全裸の痴女
オリは横向きの楽な体勢で、浅い眠りのなか、夢と現実とを行き来していた。ふわふわと曖昧な感覚のまま、まどろむくらいが自分には丁度よかった。
ふと、影がかかるのを感じた。
見張りのトゥケロかな、だったら問題無いし、頼んでもう一眠りしよう。
この明るい世界で眠るのも慣れたものだ、と感慨深く思いながら、オリは重たげに瞼を開けた。
「……」
地面と、それから、己の手が視界にはいる。ぱしぱしと目を瞬かせる。
ついでぐるり、と重たい頭を動かして、頬に水滴があたり、そのまま息を飲み目を剥いた。
女。肌色。一面。オリの真上にのしかかる裸体。
裸婦?
痴女。痴女です。
!!!??
「ああああああああ!!!」
オリの叫び声に混じり、弾けるような殴打の音がした。
真っ先に飛び出していったのはミオだ。拳を構え、オリが寝転がっているだろう繁みに突っ込んでいこうとし、そこからよろりと這い出てきた何かに足を止めた。
「オリ様っ……ゾンビ!? いや……オリ様だった!」
「おいどうした何があった!?」
草むらから這ってきたオリは、よろめきながら必死でミオに取りすがった。
「全裸のっ……全裸の痴女に襲われた!!! 全裸のっ!! 痴女にぃっ!!」
「分かるが分からん。落ち着いてちゃんと説明してくれ」
「分かんないよおお起きたら変態が飛びかかってきてたんだってばああ」
「何それこわっ」
「おかしいだろこんなの……おかしいだろこんなのぉ!」
オリはめそめそ泣いていた。よっぽど驚いたみたいだった。
一応トゥケロだって見張りはしていた。不穏な気配なんてなかったのだが。全員首を傾げながらも、とりあえず爪を構えたミオが様子見に出かけていった。
まず混乱しているオリを宥めるのが先決だろう。トゥケロは荒れた動物を相手にするような気持ちでオリに向かった。
「落ち着けオリ。よく考えてみろ。服を着てない魔物なんていくらでもいる」
「人間は肌色だからー肌色だからーーー!」
「うるせえっ」
妖精はオリの頬を、体全部を使ってぎゅーっと押しこんだ。こうしていると喋っているときに内頬を噛みそうになるため、オリは大人しく黙るのだった。
しかしいまいち状況がつかめず、妖精もトゥケロも困惑した表情である。
「同じ人間の女同士なんだから、そう取り乱すほどのことじゃないと思うが……」
「お前だって目覚めてすぐ全裸の同性に飛びつかれたらビックリするだろーがよー!」
「刺し違えても殺すって感じだな」
トゥケロが語る所業に比べれば、顔面パンチ一発で済ましたオリはむしろ寛大だといえるだろう。あくまで比較すればの話だが。
「はいはい。思春期にはきつかったのね」
このやり取りに飽きてきたらしいおざなりな妖精の手にも、オリは大人しく撫でられている。ついでにもう一度鼻をすすった。
「うう……赤の他人の全裸なんて、修学旅行以来……っ」
面倒見はよいのだが、子どもをあやした経験などないトゥケロは、泣く子同然のオリを前に何をしたらいいのか分からなかった。おろおろと、特に意味もなく視線を動かす。
「大丈夫か、こういう場合トラウマになったりするのか」
「さあ……」
「くそっ、根源を叩き潰す!! 今の私は誰にも止められんぞ!!」
「大丈夫そーね」
「強い子でよかった」
ほのぼのとするなか、オリを襲ったらしい誰かを探っていたミオが帰ってきた。怪しい人影どころか、気配すらなかったらしい。
とうとう幻覚を見たのだろうか。オリは真っ先に自分の視覚、それから脳みそを疑った。
おかしくなってしまったのか?
それとも眠る前に齧っていた草がアウトだったのか?
