妖精の帰還2
「えーっと、辰海くん……は、そんな所で座って、なにしてるの?」
「休憩、かな。足をね、ケガしたんだ。やっぱり一人じゃ……こんな僕なんかじゃ、駄目みたいだ。『盾』も失くしたし、ね」
「そ、そっか(気まず……)」
オリは足元に視線を落とした。
辰海から『盾』を譲り受けた(らしい)のはクレイグだが、それを鎧男から逃げるため放置してきたのはオリだった。しかも、辰海くんの遺産! とかノリノリで叫んで置いてきた。
しかしわざわざそれを説明する理由もないし、と無言を貫いていると、
「い、たた……」
辰海が足を抑えて呻いた。
それを見たオリの脳裏に真っ先に浮かんだのは、今はそれどころじゃないので見て見ぬ振りしようか、なんて考えで。
(――違う違う!)
オリは自分の考えにぞっとし――帰ることを止めたとしても、人間まで止めたつもりはない――、その考えを抑え込むように、慌てて辰海の傍に駆け寄り、しゃがみこんだ。
「どこが――えっ?」
伸ばした腕が掴まれた。ぐっと予想外に強い力で引かれ、それに抵抗して背中に力を込めた瞬間、ぱっと手を離された。「わ、」と間抜けな声をあげて背中から倒れそうになり――両肩に手をかけられ、そのまま押し倒された。
「侮ったね?」
ぽかんとするオリの前で、辰海の唇が、三日月のように弧を描いた。壊れた人形のような笑みだった。彼についてそこまで知っているわけではないが、以前とは明らかに、雰囲気が違う。
「ただの弱い人間だと思っていたんだろう。見下していたんだろう、保護してやるって、そんな気持ちでいたんだろう? 僕が恐い魔物だったら君、手なんて伸ばさなかっただろう? ふふ……ねえ、見てたよ」
「なに、を――」
「アイツを殺した君は、強くて、強くて、強くて、本当に、綺麗だった……」
辰海のぬるい手が、オリの頬を這う。瞬間、脳裏に少年の言葉がよぎる。冷笑的に響く声。『あの二人と協力できてたと思う? 安寿には囮として使われて終わり、辰海には犯されて終わりだろうね』
オリの顔から血の気が引いた。逃げようと身を捩るが、うまくいかない。なぜか手足が重い。押し返そうにも、無駄な抵抗だとばかりに、手首を辰海に押さえつけられて終わる。
嘘だろうと思った。この鍛えたこともないだろう生白い腕に、剣を振るったこともないだろう弱々しい手のひらに、なぜ、自分が――。
「どいて、んっ、どけって――」
「強くなれば暴力も怖くないんだ、あの時の君が教えてくれた。人間も魔物も関係ない、強くなればいい、力さえあれば勝てるんだ。なにも恐れなくていい、力さえあれば、生き物はもう、なにも、生きることも、恐れなくていいんだね……」
鼻先のぶつかるほどの至近距離で、辰海は呪文のようにぶつぶつと呟き、それから上品に、まるで女性のように笑った。そして、
「――でも、君はずるいよ」
寄せられた耳元で囁かれたその言葉に、オリの頭が真っ白になった。
「あの剣、共に戦ってくれる仲間――戦うための力。恵まれてる。幸運だ。羨ましいよ」
そして彼は、それを再度囁く。
「君はずるいよ」
「お、まえがっ……お前らがそれを言うのかよ!! 私が!! 私に!! 私の後をついてここまで来ただけのお前らが!!!」
突如怒鳴られ身を引いた辰海の手に、オリは爪を食い込ませる。
「私が今まで――ここに来るまで!! 誰を、何を、零して、落として、失くしてきたかも知らないで!!!」
痛みに怯んだ辰海の体を振り払い、そのまま逆に引きずり倒す。
形勢逆転。だというのに、辰海は一瞬目を見開いただけだった。抵抗するでもなく、オリをうっとり見上げている。先程よりも余程幸福そうな、彼の恍惚とした表情に、オリは奥歯を噛み締めた。
「私が死ぬ気で戦って、殺して進んだ道を!! 平然とたどって来ただけのお前らが!! ここまできといて!! 何を! ふざけんじゃねええ!!」
辰海を殴る。腕に力は入らないが、拳を握り、無理矢理振りかぶって殴る――。
「ズルいのは、ズルいのはどっちだ!! 言ってみろ!! 言ってみろよお!!」
突然、振りかぶった腕から更に力が抜けた。もはや拳も握れない。同時に、はっと我に返る。
