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森の長の、まるで巌のような健脚に踏み潰されて、ヘレンという緑の少女は砕け散った。
砕けた、というのは比喩ではない。文字通り、まるで陶磁器が地に叩きつけられたような澄んだ音ともに、その全身は粉々に砕け散ったのである。
周りに虚しく上がるかすかな火柱が、彼女の最後の抵抗だった。
あれほど滑らかな稼働をしておいて、人形か無生物だったとでもいうのか。
訝しんだオリがそちらに気を取られた瞬間、足元で惨めに転がっていたメイヤが動いた。
掻き消える体、素早く勘付いて跳んだのは草の長で、その肉食獣の爪をふりかぶり、メイヤの頭部を狙った。
透けてしまった相手だが確かな手ごたえがあり、その強靭な腕力は対象の左耳を掠めただけでそれを引きちぎるほどだった。
しかしメイヤからは悲鳴の一つも上がらない。草の長はそのまま無闇に追撃をかけるが当たらず、ミオなんかはその嗅覚を活かそうとしたが、ヘレンが最後に出した炎の煙に巻かれて無駄であった。
逃げられた。
追おうにも宛てはない。まあとりあえず、一人やっただけでも御の字だろうと、皆互いを労った。
「てゆーかあれだけで済むなら、犬女の幻なんて作る必要なかったんじゃない? おかげで私いま体ぺらっぺらなんだけど! 紙!」
「だって、なんか思ったより弱かったっていうか。単純な不意打ちがあんなに利くとは思わなかったっていうかー。……リューリンそれ中身どうなってんの? 圧縮?」
「ま、そんなもんね」
オリにはさっぱりだが、妖精はどことなく自慢げである。しかし頑張り過ぎてぺたんこって……歯磨き粉のチューブを、必死で絞ったような感じだろうか?
オリは不気味に薄っぺらいリューリンを肩に乗せ、武器を回収すると、そのまま粉砕されたヘレンについて検分することにした。
そこに転がっているのは、磁器かそれに近いもので製造されたただの人形、その無残ななれの果てであった。
あれほど生々しかった彼女の中身は当たり前のように空洞で、その断片からは白地のぱさついた内部が露わになっている。
一方で、今や踏み砕かれぺちゃんこの矮躯を覆うドレスや帽子は、どうやら布できちんと縫製された一品であるらしい。この手の込みよう、それこそマニア垂涎の物であったのだろう。……既に見る影もないが。
しかし舌も滑らかに言葉を操り、瞬きすらしていたような気がしたが、もしかしたらオリの勘違いだったのだろうか。いや、そんなはずもないが。
胡乱な事を考えながらふとオリが足元を見れば、吹きガラスのリアルな目玉が落ちていた。
澄んだ深いグリーンに、思わず彼女が身を強ばらせた瞬間、それは寄ってきた森の長に踏みつぶされた。
「完全に死んでいるな。一応、踏みにじって粉々にしておくか――お、その帽子についている緑の石ころは宝石じゃないか?」
前額部を飾る、細かなカットの加えられた大ぶりのエメラルド。髪飾りのようだが、帽子に無理矢理固定していたらしい。
オリはそれを外して長に渡した。
それからじゃりじゃりと躙るような音から背を向けると、そっちはそっちで草の長がメイヤの耳を砂に還そうとしていた。
しかし直前、彼は足を止めた。
「ああ、これだけは価値がありそうだな」
そして耳たぶからルビーのピアスを無造作に引きちぎると、その拍子に付いたざらつく粉末を適当に吹き払い、オリに投げてよこした。
「ちょっとばかし汚れているが、洗えば落ちるぜ。持ってきな」
「じゃあこの緑色も持って行くがいい。礼といってはなんだがな」
「(いらない。汚れてなくてもいらない)……ありがとうございます」
俺たち頑張ったな、と言わんばかりの爽やかな笑み。
これは断れる雰囲気ではない。
オリは静かに礼を告げ、それをスカートのポケットに突っこんでおいた。
気付けば手が白い粉でざらついていて、まるで遺灰か骨灰だと思いながらそれを払った。
「ミオ、この宝石いる?」
「あー、遠慮します。妖精なら貰うんじゃないですか?」
「どうやって持ち運べってのよ」
一休みしながら、さてどうやって残りの奴らを追いかけるかということを話し始めたところで、
「オリ! 長! 無事ですか」
と、煤けたトゥケロが飛びこんできた。
「トゥケロ。お前も無事で何よりだ。……焦げてるが。相手はどうだったんだ」
「それがその、あいつら三人、全員ここから引きあげていきました」
「は?」
嘘だろ。
全員の注目を一身に浴び、自分も信じられないのだが、と前置きして、トゥケロはかくかくしかじか語りだした。
トゥケロが対峙したのはフライヤという、黄色い衣装の少女であったという。彼女は炎を操り、トゥケロとその他数人を相手に奮戦した。
森を焼き草を払い、彼らに出て行けと罵って、まるで我こそが正義、というような面だったという。
彼らは良く戦ったが、互いに決着はつかなかった。トゥケロは炎に強いが、フライヤは余程目がいいのかこちら側からの攻撃を全てよけきっていた。
決定打に欠け、場が膠着し始めたころ、上空からルニャと、それから左耳の欠けたメイヤが降りてきた。
