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監獄迷宮  作者: ばち公
それはいつかの、
44/74

プロローグ 蜘蛛女と蛭男

――蜘蛛が巣にかかった獲物にかぶりついていた。


 どこにでも見られる、ただそれだけの行為であるが、普通と異なる点と言えば、蜘蛛はまるで人間の女を混ぜたような見目をしており、それよりも遥かに巨体であることだろう。


 また、獲物もそれ相応に大きい。銀翼をだらりとさせ、捕食されているにも関わらず、赤い鉄仮面でも被ったかのような無表情である。

 これは蜘蛛女が毒を注入したから肉体が弛緩している、というだけでなく、恐らくだが、この生物は元々感情がない。いつも殺される直前まで、白一色の瞳を茫洋とさせている。


 オリが、「天使」と呼称し憎んだ生物である。


 灰褐色の蜘蛛女が、体液を啜りきってしなびてしまった天使の体を放り出すと、


「うへえ」


 と辟易とした声があがった。

 蛭男である。上半身は細身の人間の男で、下半身は蛭にしても奇妙で、蛇にしては短いが、彼は自らを蛭男と自称していた。長ったらしい髪を人間のように一本にくくっているが、濁りきっていっそ茶灰色にも近い白目は化生のものだ。


「相変わらず趣味わりぃなぁ、蜘蛛の」

「あんたに言われたかないね、この拷問癖」


 二人は群れず寄らず生きてきた。互いに情なぞ欠片もないが、こうしてたまに口を利いてみせるのは、二人の獲物が全く異なっているからに過ぎない。


 蜘蛛女は先ほどの光景のとおり、あの銀翼の生物ばかりを好んで食っていた。

 以前頭を強く打ち、それから体調不良で寝込んでいたのだが、あるとき巣にかかっていたのが、あの銀翼の個体である。それが戦闘を主としない脆弱な個体だったのもあって、餓えていたので試しに、と口にしてみたら、驚くほど美味い。

 以降これだけを楽しみにして生き延びてきた。 


 蛭男は地面に転がったひなびた肉体を、己の下半身をくねらせて叩いた。

 こんな心一つない生物をいたぶるのの何が面白いのか、と言うのが彼の言い分である。

 蛭男はそもそも歯や顎が脆弱なこともあって、肉は口にしない。心ある生物を拷問し、苦しみ抜き悲しみ抜いたところで、その悲痛な生気や凍えた血をほんの少し啜るのである。


「うるさいね、余計なお世話だよ」


 蜘蛛女は舌打ちした。

 二人は互いに、こいつは悪趣味だと眉を顰めつつも、獲物が被る恐れがまったくないため、縄張り争いをする必要も無く今に至る。


「つーかね蜘蛛の、あんたいつも同じもんばっか食って飽きねぇのかい?」

「……まあ、確かに新しいもんを食べてみたいね。――例えばあの、『暴れん坊』どもとかさ」


 羽根の生えた生物――蜘蛛女の主食には、いくつかの種類がある。

 例えば、その辺をふらふらして見つけた魔物に戦闘をしかける奴や、相手の生態に合わせてその姿を変えるような奴もいる。

 この辺りはうっかり巣にかかっていることもあって、まだ食べやすい。

 蜘蛛女が食べてみたいのはその中の一つ、殲滅担当の化け物みたいな奴らである。とある監視番の報せにあわせて現れ、竜巻のように暴れ狂って去っていく、そんな奴らだ。


「はあ、グルメだねぇ」

「食う事こそが一番の楽しみだろう?」

「そりゃ言えてるね。俺だってそうさ。――ま、だからってさ、あんたみてぇに無駄な夢抱いて? 馬鹿らしいことして死んじまったら元も子もないがなァ!」


 げらげら下品に笑う蛭男に、蜘蛛女はその両手を振り上げた。


「とっととどっか行きな!!」

「おーこわ」


 蛭男はそそくさと退散していった。あんな雑魚、追っかけて喰いちぎってやってもいいが、折角食事で腹がくちくしたのに勿体無いという心地もある。

 結局、見逃すことにしたが、蜘蛛女は溜息を吐いた。


「あーあ、なんだかまずい飯になっちまったね」


 久しぶりの食事だったというのに、嫌な来客に会ったものだ。

 それでも、彼の言葉に引っかかるものがなかったと言えば、嘘になる。


「――にしても、新しいもん、か」


 あの天使の味を思い出す。

 がりがりと硬い表皮を破れば、じわりと溢れ出す変えようのない美味。ごくごくと飲み干せば、苦しい渇きと餓えを一変に満たしてくれる。

 脳内さえもとろかすようなあの味を知って、最早他の獲物に手をつける気が起きるはずもない。

 しかし、あれらより遥かに強い個体、或いは珍しい個体、その味はどうなっているのだろう――。


「もっと、旨いもの……」


 食への偏執。蜘蛛女は目を輝かせ、口に溜まった唾液を飲みほす。


「……試してみる価値はありそうだね」


 べろりと長い舌を出し、いずれこの腹に収まるだろう悦びに浸る。この何もないような空間で何もない自らを満たしてくれる、唯一の歓喜に身が焦げる――。



 そしてこの蜘蛛女と蛭男のいる階層に、やがて足を踏み入れる数人の影があった。

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