見下ろす辰海はぼろぼろだ。口内が切れたのか、唇の端から血を流している。
オリは何事かを言うために口を開きかけて。そして、すぐさま辰海の上から這うように飛び退いた。彼女のいたところを、小さいが凄まじい勢いの火の玉が通り過ぎていった。
身体を引きずり振り返った先では、どこかで見た小さな影が二つ。並んで宙に浮いている。
「なんで避けちゃうの?」
「なんで死んでくれないの?」
揃って同じ声。そっくり同じ美しいドレスと、特徴的な形状の大きな帽子。色は異なる。青色、黄色。青の少女の首には、ラピスラズリのネックレス。黄の少女の胸元には、トパーズのブローチ――。
(すごく、見たことがある)
トゥケロの階層を引っ掻き回した、エスパー放火魔であることは覚えている。緑の少女が最期、『森』の長に踏み砕かれたことも。赤の少女が『草』の長に片耳を千切られていたのも。
しかし出会ったのなんて遠い過去のようなもので、さて、いったい彼女らの名前はなんだったか。
「二人の飾りを返してほしいの。メイヤのルビーと、ヘレンのエメラルドよ」
「二人になってからおかしいの。全部が足りないし、全部が欠けてるの」
「黙ってないで早く二人を返してよ、泥棒!!」
「どうせ王冠もあなたが隠し持ってるんでしょう!?」
考えるオリをよそに、二人はどんどんヒートアップしてくる。こんなキャラだっただろうか。
エメラルドの髪飾り、ルビーのピアス。どちらも確かにリュック(今日の野営地に置いてきた)に入っている。が、王冠は本気で知らない。何の話だ。
――四姉妹じゃなくて五姉妹だったのか……? いや、それなら王冠についても姉妹の名前を言うか?
オリが黙っていると、二人が痺れを切らしたように同時に叫んだ。
「弱くなっちゃえ!!」
なにを、と思ったが、膝の力が、まるで吸い取られるように抜けていった。オリは地面にへたり込み、立ち上がろうとするが、どうにも力が入らない。
――辰海の特殊能力でなく、彼女らの仕業だったのか?
まだ名も分からない青と黄の二人は、ひどく興奮していた。
「私達、新しい超能力を手に入れたのよ!!」
「ほら、早く返しなさい!! さもないと――」
邪悪な声の先では、辰海が痣だらけの顔で微笑んでいた。
「二人は僕に、力をくれると約束したんだ」
笑ったまま、世間話みたいに軽やかにそう答える。
オリは座り込んだまま、何も答えなかった。代わりに動かしにくい手でスカートのポケットを漁って、天使に投げつけた余りの石ころを、地面に投げつけてやった。
「……コレでよければ、くれてやるよ」
ルビーもエメラルドも今は持っていない。持っていたとしても――例えどちらもオリには不要な物だとしても――こいつらに渡すつもりはない。脅し、襲ってきた相手の要求を飲む理由はない。
二人は当然激昂した。顔を般若の如く歪め、聞き取れないほど滅茶苦茶な罵声を喚いている。一方辰海はその横でにこにこしている。ご機嫌なタイプの変態かもしれない。もしくは、洗脳でもされたか――。
「ふん。余裕ぶれるのも今だけよ!」
「今ごろ、仲間の奴らもひどい目にあってるんだから!」
これだけ騒いでいるのに、トゥケロ達が来ないのだから、少しおかしいとは思っていた。いつもどおりの急な先生の来襲も、いつもどおりではなかったのかもしれない。
(まあ、トゥケロ達が負けるはずはないか……)
それだけは、確信している。
オリは地面に座り込んだまま、自分に迫り寄る、青色と黄色の少女二人を見上げた。贅沢な装飾の施された衣装、作り物のように整った愛らしい顔立ち――重なるのは、踏まれ、白磁のように砕け散った、彼女らの緑色の姉妹の最期。
辰海が二人の背後で微笑んでいる。穏やかに、観劇でもしているような気楽さで。
――どれも殴れさえすれば、勝てる相手なのに。
(……ここで終わりか)
オリはそのとき、目を閉じて終わりを迎えようとした。そしてなぜか、最期まで自分を守っていたミオの背を思い出した。
(……)
オリは瞼を開けると、最期の悪あがきにと、腰の石剣に手を添えた。
「くらいなさいっ!! 妖精族の秘宝、パートツー!!」
「りゅ、」
声の方向を振り返った瞬間、緑色の光線が爆音とともに弾けた。いっそ神聖さすら感じさせる澄んだ輝きが溢れ、オリの身体に力が戻るのを感じた。