オリはそこではっとして己の手を見た。気付かぬうちに握り締めた右拳が、やけに湿っている。あの全裸の痴女の顔面を、咄嗟に殴りつけた手だった。
オリはかくかくしかじか、皆にそのことを説明した。
「ほんとだって、顔面とらえたもん。ちゃんと抉るようにやったよ。むしろなんかめり込んでた気がする」
「わあっ。成長しましたね、オリ様!」
手を叩いてはしゃぐミオをよそに、トゥケロはまじまじと、人の顔面を強かに打ちつけたらしいオリの拳を確認した。そこにはまるで、水に手を突っこんだかのように水滴がついているが、それだけだ。それ以外の異常は見られない。
違和感に、彼はを首を傾げた。
「それにしては手が痛んでないようだが……」
「頑丈になりましたね、オリ様!」
「おお、私がムキムキマッチョオリに進化する日も近いね」
「ガリガリスカルオリ、あんたもしかして幻覚を見たんじゃない? いや、それにしては変ね。ほとんど寝てたような相手にわざわざ? これに素っ裸の女を見せてどうしろっていうの?」
「ほんとだよね。なんでこんな所に来てまで痴女に突撃されなきゃいけないんだろう。元の世界でも破廉恥体験とは縁が無かったのに。私そんなに悪いことしたかな? 前世の業? 日頃の行い?」
「あんたみたいな貧弱ガリガリ女が生き残れているだけマシだと思いなさい」
「これからも死ぬまで生き残らないとね。さて、あの変態をどうやって潰そうかな」
まずどうやって遭遇するかだけど。
なんてぼやけば、三人の目が一斉にオリを見つめたので、彼女はそっと肩を落とした。
オリは先ほどと同じように、一人地面に仰臥していた。ただ目を閉じて呼吸を深くし、ぐっすり眠りこんでいるフリをする。
最も手っ取り早い手段、囮である。
本当に来るかは知れないが、試してみないことには始まるまい。
恐らく離れた所でミオ、リューリン、トゥケロがオリのことを見張ってくれているはずであるが、どうにも安心できない。信じていないという訳ではないけれど、なんと言うかまな板にそっくり返って、包丁が振ってくるのを待ち構えている気分とでも言おうか。
オリはそっと神にでも祈ろうとして、そこで例の少年の顔がちらつくのにイラッとして眉間に皺を寄せた。
傍目から見ればまるで悪夢に苛まれているようで、影から見張るミオらはひそひそと、もしやウッカリ眠ってしまったのではないか?と相談し合った。おおよそ冗談であるが、本気混じりでもある。
オリは賢いのかもしれないが、いまいちしっかりしているとは言い難い娘だったからだ。さすがに粗忽とまでは言わないし頼りにもなるけれど、不安定で完全には信用しきれないところがある。そこは支えてやればいいのだろうが。
と、はらはら保護者気分の三人が見守っているところで、奥の繁みからその身を這わせるようにして近づいてくる、奇妙な生物があった。向こうの透けて見えるゼリーのような物体で、その体は軟体というよりも不定形だ。
それはオリの離れたところでぶるぶる小刻みに身を震わせると、徐々に彼らにもなんとなく見覚えのある姿に変化していった。恐らく人間の、女である。
ふるふると浮かび上がる、オリよりも大人びた、やけに奇麗に整った顔のパーツに、どこか角ばった印象のある肉体。魔法のように完成したその造りは生身というより、どこか継ぎ目のないだけの人形のようだった。
それはオリの方へ近寄っていくと、そのまま彼女の顔を覗きこんで――。
その細首を、縄のように伸びたオリの手が引っ掴んだ。
オリは悲鳴一つ上げることのできない謎の女を引きずり倒し、一発頬を叩いてから、威嚇のように握り拳をその眼に見せつけた。
「次は鼻を折るぞ、大人しくしろ!!」
オリは言いながら相手の顔を見て、(あれっ鼻ない)と目をぱちくりさせた。
彼女の顔はまるで熱に溶けるガラスのようにどろりとし、恐らく口であろう部位から「ヒイイやめでぐだざぁい」と情けなくも悲痛な叫びをあげている。
既にオリに近かった肌の色は透けてしまって、まるで遠く水面に映る影のようだ。
「ごめんなじゃああ、ごめんなじゃああ!」
オリを見張っていた三人も、相手の醜態から恐らく大丈夫だろうと判断し、それぞれその辺にあった木の枝や草なんかを抱えて現れた。
「なんか水が悲鳴あげて動いてるんだけど……、その葉っぱとか、どうするの?」
「とりあえず焚き火の用意をしてみた。いつでもそいつを焼き払えるぞ」
「ばああずみまずええん、勘弁してくだしゃああ、勘弁でっしゃああ」




