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監獄迷宮  作者: ばち公
生きるしかないあなたへ
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辰海

 辰海(たつみ)、という少年がいる。オリ、安寿に続いて、この迷宮に落とされてきた人間である。

 激流をくぐり抜け、なんとか生き延びたと思えばこの地獄のように悍ましい迷宮内である。彼にはそんな現状に対して、ふざけるなと怒るような精神力もなかった。ただ何に遭遇するかも分からない空間で、じっと一箇所に留まり続けるのも怖かったため、心底怯えながらも前に進み続けた。

 奇妙なくらいに順調だった。時たま転がっている死骸に驚きつつ、身を隠しながら、独り進み続けた。最短経路をまっすぐ進むだけなので、道に迷うこともない。順調な一方、不安だけが彼の心には積み重なってゆく。

 自分の人生が、こうもうまくいくはずがないからである。



 彼が久々に、ほっと肩をなでおろしたのは、自分と同じ人間に遭遇したからである。彼女は、『安寿』と名乗った。鋭い雰囲気の目鼻立ちに、あまり歯に衣着せぬ物言いで、元の世界にいたら、決して近づかないような女性だった。

 安寿は辰海を見ても、あまり驚きはしなかった。以前も人間に会ったのだという。辰海と同じように高校の制服を着た、極めて普通の、細身の少女で、名前はオリ……だかなんだか、と非常に曖昧な様子だった。

