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オリは妖精とともに、石造りの建物の探検を開始した。先程の先生のような突然の襲撃がないとも限らないため、トゥケロとスライムには入口の見張りを頼んでいる。
「あーヤダヤダ。なんであたしがこんな陰気臭いとこ……」
「遺跡っぽいしお宝とかあるかもって言ったら、一緒に来たいって言ったでしょ?」
「今は後悔してる! くっ……なんかあったら死ぬ気で戦うわよ!」
「大丈夫大丈夫。殺し合いの準備は常に万端っ!」
オリは右の拳をぐっと突き上げた。
「やあやあ」
蛭男が、不信極まりない様子でのこのこ現れていっても、目の前の人間の女は無言であった。ただへへっと鈍く笑う蛭男を、まるで品定めするような目つきでじろじろと眺める。
棒きれ一本を携えただけの、貧弱な女のくせに、人外の相貌の化物を恐れる様子もない。肝が座っているというより、気でも触れているかのような印象を受けた。
「単刀直入に言うが、俺に手を貸さないか」
女は樹に背を預けたまま、何も言わない。蛭男が気にせず近寄っていくと不愉快げに眉を寄せたが、それきりだった。
「細かい経緯は省くが、俺は今、新しい食い物のことを考えていてね。おっと、だからって、お前を食べるってぇわけじゃない。……ほら、人間は同族意識が強いだろ? だからお前が人間をおびき寄せるんだ。何も危ないことはない、ちょっと俺の食事場所まで連れてきてくれりゃいいのさ。で、俺はそれを喜ぶってわけだ」
簡単だろ?
にこ、と影のような女に愛想よく笑う。
「ああ、もちろん囮なんかじゃない。一対一の、いわゆる仕事上の対等な付き合いってやつさ」
そのようなことを、建前を聳え立たせながら蛭男はぺらぺら喋り立てた。まあ、女は相槌すら打たなかったが。
「もちろん断ればどうなるかは……」
「いいわよ」
一瞬耳を疑った。互いの自己紹介すらまだしていないというのに、脅すまでもなく頷いた?
女は腕組みをしたまま、ふと何かを追い求めるかのような目付きをする。
「どうだっていいのよ、こんなとこ……」
蛭男はきょとんとしたが、すぐ細かな歯を剥いて笑った。こちらも人間の事情なんてどうだってよかった。話の早い、便利な生き餌が手に入った。それだけだ。
オリと少女は建物を進む。中は静寂に満ち、無人であった。魔物もいない
狭い空間であったため、やがて終点に出た。生物の臭いがした。
檻である。饐えた臭いの牢のなか、汚れたシャツで寝転がる少年がいる。顔は見えない。人間だろうか、と思うが確信はない。
「そこの人、生きてる?」
返事はない。オリは鉄格子を蹴った。相手は身じろぎもしない。
錠前は金属製だったが、数度石剣で殴ると壊れた。
「生きてるね。名前は?」
「……み、」
「……聞こえないんだけど。み?」
聞き直したが返事はない。オリはそれ以上問いただすこともなく、抜け殻のようにぐったりして、譫言をぶつぶつと呟くばかりの彼の身を起こした。重要な言葉か、と耳を澄ますが。
「……らいだ、きらいだきらいだ暴力なんてきらいだだいきらいだしねしんでしまえ……」
溜息を吐いて、こちらにしがみつく気が欠片もない少年の体を無理やり背負い、この建物を脱出した。
トゥケロの手も借り、少年を血痕残る樹木の家屋へと運んだ。床に寝かせてもまだ錯乱していたが、水を与えたり、頬を叩いたり、休ませたりしていると、辰海はようやく、会話できるほどに落ち着いた。憔悴はしているが自力で立てるし、命に別状があるほどでもない。
彼は、辰海というらしい。日本人の高校生だった。前の安寿といい、自分といい、城の人間の召喚対象には、ずいぶんと偏りがあるらしい。まあ、今はどうでもいいことだが。
「……詳しい自己紹介も終わったし、状況を教えてもらえる?」
「あの」
「うん」
「……あなたが、オリ?」
「そうだけど、なにかあるの?」
いえ、と気まずそうに目を逸らす。その先にあった妖精の姿に、辰海は肩を跳ねさせた。
「はあん? 助けてやったってのに失礼過ぎない、このガキ」
「え、すいませっ、僕……」
「リューリン」
名を呼んで嗜めれば、妖精はフンッとそっぽを向いてしまった。オリが「気にしないで」と声をかけるが、辰海はそれにも怯えたように俯いてしまう。
