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監獄迷宮  作者: ばち公
とても大切なものは誰かの背後に伏せている
24/74

ご飯食いたいオリ

 オリがこの監獄迷宮に落とされてから早――幾日が経過しただろう?

 始めは大体の感覚で一日一日きちんと勘定していたオリだが、これまで幾度も繰り返されてきたごたごたのせいで、それもスッカリ忘れてしまっていた。

 おそらくこの世界に召喚されてから、二週間以上は経っている。

 黒虎を倒すまで五日とかかっていなかったと思う。それからトゥケロの故郷、森川草三つ巴パラダイスにたどり着くまで――おそらく五日? で、そこでのあのいざこざを解決するまでかかったのが更に、かなり微妙だが、一週間はかかったような気がする。


 そこから少し時は過ぎて、今また新しい階層に到着した。前と同じ、自然豊かな部屋である。


 つまり、オリがここに落とされてから、なんだかんだ結構な時間が経っていたことになる。

 この長期滞在するに関しては褒められる部分が何一つない糞みたいな環境にも慣れてきたわけだが、どうしても納得いかないことがいくつかあった。


 その最も大きな一つが、食事である。



 オリは死にそうな目つきで、手にぎゅっと握りしめた草を眺めた。

 草である。見紛うことなきただの草。

 萎れたようにくにゃりと曲がった、そのただの草が、オリの本日の食事である。


 とりあえずスルメでも噛むかのように、先端を奥歯で噛みしめながら、オリは自分の周りを見渡した。

 変な色をした生肉を千切っては、もちもち頬張っているミオ。瞑想するトゥケロ。花に顔を突っこんで、蜜を吸っていたのだろうが、今はそのだらしない体勢のまますっかり寝こけている妖精。

 楽しいお食事タイムの光景である。


 オリは溜め息を吐いた。ついでに草を背後に放り投げた。


「どうした?」

「なんか食事の落差がひどいなって」


 弁当も既にない。

 蜂蜜は消毒代わりに使ったり、妖精が盗み食いしたりで、結局すぐになくなった。


「それは、なんというか、本当にすまない」

「うう、ちくしょー。せめて草を食べるにしても味があれば……醤油があればいいのに」


 なんか穀物を発酵させればできる気がする。

 そう呟きながらオリがちぎって仲間たちによこしたのは、豆のような実がついている黄色っぽい草だった。完全に雑草である。

 トゥケロは完全に錯乱してしまったらしい彼女に、ひときわ落ち着いた声で冷静に語りかけた。今のオリにとっては完全に精神を逆なでするだけのものだったが、それでも彼なりの優しさだった。


「結果はみえている。明らかに腐って終わりだ」

「うるせえっ! 古代にできて現代にできないわけがないんだ!! 醸造技術がなんぼのもんじゃーい!」

「腹を下して死にたいのか! 脱水は恐ろしいんだぞ!」

「うるせえこのトカゲが! てめぇの血は何色ひでぶ」


 問答するのも無駄だと悟り、結局トゥケロがオリの顔面に拳をぶつけることで決着がついた。

 剣はペンには負けるかもしれないが、馬鹿には滅法強いのだ。


 殴られたオリは地面に蹲りおいおい泣いた。気分がドン底どころか地面をめりこんでマントルまで沈んでいってしまうくらい急直下で落ち込んでいく。この世界にマントルがあるのかは不明だが。


「インターネットがほしい……サバイバルをネット検索したい……。ううっもう草と木の皮やだよー渋いよおお。ベロがびりびりする。ゴボウが食べたい。色が似てるからーせめてゴボウが食べたい。煮つけてよーゴボウ煮つけてよー」


