VS蛭男
オリとトゥケロが辿り着いた先――蛭男のレストラン――は、足を踏み入れる直前から、鼻に籠もるような鉄臭さが漂っていた。そしてその悪臭通り、派手に飛び散った血で飾られた、まさか食欲の湧くはずもない内装。中心にあるのはテーブル代わりの石製の台で、拘束具だろう革のベルトらしきものや、鞭、その他鈍器が転がっている。
(シンプルに汚い)
オリは閉口した。高圧洗浄機で、床やら壁やらを綺麗サッパリ洗い流してやりたい気分だった。
意外にも正々堂々といった風体で、蛭男はオリを待ち構えていた。嫌みったらしく細まった目が、オリをじろじろと値踏みする。
その背後では、安寿が壁に凭れかかっていた。腕を組み、いっそ蛭男よりも堂々としているのではないかという格好で、どうやら操られているとか、脅されているとかいう様子もないらしく。
オリは、以前安寿のことを放置していってしまったことを、内心ちょびっと反省した。
「やあ人間、よく来た……と言いたいところだが。食事でもないってのに、一体何の用だ?」
「あなたを殺しに」
「俺がお前に何かしたかい? 迷惑を? 邪魔を? ……違うだろう? なぜ、お前は、俺を殺しに来た?」
「なぜって……」
「俺の食糧を助けに来た? ああいいとも、アイツラを解放するよ、と言ったらどうする?」
どうするかな、とオリは思った。辰海とクレイグを連れてここから脱出して、それで終わり。
それとも、そんなことは関係なく――
「理由がなくとも、邪魔でなかろうとも、敵対した奴らを殺していく?」
オリは片眉を上げた。驚いたというよりも、不快感に対して。
「くっだらない心理カウンセラーごっこなら付き合う気はないけど」
「くくく、図星か?」
「……なんというか……無駄に命を惜しまないのは褒めるけど。どうなの、その命知らずなところ……」
「命の為に生きてるんじゃないんでねぇ」
言葉だけ聞けばいい感じかもしれないが、とオリは呆れも隠さぬ顔で口を開く。
「無鉄砲な放言の無駄死にがいいってこと?」
「それが生きるってことだろう? お前さんみてぇによ、命にばっか縋ってあくせく生きて? それで一体何になるって言うんだい。それじゃまるで、生きているだけの獣以下だ」
魔物に正道を説かれる謂れはない、と思ったが、オリはもう何も言わなかった。分かり合えないことが分かったためだ。命を大事に生き延びることを信念にここまできた、オリはそれを恥じたことも惨めに思ったこともない。
戦闘だな、と思いきったところで、トゥケロが彼女の耳元に囁いた。
「……オリ、あれはどうする」
あれって、と思ったが、どうやら背後で我関せずで立ち尽くす安寿についてらしい。敵対しているのだし、殺してもいい、のかもしれない。しかし、こうもどうでもよさそうにされると、その必要もないように思えた。逆もまた然りで、安寿について一言も触れなかった蛭男が、彼女について何かしらの感情があるようにも見えない。本当に、利害関係以外の何もないような二人だった。
「まあ……私とヤル気なら、殺すけど。どうでもいいかな」
「分かった。お前が、そう言うのなら」
安寿がふと顔をあげる、その目があった瞬間、オリは愛想よく微笑みかけたが、彼女はふいと無視した。
オリは肩を竦めて、今度こそ武器を構えた。
牢の中に取り残されたクレイグだが、まさか大人しくしているはずもなかった。彼はオリが去ってすぐ、体をほぐすための軽い体操を済ませた。
錠前はオリの手で叩き壊されている。クレイグは牢から出ると開放感にぐっと伸びをしてから、ふと隣の牢に足を運んだ。
クレイグのことを気にするでもなく、ただ横になったまま、ブツブツと何事かを呟き続ける辰海がいた。体を足先でつつくと、辰海は倒れたままじろりとクレイグを睨み上げた。
「よお坊主、生きてるな?」
「…………どっちでもいいです。生きてても、死んでても、もう、どっちでも……」
虚ろな視線を床に落とす少年に、クレイグは肩を竦めた。この貧弱そうな少年が何を選ぼうが、クレイグには心底どうでもいいのである。彼が勝手に生きる意味を見失おう死にたがろうが、それをフォローしてやるほどの感情がこの少年に対して微塵もない。
ふと、牢の隅に落ちるソレに、クレイグは歓喜の声を上げた。
彼が手にして掲げたのは、なんと『盾』であった。厚みのあるそれは、金属製であるのに妙に軽く、驚くほどクレイグの手にもしっくりときた。使い馴染みのある型なのもまた嬉しい。
――まるで、盾の方がクレイグにぴったり合わせたような……。
と、そんな夢想じみたことを考えるほど、その盾は奇跡的に具合がよかったのである。
「いい物あるじゃねーか。もらってくぜ」
「……それは、」
「ん? なんだ、大事なもんだったか」
「いえ……いいえ。僕が持っていたところで、どうせ……」
そのままモゴモゴした挙げ句、不意に口をつぐんでしまった。クレイグはしばし待ったが、辰海はもうこれ以上話すつもりはないようだった。クレイグは武器もなく盾だけを担ぎ、そして去る直前にひょいと辰海へ振り返った。
「……ま、最後だから言うが、ちょっとは自分で立ち上がってみろよ。恐れんのも分かるが、案外なんとかなるもんだぜ」
「……」
――今さら都合のいい時になって、ずいぶん説教臭いことをのたまう。
辰海の冷ややかな視線に気づいても、クレイグは素知らぬ振りでからりと笑った。今でなければこんなこと言ってやるはずないだろう。
「この盾、ありがたく使わせてもらうぜ。じゃあな」
返してくれの一言すら言わせないままに、クレイグは牢のある部屋から出ていった。
残された辰海は形容しがたい目付きで段々と小さくなっていく足音を睨んでいたが、それも聞こえなくなると何事かぼそりと呟いた。
人でなし、か人殺し。そのどちらかであったが、辰海本人にもよく分からなかった。




