妖精とオリ
リューリンにとって、死を悼むというのは初めてのことだった。
もちろん昔からリューリンには仲間がいて、まったく見目の異なる妖精もあれば、彼女そっくりの者もいた。中には引っくり返るほど醜い者もいて、そんな奴をからかったり、逆に羽虫とからかわれたりしながら、リューリンはいつもおもしろおかしく暮らしていた。
人間たちの想像する、遊んで暮らせる楽園というものが存在するとすればソレは、ここそのものの形をしているのかもしれない。そう思われるほど、それは「楽」としか形容しようのない世界だった。
しかし、リューリンには、命を賭せるほど友情を感じられる相手なんていなかった。親族が居ないため血縁に縛りつけられる必要も、性別が無いためしくしくと慕情を募らせる必要もなかった。適当にふらついては仲間の輪に紛れこみ、それに飽きてはふらりと離れて、を毎日繰りかえしていた。
コイツやアイツ、ソイツが一体どこの誰なのか、いまいち区別のついていない時すらあったが、別段問題はないと思われた。薄情であるとかではなく、おそらく他の妖精も、リューリンと大差無い考えをしていただろう。
妖精は心底仲間思いで、誰かが他所者から害されれば、妖精全体で復讐を行うこともままある。
しかしこれは自身に対する防衛本能ありきのものであって、特別「誰か」を想うなんてことは、あまり縁の無いことだった。
リューリン達妖精は確かに群れをつくるが、草食動物と違って常に命を賭して助け合うこともなかったし、肉食動物と違って協力して狩りを行うこともなかった。
同じ、同種という認識は強くあったが、補い合う必要がなかったのだ。
だからリューリンにとって、オリやミオと過ごした時間というものは、とても違和感のあるものだった。今まで生きてきた何より、特定の他者と関わる時間が多かった。
そう。不愉快なことが、目を瞑ってやり過ごせないほどたくさんあるなんて、あの妖精ばかりの世界では考えられないことだった。共に長く暮らせば暮らすほど、相手のことが自ずと分かってくるのも、自分のことを徐々に悟られていくのも、リューリンにとっては初めての経験だった。
未だ完全には理解できていない「情を注ぐ」、という行為の対象に、この二人を置いてやってもいいかなと、その程度にはオリとミオを気にいっていた。
だから、ミオが死んでしまったのは悲しく思われるような、殊更珍しい出来事だった。悲しみに暮れ涙明けぬ、ということは無いけれども、彼女のためふとした瞬間に物思いに耽ることはできた。
いわゆる沈思黙祷を捧げる、それができる、はじめての相手だったわけだ。
ただ自分のことより気がかりなのは、オリのことである。
感情豊かであることは感じ取れるのだが、どうしてか、何かが外れてしまっているような。そんな曖昧な感覚を妖精はオリに覚えていた。
そして、オリは今、身を削るようにして悲しんでいる。
これは非常に珍しいことだった。その感情の発露というのは、どこか自虐的でもあったのだ。オリには縁遠い要素だと思っていたそういったものが含まれてきている、ということだ。
このままではどんどんこそげていって、今の彼女、つまりミオが尊んだオリという人間がどこかへいってしまうのではないかと、そんな考えが脳裏をよぎった。
別にリューリンとしては、それでもよかった。オリの本質がどう歪もうと、オリがオリであることに変わりはない。――といっても、時間と縁薄い、妖精という種族に属しているリューリンだから、そんな風に思えたのだ。
変化というものが実際どのようなもので、オリが今後どうなっていくかなんて、正直よく分かっていなかった。
ただ、オリ自身がそれを望んでいないことは、よく分かった。
そしてそれが何故なのかは、ちっとも分からないのだ。
「どうしようリューリン、私頭がおかしくなっちゃう。人間じゃなくなっちゃうよぉ。やだ、やだぁ。前の、前の私がいい。こんなのやだぁ」
迎えに来てみると、オリはリューリンの顔を見て泣き始めた。まるで赤ん坊のように嫌々しながら、めそめそぴいぴい泣いていた。
彼女もこんな風に泣けるのだと、妖精はどこか冷静にそんなことを考えた。
言っていることは支離滅裂で、妖精に意味が分かるわけではなかったが、それでも言葉通りに捉えてみれば。
「じゃあ、そのまま魔物にでも神様にでもなっちゃったらいいじゃない」
頬を伝う一滴を最後に涙が止まった。オリは呆然と、固まったように動きを止めてリューリンを見上げた。
延々溢れるのではないかと思った涙がおさまったことを幸いとし、リューリンは話しを続けた。
「別にそのまま突っ切っちゃえばいいじゃない。化け物になって魔物になって、それで人間じゃなくなっちゃったとして、なんか嫌なことでもあんの? 力も強くなって、死に辛くなって、殺されるほど不快なことがあるわけでもないでしょ。むしろアンタにとっちゃいいこと尽くめじゃない」
妖精は笑った。
「それに寿命が延びたら、もっと私たちといられるわよ」
涙をごしごし拭いながら、オリはやっと笑みを見せた。疲れが滲んでいる。そして笑ってはいるが、それは辛うじて笑顔であるといった表情だった。
「――妖精はほんと適切なところでデレを見せるよね」
「妖精だもの」
二人は声を顰めて、くすくす笑った。
「ありがとう、リューリン。なんだかやっと、自分の気持ちが分かった気がする。すっきりした」
「それはよかった。もっと私に感謝してもいーよ。んで、結局どうなの?」
「普通そこ聞く?」
「いいじゃない。私のおかげで助かったんでしょ」
苦笑するオリは、この妖精は相変わらずだな、と思う。だが不快じゃない。
「――さっき、言われたときにね、」
このまま、進んだら。
「ぜったい嫌だと思ったよ」
リューリンは別段気にした様子もなく、「そう?」と首を傾げながらも、それ以上問うつもりもないようだった。
うん、と笑顔で頷くオリに安心したので、もう変なことを掘り返したくもなかったからだ。
「そんなのどうでもいいから、さっさと行きましょ。きっと、ビビりが泣きながら待ってるワ」
機嫌がいいと、歌うように喋る。これはリューリンだけの特徴なのか、それとも彼女の種族全体の特徴なのか?
オリも微笑む。
「そうだね、そろそろ進まなきゃ。変なことまで気にし過ぎた」
どちらの特徴かなんて、どうでもいいことだった。オリも、鼻歌かもしくは口笛の一つくらい、高らかに奏でてやりたい気分だったからだ。
ああ、それにしても、レクイエムの一つでも歌えたらいいのに。お経でも、祝詞だか神語だかでもいい。
インターネットがあれば一発検索できるのに、と考えたところで、オリはひどく懐かしいものを見つけたような気がした。そしてそのことに、自分自身で少し驚いた。
「♪」
ついでに調子っぱずれのハミングをしてみた。詩は忘れた、メロディも適当だ。
それでもなんとなく、ミオがいたら一緒に鼻歌を歌ってくれるのではないか、と思った。ミオの歌唱力は知らないが、力強くて、それでいてちょっぴり下手な気がした。これはきっと何度でもあらわれる、記憶の中の彼女だった。
オリは、そんなことすら知らなかったことを少し後悔しながら、それでいいとも思った。悲しむときの、いい餌になるだろう。ミオを幾度も思い返す、その際の一かけらとなっていくのだ。
「へんなうたね」
と妖精はオリの適当な歌に肩をすくめ、彼女の頭のうえに座った。