 子どものようにおいおい泣くオリの肩を、ミオがそっと叩いた。


「オリ様、私の生肉でよかったらどうぞ……」

「ヤメロッ。お前みたいな胃が鉄でできたトンチキと一緒にするな! オリは頭はあれでも人間なんだぞ!」

「私は肉食なだけで、胃袋は普通です!」

「嘘だろ、その肉腐りかけてるぞ」

「味わい深さがポイントですね」

「こっち向けるなクサイ」


 さっきから忙しないトゥケロをよそに、オリは仲間の温かさに泣いていた。差し出されたものに手を伸ばすことはありえないが。

 ありがたくはないものの、心嬉しい優しさに責められて、胸と、ついでに空っぽの胃袋がぐさぐさ痛んだ。


「うっううっ。ごめんねみんなー我が儘言ってごめんね、本当にごめんなさい。私、ほんと、ごめんねーっ」

「いいのよオリ。あんた最近なんか……よく分からん植物のカスと、ちょっとの水だけで生きてるもんね。へこむ気持ちも分かるわ。私だったら絶対! そんなのイヤだもの!!」


 妖精は人差し指をつきだした。思っていることをそのまま言っただけで、全く悪気はないのだろう。だからトゥケロは何も言わず、その羽虫を叩き払っておいた。


「少し休むか。な? 俺もそろそろ村に戻らなければならないし、今日の見張りは任せておいてくれ。何も気にせず、ゆっくり休め」

「うう、優しいこと言うね、トゥケロ。うっかりスープ食わせてきたことは、こいつでちゃらにしてやるよ」


 オリが苦行に身をやつす僧侶のような生活をしている、一番大きな原因がこれだった。




 トゥケロが腕を振るってオリのために夕食をこしらえたのは、完全なる善意からだった。その点は、もちろんオリも理解している。

 トゥケロはオリや仲間たちが、普段ろくな物を食べていないのを見て心を痛めたようだった。


 日々の食事として、オリはリューリンに聞き、できるかぎり害が無く清潔であるらしい草を洗って、半泣きで噛んでいた。ミオは肉を獲ってきたが、それを調理するための火はなかった。さすがに生食なんて論外であった。

 とりあえず草と水と、花の蜜なんかを舐めて毎日しのいでいた。

(たまに彼の少年が気を向いたときにやって来ては、雑談がてらよく分からない――それでもかなり立派と言えるだろう――食べ物らしい食べ物をくれるときもあった。しかしそれも、本当に稀なことであった)


 トゥケロはオリやミオ、それからリューリンのために、丹精こめて、手料理をふるまってやろうと思いついた。以前オリがミオの手作り料理(強いショッキングピンク)を拒否していたのを見て、思うところがあったのも理由の一つであった。


 腐ってもドラゴンであるトゥケロには、火を呼ぶことも造作なかったので。村を救ってくれた感謝の気持ちを込め、採取から完成までたっぷりと時間をかけて、ぐつぐつことこと料理をつくった。故郷から持ってきた材料も使って、彼がきちんと作れる、唯一の料理だった。


 オリは、そんなトゥケロの想いを理解していたので、(いろんな意味で)そわそわしながらも、特に文句を言うことなく料理の完成を待っていた。

 ただ、待ちながらも、迷いはしていた。


 逃げるべきか、逃げぬべきか。


 いままで彼と過ごしてきた様々な出来事が脳裏をよぎって、そして忙しなく走り去っていった。オリは焦っていた。腰を浮かせたり、体を揺らしてみたり、それは傍から見ればリズムを取っているようにも見えただろう。彼女の額に流れる冷や汗にさえ気付かなければ、の話である。


 それでまあ、オリは結局逃げ出せなかった。背中をじりじり火で炙られているかのような気持ちだった。じっと待ちながら、家で自分のことを待っているだろう母親のことを思いだし、彼女の手料理の味を思いだし、心のなかでちょびっと泣いた。


 出されたスープは、存外おいしそうに見えた。

 見たことのあるような野菜、見たことのないような野菜。それぞれが汁からひょっこり半身浮かせて、風呂にでも浸かっているかのようだ。匂いもほぼ無く、どことなく酸っぱいような風にも感じられるが、そこまで異常があるようにも見えない。

 色合いもシンプルで、香ばしく煮えたコンソメスープを彷彿とさせる。それだけで好感触だった。


 器にそそがれ寄越されたそれを、オリはじぃっと凝視した。ほこほこと湯気がたっていて、オリの鼻先や頬が湿気でぺったり濡れる。料理にしては無臭なのがちょっぴり怖いが、まあ刺激臭がするよりマシか……。


