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監獄迷宮  作者: ばち公
誰か私に教えてください
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誰か私に教えてください

暴力表現あり、注意

 道無き木々の中をミオは駆けていた。オリを荷物のように抱えている上に、枝葉や茂みが彼女の道を遮ったが、それでもミオの俊敏な足は止まらない。

 オリは自分の身を襲う揺れや衝撃を利用して、半ば無理矢理目を覚ました。う、と呻き声が零れ、ミオはそれに明るく声をかける。


「オリ様、早起きですね。おはようございます」

「ミオ――!」


 寝起きながらも現況を把握していたオリは、彼女の腕から逃れようと身動ぎした。


「暴れないで下さい、落としてしまいます!」

「ちがうよミオっはやく戻らなきゃ! みんなは!?」

「もう死にました!」


 間髪いれない回答にオリは言葉を失う。

 

「いまはとにかく逃げて――!?」


 翼を持った戦士が、槍と共に上空から急襲する。ミオは咄嗟にそれを躱し、オリは放り投げられた体をうまく捻って着地した。

 正面から対峙した今、銀翼の天使は何も言わない。

 顔は青銅色のデスマスクのような面で覆い隠されていた。褪せた兜と鎧、横幅のある麻布のズボン、槍を握り締める五指の手。肌一つ露出させていないが、銀翼さえなければ、まるでヒトのような体躯をしていた。


「オリ様、先に行ってください」

「やだ」

「はやく!!」

「やだってばあ!!!」

「くっ……」


 ミオはオリをこの場から移動させるのを一旦諦め、目の前の戦士を打とうと拳を握った。


「ミオ!! オリ!!」


 戦局に飛び込んできたのはナオだった。彼女は銀翼の敵に奇襲をかけ、ミオとオリを一瞬だけ確認し――何も言わず、また戦闘に戻っていった。

 生きてた、と安堵するオリをよそに、ミオは彼女の腕を引いた。


「逃げますよ!」

「なんで!? 一人より大勢の方が――」

「でも、いつまでも戦えはしないでしょう?」


 ミオはふと力の無い、泣き笑いに近い表情を浮かべた。

 その言葉に唖然としたオリは目撃する。空隙の無い迷宮の天井から、再びあの天使のごとき翼人達が現れるのを。

 数の暴力に、オリはとうとう口を噤むのだった。




 滝が、遠く聞こえる剣戟や悲鳴を覆い潰すように轟いていた。

 滝を望める開けた崖縁には、小さな二つの人影があった。オリとミオである。逃げ惑った挙句、ようやくこの場に辿り着いたのだった。

 上から眺めるに、崖下は比較的落ち着いているようだった。滝壺から続いている川も、この現状からしてみれば奇妙なくらい静かにいつも通りだ。銀翼の天使らが暴れている様子は見られない。


 しかし、二人の目指す出口はここから遥かに遠い。


「……」


 まさかいつまでも、この上空から丸見えな場所で佇んでいるわけにもいくまい。

 オリが「そろそろ移動しよう」と静かに声をかけると、ミオはぎこちなく頷いた。しかし彼女は、頑ななまでにその場から動こうとしなかった。

 あのミオが、オリの言うことを聞かない。


「どうしたの? あ、疲れたのか。一旦休む? だとしても物陰に行かないと、」

「オリ様」

「じゃあやっぱりナオ達を助けに助けに行きたいんだよね。うん、すぐ準備してとりあえず作戦を――」

「オリ様!」


 声を荒げるミオに、オリはびくりと肩を揺らした。そして、そこでやっとミオを見返した。

 ミオの表情は鋭いばかりに真剣で、しかしその瞳は沈むように潤んでいた。耳は落ち込むように垂れてしまっていて、声は痛切な色を帯びている。その切羽詰まった様に、オリは息を飲んだ。逃げ出したいとさえ思った。

 でも、どこまで。


「――ど、うしたの。なんだか、変だよ」

「駄目なんです、オリ様。逃げるにはもう……向こう、下に行く方向はすでに敵が。私は耳がいいから、もうずっと聞こえてて。だから私、考えたんですけど、馬鹿だからこれくらいしか思いつかなくって――」

