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監獄迷宮  作者: ばち公
とても大切なものは誰かの背後に伏せている
27/74

『岩嫌い』

 ぐだぐだと話を聞き出したところ、スライムには害意も作意も無さそうだと判断した。オリはとりあえずその“気持ちの悪い生物”に会いに行ってみることにした。

 スライムはついてこなかった。当然といったら当然である。



 このフロアは側面の大半が岩肌に覆われていたが、それ以外は今まで通ってきたところと変わらず、鬱蒼とした木々が森を形作っているだけだった。さっさと突っ切ろうと思えば進んでしまうこともできるが、少しくらいなら寄り道も悪くはない。

 トゥケロには申し訳ないが、彼も頷いてくれたのだからいいだろう。


 スライムの語る生物は、その岩壁の一か所、深く深く掘られた細長い洞穴の中にいるらしい。

 戦闘能力は不明、なんせ延々洞窟内に傷をつけているだけ、という何を考えているのかすら不明のおかしな生物だ。

 そこに近づこうとするものはいない。洞窟といえど得られるものはなく、隠れ家なら他にいくらでもあるためだ。


 オリは洞窟内に足を踏み入れた。ひんやりとしている、とそれだけを感じる。その奥底は何を孕んでいるのか分からないほど暗い。

 ミオとトゥケロには入口付近で待機してもらい、リューリンだけを連れてオリは中に進んだ。分かれ道はいくどとなくあったが、どれも進めば奥で繋がっていることが分かった。


 迷うほどではない、というより迷うはずがない。

 何故なら遠く奥深く、耳を澄ませば、微かに音が聞こえているからだ。ガリガリ、という掘削にしては浅い音。


 やがて辿り着いた先に、彼はいた。

 壁に向かい、何事か分からないが延々と腕を動かしている。オリにはさっぱり気付いていないらしい。背後を取られるぞ、と半ば心配になりながら、オリは声を出した。


「あの」


 くるりと振り返る。

――そのあまりの人間らしさに、オリは呆気にとられた。

 暗がりであるが既に大分目は慣れている、これは幻覚などではあるまい。声を出すなと言い聞かせておいたリューリンがポケットの中で心配そうに身動ぎしたので、オリはふと我に返った。


 相手も目を丸くしてオリを見つめていたが、しばらくして、無言のまま左耳にかかっていた髪をかきあげる。

 男にしては長い、その茶色い髪からのぞく耳は、まるで小鳥の翼のようだった。


「人間じゃ、ない……」

「こんにちは。僕は『岩嫌い』――って、周りからは呼ばれてる」

「岩嫌い……?」

「こうして、岩を傷つけ続けているから」


 男の背後、洞窟の一面に広がっているのはいわゆる壁画であった。

 歴史の時間などで習ったようなものそのままだ。大小様々な棒人間が不規則に並んでいる。何か棒のようなものを持っていたり特徴的な服を着ているたり、それぞれが異なる意味を表しているようだ。

 もちろん人間だけでなく、四足歩行の動物であると分かるものだったり、幾何学的な丸や三角の模様であったり、様々なバリエーションがある。


 彼――『岩嫌い』は本人も意味が分からないまま、こうして延々と岩を削り、傷つけ、絵を描き続けているらしい。


「今はこの小路の壁だね。あっちの方はもう全て書き切って、もう書くところがなくて――」

「……あっちの壁全部を埋め尽くしたってこと?」


 指さされた先には、三本ほどの分かれ道がある。そこから更にどれほどの横穴が伸びていることか。

 驚愕したオリが問うと、彼はあっさり頷いてみせる。この細長い通路一本埋めるだけでどれだけの年月がかかるかも分からないというのに。


「なんでこんなことをしているのかは、自分でも全く分からない。分からないけど、自分の中で書こう、残そうって心がある。だから書いてる」

「残そうって、心……」

「うん。心」


 オリは『岩嫌い』を見た。

 一見すると文化人らしい優男然とした顔立ちとは裏腹に、がたいのよい体付きに、ごつごつとした手。丈の長い衣服はくすんでほつれ、洞窟暮らし(というより迷宮暮らしか)の長いせいか、暗闇のなかですら分かるほどその肌は抜けるように白い。

 見れば見るほど浮き上がる、生の痕跡。人間にしか見えなかった。


「……どう見ても、人間なのになあ」

「うん。……だけど僕は、なんだろう。少し、君とは違う。耳だけじゃなくて、もっと、何かが」

「そうだね」


 オリは頷いた。




 あれこれと喋りながら、『岩嫌い』は入口までオリを案内してくれた。害意はなく、寧ろ今まで会ったなかでも温厚かつ物静かな方だろう。

 もしかしたら、静かに狂っているのかもしれない。けれど、自分に危害を加えないなら、オリにとってそれはどうでもよいことだった。


「僕は、抜け殻かもしれない。絵を描く使命に憑りつかれた、抜け殻。たまにそう思う。まあ、あんまり頭使ってないから、本当にたまに思うだけ、だけど」

「ぬけがら?」

「うん。僕はもう生きることを放棄しているから、生物と言うには、少し違う気がするんだよな。ただ壁画を、描く。それだけをしている。何を残しているのかなんて、自分にも分からない。なのに、描く」


