クレイグ、オリ、安寿、辰海
牢に戻って、そこがもぬけの殻だったとき、オリもトゥケロもぽかんとした。まさか二人が蛭男と戦っている間に、辰海もクレイグもなにかに食われてしまったのでは……。そんな有り得ないことを、二人で呆気に取られて話し合った。
「お、戻ってたのか。お疲れさん」
そんな二人の元にのこのこと現れたクレイグは、鎧を着込み、見事な盾を構え、なんと斧まで手にしていた。
自由過ぎる。
聞けば、どうやら奪われた自分の装備を探しに行っていたらしい。貯蔵庫のような場所にあって、他にも何かあったから後で一応確認しようという話になった。
肝心の辰海については、「まさか俺が知るはずもないだろ」、とのことだ。
辰海の行方については、なんと入口で見張っていた妖精とスライムが知っていた。
「なんか女が飛び出してきた後、その男も飛び出してきて。そのままどこかに行っちまったわよ」
「ええ……?」
困惑するオリ。スライムもひどく戸惑っていた。
「声をかけたんですが、なんというか……憑かれたみたいな……いや病気っぽいとかじゃなく、晴れやかなんですけど鬼気迫っているというか、そんな感じで……」
「もー全く聞き耳もたず。こいつなんて飛びついて止めようとしたのに、蹴飛ばされて吹っ飛んでね。完全に無視よ、無視。あんなキモいの放っておいた方がいいわ」
「ムーさん大丈夫?」
「大丈夫です! 確かに少し、びっくりしましたけど……」
辰海が自分から飛び出していったのなら、それを助ける理由もないし、そこまでの義理もない。
ただそれでもやりきれないものがある。オリは疲れたように溜息を吐いた。
「なんのために戦ったんだ……」
見返りが欲しかったわけではないが、一応、仲間も含めて命がけで戦った結果がこれである。去るなら去るで、一言くらい連絡がほしかった。
ぼやくオリに、クレイグ含めた全員が賛同にうなずく――。
「――いやいや、何なのコイツ! 人間!?」
「クレイグだよ」
「レクドラトのクレイグだ。よろしくな」
「はあ!?」
怒る妖精に、オリはどこから説明したものかと考える……が、そもそも彼が何者かもよく分かっていないことに気付いた。
「俺は罪人さ。ただし、罪は罪でも冤罪だ」
へえ、と相槌を打ったのはオリだけだった。妖精はオリのパーカーのポケットで狸寝入り、トゥケロは周囲を警戒しているし、スライムは大人しくしているものの、怯えているのかじっと口をつぐんでいる。
「――で、罰としてこの迷宮に落とされ、細々と身を隠しながら進んで。やっとこの階層に着いたと思ったら、安寿と名乗る女に騙されて捕まり。そうして先程ありがたいことにオリ達に助けていただき、今に至る」
「端折りすぎの大変分かりやすい説明、どうもありがとう」
「どういたしまして」
オリは少し考えた。ここで優位なのは自分だ。彼からは色々な情報を聞き出せるだろう。しかしそれにはこちらも、いくらかの情報を提示する必要がある。
「黒い虎は見た?」
「虎あ? 虎ってなんだよ」
「ここに落とされてからどれくらい?」
「さあなあ。ずいぶん経ったぜ。初めは日も数えていたが、五十を過ぎてからは途中で止めちまったな。……そうだ、洞窟だらけの場所は知っているか? あそこで怪我してな。しばらく隠れて静養していたんだ」
かつてのスライムの住処、そして『岩嫌い』がいた場所だろう。
じゃあクレイグがここに来たのは、オリがここに落とされるよりも――黒虎があの通路を占領するよりも前、ということになるだろうか。
「銀の羽の生えた化物どもは知ってる? 群れで動くんだけど」
「羽――の生えた魔物は、いくらか見た気がするが。銀で、しかも群れてるってのは知らねえな」
「少年の姿の人外は?」
「なんだそれは。知らんな」
「この迷宮の名前は?」
「はあ? 『監獄迷宮』だろ。俺ら罪人のための迷宮だ、クソッタレ。知ってるだろ――公開処刑か、監獄迷宮か、だ。最奥を目指して、宝を見つけて帰ってきたら許される。そうじゃなきゃ野垂れ死にだ。……で、」
クレイグは、不躾に質問を続けていたオリをねめつけた。
「お前は、なんの罪を犯した?」
(なんの罪?)
何もしていない。何も。
なのに自分は世界ごと奪われてしまった。
しかしクレイグにまだそこまで自分の経緯を説明する気にならなくて、オリは彼を休ませるという名目で休息の時間をとり、距離を取った。
「……」
蛭男は弱かったなと、オリは靴底の汚れを、木の葉や枝でこそぎ落としながら考える。
秒殺とまではいかないが、弱かった。本当に弱かった。蜘蛛女のように手練手管があるわけでもなく、天使のように群れるでもなく、黒虎のように腕力に優れるでもない。
弱者をいたぶるだけの輩は雑魚だと、トゥケロには言われた。オリが強くなったからだと、スライムには讃えられた。トゥケロもそれに頷いていたし、ついでに「俺の出番がなかった」とぼやかれた。ちなみに、妖精には延々と舌打ちされた。よっぽどクレイグが気に入らないらしい。
でも蛭男は、それを分かってオリに立ち向かってきた。えげつないほどの食欲に、生きたいという気持ちが勝った。……人間らしいのはどっちだ? 人間らしいってなんだ?
