたんだから、重要なんだろうけど……」
「重要だった、かな。今はどちらでもいいんだ。君が旅を続けて、僕を楽しませてくれたら。それで」
少年は口元を緩め、穏やかな微笑を浮かべる。見る人が見れば、慈悲深ささえ感じ取っただろう美しい笑み。
「あなたはたぶん優しくないね」
呟いたオリに、少年は何も答えない。
――自分に力をくれた、ヒトのような外見をした少年。自分と同じ境遇であり、自分と同じ人間であった安寿。辰海。
オリに優しく、そして共に戦い、傍にいてくれたのは、彼らではなかった。
オリは自分の傍で、大胆な寝相を晒しているリューリンの、穏やかな寝顔を眺めた。本来なら眠らなくても良いはずの彼女が、自分の傍でこうも安らかに休んでくれるという事の意味を、今更ながらに噛み締めていた。
「でも、あなたは……私に剣をくれた。そして同じ境遇だった辰海には盾。それで、安寿には何を与えたの?」
「なんだと思う?」
「『剣』に『盾』だから……槍とか斧とか、鎧とか? うーん。でもどれも持ってなかったか。……あの人なら、捨てちゃっててもおかしくないけど」
「ふふ。……本当は、二番目に『盾』をくれてやりたかったんだ。でもどう見たって彼女、『盾』って顔してないだろう?」
「確かにねー」
少年の様子を見るに、素直に答えてくれることはなさそうだ。
一番目には剣。二番目には盾を渡したかったと言う。さて、三番目に渡したかったものとは?
安寿の性格から考えると、攻撃に使えるもの、ということになるだろうか。きっと防具ではないだろう。
……いや、役割から考えよう。
一番目が『剣』で魔物を打ち払って先に進む下働き、言わば先行する兵。二番目は魔物のいなくなった道を、『盾』とともに安全を確認しながら進む騎士。三番目は?
「(王様?)」
安全な道を堂々と進む王様。あるいは女王様。しかし、王らしい能力とは? ……いや、そもそも王はこんな場所に落とされないだろう。別の何かだろうか。
「……」
分からない。
しかしまあ、警戒するに越したことはない。剣でも、盾でもない、何か。
「とっておきは最後まで取っておくものだしねえ……」
「分かってるじゃない」
くすくす笑う少年を無視して、オリはぐっとその場で伸びをした。