実際、彼は異形の存在を従える少女に、恐れを抱いていた。安寿に聞き、想像していた普通の姿と、あまりにも異なっている。――それでもあの、こちらを見下ろしていた無表情より、ずっと人間らしいけれど……。
目が合うと、オリはにこっと安心させるように微笑んだ。笑顔だけは、普通の可愛い少女に見える。その気遣いに、辰海は肩から力を抜いた。
辰海の説明はまず、城から迷宮に落とされたところから始まる。そしてオリと同じように、そこで少年に出会い、『盾』を授かる。
「その盾は?」
「分かりませ、あ、牢の中です! 牢の」
「あ、さっきのとこ? じゃあ戻って取ってくるよ」
「いえ、そっちじゃなくて別の、あ、拷問の方の牢屋で……」
「え、あー、分かった。一回終わりまで話してもらっていい? ごめんね」
辰海は、変わった少年から盾を授かる。しかしあまり危機に見舞われることもなかった。化物の死骸転がる通路を進み、広い空間に出たら、何者にも遭わないよう祈りながらまっすぐ出口を目指した。単純な構造のおかげで、案外スムーズに進めたらしい。
「(まあ、人を食べる系の魔物は、私が始末しちゃったもんなあ……)」
「……でも問題は、此処に来て、あの人に会ってからでした」
「(いやだって向こうが襲いかかってくるから仕方ないというか……)……ん? ヒト?」
「はい。人間です。僕に声をかけて、化物の所にまで連れて行ったのは、人間の女性でした――」
オリは、嫌な予感に息を飲んだ。
「あの人は、『安寿』と名乗っていました」
「……」
当たりだ。つい先日別れたばかりの、あの女の人である。
確かに変わった人だと感じたが、何故。
「……どうかしましたか?」
「ううん。その安寿さん――安寿でいいか。その女の様子は?」
「人間じゃない……みたい、な……。冷たくて、心のない、分からないもの、みたいでした」
安寿の提案で、隠れ家に連れて行ってもらえるはずが、行った先には魔物がいた。人間の上半身に、なめくじか蛭のような下半身をした男だったという。そして牢屋に囚えられた。
何のためかと尋ねれば、食事のためらしい。
男は辰海の――というより、人間の血液を飲みたがった。特に、恐怖に凍え、苦痛と屈辱に沸いた血は絶品なのだとか。
「『新しい美味』も試してみねぇとって思ってさぁ」
青ざめる辰海をよそに、上機嫌にそんなことを語っていた。
辰海は殺されない程度に暴力を振るわれた。何かよくわからない、青臭い植物等も食事として与えられた。殺さない限り、いくらでも血を楽しめると魔物は笑っていた。
「肉は食わないんだ?」
「食べはする、と言っていましたが……しばらくはいいかな、という口ぶりでした。食べるには手がかかる、と言ってたので、そのせいかと……」
魔物は、ヒトの肉にも興味はあるが、肉を食べるためには消化器の関係から下準備が要る、そしてその手間が面倒くさい、というようなことをぼやいていた。
しかも辰海と、囚えられていたもう一人の人間は男で、それもまた肉への興味を薄れさせる理由だったらしい。
「……もう一人!? え!? あ、その人は死んじゃったの?」
「いえ、生きています。その人は今、別の建物……拷問部屋の牢屋にいるはずです。次の食事は、彼の番ですから」
つまり、辰海含めた人間の男が二人、敵には囚えられている。一人一人交代で、別の建物の食事部屋――拷問部屋に連れていかれるらしい。
「何その手間。別荘ってこと?」
「……家畜小屋とレストランは、離れているから、らしいです。俺には、よく分からなかったけど」
暗い目とともに、辰海の説明は終わった。
オリは目を閉じてほんの少し考え事をする。
蛭か、ナメクジみたいな体の男。そして彼を誘い込んだ、人間のような女。衰弱する少年……。
「分かった、説明ありがとう。しばらくそこで安んでていいよ」
「どっ、どこに、」
「すぐ戻るから」
スライムも妖精もいるのだから大丈夫だろう。オリはひらりと手を振り、その建物から外に出た。
自分の来ているパーカーの、黄色い布地を引っ張り、眺めてから、オリは溜息を吐いた。
安寿を殺すことを考えていた。蛭男は魔物だから、対話が失敗しても始末だってなんだって出来るけれど、安寿は人間だ。
(自分はまだ、人間を殺したことがない)




