『監獄』『迷宮』
ミオとナオの観光案内で、まず一番に連れていかれたのが時代を感じさせる石像だった。
男性の姿を模しており、ミオとナオ、その他獣人と同じように獣の耳をぴんと生やしている。
「ワンフルル・ワンダレン・マリンカ様の像です! とーっても強かったんですよ」
石像の手には剣が握られているので、オリは意外に思った。ミオもシュリンカ族も、武器を持たないと聞いていたからだ。
昔は、違ったのだろうか?
「このヒトは何をしたの?」
「分かりません。ただ強かっただけだと思います。ナオお姉ちゃんは何か知ってます?」
「知らないわね。数百年以上前かしら。それくらい昔々にいたってことは知ってるけど……。ここに文字があるんだけど、もうボロボロでちょっとしか読めないの」
「数百年って、果てしないなぁ」
寿命が精々百年ちょっとのオリは、実感なく呟いた。ナオは肩を竦める。
「魔物にしてみれば、そんなに大した年月じゃないの。まあ、これができたのは最低でも三百年前ね。でも、もしかしたら千年でもおかしくないわ」
「すっごいなぁ。それにしてはちゃんと残ってるね」
「材質がいいのよ。それに手入れもするし。……でもこんなのよく作ったわよねぇ。今の私達じゃとても無理よ」
以前あった技術がいずれ途切れてしまうのは、どこでも同じらしい。例え異世界でも。
(……でも魔物の寿命は長いんだから、どうにでもできそうだけどなぁ)
なんにせよもったいない、とオリは少し感慨にふけってから、
「なんて書いてあるの?」
と、石像の台座にある、年月のせいでかすれたようになってしまった文字を指した。
ナオはそこに目を凝らす。
「『記憶の縁』……『地上』……? それと、『挫けぬ精神』に、『英雄』って読めるわね」
丁寧に指をさしながら説明されたが、当然オリに読めるはずもない。
しかしオリは何故か、岩嫌いのところにあった、あの石板を思い出していた。あの、怨嗟の詰まった石板を。
最後にナオは、一際分かりやすく残っている文字をオリに示した。
「そしてこれ。――これが、『監獄迷宮』」
「これが……」
『監獄迷宮』。
オリは惹かれたように、その文字を指先で撫ぜた。
既にすっかり耳慣れた単語となって、それはオリの頭の中にある。ナオ達の言葉はオリの耳には翻訳されて届いているため、元来の発音すら分からないというのに。
文字を見ても読むことさえできない、オリはこの世界では文盲だ。
監獄迷宮というオリの脳内の言葉から、恐らく二つの単語が合わさり一つの単語となっているのだろうと推測はできるが。それでも文字一つ解読できない。
いずれ学ぶべきか、と思いかけて、オリはふと気づいた。
監獄迷宮は、一体いつから『監獄迷宮』という名称なのか?
オリは少年から、この場所について説明を受けていた。彼女だって馬鹿ではない、重要なことくらいきちんと頭にしまってある。
――城の地下にある迷宮。公開処刑か監獄迷宮か。愚弄な罪人の落とされる処刑場であり、人外の嗤う深淵でもある。
つまり、罪人の『監獄』の役割を果たす地下『迷宮』だと思っていたのだ。
城の地下にあるというだけなら、こんな重苦しい呼び名でなく、地下迷宮とでも呼んだだろうし。
しかしこの石像――朽ち具合を見るに、遥か昔からある――には、既に『監獄迷宮』の文字がある。
それほど昔から、この迷宮には罪人が落とされていたのか? このような悍ましい名を冠するほどに?
(だけどそれなら、もっと人間の痕跡があってもいいのに)
少年曰く、ここには罪人が「結構落ちてくる」とのことだった。彼の言葉をどれくらい信用してよいのかも、結構の範囲も分からないが。
とりあえず石像が出来てから最低でも三百年とすると、年に一人と考えても三百人落とされていることになる。二年に一回ぐらいの頻度だとしても、それでも百五十人。
そして、それ以前から『監獄迷宮』と呼ばれていたと考えると、それ以上の人間が落とされていたと考えられる。
あの荒れ狂う『水神様のお腹』でいくらか消えたとしても、それでも……。
(やっぱり不自然だ……。痕跡が無さすぎる。骨ごと喰われてるとか、そんなことを無理矢理こじつけてもおかしい……)
あの初っ端で顔を合わせた黒虎のように収集癖があるものがいて、人間の所有物をかき集めているのかもしれないが、それでも異常だろう。
(そんなに落とされてない、と考えると簡単なんだけど……)
オリがあまり人間の痕跡を見つけていないのは、落とされた人間がそこまで多くないからだ――つまり、罪人を落とすという罰が始まったのが、比較的最近ということになる。
しかしそうなると、この古びた石像の、『監獄迷宮』という単語と矛盾する。
遥か昔から、囚人たちの監獄と呼ばれているという、この証拠と。
――ここで別の可能性が出てくる。
そもそも、オリが意味を勘違いしていたのか?
『監獄迷宮』という重苦しい単語の由来を。
人間の痕跡が少ない、つまり落とされた罪人は少ない。罪人を落とすようになったのが比較的最近で、監獄迷宮が、それ以前から監獄迷宮と呼ばれていたのならば。
つまりここは、罪人にとっての監獄ではなかった。
ならば、「誰」にとっての監獄だ?
(魔物? ………それとも、)
あの少年?
「……」
オリは座り込んだまま、米神に手をあてながら黙々と考え事をしていたが、やがてのそりと顔を上げた。乾いた唇を舐めてから、明るい日常へと戻る儀式のように、仲間達をぼんやり眺めた。
妖精は眠る真似事をしているとは思えないくらいぐっすりと昼寝をしているし、ミオとナオはひそひそと何やら声をひそめて内緒話をしている。夜に開かれるだろう宴会のことを考えているようで、オリはそれを聞こえないフリをしてやらなければならない。
それから、新しい仲間のスライムはというと、
「……? スライムさん、何してんの?」
「あ、ええと、」
目はないが、じぃっとその像に注意を向けるスライムに、オリは尋ねる。
彼はしばらく戸惑ったように、言葉にならない言葉をもごもごと発していたが、やがてそっとオリの様子を伺うように喋りはじめた。
「もし私が、この人の姿を真似したら、強くなれるのかも。なんて、思って」
「強くなりたいの?」
「はい。…あっ、その、私なんかがって思うんですけど、でもその、オリとか、皆みたいに強くなれたらなぁって。怖いのはイヤですけどなんとなく思ったりなんか、して……」
ごにょごにょと徐々に口籠り聞き取り辛くなる言葉に、きちんと耳を澄ましてからオリは微笑んだ。
臆病者の持つ夢は、自らの成長であるらしい。
「偉いね。でも私は強くないよ」
「強いですよ! あいつをボッコボコにしてたじゃないですか! 私、あれを見てついていこうって決めたんですから!」
あいつ、とは、不意打ちでオリの頭部を打ってきた、『先生』と呼ばれる黒い獣のことだろう。激情に駆られるがまま滅多打ちにしてやった奴のことだ。
確かにあの後、スライムはオリについていくと決めていた。あれを見て、強くなりたいという夢を持ったらしい。
オリは苦笑した。
「――ほんと。趣味が悪いね、ムーさん」




