スライムは後悔する
スライムはまったく、オリ達についていったことを後悔していた。
なんで自分がこんな目に遭わなくてはならないのか。
それはもちろん、自業自得に違いない。己は選択を誤ったのだ。
あのじめじめと心地よく湿った、あの狭苦しい横穴に一生を費やすべきだった、外に出るべきではなかった。地衣類のごとくじっとしていればよかった。騒音にも気持ちの悪い岩嫌いの男にも、目を向けるべきではなかったのに――。
もしも、外に出ることを選んだとしても、オリについていくのではなく、あのトゥケロという竜人についていくべきだった。階層を下るのではなく、上るべきだったのだ。
そちらは以前こそ争いばかりであったが、最近情勢が安定したのだと言っていた。川もあって、きっとスライムが暮らすに適当な場所もあったに違いない。
オリについていくべきではなかった。
彼女のあの、生を剥き出しにした、迸るような暴力に惹かれるべきではなかった、惹かれたとしても、憧れなんて持つべきではなかった――。
スライムは吐きそうな思いでそんなことばかり考えていた。彼は以前に――暗闇で孤独に、己のことだけを考えて生きていた、そんな自分へと返っていた。
ただオリのことだけは――彼女の落ち着いた笑顔や、相手を魂ごと射殺すような視線、幸せを噛みしめることのできない横顔などは、何度となく彼の脳裏をよぎるのだった。
たぶんオリはそんなこと分かっていないのだろうが、周りは彼女が思う以上に、彼女のことを見ているのだ。
襲撃から命からがら逃げ伸びたスライムは、川の中に身を潜めた。水の流れに身を任せ、滝で魂ごと潰されそうになりながらも、やっとの思いで助かったのだ。
しばらくのあと――といってもかなり時間が経過してから、スライムは水から這い出た。
そして未だに残って身を休めていたらしいオリや妖精、それからトゥケロと再会し、そして。
「俺のいた所にもあいつらが現れてな――」
トゥケロの暮らしていた階層もまた、ここと同様、襲撃されていたことを知った。
それどころか、スライムのいた場所も。全て。
オリは銀翼の戦士らの襲撃にも構わず、未だミオの暮らす階層にいた。
身を休めたかったのもあるし、なにより知りたかったことの方が多かった。
まずあの天使(便宜上こう呼ぶ)はどこから来たのか。なぜ崖上しか襲わないのか。そも目的は何なのか。特性は? そもそも彼らは魔物なのか? などである。
疑問は尽きない。オリと、それから嫌々ながらも妖精は、できるだけ身を潜めつつ崖下から彼らを観察した。
恐ろしくもあったが、このような機会そうそうないと思ったのだ。
あくまで見える範囲で、ムリはせず、という条件下であったが、すると様々なことが分かった。天使たちはまるで機械的に動くばかりで、周りの目などを欠片も気にしていなかったので、色々な行動を見せてくれた。
天使はもっぱら天井を透かして現れた。
軍隊のように統制のとれた動きで、同時に、誰もかれもが意識の無い繰り人形のようだった。
彼らは言葉を交わさない。現れると同時に、成すべき使命を知っているかのように行動を開始する。
一口に天使といっても、中で数種類に分かれているようだった。
索敵し報告するモノ、敵と剣を交わすモノ、相手に合わせて姿や特性を変化させるモノ――。
オリが目撃しただけではこれだけだ。それぞれ外見的特徴も異なっていた。
しかしながらどの天使も、魔物を積極的に殺害するために動いているようだった。この点だけは皆同一である。
しかし殺害して、それだけだ。肉を喰らうこともなければ、金目のものを奪うでもない。死体には見向きもせず、次の生者へと向かう。
まるで、それ自体が目的であるように。
魔物を殺すだけではない。木々を薙ぎ倒し、大地をえぐり、環境もずたずたに切り裂いていく。戦闘のついで、と言うにしてはあまりにも熱心だ。
まるで、この階層自体を破壊しようとしているかのように。
迷宮自体に恨みでもあるのかと思われるほどの熱心さだが、それにしては空虚で生気もない。
