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監獄迷宮  作者: ばち公
誰か私に教えてください
36/74

 最後にオリ達が案内されたのが、切り立った崖と、轟き落ちる滝であった。

 目も眩むほどの高さだった。じっと目を凝らすと、遥か遠く下方に、恐らくこの階層の出口だろう場所が点のようになって見えている。


 オリは、滝が飛沫を立てる様を黙って眺めていた。

 この世界に召喚された際に『水神様のお腹』へ落とされたこともあって、オリは滝や滝壺という単語にすら忌避感を覚えている。そのためどれほど凄まじい滝か熱く語られても、内心ではあまり近寄りたくないな、と考えていた。


 が、自分でも驚いたことに、実際こうして目にしてみると、全くの平気だった。

 恐らくあの清く美しい『川』の集落で、水への恐怖心が薄れたお陰だろう。オリは今さらながら感謝した。


 しかしそれにしても、こんな高所から落ちたらひとたまりもないだろう。

 オリとミオが並んで下を覗きこんでいると、ナオが二人の肩を掴んで引いた。


「危ないわよ」

「子ども扱いしないでください! ね、オリ様」

「――なんか、お母さんみたい」


 オリがじっと見上げると、ナオは「はっ!?」とすっとんきょうな声を上げて頬を赤らめた。


「だって、なんか、面倒見てくれるし」

「……そりゃ、私、この中じゃ一番年長だし? 面倒っていうか、ミオは妹だし、オリは人間だから、ちゃんと見とかないとダメっていうか。守らないとっていうか」


 やたら早口でもごもご言わせる。

 少し説明下手なところも、ナオとミオはよく似ている、とオリは思った。


 しかしそれよりも。


「やっぱり私って、『人間』だって分かる?」

「当たり前でしょ? なんだか懐かしい気もするわ。ね、ミオ。あんたもそう思うでしょ?」

「そうですね。やっぱりオリ様はすごいです!」


 ミオはぱっと花笑みを浮かべる。

 対するオリは、枯葉のように項垂れた。


「わからないよ、ミオ」


 力無く萎れたような声だった。意図しないうちに零れていた。


 オリはしばらくの間、やたら焦ったナオとミオに慰められたり励まされたりしてから、やっと落ち着いて顔を上げたのだった。



 そんな思わぬ醜態を晒したオリは、独り思案に耽る。

 何故こうなったのか? 疲れたから。気が抜けたから。ストレスのあまり。――なんて、くだらない考察は必要ない。


(……私、この二人に甘えてる?)


 嫌だなぁ、と思った。

 なによりも、呆けたように甘ったれな自分が、オリは嫌だった。

 あまりこの環境に身を置いてはいけない。

 自分は甘やかされてはいけない。鋼のように強靭で、躊躇なく拳を振るう、安寧からかけ離れて自分の命だけを研ぎ澄ませるような、そんな者にならなくてはいけない。


 ここは『幸せ』だ。

 抱擁だとか、守るだとか、歓迎だとか、懐かしいだとか。

 今まで研いできたオリという形がほどけて、崩れてしまう。『草』にいたときよりも、オリはそう強く思った。『草』のときは自分から発つことができたが、あれはミオの後押しもあったからだ。ここでそれが受けられる可能性は限りなく低い。


 妖精についても同じだろう。彼女は故郷に戻りたいというより、安寧に暮らしたいという意思の方がよっぽど強いようだから。

 スライムはまだよく分からないが、ここに残るのではないだろうか。元々それを選択肢としてついてきたのだ。強くなりたいと言っていたが、それならミオの一族を頼ればいいだろう。


 なんとしても、近いうちに、ここから出なければ。



(――でもミオは、此処にいた方がいい。絶対)


 ミオはオリにとって、非常に重要な存在だった。ミオはオリを慕っている。そこには何の裏も意図もない。それだけで、彼女はオリの救いだった。

 ミオがいてくれればオリは心の安定を計れるし、なにより、強い彼女は純粋に、迷宮内を進むための力に、助けになってくれる。


 だけど、オリはミオに、この迷宮内で一番くらいに幸せになってほしかったのだ。



「――スライムも此処に残るんだよね?」

「あ、いえ、あの、分かりません……。でも安全で、落ち着いて、水っぽくて、いいところですよね」

「ん、そうだね……」


 スライムは小さく頷いてみせるオリの顔に、どこか影を感じとった。


「その、」

「なに?」

「その、オリは――」


『ここに残るつもりはないんですか?』


 と、呟きかけた声はあまりにもかすかで、


「そろそろいい時間かしら。宴会に行きましょ!」


 ナオの溌剌とした声に掻き消されてしまった。彼女はぽんっとそのスリムなお腹を叩いた。腹時計という意味らしい。


「私たちも行こっか。…あ、今なんて言ったの?」

「い、いえ、大したことじゃないんです。その、行きましょう! 宴会、きっとすっごく楽しいですよ」

「? うん、そうだね」


 一行はただ明るく朗らかに、あれこれと雑談しながら村へと戻るのだった。



 そして、そんな彼女らを隠れて見据える影に、そのときは誰も気づかなかった。




 スライムの言葉通り、宴会はとても楽しかった。

 皆が抜群の運動神経で芸をしたり、やたらめったらくねくねと踊ったりしてみせた。食事がほとんど肉類なのは閉口したが、どれもオリが食べられるような味付けで、文句無しに美味だった。

