この世で最悪の二択
「武器を持ってなにかと対峙したことはある?」
「ないです」
「誰かと喧嘩したことは?」
「小さいころに」
「殴ったことは?」
「えーと、叩いたことなら……」
なんだこの詰問。
危ない仕事の面接でも受けている気分だ。
そんなことを考えながら、困った顔でもにょもにょと曖昧に答えるオリに、少年は胡乱げな視線をむけた。
――召喚されてここに放りこまれた、異世界人の娘。
どこからどう見てもただの一般人、平凡な、年頃の少女である。
肉づきの薄い発達途上の肉体に、ただただやわらかそうな皮膚。耐久性が微塵もないだろう衣服と、運動に向かないつるりとした革靴――自身が戦闘をこなすどころか、道端の喧嘩を見たことすらないような、情けないちっぽけな子ども。
いまは不躾な少年の視線から逃げるように目を逸らして、人差し指で頬をかいている。気まずいときの癖のようだ。
その簡単に折れてしまいそうなほど細い指と手首をみて、少年は溜息をつきたくなった。
「……そろそろ進もうか。いつまでも喋ってても、埒があかない」
まるで至極当然の流れのようにそう促されても、あれだけここがどれほど恐ろしい場所か教えられたのだ。オリの足が動くはずもない。首をぶんぶん振って拒否する。
ここが絶対に安全なのかは分からないが、先に進むよりずっとマシだ。
そんな引け腰の彼女に対し、しばらく思案していた少年はふと真顔になって、天井を仰いだ。
オリもつられたように見上げるが、床や壁と同じような天井の間に、『水神様のお腹』があるだけだった。
「――ここを監獄と呼ぶ原因を、城の地下にある恐怖の源だからといったね。実はもう一つ理由がある」
見れば、少年はもう上を見てはいなかった。やけに真剣な目と目があう。
顔を逸らすこともできないまま、オリは意図された沈黙にごくりと唾をのみこんだ。
「ここは、罪人をぶち込んでおく、文字通り監獄の役目もはたしているんだ」
一生檻から出ることができないほどの罪を犯した者は、大衆の前で、パフォーマンスのごとく処刑される。
もしくは、オリがされたように此処、監獄迷宮へと送られる。
例えば、腕っぷしが強くてサバイバルもできそうで、以前送ったやつがそろそろ死んだかなと思われたくらいの時期に捕まった者だ。まあ正直な話、そんなもの、お上の裁量一つで決まるのだが。
たまに病人や、明らかに戦ったりできないだろう人間が放りこまれることもある。わりと気まぐれで決めているのだろう。
――公開処刑か監獄迷宮か。
この世で最悪の二択だ。
「だからとっとと離れたほうがいい。けっこー落ちてくるからね」
説明途中から顔を真っ青にして、あわあわと言葉にならない声をあげている少女の様は、なかなかおもしろい。
少年は愛想よく微笑みながら、そんなことを思う。
正直な話、彼女が焦る必要はまったくないのだが、もちろん黙っておくことにした。
「じゃあ行こうか」
「しぬ……ぜったい死ぬ」
足はスムーズに動いてくれるようになったが、今度は反面に目が死んでいた。
強張っている表情を見ながら、大丈夫かなこの子、と少年はひとりごちた。
いや、やっぱり無理そうだな。今もつまずいて半泣きになっている。
「そうだ。君にこれを渡しておこう。剣だよ」
少年がよく分からない空間の亀裂(それ以外、オリには言いようがない)におもむろに手をつっこんでよこしてきたのは、おかしな武器だった。
剣というが、刃はない。柄からそのまま、紋様が刻みこまれた石棒が伸びている。いや、石かどうかも不明だ。鋼ではないことは確かだが、この素材がなんなのか、オリにはわからない。
ただ、この千歳飴を彷彿とさせる形状は奇妙奇天烈だが、長さ自体はほどよく、不思議と重くもない。やけに丸っこい柄はオリの両手にしっくりとくるし、とにかく使い易そうだ。
だが。
「…………ありがとう」
「間が広いな。なにか不満?」
「や、ないけど」