「ミオ」


 オリはミオの腕をつかんだ。


「ミオ、お前死ぬのか」


 色の失せた声でオリはミオにすがりついた。この流れの中で、まさかお前もなのか。

 蒼白とした顔で見上げると、困ったように眉尻を下げて苦笑している。ミオは嘘がヘタだからだ。

 オリがどれだけ願い、手の平に力を込めたところで、彼女はオリを救うようなことを何も言わない。柔らかな視線が、頑ななまでの意志とともにオリを見つめている。


 頼むミオ。違うと言って、頑張ろうと言って。なんとかなると言ってくれ。

 いやもういっそ一緒じゃなくてもいい。どこかで生きていてくれれば、それで。

――ミオ。ミオがいなくなったら、私はこれからどうすればいいんだ。これから、いったい――、


「がんばってくださいね、オリ様」


 ミオが笑う。

 その背後に、大剣を携えた銀翼の戦士が降り立った。振りかぶられた切っ先が、迷宮の光源を反射した。




 オリは両者の間に立ちはだかるように右腕を伸ばした。

 ミオも咄嗟にオリを庇おうとした。オリが生き延びられるだろう唯一の手段――ミオにはそれしか思いつかなかった、唯一の手段。


 ミオは前に出たオリの服の背を引っ掴み、そのまま自らの背後、崖下の方へと引いたのである。


 刹那の出来事だった。大剣は躊躇なく縦に一閃を描き、オリの片腕を、ミオの肉体ごと断ち切った。オリの細腕では障害にさえならなかったのである。

 そのままオリは腕だけを残し、崖の下へと落ちていく。両手を伸ばそうも届くはずもない。

 彼女の欠けた手の向こう、一打ちで崩れ落ちるミオ、それからあの銀翼の生物――彼らはやがて点となり、オリの視界は闇に呑まれていく。




 目覚めるとオリは生きていた。川の浅瀬に倒れ伏していた。うまく流れ着いたのか、それとも元々ここに落ちたのか分からない。自分の体から流れたとは思えないほどの血が、彼女の伏せている大地にべっとりと貼りついていた。

 リュックも、結び付けていた石の剣も、どこにもない。


 オリはよろりと体を揺らめかせ立ち上がると、その場から逃げだした。

 自分の身を守るために。生きるために。それ以上に、視界に焼き付くあの光景から逃げるために。


 違う。ちがうちがうちがう、違う!!

 ミオは死んでない。ミオは死んでない。死んでない!!!


 見事なまでに切断された腕を抑え、オリは走る。目を瞑り、全てから逃げるように。


 ミオは死んでない、死ぬはずがない。あれは夢だ。あれは……。私はまだ確かめてない、あれは夢だ! 現実なのは腕が切られたことだけだ。ミオが死んだのかは分からない。私は何も見ていない。実際は、ミオだってあのあと一緒に落ちたかもしれない。


(ああでも、)


 徐々に速度は落ちてゆき、やがてオリの足は止まった。冷えた身体と視界が、ぐらぐらと不安定に揺れている。


――ミオなら生きていたとしても、オリを庇って、一人戦おうとするだろう。


 頭のどこからか聞こえてきたそれだけの言葉を否定する力が、オリにはもうなかった。

 オリは力無く倒れ込んだ。

 ざらついた地面はオリの体よりも冷たく、息を吸うと鉄の匂いがした。己の呼気ばかりが耳障りだった。もはや指先一つ動かす気力も無い。


(ここはどこだろう)

(私はなぜここにいるのだろう)


 意味の無い空虚な問い掛けがふつふつと浮かびかけたので、オリは真っ先にそれを押し潰さなくてはならなかった。彼女は考えなくてはならない。人間として、仲間達に頼られるものとして。

 しかし真っ当に思考できるほどの気力がもうない。


 それでもオリは考えた。まずは仲間の心配から始まった。大丈夫かな、とか、どうしようかな、とか、その程度の言葉ばかりがオリの頭を巡った。

 しかし、そこまでだった。


「わたし、がんばったと思ったんだけどな」


「もっとがんばっとけば助かったかもしれなかった?」


「…………なんでだろうなぁ……」


 涙を流すには疲れ果てていた。もう先が見えない。道標(みちしるべ)はもうここにはない。これまでのことしかオリには見えない。


 もう少し早く行動して、無駄に喋ったりしていないで、もっともっと。

 考えを巡らせて早い段階から準備して、心構えを造り上げていたら。

 気を抜いていないで、少年の言葉により耳を傾けていたら。彼の全てを疑っていたら。よりこの迷宮を恐れるべきだった。

 ああ、そもそもこの階層に浸ってないでさっさと違う場所に移っていたら、いや、それだとどちらにせよナオ達は死んでしまうのか。だけどミオだけでも助けることができただろう。


 くだらない後悔ばかりが、尽きないあぶくのように浮かび上がる。

 分からない、私はなにをまちがったの、なんて。


――どうしようもないけれど。


 オリは目を閉じた。




 もう少し頑張ればよかったのでしょうか。

 何を頑張ればよかったのでしょうか。


 誰か私に教えてください。

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