(……分からない)
どうでもいい気もする。なんて思いながら、仕上げに、脱いだ靴を軽くはたいて終了。
しかしクレイグから、ずいぶん懐かしい言葉を聞いた。
公開処刑か、監獄迷宮か。
この世で最悪の二択。
……脅されたなあ、と最初の頃を思い出す。あの時は、一歩足を踏み出すのすら恐かった。犯罪者どもが落とされてくると、少年に笑って脅されなかったら、ずっとあの場でウジウジ泣いていたことだろう。
なるほど、実際にたくさんの人間が落とされてきた。順番でいうと、クレイグ、オリ、安寿、辰海――。
「――ん?」
オリは胡座をかいたまま、首を右に傾げ、それからまた左に傾げ。しばらくの間、黙っていた。
「…………少年、いるんでしょ?」
「いるというのは、語弊があるな。君に呼ばれたら来たんだよ」
彼女の背後から声がした。気配はないが、いるのは分かる。
「あなたは最初、私に――早く行けと、急かしたね。さっさと先に進めと。頻繁に、罪人が落ちてくるからって」
「そうだね」
「あれは、本当だったの?」
処刑されるほどの重罪者がたまに落とされてくることは分かる。しかしそれは、本当に頻繁なことだろうか? もしそんなに頻繁に人間が落とされていたら、この迷宮にはもっと人間の痕跡があるはずだ。だから、クレイグが落とされていたと知っていた少年は、オリがそこで留まっていても、すぐさま罪人は落ちてこないと分かっていたはずだ。なのに、オリに先を急ぐよう急かした。
「何を考えているの?」
顔を逸して仰げば、少年は綺麗に微笑んだ。
「僕は、嘘は吐いていないよ。僕の感覚からすればなかなかに頻繁だとしても、君らの感覚からすれば極稀に、かもしれない。それに、罪人の件はあくまでも結果論に過ぎない。君が落とされてすぐ、罪人が落とされてこないとは限らなかった。そうだろう?」
「……確かに、そうだけど」
黙りこくるオリの顔を、少年がからかうように覗き込んだ。
「何をそんなに怒っているんだい? いや、苦しげと言った方がいいかな」
「だって!! ――だって、もし私がずっとあそこにいたら、私は、安寿と辰海、二人の人間と出会っていた。三人で行動をしていたかもしれないのに!」
もしかしたら、人間三人のパーティーを組んで行動をしていたかもしれないのだ。
激高するオリに、少年は「ああ、そんなこと?」と鼻で笑う。
「君、ほんっとーにあの二人と協力できていたと思う? ……安寿には囮として見捨てられて終わり、辰海には犯されて捕らえられて終わりだろうね」
「やめろお前っ……人のこと思って、みたいに言うな! どうせあれだ、異世界人皆がバラバラに行動した方が面白そうだと思ったとか、そんな理由だろ!?」
「バレた?」
悪気なく、目を細めてくすくす笑う。彼の表情の明るさに、オリはくたびれたような溜息を吐いた。
「あれ、不満そうだね」
「あなたは……酷く残酷で……本当にとても、たちが悪い…………」
「率直に言うと?」
「お前ほんとマジでふざけんなよ……苦しんで死ねよド変態観劇クソ野郎……」
うおお、と苛立ちに頭を抑えるオリに対して、少年は声を上げてけらけら笑った。オリはもう本当なんだこいつと思った。
本当に外見だけは人間らしいのに、意味が分からない。今まで出くわしてきた魔物たちの方が、よほど理解もできるし、話も通じる。
「――はー笑った。でもね、君も悪いんだよ? 僕はヒントを上げただろう?」
「なにが」
「君を異世界から喚ぶために、巫女が犠牲になったって。……冷静に考えてみなよ。異世界の人間を送り込むことになっているのに、相次いで犯罪者を迷宮に落としてくると思う? 命がけで呼んだ貴重な君たちが、そいつに殺されてしまうかもしれないのに」
「……」
「君がヘタレてさっさと先に進んだのが悪い」
「……」
「……」
「……うがーっ!!!!」
発狂するオリを見て、少年はまた声をあげてけらけら笑った。彼はしばらく笑って楽しんでいたが、やがて満足したのだろう。一人灰のようになり黄昏るオリを置いて、さっさと消えてしまった。
しばらくして落ち着いたオリは、拗ねたように考えていた。――少年はあんなこと言ったが、同じ境遇の人間三人、もっと早くに会えてたら、一緒に協力してこの迷宮を進めていたかもしれない。……まあ安寿には確かに、黒虎に出会った時点で囮として使われそうだが、辰海がオリを襲うかなんて分からないし。そういうタイプには見えなかったし。うん……。
オリは脱いだままだった靴を履き直して、軽く背と、腕を伸ばした。仲間の元に帰ろうと思うと、それだけで少し元気が出た。
……もし、安寿と辰海と行動していたら。もしかしたら、今まで出会った仲間達――妖精や、ミオ、トゥケロ、スライムとは、一緒に行動できていなかったかもしれない。それなら、今の方がずっといいとさえ思う。
ただ、もし、万が一――次、人間が落ちてくることがあるのなら。次は、普通の女の子が来てくれないかな。オリはぼんやりそんなことを祈った。
そこそこ明るくて、そこそこ優しい、普通の子。そんな子がいい。きっと背中に隠して、大事に大事に守ってあげる。オリが死んだとしても命を懸けて助けて、守り抜いてあげる。その子が人間のままでいられるよう、何だってしてあげる。
なんだってしてあげるから、次はそんな子が落ちてきてくれないかな――と、そこまで思いかけて止めた。冷静になった。
こんなものの被害者は、これ以上増えない方がいいに決まっている。