本当に誰かに繰られているだけの人形かもしれないと思ったが、これほどの軍を操れる者がいるのだろうか。オリにはまだ分からない。
そして、オリが発見した何よりも重要な事。
それは、天使も死ぬということだった。
しかも割りと普通に、他の生ある者と変わらず命を落とす。その瞬間を目撃した時の歓喜と言ったらなかった。
やがて天使たちは何事もなかったかのように引き揚げていった。魔物の死体も仲間の死体にも触れず、当たり前のように再び天井の向こうへと消えていった。
オリは半ば遠く隔てた所でも眺めているかのようにその光景を見送った。もう迷宮内の光源が、あの銀翼に反射することもない。
結局天使たちは、崖の下側には一度たりとも手を出してこなかった。
早速翌日には発とうかと、妖精と、それからうまいこと再会できた――なぜか普段より意気消沈としている――スライムと話し合っていると、なんとトゥケロが現れた。
一行は互いに再会を喜びあった。
「俺のいた所にもあいつらが現れてな――」
ここと同じタイミングってこと? とオリは首を傾げたが、どうやらトゥケロが向こうに辿り着いた頃には、すでに大半が攻撃を受けていたらしい。
そしてトゥケロが戦闘と救助活動ををこなしていると、やがて彼らは去っていった。
「長は? プリェロは? チナは? みんなは大丈夫?」
「『森』の奴らは、チナと長が戦ってくれたお陰で大半は別の所に逃げ延びたらしい。二人は駄目だったが。プリェロは最後まで残ろうとしたが、引きずって止めてきた。無事だよ。ただ『草』と『川』は多くが亡くなって――ああ、『川』だけは長が無事だったな。俺はあいつは嫌いだが、知能はあるし無駄な感情に左右されもしないだろうから、後のことは全部任せてきた」
「……そっか。かなり深刻そうだけど、生存者も少なくないんだね。よかった」
「階層全体で協力態勢が取れたことが大きいな。咄嗟のことだったから大したもんじゃなかったが、出来ないよりもずっとマシな結果だろう。――あの時、繋がりを持ったお陰だ」
語り終えたトゥケロは、長い吐息とともに肩から力を抜いた。凝り固まった疲労が表情に浮かび上がっていた。しかし死人の顔ではない、生きている者の顔だった。
オリはたったそれだけに非常に安堵した。
「生きててよかった。ほんと」
トゥケロは薄く微笑んでみせたが、やがてふと思い出したように視線を彷徨わせた。
「――ミオはどこだ?」
「ミオは、私を庇って死んじゃった」
「そうか。……辛かったな」
「辛いというか、寂しい、かな。なんというか……少しむなしくて、すごく寂しい」
咄嗟に伸ばした手の無意味さは、悔いても悔やみきれない。あっさり斬って捨てられた右腕、そしてオリが庇えなかったミオ。最後まで、ミオはオリを庇って死んでいった。
彼女を裂いた、無垢なほどまっさらな刃は脳裏に焼き付いている。あれが記憶の中でちらつく度、嫌悪のあまり眩暈がする。憎悪、憤怒、激情のあまり頭が痛くなりそうだ。……しかし、その狂熱の奥に潜むのは寂々とした空洞だった。本当に何もないのだ。
「ミオ……」
空っぽのなか沢山考えて、ふと、彼女に謝りたいなと思ったが、よくよく考えたら死体が脳を働かせるわけもないので、当然無意味なわけだ。
「……トゥケロも悲しいのに、大丈夫?」
「大丈夫だ。いや、……大丈夫だ」
死ぬというのは本当にマイナスでしかないのか、とオリは思う。その負の要素の塊につぶされないように、人は頑張ってプラスになるよう見方を変えてみたり、無駄に意味付けしてみたり、心の安寧を図ろうとする。
しかしそうしたところで、現実的にマイナスなものはマイナスで、悲しいものは悲しいし、辛いものは辛い。まっすぐ心を貫いて砕いていく。
「……」
オリは簡単にそれだけ分析して、死ぬ側のことも考えてみようと思ったが、何一つ思い浮かばないので、
(わたしも、死んだら分かるのか)
と結論づけた。そしてそのまま淡々と、あまりよくない兆候だな、と我が事ながら思った。
ここに落ちてきたときは、あんなに死にたくなかったのに。