 今日は君が来たから手を止めたけどね、と岩嫌いは首を傾げる。

 オリは頷いておく。


「絵なんて、なぜ書くのだろう。だいたいこんな所に、見に来る人がいるのか? いないのか? 今のところ、君以外には多分来たことないよ。まあそれすらもどうでもいいんだ。僕に目的はないけど、ただ絵だけはある。そしてそこには何かの意志が横たわってる。べたーってね」

「それは誰の意志?」

「さあ。どうでもいいんじゃないかな。……よくなかったとしてももう擦りきれて、それは布としての価値もない。襤褸切れだよ」

「よく分かんないなぁ。岩嫌いって、意味が分からないことばっか言うね」

「君がそう言うならそうだ。僕はどうでもいいけど」


 話しを聞いているうちに入口に着いたが、トゥケロとミオはいなかった。

 この場に争った痕跡も合図めいた印も残されていないし、恐らくオリを見張るように身を隠しているのだ。頼りになる仲間である。


「僕の話なんか聞いて楽しい?」

「わりと」

「そっか。君も意味が分からないね。ちょっと待ってて」


 『岩嫌い』は、入口付近に落ちていた平たい岩を数枚引っぱってきた。

 ひっくり返すと、何事か分からないが、上から下までみっちりと象形文字らしいものが描かれている。


「……? なにこれ、石版?」

「ふぅ。粘土版だよ。誰かがそこに置いていったのかもしれない。もしくは昔、僕が掘ったのかもしれない」

「覚えてないの?」


 うん、と彼は子供のように頷いた。


「そうだね。もし僕のだとしたら多分洞窟に手を付ける前だから――うーん、何百年前のことやら」

「ひゃく!? なっ、そっ、え!?」

「珍しくもない。寿命がないものもいる」


 淡々と言われ、オリは「そうなんだ……」と呟いた。ポケットのなかでリューリンも頷く。これはこの迷宮で、当然の知識であるようだった。 


(トゥケロとか、かな?)


 なんたって彼はドラゴンだ。

 ミオについてはよく分からないが、妖精はもっと分からない。性格だけ見れば図太く世に憚りそうだが、昔読んだ本によると、妖精はそんなに長生き出来ないとか書いてあったような。なかったような。


「うーん、読めない。なんて書いてあるの?」

「僕も読めない。寧ろそれも絵だと思っていたよ。文字なんだね」

「……」


 オリは溜息を吐いた。

 もしこれを彼が堀った物だとして。こんなにもくっきり形を残しているものについての記憶まで、失くしてしまうものなのだろうか? ――彼は記憶障害を負っているのか、それとも途中で本当に狂ってしまったのか、それともただ単純に、忘れてしまった?

 オリには分からない。何百年前、と言われると困惑してしまう。実感が、全く湧かない。


 『岩嫌い』はというと、頭を抱えるオリを見て、ははは、と他人事のように笑っていた。……笑う、笑顔。髪に覆われ耳も見えず、裾の長ったらしい衣服まで着て。こうしていると、本当にただの人間なのに。


「僕はこれからも、ここで絵を描き続けるよ。邪魔したいならしてもいいけど、たぶんこの腕は止まらないと思う。ごめんね」

「ううん、こちらこそごめん」

「久しぶりに話せて楽しかったよ、オリ。気が向いたらまたおいで」


 岩嫌いはそれだけ言い残して、また洞窟の奥へと消えていく。

 彼はあまりにも人に似ていた。耳の羽、一部の異物がよりいっそうそれを浮かび上がらせていた。彼の彫り上げた壁画のように、それは顕著であった。




 翌日、オリはまた『岩嫌い』のいる洞窟へと向かった。

 しかし中には入らず、入口付近で腰かけた。頬にかかる髪の毛を払ってから、ただ転がっている平凡な石ころを憂鬱そうに眺めた。

 しばらくすると、少年がひょいと彼女を覗きこんだ。オリは夢から醒めたように瞬きして、やがてそっと微笑んでみせた。


「来ると思った」

「どうにも暇でね。だったら君の傍が一番マシだと思ってさ。元気だった?」

「見ての通り」


 言いながらオリは石板を引っ張って、彼に見せた。

 少年は、興味が無い物に興味があるようなフリをした様子で、それを眺める。


「これは……」

「なに?」

「きったない字だなー」

「教えて」


 少年は目を細める。

 オリは、誤魔化すなら今すぐこの石版で頭をかち割ってやるというような勢いだった。凄んでも迫力なんてゼロだった頃に比べればずいぶんな進歩である。

――むしろ、進化かもしれないね。

 少年は口内でそう呟いて、何を、と尋ねてきそうなオリを無視した。


「これ、支離滅裂だけど。そのまま読むよ。──『この生きた宇宙に害なすは、いずれ消されるか。死人は生き返らない。同じ。何が異なるのか? 次代への道は絶たれたのか。取るに足らぬ策か、やはり無駄か。この閉塞した異常、社会、いずれ瓦解するのか』」