「じゃあなに? 強いて言うなら?」
「ど、鈍器だとは思ってなかった」
すこし驚いた。
オリはまじまじと、その武器を眺める。
攻撃力なんて微塵もない自分が、これで戦うことができるのだろうか。武器というより、つっかえ棒に近い何かにしか見えない。
「あはは、しかたないだろう。最低でも死ななくて済むようなやつを選んだんだ。逃げも守りも、君をサポートしてくれるよ。それで殺せなかったら――非力な自分を恨むんだな」
こっちには全く関係ないと言わんばかりに、平然とした口調であった。
絶対死なせないと言った舌の根も乾かぬうちにこれである。ちょっと信用する以前の問題だ。
ただ瀕死の状態から救ってもらったのは事実なので、オリはとことこ彼についていく。
こんなところで独りになったら寂しくて死んでしまう。
「じゃあ僕はそろそろ行くね」
そう思った直後のセリフだった。
まさか、と思ったオリは当然ながら追いすがる。
「えええ!? や、やだよ行かないでよ!」
「サポートキャラは途中で退散するものさ」
「なんで急にそんな……」
少年の口元ばかりが優しげに微笑んでいる。
「あれだけ丁寧に、いろんなことを説明してやったじゃないか。幸運だったね。なかなか無いと思うよ、こんなサービス」
それはそうかもしれないし、確かにありがたかったが。
こう思ってしまっては「ついてきてよケチ!」と罵ることもできず、オリは心細げに少年を仰いだ。ふわふわ宙に浮いている。
まるで当然のようにしていたので気にしなかったが、よく考えてみればタネも仕掛けも無しで浮くってどうだ。
まあこの怪しいのと一緒しなくていいというのは、逆に幸運なのかもしれない。
……そう考えようとしても、ぶっちゃけ信用ならなかろうが不審だろうが、こんなわけのわからないところで独りぼっちにされるよりはマシだ。
まだ聞きたいことだっていっぱいあったのに。
と、その考えをよんだのだろうか。振り向きざまに問いを投げた。
「とりあえず今、なにか聞いておきたいことは?」
「少年はなんて名前なの?」
間髪入れず尋ねた質問。オリの口を咄嗟について出てきた問い掛けは、なんとかして会話を延ばそうと意識した結果であった。
なんでこんな、と自分で思わなくもなかった。もっとあっただろう。だが、言ってしまったものはしかたない。
問われた瞬間、少年は珍しく、自然に目線を泳がせた。わざとらしくなく、素が出たといわんばかりの仕草だ。
そんなことを聞くのか、と呆れられるのも罵られるのも覚悟していたので、びっくりしたオリもつられて狼狽えてしまった。
二人のあいだに、少しばかり奇妙な沈黙が続いた。
「――ダミアン、とか」
「と、とかってなんなの」
明らかに今取り繕いましたよ、といわんばかりの名乗りだった。
そしてなぜこの空恐ろしい場所でそう名乗ったのだろう。印象深いいい名前だと思うが、あの映画しか思い浮かばないではないか。
「いいだろ。もう行くね」
「待って! さ、最後にひとつ!」
「なに?」
「誕生日は6月6日じゃないよね!?」
「……じゃ」
その一言を残して、ダミアンというらしい少年の姿がふっとかき消えた。「しょうねん?」と恐る恐る声をかけてみるがもちろん返答はない。
その場に取り残されたオリは、一人頭を抱えた。
しかし、このまましょんぼりと心細がっている場合ではない。
彼が(多分ないと思うが)例の悪魔の子だったとしたら、今すぐにでも、不幸と不運の連続が襲いかかってくる前兆なのだから。
力をこめて立ち上がり、目を鋭くさせ前をむけば、しんと静まり返った通路のみがまっすぐに伸びている。
奥になるにつれて薄暗くなっていくが、ちょうど曲がり角のあるところでは、光の球をうかせた松明が煌々と辺りを照らしている。
思ったよりも明るいらしい。
それでもちょっと尻込みしたオリは、それから時間をかけて三十秒数えてから、剣を携えて歩きだした。