二対一
蜘蛛女と蛭男、それからオリ一行が訪れたこの階層。
オリとその仲間達が足を踏み入れるよりも以前、また別のグループがそこに集っていた。
三つの小柄な影が身を寄せ合い、そろそろと目配せし合ってはわざとらしく肩を震わせた。
「ああ嫌だ」
「おお恐い」
青色と、黄色と、赤色と。人工的な鮮やかな色合いはこの空間では一際目立って見える。また、彼女らがそれぞれ身に付けた大ぶりな宝石についても同じように言えるだろう。
「やっぱり、あの“翼付き”どもは厄介ね。これからあの場所、ぐっちゃぐちゃにされちゃうのね」
「あーあ。やっぱり惜しかったなぁ。本当にそっくりで、理想的だったのに。欲しかったなぁ」
「私なんて、耳まで壊されちゃったのになぁ」
そうぼやくのは、赤いドレスと帽子の少女、メイヤだ。耳の部分は割れた陶器のように欠けてしまっている。もう片方の耳を飾る、目を見張るほどのルビーのイヤリングが不釣り合いに重そうに見えた。
残りの二人、青色のルニャと、黄色のフライヤが口々に可哀想と慰める。
「ねえメイヤ、特別にダイヤの冠を被ってもいいわよ」
「そうよ。マリアも褒めてくれるに違いないわ。いい子、って」
そう語る彼女らの中心にあるのは、金の王冠だった。といっても、子供好きのしそうなオモチャじみた冠である。
チープな輝きをみせる金に、一つだけ嵌められたぴかぴか光る安っぽいガラス玉。ダイヤモンドと称されたそれを、まさかそうだと信じる者はこの場にいない。しかし、彼女らにとって、これは何よりも勝る宝だった。
「――私じゃない。ヘレンよ。褒められるのは、ヘレンだわ」
言いながらメイヤはその冠を慎重な手付きで持ち上げ、そのまま胸元に抱き寄せた。
「マリアの冠。ダイヤモンドの冠」
「マリアに会いたい。もう会えないマリアに会いたい」
「あの場所に帰りたい。もう行けないあの場所に。マリアのいたあの場所に」
ラピスラズリのルニャ、トパーズのフライヤ、ルビーのメイヤ、今は亡きエメラルドのヘレン――以前は四体とも、人形であった。そしてその持ち主である貴族の娘、彼女こそがマリアである。四体はあくまでの飾りとして造られたもので、まさか子供が遊ぶための人形ではなかったのだが、その華やかな容姿からマリアの一番のお気に入りであった。
マリアは彼女たちに合わせるように、自分はダイヤモンドの金冠を被っていた。貴族と言っても幼い子供だ、まさか本物のダイヤモンドを常に身に付けることが許されているわけもなく。紛い物の冠に過ぎなかったが、マリアにとっても、四体にとっても、そんなことはどうでもよかった。
マリアは胸のすくような大草原に立つお屋敷に住んでいた。橙の夕日が丘の連なり一面を照らし、夜の風が草の上を駆け抜けていった。穏やかな川が一筋朝の光をたたえながら流れ、明るい昼には、恵みに満ちた豊穣の森で花や鳥を眺めた。マリアはすくすくと育った。人形とともに。
あの風景、あの幸福――あの時代とマリアが、四体には忘れられなかった。
彼女たちは全員、何をどうしてこのような自我を得たのかなんて覚えていない。ただもうマリアがいないことと、あの頃には戻れないこと、この迷宮からは出られないであろうことだけは理解している。
ただ、少しでもマリアに近づきたかった。人形から始まった命に、生き甲斐や生きる目的があるはずもなかったから、目指すのは幸せな過去とマリアだけだった。
そうしてやっと、彼女が生きていた土地にほど近い『あの場所』を見つけたというのに。
「じゃあ、これからどうしようかしら。また、もっと理想的な場所を探す旅に出る?」
「でも、どこに。上も下も、かなり見てきたと思うけど、あそこほどの場所は無かったわ」
「――待ってよ」
話していた二人がぴたりと動きを止める。声を上げたのは、メイヤだった。
「ヘレンが殺されたのよ。目の前で! それに私だって、耳とルビーを取られたわ。あいつらにやり返さないと。ずっとずっと思ってた」
あいつら。人間の女と、付き従う魔物たち。虫みたいなヤツと、犬みたいなヤツ。
実際にヘレンとメイヤを甚振った長二人は、あの“翼付き”どもが溢れた階層で死ぬらしい。今、ルニャ特有の能力、未来予知で確認した。だから、残りはあの階層を出るらしい三人だけだった。
「メイヤ、それは無意味よ」
静かな声音と、ルニャとフレイヤ、二対の哀れんだ瞳に、愕然としたメイヤが映る。
「だって私たちはあの場所が欲しかっただけ。そして失敗した。それで終わりでいいじゃない」
「ヘレンが死んじゃって悲しい。それで終わり。また、別のマリアを探しましょうよ」
人形の行動基準なんて単純で、ただ過去として自分たちの中に残っているマリアを、より深く見出したいだけなのだ。それらしき物をふらふら探して、欲しくなったら手に入るように努力する。それだけだった。そのため、今まで四人は常に一緒だった。単純な目標に真っすぐ進む。それだけだから、常に四人で一つであれた。
だから、今回はメイヤがおかしいのだ。二対一、少数派になってしまったメイヤが間違っているのだ。
手を繋ぎ精神共有をしたところで、分かり合えないことは分かっていた。なぜならメイヤもつい先ほどまでその輪の中にいたのだから。何をしても彼女ら二人は、メイヤ自身を理解してくれないだろう。
分かっている。分かっているのに。
それでもメイヤは叫ばずにはいられなかった。
「どうして分かってくれないの!?」
自ずと発された念力に空気が震えた。やがて木々のざわめき収まる頃、ルニャが小さく呟いた。
「――ねぇメイヤ。壊れちゃったの」
問いかけにしては味気無く、断定にしては心細げな声だった。
メイヤは喉奥が詰まるのを感じた。口を開きかけては焦燥に腹を焼かれるばかりで、言葉にならない。手を繋ぐことを拒否した今、彼女は他者に意志を伝える術を持たない。感情を伝える言葉を作り上げる方法も知らない。
奥歯をきつく噛みしめ、ダイヤの王冠を抱く腕に力を込めた。
「……いいわ。いいわよ。私だけで、私一人でやるからっ!!」
浮いた体に裾を翻す赤色のドレス。ルビーのイヤリングは最後に煌めきを残して。
「ああ、王冠を――!」
二人して手を伸ばすがもう遅い。
あっという間もなく、メイヤの小柄な体は透明化によって掻き消えた。
こうなってしまえば、残された二人に追いかける手段はない。まさか大事なメイヤと王冠に向かって、念力や炎がぶつけられる筈もない。ただ二人は手を取り合って、しばらくぺたんと座り込んでいた。
「メイヤが王冠を持っていっちゃったよぉ」
「ひどい、ひどいわメイヤ」
二人はまるで子供みたいに声を上げてえんえん泣いた。しかし泣いてそれきりだった。決してメイヤの後を追おうとはしなかった。それは今後の提案にすら出ないのだった。