 少年は次の石板に移った。


「次、『進化の終点はどこかいつか何であるのか。私とは何か、人とは何か。人間? 地獄。いずれ這い上がる混沌、抑えつけられる神。悪魔の卵』――次は文章だね。一番はっきりしてる。『冤罪だ、憎しみしかない。冤罪だ。あいつらも苦しめばいい。いずれ友と会うのか、私は分かる? その時にはもう』……ここで石版は途切れている」

「さっぱり分からん」


 あっけらかんとした感想だが、オリにはそれ以外の言葉もない。

 ともあれ不吉であることは確かなので、急にこの粘土板が呪わしく思えてきた。実際、哀れなことに、誰かさんは最後に呪詛を書き連ねたようだし。


「ふーん」

「どうしたの?」

「いや、なんでもない。ただ、執念かと思ってね」

「どういうこと?」


 何か読みとったの、と真意を探るようなオリの目つきを、少年は大したことなさげに受け流した。


「こんな所に来てしまったのに、なんとしてでも、覚えておきたいことがあったんじゃないかってことだよ」

「『岩嫌い』に?」

「さぁ、他の誰かかも。例えば──君のように落とされて、ここまで来た人間、とか」


 オリが黙り込んでいると、少年は「誰が書いたのかなんて、さすがに分からないよ」と、お手上げとばかりに両手をあげた。

 文字を操るなら人間か? しかしトゥケロらも書簡などを利用していただろう。分からない。数百年前、ここに文字を刻んだのは。


(……あ。聞けばいいのか)


「ねぇ、この文字って人間の文字? 魔物たちの文字?」

「……」

「どうしたの?」

「いや。難しい質問だと思ってね。……人間の文字だとしたら、ずいぶんと古い。今使っている者はいないと思うよ。しかし、それよりも綴りが甘いし文法もまともじゃない。魔物が現在使用しているものは、より簡素で平易だ。ほとんどの綴りが失われている。だから、こんな文章が残せるとは思えない」

「んー、つまり、ミックスなの?」

「――ふふ、そうだね。確かにそうだ。……ま、単に落ちてきた人間から文字を得た魔物が刻んだのかもしれないし、錯乱した人間が焦って刻んだのかもしれない」

「それなら、きっと錯乱した人間の方かな。冤罪って書いてあるし、確率高そう」


 少年がいつもよりご機嫌で、オリは不吉だなと思いつつ少し嬉しかった。


「それより『岩嫌い』って誰だい? ここに住んでいる魔物?」

「そうだね。魔物、魔物か……」


 詳しくオリは語った。

 彼の外見があまりにも人間らしいこと。狂っているようにも見えること。それが正常であるようにも見えること。


「『岩嫌い』って、人間みたいだから、見てるとびっくりする。普段は耳も隠れてるし、すごくおかしいというか……でも、嬉しいの」


 オリは気分よく頬を紅潮させ、はにかんだ。彼はあんまり人間に近いから、そこにいるだけでオリには十分だった。彼といると安心できる。心が暖かくなるようで、とても気分がいい。

 少年は「へえ、」と短く相槌を打った。


「ずっと絵を描いてるのはなんでかなぁ?」

「――探し物がないのに、ずっと探してるようなものだよ」

「どういうこと?」


 オリがきょとんと見れば、少年はにこりとした。うす寒くなるほど優しげな顔だった。


「ただひたすら鏡に映ったものを見て、本物だと思いながら鏡面の感触を味わってる。ぺたぺたってね」

「……どういう意味?」


 少年は何も言わなかった。優麗に微笑んでいるだけで、そういえば彼の、この外の皮こそまるきり人間じゃないか、とオリは今さらながら思った。忘れていた感覚だが、しかし、彼の前ではあまりに無意味に思えた。

 だって彼が人間のはずがないからだ。

 脳が冷えていくのを感じる。どうあがいても、ここに人間は、オリだけだ。


「……『岩嫌い』は、何か残したい気持ちが、心があるって言ってた。それは『岩嫌い』の心だよね? だって他人の心が別の人間に宿るはずないし、それが取り憑くはずもないし。だから、あれは――いつかの岩嫌いが、願ったことなんじゃないかな。残したいって、描きたいって。きっと、あの石板もそうなんじゃないかって思うんだけど」

「うん。それが君の結論ならそれでいいんじゃないかな」


 少年は頷く。

 オリは既に彼のことなんて見ていなかった。ただ頭を抱え、狭くなった視野で己の足元に横たわる石板を見ている。それは石なのに眠っているようだった。深く、死ぬように眠っているのだ。


「『岩嫌い』の心なんだよ。他の人の心じゃない。彼の、心。壁画も、石版の言葉も。そうじゃないと、だから……そう、うん。――あなたは、どう思う?」

「一時の感情に振り回されて羅列して出した答えだから――うん、精緻であるとは言えないね。石板を書いたのが彼かどうかなんて確かめようがないし、難しいなぁ」

「そうだね。私、何を言ってるんだろう……」

「なんか飲む?」

「いらない」


 そう、と少年は頷いた。


 彼の去り際、


「こころなんてないくせに」


 と呟いたのは、オリと少年、いったいどちらだったのだろうか。

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