レクドラトのクレイグ
オリはトゥケロと仲間意識を再確認してから、一人で辰海の元へ戻ることにした。トゥケロや妖精に対する、彼の恐怖を考慮してのことだった。
樹木についたドアを開けると、スライムが床に飛び散っていた。
辰海はいない。
床からぐすぐす、という水っぽく弱々しい泣き声が聞こえる。『爆散』という単語がふさわしい有様だった。
何があったのかスライムに聞くと、ドアがノックされたためオリかと思い、慎重に戸を開けた瞬間、何者かに頭上から叩き潰されたのだという。
散った瞬間から意識が曖昧で、思考がはっきりした頃にはすでに辰海はいなかった。何者かに攫われたのでは、とのことだった。
自身の役立たずっぷりに落ち込むスライムには、できるだけ早く復元することを命じて、オリ達は手分けして辰海を探すことにした。
そしてすぐさまオリは少年に遭遇した。相変わらず神出鬼没だ。
彼は機嫌がいいようだった。太い樹の枝に足をつけてひっくり返ったまま、「やあ」とこちらを見下ろして、挨拶した。オリも彼を真似て片手を挙げてみた。ただ返事はしなかった。
くるりと回転しながら落ちてきて、着地した。小気味よい足音が鳴った。
「久しぶりだね。なにしてるの?」
「あなたが話しかけてきたから立ち止まってる」
「で?」
「……人間を探してる」
観念して答えれば少年はにやっとした。珍しく分かりやすい表情だ。なにか面白いものを見つけたらしい。不気味だ。
「人間か。君も人間だよね。彼も、彼女も。ああ、本当に面白いなあ」
「はあ」
「……ヒントは蛭男」
あらかた答えだった。ドストレートな助言はちょっとだけ違和感があって、そのため反応が遅れてしまった。
少年は相変わらず上機嫌で、ともすれば笑い声すらあげそうだ。オリは眉根を寄せた。だいたいコイツが人間らしい仕草を見せると嫌な予感しかしない。
走り去っていくオリの背中を眺めながら、少年は小さな声でくすくす笑った。
――同じ世界から喚ばれ、この監獄迷宮に落とされてきた、同じ状況の人間三人。
彼らのばらばらっぷりが、彼には心底面白いのだった。最高の劇をさせてもらっている。いくらでも動き回ってほしい、その命を存分に奮って生きてほしい。娯楽の無いこの地下空間では、彼女が彼にとって一番のエンターテイメントだ。辰海でも安寿でもない、彼女が一番好ましい。
……だから観劇の分、たまには褒美をやってもいい。今回みたいに。
そんな見物人の気まぐれで、オリは走っている。彼女は変わった。当然のように障害物に蹴躓くこともないし、あの程度では息切れもない。
あの争いの絶えない階層から来た仲間に、何を尋ねるかと思えば「同族を殺したことはあるか?」である。吹き出すかと思った。
少年は慈しむように目を細め、あっという間に木々の向こうに消えてゆくオリを見送った。
「トゥケロ! 蛭男のレストランを探すよ!」
「あっちにあったぞ」
「はっやっ!」
トゥケロは肩を竦めた。「狭い階層ではそれが原因で争いが起こることもあれば、こうして助かることもある」とのこと。彼の故郷を思えば、色々と含みのある言葉である。
復元途中のスライムと、それを見張るための妖精は置いてきた。
「一応調べた限りでは、建物は二つ。ちょうど対角線上に存在する。お前があの眼鏡人間を拾った家畜小屋と、ここ。だから恐らく、こっちがレストランだ」
「分かりやすいね。違う可能性は?」
「限りなく低いな。家畜を引きずって小屋からレストランへ移動する手間と危険性を考えると、恐らく二つの場所は同じ階層にある。そしてレストランらしき場所はここ以外にない。以上」
「おっけー」とオリは頷いた。内心は口調ほど軽い調子でもなかった。
今から安寿と戦うのか、と思った。戦えるとは思うが、戦えるかどうかということと、戦いたいかどうか、ということは、全く別だ。
……しかし辰海が攫われているのだから、躊躇している暇もない。さっさと乗り込むほか、選択肢はない。
オリはさっさと足を進めつつ溜息をついた。
なんでこんな時ばかりスムーズに物事が進むのだろう。まるで見えざる手にお膳立てでもされているみたいだ。
「……一応人間は取り戻したが。さて、どうするかね」
蛭男はさして焦りもない声でつぶやく。
正直、よく分からない。あの人間の少女が理解できない。一体なぜこちらの獲物を盗んでいったのか。目的があるのかと思えば、「ただ保護されただけだった」と、殴って口を開かせた眼鏡は言っていた。分からない。理解ができない。
「アイツを取り返しにくるわよ」
と、眼鏡の話を聞いた後で、女は言った。
「役立たずに違いない眼鏡をかぁ? なぜ分かる?」
「アイツの話を聞いたら誰でも分かるっての」
「へえ。あれをねぇ。なるほど、ふーん? こき使うためでも、食うためでもないのに? 取り返しにくる?」
尋ねればすんなりと頷かれ、何故かと問うが、女は肩を竦めただけであった。まあそこまで理由が知りたいわけでもないので、それはいい。