オリはすぐさま立ち上がると、真っ先に腕で顔を隠し、うずくまる辰海を思い切り蹴飛ばした。エスパー二人は見えない。――どこに行った。思っていると、再度緑色の光線が二本、何かを追跡するように走る。
そして、見えぬ何かを正確に射抜いた。
鈍いうめき声とともに、青と黄の少女が地面に転がる。砂埃にまみれた二人は、それでもすぐに宙に浮くと天井を仰いで吠えた。
「なによコレなによコレなによコレ、なによこれえええ!!」
「ムカつくムカつくムカつくムカつくううううう!!」
「うるさいうるさい、うるさーいっ!!!」
甲高い声の三重奏。苛立ち混じりの最後の叫びは、幻をかきけし、その姿を露わにしたリューリンのもので。
彼女はその小さな手に、見たこともない、澄んだ緑色の――先程の光線と同色の――光る球体を握りしめていた。
「とっとと失せな、このクソ雑魚ポンコツトリオ!! もう一発お見舞いされたいわけ!?」
「うるさいのはどっちよ、この羽虫!」
「諦めないわよ、覚えてなさい!」
妖精が羽虫呼ばわりに憤慨した瞬間、少女二人はあっかんべーをして消えてしまった。見ると辰海も消えてしまっている。これは本物の瞬間移動だろうか。だとしたら厄介だな、とオリは現実から逃げるみたいにそんなことを考えた。
妖精はしばらく苛立ったように頭をがしがし掻いていたが、やがてその勢いのままオリを振り返った。
「アンタ何やってんのよ!!」
「……それは、こっちのセリフ。何やってんの」
「はあ!?」
「それ、秘宝なんでしょ?」
「こっ、コレはまあ、うん。そういうことね」
妖精の握る緑の球が、見る見るうちにどす黒く濁っていく。そしてほんの一筋ひびが入ったと思うと、呆気なく砕け散った。
妖精は無言のまま、『妖精族の秘宝パートツー』の残骸をぽいと地面に捨てると、手のひらをぱたぱた払った。
その姿を見ながらオリは、本来の目的を思い出していた。『謝る』。まず妖精に謝って、それから――
「別に謝らなくていいわよ」
妖精は早口でそんなことを言った。オリとは目も合わせない。
「私は私が悪くても謝らないし。……ま、私は常に悪くないけど」
「そう……」
呟き、オリは腹の底から長く、深い溜息を吐いた。それからうつむき加減のまま、顔を両手で覆った。
「なんで……なんで来ちゃったの、リューリン……。帰れたのに! ミオみたいに、死んじゃうかもしれないのに……!」
「なんでって、契約したでしょ。しょうがないから、一緒にいてあげるって言ってんの」
てゆーか、さすがにもう帰れないし……と、リューリンは地面に散った、秘宝の残骸を見つめる。
「契約なんて、しなかったじゃん。嘘つき……」
「なに? 別にどっちでもいいでしょ、そんなもん」
「でも、だって私、もう、変わっちゃったのに……。私、もう、妖精と会ったころと、ぜんぜん違う……。妖精は家に帰れたのに、なんで私なんか……私、こんなに変わって、誰だって殴れる人間で……たぶん、人間だって殺せる……わたし、」
俯いたオリの頬を、妖精がぎゅっと全身を使って押し込んだ。こうすれば頬を噛みたくないオリは黙るほかない。オリも妖精も、このことをよく知っている。
妖精はふわりと、黙ってしまったオリの目の前に浮かび上がった。二人は声もなく対峙した。オリは眼前の妖精を、途方に暮れた心地で見つめる。虹色を帯びた透ける翅、羽ばたくでもなく浮く肢体。初めて会ったときのようだった。
しかし、あの時と異なるのは、
「なに言ってんの、馬鹿ねえ、オリ」
オリを見据えた妖精の頬がゆるみ、赤らみ――親しみとともに、はにかんでいることだった。
「あんたが、私のこと大好きなんでしょ」
妖精はオリの眼前に迫り、小さな手を伸ばして、目の縁に溜まった涙を拭った。
「だからあんたは私に、『一緒にいて』って言えばいいのよ」
オリは出来ることなら妖精を思い切り抱きしめたかった。出来ないので代わりに大声を上げて泣いて、ぐちゃぐちゃの顔と声で「一緒にいて」と囁いた。妖精は何も言わなかった。そしてオリを抱きしめる代わりに、彼女の頭を小さな手で撫でてやった。他の仲間が現れるまでの短い時間。ずっと。