 辰海は安心した。その少女は、自分と同じような雰囲気らしい。会って話しあったら、この不安や恐怖心を分かりあえるんじゃないかと思った。

 同じような存在がいることを知り、気を緩めた辰海に、安寿はこんな申し出をした。


「ねえ眼鏡。最近見つけた隠れ家があるんだけど、よかったら来る? ま、確実に安全とはいえないけど、休憩くらいはできるわよ」


 渡りに船である。常に注意を巡らせ、気を張っていたせいで削れた精神を、やっと休ませることができる。もしかたら、そこにそのオリという名の少女もいるかもしれない。

 辰海は、勢いよく頷いた。




 新しい階層でオリが発見したのは、内部に血痕の残った、樹木を抉って作ったような、何者かの住処だった。一つ上の階にあったものと、よく似ている。

 前回と異なるのは、こちらには複数の斬撃の跡が残されていることだ。被害者の姿がないのは、逃げ伸びたのか、それとも――。

 真っ二つにされた丸太の椅子(か机)の、鮮やかな切断面を、オリは指先でなぞる。

 この空間に残された斬撃の跡には、無駄に振り回された様子もなく、どことなく洗練された、秩序だったものが感じられる。


「……ここに泊まるのは無理かな」

「こんな狭い、逃げる場所もないところで休むつもりだったのか? 休息くらいなら取れるだろうが……」

「まさか。言ってみただけだよ。野宿のほうがマシだね」


 まっさらなシーツだとか、ふかふかのベッドだとかを憧憬する時間も、最近はずいぶんと減った。

 オリは、安寿のことを思い出す。今、自分が着ている黄色のパーカーをくれた女性。彼女と出会ったのも、こういった建物の中だった。

 オリが出会った、もう一人の人間。彼女は今、どんな気持ちでこの迷宮内で過ごしているのだろう。

 まあ、なんでもいいか。


「オリ、変な建物を見つけましたよ!」


 ぴょんっと飛び込んできたスライムは、楕円の球体に、四足を生えした格好をしている。前よりもずいぶん、動きが滑らかになったように見えた。

 そんなスライムが妖精と共に発見したのは、石造りの建築物だった。四角く、単純には覗き込めぬほど奥行がある。ただの家屋ではなく、細長い遺跡のような雰囲気であった。


「すごく静かですよ」

「ふーん? なんか、文明っぽさを感じるね」

「そーお?」

「もしかしたら、建築に関する知識のある魔物が、かつては住んでいたのかもな」

「今はいないのかな?」

「全滅したんじゃないか?」

「シビア過ぎない? あ、さっきの斬撃の主がやったり」

「もしくは病気が流行ったとか? うわっ最悪、あたし此処入るのパスね」

「え、妖精って病気になるんですか?」

「分からない。そしてそこが妖精の魅力」


 入口でわいわい喋ってみるが、中からはなんの反応も返ってこない。

 そしてオリが気にするのは、中ではなく、彼女の背後であった。トゥケロが声を顰める。


「やるか?」

「大丈夫。――オラァッ!!!」


 彼女が唐突に振りかぶり投擲したのは、彼女の愛用の石剣である。鋭く縦に回転し、ガサガサと慌てたように揺れる草陰に潜んでいた、何者かを強かに打ち付けた。

「ぐえっ」という鈍い悲鳴の主に向かって、オリは拳を振り上げて勢いよく飛びかかっていった。



 オリの手でぼこぼこにされ、トゥケロによって縛り上げられたのは、以前も、というより、既に何度顔を合わせたのか分からない、『先生』と呼ばれた黒い獣であった。

 腫れ上がらせた顔をムスッとさせている彼を、オリは腕組みをしながら見下す。


「んだよ」

「お前さあ、いい加減にしろよ。こうやって私に殴られにくるの止めてくれないかなぁ。迷惑なんだよ」

「あんな何も考えてないような面で、平気で、人のこと殴れるような奴に、迷惑もなにもねぇだろ」


 オリは顔を顰める。図星だった。

 彼を殴るときに、罪悪感もなければ、事情を考慮することもなかった。当たり前のように拳を振り上げて、彼を痛めつけた。悲鳴も、殴る感触も、彼女の精神にはなんの影響も与えなかった。

 トゥケロはそれを、有用だと評した。この鬱陶しい『先生』という獣は、オリを暴力に慣れさせ、彼女を一種別のベクトルの存在へと導く存在になる、と言い切った。

 だからトゥケロも、オリの命を付け狙う『先生』を、殺そうとはしない。


「私、貴方のせいで、素手で人に暴力を振るっても平気になっちゃったよ。貴方のせいで。……こんなこと教えてくれっちゃってさあ。はは、さすが先生だよ。ふざけてる」

「ふざけてるのはお前だろボケ。んな事情なんて知るか、いつかぶっ飛ばしてやるからな」

「私を変えた責任、取れるよね……って、違うか。ちゃんと取らせるからな。覚えとけよ」

「知るかっつってんだろ! 人の話くらい聞けよクソ落者!! 人の話も聞かねぇ奴が他人のせいにしてんじゃねぇ」

「……」


 オリは微笑んだ。




 そそくさと逃げていく先生の背を見送ってから、妖精はオリの肩に降りたった。


「……マジで普通に逃しちゃっていいの?」

「いいの。私は強くはないけど、弱くもないみたいだからね。……なら、それなりにやらないと」

「ふーん。それなりって?」

「それなりの態度でってこと。馬鹿みたいに縮こまってても、何にもなんないみたいだって最近分かってきたから。だから強いなら、ちょっとは偉そうにやらないと。そうしたらきっと……なんていうかな、うまくいきそうだ」


 腰に手をあて、堂々とそんなことを言うオリの澄んだ横顔を眺めながら、妖精はまた「ふーん」と呟いた。

 以前、極悪非道な覇王だか、善良な覇王だか、彼女の行く末のことで、死んだ犬ころ娘と言い合ったことがあったが。


「変なこと言うけど」

「なに?」

「けっこー向いてると思うわ」

「……ありがと」


 ふと口角を緩めたオリの頬に、妖精はそっとその身をすり寄せた。




 激痛にうずくまった辰海は胃液を吐いた。胃液の苦さと血の味に、目の前がチカチカする。いや、これは鞭でぶたれたせいか。制服の白いシャツは破れ、石の床に叩きつけられた眼鏡は、フレームごとひん曲がっている。ぼやける視界に、化物の身体が映る。人間の男のような上半身に、ナメクジのような――いや、蛭だったかもしれない。とにかく奇怪な下肢の、悍ましい化物。凹凸の薄い顔に、のっぺりとした笑顔が浮かんでいる。ただこいつが笑ったところで、八重歯と釣り上がったアーモンド型の目のせいで、辰海は凶悪なものに睨まれている心地になる。

 しかし、辰海が愕然と目を向けるのは、この化物に対してではない。


「なんで……」


 視界の端に映るスニーカーから、目線を上げてゆけば、氷のような無表情が自分を見下ろしている。人間の女が立っている。なんの感情も浮かばない顔。手元に何か、金色のものを持っているようにも見えるが、よく見えない。

 同族への惨状を前に、平然と凪いだ目で佇立した女に、辰海は最早助けを求めることすらできない。震える指先を、冷や汗とともに握りしめる。

 結局自分はこういう目に遭うのだ。暴力のせいで。己を圧倒する外からの『力』のせいで、自分ばかり、いつも、いつも、いつも……。

 拷問と苦痛と自分の無力さ、そこからふつふつと生じる形容し難い感情に覆われ、頭を抱える辰海を、また暴力が襲う。


 安寿はそれを傍観し、やがて飽きたように何処へともなく移動する。彼女の手には、安っぽい金の冠がある。ダイヤモンドに似た、透けた石ころのはめ込まれた、子どもが遊ぶ、おもちゃのような冠である。

 ただそれすらも、いつ捨ててもいいような目で、彼女は眺める。その薄い唇がかすかに開いた。


「……どうだっていい」

ぼちぼち纏まってきたのでまた更新再開です。

よろしくお願いします。

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