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監獄迷宮  作者: ばち公
誰か私に教えてください
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あなたはわたしの澪標(みおつくし)

 眠るオリの頬を叩いたのは妖精だった。妖精も生きていた。その小さな姿がぼやけるのは寝起きのせいかと思ったが、どうやら幻覚を駆使しているようだった。

 ぼんやりと、しかし焦点を結ぶオリの瞳に、妖精はほっと肩を撫で下ろした。


「よかった。死んだかと思った」


 彼女の冷たい額がオリの額に触れた。透けた虹色の翅が、一度だけはばたく。


「酷い格好」

「ん」


 オリは一つ頷いて、のろのろ身を起こし、左手を伸ばした。

 爪をあてないよう指の腹で、妖精の頬をくすぐるように撫ぜる。


「心配かけてごめん」

「ホントそれ。詫びは待ってあげるけどね」

「……」


 オリは俯いた。前髪からはすでに雫は落ちない。体は乾きかけていた。

 いったいどれほど気を失っていたのだろう。

 沈黙するオリに、妖精は気まずげに視線を逸らした。


「……で、あいつは?」

「あいつ?」

「あー、ミオよ。あいつはやっぱり、」

「ミオは生きてる! 生きてるっ!!」


 喚くオリに、妖精は身を引く。


「斬られたのは私の腕だから!! ミオは生きてる!!!」


 オリは真っすぐに断たれ失った己の右腕を晒そうとして――、え、と目を剥いた。


「うで……、のこってる」

「うん、見て分かんない?」


 オリの動揺をそのまま伝えて戦慄く、自前の右腕だった。肩からひと繋がりに伸びる肉の塊、途中の関節でなんなく曲がる。

 オリは鷲掴みにして、その腕の存在を確かめた。既に狂っているのでなければ、頭がおかしくなりそうだった。

 これは切られたはずなのだ。上腕ですっぱり切られたカッターシャツ、そこをぐるりと縁取るような血痕。皮膚に滲むそれを擦りとっても、傷跡一つ残っていない。


「服ない。血が、腕が……、」


 目にも明らかな証拠があるにも関わらず、オリの腕はその意志に沿って震え、動く。

 もう限界だった。


「うっ、腕が!! これは誰の体だ!! ヒッ、う、う……鏡、鏡持ってきて!! 鏡!!」


 錯乱して狂ったように喚くオリが、出血するほど右腕に爪を突き立てるので、妖精はさすがに飛びついて止めようとした。

 しかしオリがぶるぶる震えながら渾身の力を込めるので、妖精の手ではどうしようもない。


「落ち着いて! 腕がなに、腕が! 単純に生えたんじゃない?」

「オエエッ……生えた? 生えたの?」

「うん、普通に考えて」

「ふつう……」


 オリはぼう然と呟いていた。それでも右腕を握り潰したまま、食いこんだ爪のせいで皮膚から血が滲んでいる。


 オリは、やはりおかしくなってしまったのだろうか、と妖精は思った。

 そうしたら自分が保護してやってもいい。絶えず進んでゆけば、きっと妖精の故郷があるはずだ。そこでただただ身を潜め、二人で穏やかに暮らせばいい。

 妖精に撫でられながら、オリはぽつりと呟いた。


「切られて、生えたの?」

「そう思うけど」

「じゃあ、ミオは死んじゃったんだ」

「……かもね」


 嗚咽も涙も噛み砕くように、オリはぎりりと歯ぎしりして呻いた。


「うぐっ……。こ、殺す。あいつら、殺してやる。全員。全員だ。殺すっ……! うう、ミオ、ミオぉっ……!」


 身を引き絞るように叫びながらも、オリは泣かなかった。縋るように右腕に爪を食いこませたまま、怨嗟の産声をあげた。




 オリは一人、ふらふらと崖付近を歩いていた。落としただろうリュックと、石の剣を探しに来ていた。最早どうでもよいとさえ感じていたが、「旅だけは続けなければならない」とそれだけはひたすら頭に響いていたため、こうしてわざわざ来たのだった。

 上での喧騒に比べて、崖下は静かなものだった。間に境界線でも引かれているのだろうか、なんて考えてしまうほどだ。確か、極稀に落石があるため、もともと魔物も住んでいない、と聞いてはいたが。


 オリは頭上を仰いだ。


 ミオを迎えに行きたい。上に行ったら運良く生きていた、なんてことがあるかもしれない。

 奇跡の再会があるかもしれない――。


 ぐしゃぐしゃと木々のなぎ倒されて起こる噴煙や地鳴りだけが遠く聞こえるなか、オリはそんなことを夢想する。

 あるはずもないだろうに。だってミオはほぼ真っ二つにされたようなものじゃないか。ふざけやがって。ふざけやがって――。


「ミオ……」


 オリは擦れた声で呟いた。


 ミオは他意無くオリの仲間となった。助けてくれた恩だと、オリを立派な人間だからついていくと、そんなことを言ってのけた。

 実際は彼女よりよほど肉体精神ともに脆弱で、今まで幾度助けられたかも知れないほどだ。しかしながら、妖精にはエグイとまで評されたオリに、それでも出会えてよかったと。三つ巴の集落『草』では、彼女はそんなことも語っていた。


(なんでそこまで私なんかに、命を賭けられたの)


 馬鹿なミオ。にゃーにゃー猫又の真似をして、オリを見て貴重な何かだと感じ取って、妖精と喧嘩ばっかりして、オリのことばかり守ろうとして、一銭にもならない死出の旅路みたいなものについてきて。