 目線をあげると、トゥケロがこっちを見ていた。

 トゥケロは、本当に珍しいことだが、なんとほほ笑んでいた。冗談で笑うことはあっても、無意味に愛想を振りまくような男では決してない。なのに彼は今、満足げにほほ笑んでいた。


 ミオも、かぶりついた生肉から血を滴らせながら、にこにこしていた。朗らかなホラーである。リューリンはそこらにあった花びらをかじりながら、オリたちの様子を興味深げに見つめていた。


「食べてみてくれ」


 そして、トゥケロはもう一度口をひらいた。


「まずくはないはずだ」

「毒とかはいってないよね」

「……」


 さすがに気分を害したようだったが、オリもここだけは引けなかった。こんなものでうっかり死亡だなんて、最高に間抜けな終わりだけは避けたかった。

 あの少年に何を言われるか分かったもんじゃない。


「毒のようなものは、はいっていないはずだ」


 オリはリューリンを見た。彼女も頷いた。


「まあたぶん大丈夫よ。なんか色々いれてたけど、毒っぽいものはいれてなかったみたいだし」


 適当だった。


 オリはもう一度スープをみた。器越しに伝わるあたたかさに、飢えに締めつけられた心がほぐれていくのを感じた。

 とりあえず一口だけ、ちょっとだけ飲んでみよう。すする程度でいい。さすがにそれで死ぬほどの毒もないだろう。ちびちび食べていけばいい。

 オリは意を決して、匙にあさーく、スープを掬った。そして、その量より多いだろう唾をごくんと飲みこんで、一口、そのスープを口へ運んだ。そして、そっと咽喉へ流し込んだ。


 トゥケロはそんなオリを見て、顔を綻ばせた。


「秘伝のドラゴンスープ。幼竜も一瞬で育つほど栄養がたっぷりだ」


「えぶぼっ」


 オリはコントのようにぶっ倒れ、挙句口からぶくぶくと白い泡をふきはじめた。

 人類であるオリの許容量(キャパシティ)を超過していたらしい。栄養の過剰摂取にもほどがある。


 その後、半ば無理矢理吐き出させて、皆のあらゆる知識を駆使して対処し、なんとか一命はとりとめたものの、オリはしばらく口から魂が飛びだしてしまったかのように動くことができなかった。まさに魂消たとはこのことである。

 頭も手足も内蔵も、ともすれば脳まで、ありとあらゆる器官が痺れるようにビリビリと痛んだ。後遺症が残らなかったことだけは幸いだったが、その結果、オリはあまり得体の知れないものを口にしなくなった。

 というより、口にいれるとついえずいてしまうようになった。


「すまん、悪気はなかったんだ」

「うん。知ってたのに、ごめん」


 しょんぼりしたトゥケロに、オリも肩を落とす。


 復活したオリは、まず問答無用でトゥケロに殴りかかった。しかしすでにミオが彼を殴っていたので、そんな顔は殴り辛くてすぐに止めた。

 次に、むしろこの三人がグルになって自分を暗殺しようとしたのではないかと疑心暗鬼になり、しばらく居眠りもろくにしなかった。

 ミオのあまり思いだしたくもない決死の説得と、トゥケロの理路整然とした説得と、ついでにリューリンの投げやりな説得によりやっと落ち着いて、そして今に至る。


「でもずっと思ってたけど、徐々に胃袋が縮んできてる気がする。あんまり空腹を感じなくなってきた」

「私は妖精だから、食べなくても別に平気だからあれだけど、人間ってご飯で体つくってんでしょ? それでいいの?」

「よく分からんが、まあ、今は幸いだな。ゆっくり寝れるだろ」

「そうだね。んじゃ、よろしくトゥケロ」


 いいこと嫌なこと変なこと――トゥケロとの間には、出会ってから最後の最後まで本当に、本当に色々あったが、この関係も明日でおしまいだ。

 それ以上もそれ以下もなく、思い残しがあろうとなかろうと明日で終了。

 ちゃんときれいにお別れしなければ、とオリはぐっと心の中で気合いをいれた。

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