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監獄迷宮  作者: ばち公
それはいつかの、
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メイヤの輪

 メイヤは焦っていた。こうも長いことたった一人で行動していることにも、後を付けているただの人間の女――オリに、どうしても勝てるイメージが浮かばないことにも。体が芯からぞわぞわとした。落ち着かなかった。

 左右にも、後ろにも、メイヤの傍には誰もいない。彼女は一人だった。生まれて初めての孤独だった。

 しかしそれは、目の前を一人で歩いているオリも同じだ。オリは、彼女より年上の、成人はしているだろう人間の女と出会っては別れ、外見だけ人間の少年みたいな何か(・・)と出会っては別れ、今はまた一人で歩いていた。時おり、丁寧な仕草でリュックを背負い直しては、またすたすたと歩き始めた。

 相手も一人。自分も一人。――なのに、奇襲をかけても勝てる気がしなかった。メイヤは、マリアの冠を抱き締めた。


 オリは、前はもっと弱かったはずだった。ただの人間だ。マリアよりは年上だろうが、それでもまだ子どもみたいな顔した女だ。以前戦ったとき――ヘレンが殺されたとき、オリはそこまで強くはなかった。そう、ほんの少し前のことだ。なのに、いつの間にあんな風になってしまったのだろう?

 そんなに、鍛えた風にも見えないのに、なぜ彼女はああも変化してしまっているのだろう?

 本人に自覚はあるのだろうか。なかったら、殺すことは難しくないかもしれない。あったら、もう駄目だ。メイヤは返り討ちにあうに違いない。他人を傷つけるのに躊躇のある奴が、ああいう風になるはずがないからだ。


 なんでこうもうまくいかないのだろう、とメイヤは思う。

 どうしてこうなってしまったのだろう。


 四人でいた頃は、全てがうまくいっていた。マリアとの過去を求めるだけの心休まる穏やかな日々。ルニャが未来を視て、それを指針に四人揃って行動する。理想的な場所のためであれば火で敵を焼いた。他人に何かいう事をきかせたければ、全員が身につけた宝石をチラつかせれば一発だった。


 どうしてこうなってしまったのだろう。


 ちぎられた片耳の痛みを思い出しながら、メイヤは一人溜息を吐く。

 分かっている。メイヤが変わり(・・・)、輪から外れてしまったからだ。――マリアの冠を中心に、四人だけで囲った小さな輪。そこからメイヤは外れてしまった。

 オリは当たり前みたいに歩いている。たった一人で。メイヤはこんなにも不安なのに。マリアの冠を抱き締めても、形の無い不安はどうやったって消えてくれない。


『――ねぇメイヤ。壊れちゃったの』


 ルニャの声が聞こえる。なくなったはずの耳が、また少し痛んだ気がした。


(私は。私は……)


 輪から離れて一人になると、メイヤは自分という個の存在をとても強く感じた。

 今まではあの輪の中、思い出とともに、四人で一つとして生きてきた。それとは、何もかもが違う。孤独で、じれったくて、その中に、鮮烈なものが光っている。不安の裏側に、生の実感のようなものが潜んでいる。


 オリも、そういうものが欲しくて一人で歩いているのだろうか、と、メイヤはオリの背を見つめた。


――その背中に追いついてみようか、と思った。

 追いかけて、追いついて、オリに媚びを売る、頭を下げる、哀れみを誘う。仲間になってみせてもいい。

 そうして、いつか、隙を付いて、殺す。ヘレンの仇を取ってやる。

 悪い考えではない気がした。メイヤも独りでいなくて済むし、正面から殴りかかるよりはよっぽどマシな作戦に思えた。


 そんな風に、ずいぶんぼうっと思索に耽っていたせいだろう。気付けばオリの姿がずいぶんと小さくなっていた。


「あ、」


 メイヤは咄嗟にオリの後を追おうとして。

 ふと、体の動かないのに気付いた。


「え?」


 捕まったのだ、と思う暇もなかった。

――彼女の背後、壁のように立ち上がった蜘蛛女はのっぺりとした笑みを浮かべて、メイヤの矮躯を鷲掴む。刹那、大口を開けてそのままぱくりと頭から食べた。抗う間も与えられない、一瞬の捕食だった。

 もぐんもぐんとその大きな口や腹を蠢かせたあと、ついでのように、蜘蛛女はプッと何かを吐き捨てた。カランカランと空しい音をたて、金属の輪が地面をくるくる回る。年季の入った物なのだろう、少しくたびれてくすみも目立つ、偽物のダイヤモンドの冠だった。

 蜘蛛女はついでに、牙に引っかかったものを指でつまみあげ、それも地面に投げ捨てた。赤いルビーのピアスは虚しく輝いて、冠に弾かれて地面に落ちた。




「――?」


 オリはふと足を止めて振り返った。木陰の向こう、何か、誰かの声が聞こえた気がした。風の無いこの迷宮内で、木々のざわめきと聞き間違えるはずもなかった。

 しばらく警戒がてら突っ立っていたが、反応は無い。虫か魔物でも動いたか、もしかしてまた人間……なんて思いかけたが、まさかそんな都合の良い事が起こるはずもない。

 自分から安寿という人間から距離を取ったくせに、今さら虫のいい話だ。

 まだ人の輪を恋しがっているらしい自分にすこしだけ呆れてから、オリは踵を返してまた歩き始めた。




 膨らんだ腹を一撫でし、蜘蛛女は大層不服気に溜息を吐いた。ついでに蛭男が偶然現れたので(この辺は彼の縄張りである)、捕まえて文句を吐き出すことにした。


「やっぱり魔物はだめだね、味もつまらないし食えない骨もあるし。腹はふくれたけど、まあ満足はできないね」

「は? お前に食えない骨なんてそうそうねぇだろ? ボケちまったか?」

「んん? 邪魔だから吐いちまったが、ありゃ骨じゃなかったかのかね」

「へっ、自分で変なもん食ってちゃザマァねぇな」

「しかたないだろう? 隙だらけにぼーっとしてたのを、適当に腹につめたんだからさ」


 呆れたような蛭男に、蜘蛛女は「まあなんでもいいさ」と至極あっさり流した。彼女は天使以外の獲物なんて心底どうでもよいのだった。

 物は試しにと貪ってみたが、とてもじゃないがあの美味とは比べものにならない。この調子では、人間であっても同じことだろう。

 しかしやたらシャリシャリとした、いまいち肉らしさの欠ける魔物だった。いや、魔物とは以前からこういう食感であったかもしれない。それとも自分の嗜好が変化したせいで、違和感を覚えているだけなのか。蜘蛛女はふとそんなことを思ったが、結局どうでもいいかと思い直した。


「ちゃんと女だったか? 子ども?」

「んー、ああ、メスのチビだったと思うけどね」

「完璧だな、俺にとっちゃ最高のご馳走だ」

「ほんと味覚がたった一個しかないような野郎だ」

「黙れよ下手食い」

「人のこと言えたクチかい? お前だって碌な食い方しないだろう」


 蛭男はふんと鼻を鳴らして去っていった。

 一人残された蜘蛛女は、重たい腹が落ち着くと、またゆっくりと歩き出した。途中、足の一本が、先ほど投げ捨てたルビーのピアスを踏みつけた。蜘蛛女はそれをまじまじと見つめてから、気まぐれのように拾い上げた。後には偽物の、ダイヤモンドの冠だけが残された。


 蜘蛛女のどっしりとした足取りは、まるで目的があるかのように迷いが無い。彼女がゆったりと進む道は、先ほどオリが歩みを進めた道そのままであった。

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