VS鎧2
オリが逃げ込んだのは、蛭男のレストランたる石造りの建物だった。あの空の住処に残された斬撃の痕から、狭い場所であれば大柄な相手は武器を振り回しにくいと思ったためだ。
戦闘狂の鎧はそれに気付いているのかいないのか、そもそもどうでも良いと思っているのか、あっさりとオリに付いてきた。
「戦おう」
狭い通路でオリが足を止めて振り返ると、鎧は半ば微笑むような声でそう告げた。予想よりも、言葉の通じる印象を受けた。
「いきなり現れて戦い戦いって、なんだ、もう……なんと言うか、たまにはゆっくりのんびりさせてよ」
「強者、そして剣士との戦いこそが我の生きる理由」
「私が剣士に見えるんだ?」
「戦えば、全てが分かる」
満足げな吐息とともに、幅広の、オリから見れば両手用に見える大剣を、悠々と片手で構える。
オリは溜息を吐きたい気持ちだった。溜息一つ吐く隙がないから吐かないだけで。
「……最近、自分より弱い奴らとばっか戦えてたからさ。私はてっきり、自分が結構強くなったもんだと思ってたよ」
答えは白刃の突きとなって返ってきた。
……言葉が通じそうだと思っても、相手に会話する意思が無ければ、なんの意味もない。
トゥケロは地面にひっくり返った男の頬を軽くはたいた。微かに呻き声が漏れる。誰かの名前を呟いたように聞こえた。それこそ彼の妻か娘かもしれないが、トゥケロにそれを詮索する趣味はない。もう一度、今度は強めに頬を叩いた。
「いてえ!」
「起きたか。立てるならすぐにでも立ってくれ。……安静にすべきだと分かってはいるが、緊急事態だからな」
「うう、魔物が、喋って……? ……此処は!?」
「記憶障害か? 一応説明するとお前は人間、俺は魔物だ。ここは迷宮内の何処か。他に聞きたいことは?」
「いや、……いや、いい。落ち着いてきた……。それよりオリは? あの化物は?」
「オリは――」
「オリは、あいつを引き付けて逃げていったわ。私は逃げる準備をさせてきてって言われたから、一応それに従ったけどね」
「逃げたってどこに……」
と、クレイグが言いかけたところで、トゥケロが促すように彼の背後に視線を向けた。そこには切られた木と、踏みしめられた草のか細い道が出来ていた。恐らく、オリが追われて逃げた道だろう。
「……追うのは、難しくない」
「追わない、のか?」
「あいつが言い残したのは、逃げる準備を、ということだ。俺は待とうと思う――いや、個人的には追いたいが、スライムが」
「ここは、彼女を信じて待つべきです! 彼女は強い人です。一人でも敵をボコボコに出来る人です! それに、逃げる準備を、ということですから、何か考えがあるんだと思います! ここは仲間として、彼女を信じて待ちましょう……!」
「ということだ」
目があればきらきらと輝かせていただろうスライムに、トゥケロは肩を竦めている。が、これは本調子で動けないクレイグを気遣っての待機でもある。クレイグ本人もそれを分かっているため、下手な事は言えなかった。
しかしそんな上手下手等関係なく、何でも言える放言妖精は違う。
「私はあの馬鹿に考えがあるなんて思えないしー? こんな人間ほっといて助けに行くべきだと思うけどー? コイツだけが信頼とか偉そうなこと言うってのもムカつくからー? まあ一応は待機してあげてもいいかなって感じー?」
大層不服げである。一応このチームの中で最もオリとの付き合いが長いらしいので、思うところもあるだろう、とクレイグは理解した。
その後妖精とスライムがいくらか言い合って(というよりスライムが一方的に言い負かされて)、トゥケロに仲裁されていた。仲が良いのか悪いのか。しかしそのこなれた三人のやり取りに、クレイグは内心少し懐かしく思った。自分も地上にいた頃は、友人や身内とそんな風に小突きあったものだ。人間も魔物も大差ないのかと思った。
そんなはずないのに。