しかし、どうするか。正義面もしてないくせにお節介な人間が、仲間を引き連れてこちらへ向かってくるだろう。十中八九居場所はバレる。そういう階層に住みついた。
(取れる手段はいくらでもある。大きく分ければ、戦う、逃げる、降参する……)
眼鏡を逃してもう一人の餌とともに逃げる、餌を二人とも殺してこちらも被害者のフリをする、などなどいくつかの手は浮かぶ。
しかしどちらもピンとこない。折角手に入れた獲物だ、食事だ。それ以上に優先することがあろうか。食は喜びとなるが、生はそれだけではなんの喜びにもならないのだから。
(……もしくは、餌を増やす)
聞けば人間の子どもで、女だという。言うことなしじゃないか。
蛭男が朗らかににこにこすると、安寿は不気味そうに顔を顰めた。
返り討ちにあってもし自分が死んでしまったら? と、リスクを気にかける思考も無いわけではない。だが、まあいい。どうでもいい。
死んだらその時である。
建物を進む途中、オリは足を止めて目を瞬かせた。
横道の先にあった鉄格子奥の暗がりで、人型の何かがうずくまっていた。大柄なので辰海ではないことは分かるが。
――ミオみたいな獣人だろうか、という咄嗟の予想に、つい声が出た。
「あの、」
生きてますかと、失礼なことを口にしかけて、驚きに目を見開いた。
うっそりとあげられた顔には、なぜか薄い笑みが浮かんでいる。
「……にんげん?」
「よ。こんばんは、お嬢さん」
汚れた身なりの男の笑顔に、唇が戦慄く。
「ずいぶん待ったぜ」
独り俯いていた男は、レクドラトのクレイグと名乗った。レクドラトは地名、クレイグが名前というこだった。
彼が辰海の言っていた、もう一人の『餌』だろう。
「必死でこの階層まで来たってのに……。人間みてぇな女に騙されて、あの化物に捕まってこのザマだ。情けねえ」
「……安寿って名前の女?」
「名前までは知らないな。薄気味の悪い、変に表情のない面してやがる女だ」
クレイグは『餌』などという扱いを受けている割に、思いの外元気であった。憔悴していた辰海と違い、会話もしっかりしている。体力の差だろうか。
彼はこの監獄迷宮に落とされた罪人だと言う。つまり、正真正銘、この世界の人間なのだ。
「あの化物を殺すなら俺も付いていくぜ。『導き』になるかは分からんがな」
クレイグは不敵に付いて来ようとする。ガタイの良さから、戦闘に自信があることは分かる。しかしそれでも血を抜かれ弱った人間を連れていく自信が、オリにはない。
オリは、空気を読んでクレイグから見えないところに身を置くトゥケロに視線で合図した。「どうする?」と。
トゥケロはそっと首を横に振った。優しげでも、絶対に曖昧な否定をしない男だから、それはつまり「絶対止めろ無理だ」ということなのだろう。
とりあえず、話を変えることにした。
「……えっと、辰海って人間の男を知らないかな。黒髪で、白いシャツを着てて。あなたのことも知ってるはずなんだけど」
「ああ、それなら隣にいるぜ。見てみなよ」
「え!?」
慌てて横の牢を覗く。確かに奥の方で、ズタボロになって転がされている辰海の姿があった。影になっていてよく見えないが、何かの骨や破片の散った不衛生な床で、か細く震えているらしい。
しかし、様子がおかしい。じっと耳を澄ませば、オリの存在にも気づかずに、何事かぶつぶつとつぶやいている。
「強さなんて死んでしまえ暴力なんて大嫌いだ、強さなんて死んでしまえ……」
延々とそれだけの言葉を続けている。初対面時に戻ったみたいだな、と思う。
クレイグ曰く、「ずっとこんな調子さ。何があったか、ま、だいたい予想はつくがな」とのこと。
オリは少し考えた。
そしてとりあえず、二人の牢屋それぞれの鍵を無理やり壊した。錆びついていながらも、そこにきちんとした錠前があることに驚く。もしかしたら、クレイグのように落とされてきた人間が作ったものかもしれない。
「私の目的は辰海少年の救出なんだけどね。今の状態の辰海くん助けて、貴方を連れて脱出して、そこを狙われたら勝てる気がしない。だから私が戦っている間に逃げ……るのは無理そう?」
「情けないが、無理だな。俺一人ならともかく。それより、俺も連れてくのは――さすがに無理か? 弾除けくらいにはなるぜ」
オリはトゥケロを再度一瞥してから、首を横に振った。クレイグは諦めたように溜息をついた。
「じゃ、私たちが敵……を片づけてくるから、それから脱出しよう。クレイグは横の牢で転がってる辰海くんを見てて。全部片づけたら、迎えにくる」
オリの淡々とした提案に対して、意外にもクレイグはおとなしく了承した。
しかし、こう付け足した。
「見とくくらいはできるが、面倒までは見れないぜ」
オリは何と言うべきか迷ったが、時間が惜しいのもあり結局、
「じゃあ、よろしく」
とだけ言った。クレイグは愛想よく頷いた。