 最期には、オリを庇って死んでしまった。


 ミオだけだった。

 ミオだけだったのに。



「あ」


 オリはやがて、ころりとその身を横たえたように晒している石剣を見つけた。近くにリュックも落ちていたので、確実にオリの物だろう。

 しかしまず拾うべきは武器だ。オリはそれだけをぼんやり判断して、たったか駆け寄り、そのまま手を伸ばした。


「あ?」


 剣が吹っ飛ばされていき、オリは無防備にそれを目で追った。


「お前!! あれだな? お前の秘密はあれだろう!」

「誰だお前……」


 言葉の途中で、オリも暴力を振られその華奢な体躯を叩き付けられた。岩石ほどじゃないが、樹木の幹もざらつきのせいで、背中を打つとなかなか痛い。


「俺だよ」


 静かに凄むそいつを、咳き込んでいたオリはのろのろと見上げた。


「……あ、センセー、か」

「当たり。覚えてろっつっただろ?」


 いつぞやオリに襲いかかってきてた黒い獣人だった。『草』のやつらには、先生とか呼ばれていた。

 しかし、「覚えてろ」なんて言われた記憶はない。


 石剣は罠だったのか。どおりで水辺に落ちたらしいオリの所持品なのに、こんなところにぽつんと置いてあるわけだ。少しくらい考えれば分かっただろうにな。やっぱり妖精についてきてもらうべきだったかもしれない――。


 そんなことをつらつらと考えているうちに、ふと、この敵の顔に重なるイメージがあった。

 オリは思わず「あ」と声をあげた。

 奇襲ばかりかけてくるこいつの正体、その最初の因縁。


「――ああ、分かったか? 俺があの黒尽くめだよ。『森』とかいうところの、緑のチビを襲って。……お前らに、邪魔された」


 プリェロを襲撃した、あの。おまんまの食い上げがどうちゃら言っていた奴だ。黒い覆面をしていたため、顔までは見えなかったんだったか。

 オリはすっかり忘れていたが、確かに振り返ってみれば「覚えてろ」と捨て台詞吐いてたような吐いてなかったような――。

 先生は、自らの優位を確信しているのだろう、オリの薄い反応にも関わらずべらべらと演説を続けている。


「あの糞チビ四人はいい客だったんだぜ。報酬はいいし、無駄な注文もしてこねぇしな。なのによぉ、あのたった一回の失敗で、縁まで切られちまった。どっかの誰かの邪魔のお陰でな。――チッ、それがしかもお前だよ、『落者』。このガリガリの、腕なんかちっとも立たなそうな小娘」


(死ね逆恨み)


「で。なんでそんなお前が、あんなに強かったか、だ。人のこと散々殴り散らしやがってよぉ――熟練の剣術、いや棒術か、まあどっちでもいいが、とてもじゃねぇがお前の肉体じゃ使いこなすこと一つできなさそうなあれ。それを可能にしてたのは、アレだろ? あの武器」


 つられて目にやった先、石の剣は棒っきれのように転がっている。オリは以前、黒虎と戦ったときのことを想起していた。あれがオリの手元に瞬時に現れていたことを。――しかし今は、そんなことに期待なんてしない。


 オリは弱かった。あの時はどうしようもなく怯えて縮こまって怖くて逃げ出したくって、それで、何かに縋らないと生きていけなかった。敵を攻撃する、たったそれだけも、『私』には不可能だった。劣悪な運動能力のせいもあるが、それだけじゃない。

 相手を殴るだなんて、とてもじゃないけれどあの時の『私』の精神では不可能だったのだ。


 そのためにあの石造りの剣があった。

 生きるために、この剣が己を操るがまま、敵を討つ。

 それだけの前提が、条件が、建前があったからこそ、オリの精神は今まで戦ってこれたのだった。

 アレがないと――。


「つまり、アレが無ければお前は脆弱な人間に過ぎないってわけだ!! お前のペットの駄犬も! トカゲも! あのベチャベチャしたのも! 羽虫も! もういねぇ!!」


 かすかに、オリのこめかみがぴくりと動いた。


「はは、ざまぁ見ろよクソ女!! お前は今日から俺の、俺の……? 待て考える。――そうだなぁ。荷物持ち、雑用、囮係に、料理当番だろ、それから雑用は言ったか? ……いやもうとにかくあらゆる雑用を俺の命じるがままこなしてもらう! 惨めに踏みつけてやるよ!! ――なあ?」


 圧倒的優位性に浮かれるようににやつく、先生の顔。それがさも愉しげにオリを見下しながら覗きこむ。

 オリは眼前に広がるそれを、一瞬だけ探るように、或いは確認するように眺め。そして。


 今、確かにある右腕に力を込めた。




 先生と呼ばれた獣はもんどり打って大地に伏した。激痛、火花が散るような視界に、目を白黒させながら疑問符を浮かべる。なんだ。何が起こった。

 あまりの衝撃に口から内臓でも飛び出すかと思った、が、骨は無事だ、しかし立てるか。痛い、痛い、痛い。何故だ。自分は。あの落者の小娘は――。


 ざり、と砂を擦る音が耳を打つ。

 倒れ伏す相手の視界で、オリはのそりと立ち上がった。


「…………なああるほどなぁ。さっすがセンセエ。身を以てご教授下さるとは教職者の鑑」


 地を這うような声。

 浮かべたうすら笑いを一瞬で消し去り、右拳を握った。


「殴ったほうが早い」




 スーパーぼこぼこタイム!!!!

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