オリの思ったとおり、狭い通路では武器を振り回せる範囲も狭くなるため防御に徹するオリの方が有利に動けた。しかし鎧は、だからといって移動しようとはしなかった。この不利な状況での戦いを、心底楽しんでいるようだった。変態だと、オリは内心吐き捨てた。
オリもオリで、攻勢に出られる余裕があるわけでもないため、一進一退の攻防を延々と続けている。互いに命懸けでなければ、こういうパフォーマンスにも見えたかもしれない。
「(意味分からん……!)」
戦いの結果得られるものに喜びはするが、命のやり取り自体を楽しんだことのないオリにとって、相手は未知の存在だった。理解のできないド変態だとしか思えなかった。
「しつこい、な! もう!」
「なら広い場所に出るか、外に出るか、我を殺しにかかるか」
オリがひょいと頭を下げた瞬間、通路の側壁に大剣が叩きつけられた。その衝撃に大剣の刃先が折れるが、手早くその場で捨てられ、次が現れる――左腰に下げられた刀剣の中から、今度はいくぶん細身の片手剣がオリの相手だ。これなら石剣でも受け止められると構えると、鎧は嬉々とした声を上げる。
「そうだ、戦おう! いいぞ、いいぞ、延々と戦える! やはりこの体は最高だ! 強者を、もっと強者を!」
「何言ってんのかさっぱり……。戦いってそんなに楽しい!?」
「ああ、楽しいとも。ここでは武器を扱う者は少ない、剣士はより少ない! 強い剣士なら尚更だ! ははははは!」
確かに、武器を振り回してチャンバラして見せる魔物は、ゼロではないものの少なかった気がする。
武器を使って相手を蹂躙していた、最も印象的な相手といえば……
「じゃああのっ、羽付きの奴らを殺せば!? 銀翼のっ、天使みたいなやつ!! 剣でも槍でも、なんでもありでしょ!?」
「あのような精神なきものを、強者とは呼ばない! 彼奴らには駆け引きする能すらない!」
「――アイツラの正体を知ってるの?」
動揺に、オリの動きが止まった。彼女はひどく慎重にその問いを発したが、求めていた答えは、あっさりと何の感慨も躊躇いもなく返された。
「あれは、この迷宮の意思そのもの――いや、意思などではないな。自然反応か。侵入した部外者を排除するため、あれは迷宮に生み出された」
「消す……って、それって、私みたいな、人間を? 人間を殺すために、あれが、あいつらができて、それで、それでみんなが、」
「違う。あれは、此処に住み着いた大量の魔物を排除するため、長い時間をかけて生み出された。この迷宮にとって、魔物は異物なのだ。人間は恐らく、無視されるだけだろう」
「…………到底、信じられない」
オリがそれだけを呟いて戦おうとしないので、鎧は少し拗ねたような口調で続けた。早くこの話を終わらせたいと言うかのように。
「この閉鎖された空間で、あのような生命が自然に芽生えるわけがあるまい。天使も、魔物もだ。――魔物たちは皆かつて、人間どもの手によって落とされてきたのだ。この、監獄迷宮に」
平坦な口調からは、オリを騙す意思は感じられない。退屈と、焦れったさと、それだけだ。
そして、それを観察できる程度には、オリは冷静だった。彼の言葉は衝撃的だったが、パニックになるほどではない。自分が少年に語り、「知らないほうがいい」、と一蹴された推測が一部正解だった。それだけだ。
彼女の目的はこの迷宮から脱出することであり、今はそれよりも、あの天使どもを殺すことにある。そのためなら、冷静になれる。
「つまり魔物は人間によってこの迷宮に落とされ、その結果住み着いただけの存在。そして迷宮がその異物を排除するために生み出した仕掛けが、あの天使ってこと? そして私には、人間には、興味を示さない……」
「そうだ」
そのときオリの胸に去来したのは、必死になって自分を庇ったミオの姿だった。哀れなミオ――確かに、銀翼の天使が真っ先に狙ったのは、ミオの方だった。天使は弱い人間のオリに、見向きもしなかったのだ。腕は切り落とされたが、あれはミオへの攻撃のついでだ。そのまま崖から落ちていくオリを、天使は翼があるというのに追う素振りもみせなかった――。
