シュリンカ族
オリは感嘆のあまり吐息を零すのも忘れ、眼前の景色に見入った。
あまりにも広大な空間だった。奥行きは果てしなく、天は高く地は深い。
植物豊かであるが、以前通ってきた空間とはまた異なり明るく開放感がある。天井の照明が強い、というだけではないだろう。
周囲は密林というほどには鬱蒼としておらず、シダ植物に似た外見のそれらから、オリはどことなく太古の地上を想起した。無機質な天井を見上げなければ、まさにその通りのような場所だ。
遥か遠くに、ミオが言っていた断崖があるのだろう。しんと耳を澄ませば豊かな水流が落ちる滝の音が聞こえてくる。
オリはしばらく目を閉じそれに聞き入っていたが、やがて深呼吸とともに瞼を開いた。
「よし、行こっか!」
弾むような声で振り返ると、より明るい声で各々返事をしてくれた。
目を輝かせるミオ、そこらの花に早速手をつけるリューリン、そわそわと滝があるだろう方向を見やるスライム(呼び方は相変わらず適当で、ムーさんと呼んだり、イムと呼んだりしている)。
なんとなく、いいことがある気がした。
「ちわーっす」
「あ、こんにちは。……今のは?」
「猫又ですね」
「うっすうっす」
「どうも。今のは、」
「猫又ですね」
「あ、ちょっと横通りやっす。すませっす」
「今のも」
「猫又ですね」
「……猫又しかいない」
「ほとんどそんな感じですよ!」
ぱっと応えるミオに、オリは内心苦笑する。ミオが初対面時に、わざわざ猫又だと名乗った理由が分かった気がした。
どれだけ進んでも、猫又以外を見かけない。
どこに何があるのか分からないほど広大な階層だが、オリがミオに案内されて進む歩きやすい道の付近には、集落らしきものや巣のようなものがぽつぽつと見受けられた。
そこで暮らす生物はどれも、ミオ曰く『猫又』らしい。
ミオよりも獣らしい外見で、毛むくじゃらというより、獣のように毛深い人間といった風体だ。
それぞれ思い思いに、のんべんだらりと暮らしている。見かけるだいたいが、ごろごろと昼寝をしていた。
彼らにも縄張りはあるらしいが、知能がある分、喧嘩ではなく話し合いで片をつけることが多いという。
一見広く見えるがそんなことはない、狭く窮屈な地下世界である。知能のある生物同士が、わざわざ殺し合うことは少ないらしい。わりとなあなあで、和を保つように済ますことが多い。
もちろん上下に逃げ場はあるが、その先に何があるかなんて誰にも分からないため、よほどのことがなければ移動は起こらない。
(この辺は私がいた世界――人間の世界と同じだなぁ)
そう簡単に逃げられやしないのだ。
敵からも己からも。
(『よっぽどのことがあったら移ることもある』とかなんとか、いってたよーな……。誰だっけ?)
どこで誰に聞いたのだったか、比較的最近耳にした覚えはあるが、いまいちハッキリとは思い出せない。
「よっぽどのこと、なぁ……」
「どうかしましたか?」
「ううん、なんでもない!」
先を歩くミオに、オリは慌てて駆け寄った。
まあ、定住することのないオリには、関係のない話だ。
オリ達はしばらく進み、ミオの暮らしていた故郷に辿り着いた。
森を背景にした開けた土地に小屋が立ち、そこでは一世帯ごとに家族が暮らしている。オリの想像するとおりに整った生活形態だった。
しかし、村の規模は、ごく小さかった。今まで見てきた集落の中でも最小だろう。
ミオの種族である、犬のような獣人達――シュリンカ族は、それこそ数えられる程度しかいなかった。今まで見てきた猫又達に比べたら、圧倒的に少数派だ。
「そうなんですよ。だから私ずーっと、上の階層にも下の階層にも猫又はいっぱいいるんだろうなーって思い込んでたんです! それとシュリンカ族は、きっと私たちの村にいるだけで全員だろうとも思ってました。――まあ、今になってみると、なんの根拠もないんですけどね!」
「実際、シュリンカ族はまだ見てないけど、もしかしたらいるかもね。多分だけど。……今度探してみる?」
「んー、どっちでもいいです、わん!」
圧倒的少数で他の魔物に囲まれて、それでも彼らシュリンカ族は、生活に何一つ不自由はないという。
何故なら、オリもミオと過ごしてよく理解しているとおりに、彼らは強いからだ。
猫又とシュリンカ族は、互いにそこそこ関わり合い、そこそこ距離を取りながら今まで長い期間生活してきたらしい。なかなか曖昧で柔軟だ。
両者がそこまで大規模なコミュニティでないからこそ、可能なのだろう。調整が行き届くのだ。
平穏に暮らせるならそれでいい、と、己の生家に嬉々として飛び込んでいくミオの背中を見て、オリはほっこりした気持ちでうんうん頷いた。
「あんた親みたいね」
妖精がぼそりと呟いた。