 オリが特に気に入った唐揚げのような味の焼肉は、ミオの母親が料理したらしい。食べ過ぎて、あっという間になくなってしまった。


「えーっと、焼くタイミングはこの後ですよね?」

「違う違う。味つけて、その後ちゃんと寝かせとかなきゃダメ! 全く、あんたは昔っから全然手伝いもしなかったから……」


 ミオがはりきってそのレシピを覚えようとしているのを横で聞きながら、オリは飲み物を傾けた。果物のジュースだった。


「オリ、あんたよく食べてるじゃない。珍しい」


 ふらりと飛んできた妖精が、オリの頭上を位置取った。

 最近気付いたが、彼女はそこが好きなようだった。今日含めて出来る限り水浴びはしているが、大して清潔ではないと思うのだが。


「美味しいからね。雰囲気も好き」

「ふーん。……ほらほら、もっとはしゃいでみせなさいって。あいつらみたいにさ」

「ふふ、やめてやめて。無理だよ」


 妖精が示す先では、シュリンカ族が高らかに舞っていた。

 舞踏というより武闘だろうか。

 はじめは見せびらかすように、それぞれ一人で踊っていたシュリンカ族だが、今では数人混じって拳を交わし合っている。といっても、流れるような動きで組手を取っているので、舞といったら舞だろう。

 オリはふと肩を竦めた。


「あれに混ざれるわけないじゃん」


 ちなみに、これに怯えそうなスライムはというと、端のほうで何やら熱心にナオへと質問をぶつけている。少し耳を傾けてみると、主に筋肉の仕組みについてだった。……まあ、深くは聞くまい。


「今のあんたなら、いけそうな気もするけどね」

「私強くなった?」

「強くなった。人間ってほんと成長が早い……なんて。ま、まだまだだけどね」


 オリは妖精と初めてあったときのことを思い出す。どれくらい強いのか、と計られたときのことを。

 妖精は「えぐい」と顔を覆ってしまって、具体的には語られなかったが、あの頃のオリはよっぽど悲惨だったに違いない。


 まるで遥か昔のことのようだ。


「――えぐい、なーんて言われていた私はどこへいったのか」

「ここにいるじゃない」

「まーね」 


 『草』の時はここから七面倒なことを頼まれもしたが、この階層ではきっとそれもないだろう。


 オリはのん気な心地で、ぼんやりとこの賑やかな光景を眺める――。



「オリ様! おどりましょ!」

「へ?」


 突然飛び込んできたミオに、オリは目を丸くした。


「ほらほら、立って下さい。今から皆で踊るんですよ! オリ様はお客様なんですから、当然踊らないと」

「待って、待って。待て」


 ミオはオリの手を取ったが、無理に引っ張ることはしない。彼女はそうした点で、非常にオリに忠実だった。


「はい?」

「私踊りなんてしたことないよ」

「大丈夫です! 最悪、両手か片手を繋ぎながらルンルンしておけばいいんです。私がリードします!」

「不安しかねーな。いいよ、踊らせてよ」


 オリはよっこいせ、と間抜けなかけ声で、王様のようにゆったりと立ち上がった。

 それからついでのように振り返って、奥の方へ声を上げる。


「ムーさん! ――聞こえてないか。じゃ、踊ろっか。リューリンも一緒にね」

「はあ? 私は人の手なんてなくったって踊れるから。妖精は踊れるって知らないの?」

「知らない。なんで? そんなもんなの?」

「暇だからね。軽やかな妖精ステップが自慢。ほら」

「そーやって頭の上でバシバシされても見えないよ」

「じゃあ私の頭の上に来ます? そうしたらオリ様も見えるでしょ?」

「あんたの毛は硬いからちょっと」


 なんて雑談をしながらも、ミオはうまくオリをリードした。


 彼女はゆっくりとオリを気遣いながらも、楽しさを押しきれないような躍動感溢れるステップで踊る。

 オリは初めこそぎこちなかったが、そのうちやたらと楽しくなって、彼女の真似をして足を動かした。

 リューリンはきらきらとその身をいつもより輝かせ、宙で見事な踊りを見せた。手を指先まで柔らかく流しながら、時を刻むかのように、見る者の目を惹いた。

 しかしやがて飽きたのか、ミオに手を引かれぐるぐる踊るオリの頭へと戻るのだった。



 しばらく踊って、疲れが出てきたころ。

 オリは少し落ち着き、冷静になって、ミオの顔を見つめた。彼女は笑顔で、楽しそうで。幸せそうだった。

 周りの人達もそうだ。誰も彼も楽しそうで、わいわいと話し、語りあい、踊りで全身で生を表現している。おまけに食事も飲み物もとびきりおいしい。

 それにここには、ミオの家族だっているのだ。父親、母親、姉のナオ。


「……ねえミオ、話したいことがあるんだけど、」

「え? なんですか?」

「ミオは、」


『この階層に残った方がいい』


 オリはそれだけをあっさり告げるつもりで、それなのにどうしたって言葉が出ない。


 言えると思った。

 もっとあっさり、口にできると思ったのに。


 やがてそれは足の動きも鈍らせ、踊りが止まる。ミオはきょとんと首を傾げている。


「オリさま?」

「…なんでもないよ。少し、休まないかなって」

「そうですね。もうちょっと食べましょうか!」


 ミオが笑う。オリも笑い返したが、それが笑顔になったのかは分からない。

 リューリンは己の下にあるオリを、「ふーん」とばかりに、頬杖をついて見つめていた。

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