オリは唇を引き結ぶと、一度だけ長く息を吐いた。
「…………そもそもなんで貴方が、そんなことを知ってるの? いや、なんで皆がそのことを知らないの? って質問の方がいいのかな」
「知っている? 違うな。覚えているのだ。俺は普段、寝ていることの方が多いから、昔のことをよく覚えている。頭がおかしくなった分、昔のことをよく覚えている。俺は、戦うことだけを考えているから、何かを忘れて何かを覚えるなんてこと、しなくていい。……だから昔のことを、俺だけはまだ覚えている。誰もがそれを忘れても、その記憶を消し去ってしまっても、俺だけはそれを覚えている……そう、俺だけは、それを…………」
様子のおかしい鎧に、オリは一瞬首を傾げたが、彼が改めて片手剣を構えたので身を引いた。
「無駄話は終わりだ。さあ、戦おう。でなければ、お前の仲間から殺しに行く」
「そうだね、ずいぶんいい情報もくれたし……はは、本当にいい情報、……人間は、無視する? あはは……」
オリは壊れたような笑みを浮かべたが、次の瞬間床を蹴り、振りかぶった石剣で鎧に殴りかかっていた。一瞬面食らった鎧も、片手剣で彼女の攻撃を受けた。
オリは一度身を離すと、再び自身の全力を、鎧が握る片手剣に叩きつけた。右に、左に、次はそのままオリから見て右の通路の壁に、全力で片手剣をぶつけてやる。刃は折れ、鎧はまた武器を換えるため、左の腰に下げた、別の武器に手を伸ばす――。
その隙をついて、オリは鎧の右脇をくぐり抜けた。そのまま駆け出そうとして鎧に背中を蹴り飛ばされたが、転がりながら立ち上がると、まっすぐ通路の外目掛け駆け出した。
折れた片手剣が背後から飛んできたが、頭を下げていくらかの髪を犠牲に躱す。
やがて見えてきた入口から外に飛び出すと、すかさずスカートのポケットから、クレイグから受け取った球体――変幻自在の盾を取り出した。
「ばいばい、辰巳くんの遺産……!」
オリの後を追っていた鎧は、眼前の出入口が完全に塞がれたのを目撃し、首を傾げた。この石造りの建物に扉でもあったか、と疑問に思いながら、その障害物に剣を振るった――が、その太刀筋は、眼前の妨害に傷一つ付けられなかった。
次に鎧は、謎の壁を両手で押した。が、びくともしない。蹴り、殴るが、その鋼とも石ともつかない奇妙な物質は、恐ろしいほど頑強だった。
「おい、人間!」
声を上げるが返事はない。また、出入口を塞ぐそれを何度も殴るが、当然壊れる様子はない。
出入口はこれ一つ。石を組み上げただけの建物だ、微かに光を取り入れる造りになっているが、窓らしき窓はない。冷ややかな静寂、そして暗闇。
完全に閉じ込められ、好敵手になり得た存在にもまんまと逃げられた鎧は、狂ったような咆哮を上げた。しかし外には既に、人の気配すらないのだった。
「逃げるぞーーーっ!!!!」
叫びながら草むらから飛び出してきたオリに、一行は慌てて後を追った。トゥケロはあっという間にオリを抜かし、スライムはボール状になってころころ転がっていく。クレイグも一瞬驚いたようだが、順調に一定のペースで付いてくる。
妖精はふわりと浮き上がり、駆けるオリの肩に手をついた。
「それなりの振る舞いってやつはどーしたのよ?」
「今日私は大事なことを学んだ、強者は弱者への振る舞いを選べる、そして弱者は選べないっ……! そして!!」
「声がでかい!!」
「そして私は!! うまくやれば天使どもを殺せる!! 殺せるだろうということだーっ!!!」
やっほーい、とオリは上機嫌に両手を広げ、ぴょんと地面を蹴り跳ねた。妖精はその拍子に彼女の肩で顎を打ち、痛みで文句も言えぬまま、オリのパーカーのフードを引っ掴んだ。
るんるんしながら、暗く狭い通路に、仲間と一緒に飛び込んでいくオリ。
次の階層へと向かうその背中は、通路に広がる暗闇に溶け、やがて見えなくなっていった。