ちなみにここでフライヤが二人の名を呼んだことで、トゥケロはやっと敵の名前を知ったのだった。
増援か、と身を固める一方で、三人は何やら言い争いをしだした。
まさかこの状況で、とトゥケロは目を剥くが、しかし喧嘩は止まらない。
そろって同じ声で姦しい、と忌々しく思いかけるが、どうやら彼女らはこのエリアから出て行く、というようなことを話しあっているようだった。
……不意打ちをついてもいいが、この話は聞く価値があるだろう。
トゥケロらの存在すら見えないようで、ぎゃんぎゃん喚くように話している子どもたち。どこか恐れているようにも、怯えているようにも見えた。
ふと、ルニャがフライヤの額に、己の額を打ちつけた。
「はやく出ましょう」
その様子こそ平静だが、言葉尻は震えていた。
トゥケロらはもういいか、と思い攻撃を再開したが、三人は揃って肩を落とし、そのまま彼らの前から消え去った。
「そいつらは具体的には何の話を?」
「それがまた曖昧で。ルニャがここから出て行くとひたすら訴えて、メイヤがヘレンの仇がどうとか諦めるのか、なんて言って、フライヤはしかたないと叫んだり黙ったりでしたね。――ちなみに、本当に出て行ったらしいのは確認済みです。下階の方へ向かったらしいですね、網が破られたとの情報が見張りから……まあ、詳細までは不明ですが」
「ふむ」
よく分からないが、一応済んだということだろうか。しかし何故。一体どれほどの理由があって、彼女らは去っていったのだろう。
念願らしいこの地を捨てねばならない、かつ、よっぽどの火急の用。
怯え、魂の一部と言えるだろう姉妹の敵討ちすら捨て、そそくさと逃げ去っていった。
「なんで? なんかこの辺に化け物でもいるの?」
「まさか」
微笑み答えたトゥケロの肌はぱりぱりと焦げ付いて、激闘が目に浮かぶようである。オリは眉根を寄せた。
「トゥケロ、痛くないの?」
「ああ。ほら、見てみろ。払ったら一瞬だ。ぱぱってな」
「おーすごーい」
焦げ付きが煤のように払われ、元通りの表皮があらわれた。傍目にはつるりとしているが、触れてみるとざらざらして、硬質で微細の鱗に覆われていることが分かる。
森の長が右腕の、まるで子守のような様に失笑した。
「はしゃぐのもいいが、もう一働きあるぞ。周囲の鎮圧、それから疑わしい者の炙り出し……」
「ああ、そうですね。皆が血気逸っているうちに、荒事をまとめて済ませてしまいましょう。オリ、お前らも来るか? 面白いものが見れるぞ。……俺は遠慮したいが」
ミオはどちらでも、と答え、リューリンはオリの肩で洗濯物のようにうつ伏せて返事もしなかった。
オリはリューリンをポケットに移してやってから、どこかそわそわと落ち着かないトゥケロに頷いた。
彼はなぜか安堵したように、そうかと呟いていた。
彼らがぞろぞろ向かったのは、例のチナという花嫁が座する小屋の方向であった。
砂にまみれて、どこかくたびれた様子のプリェロが、目をぱちくりさせながら全員を出迎えた。
「皆さま、お帰りなさいませ。あの、お姉さんに何の御用ですか?」
「そうだ。ああ、花婿殿はおられるか?」
「お兄さん、ですか? あれ。そういえば、今日は見かけていません……ごめんなさい」
「……そうか、気にするな。プリェロ、ご苦労だったな。一段落ついたのだ、もう中へ戻ってもいいぞ」
「いえ! 動けない姉さんは私が護ってみせます!」
その小さな手には、恐らく戦うために用意したのだろう木の棒が握られていたが、半分のところでぽっきり折れて先端はまるで炭のように朽ちていた。
ちらっと妖精がオリのポケットから顔をだし、また引っ込んだ。
「戦力外よ、ざっこねぇ」
「妖精ってそんなときでも悪態つけるんですね……」
かすかな声を聞きつけた耳の良いミオが、ここまできたらいっそ感嘆するように呟いた。
己がどれだけ瀕死でもぺらぺらでも危篤でも、隙あらば息をするように相手を貶す、それがリューリンの妖精道だ。
「尊敬するよ。見習おうかな」
嫌味なくオリが笑うので、ミオはこれこそ止めるべきか、主の成長とみて好きにさせるべきか、と内心葛藤した。
「チナ、いるか!」
小屋の戸を叩き、トゥケロが声を張りあげた。中には決して足を踏みいれてはいけない、といっていたが、あれなら大丈夫なのだろうか。僅差だと思うのだが。
しかし中の花嫁、チナは朗らかな声でそんなこと気にしていないようだった。
「ああトゥケロ。久しぶりだね、何の用だい?」
「お前に、重要な話があるんだ。長もいる。今ここで、話しておきたい」
何を、とチナが言いかけたところで、忙しない駆け足とともに例の、リューリンにつまみ食いされてばかりの料理番が現れた。
その肩には配達と言わんばかりに布袋を抱えていて、「つれてきました!」と言うと同時に、その荷物を地面に手荒く転がした。
いてえ、と中からくぐもった声が聞こえる。
「ご苦労だったな、お」
「お前っ!! タンネに何をしたぁ!?」
チナはその一瞬で声を聞きわけ、その主を察したらしい。これぞ愛か、とオリは苦々しく思う。
一人状況のつかめていないプリェロは哀れっぽくおろおろとしていて、ミオがその傍へと寄って行ってやっていた。
なんとなく想像はついていたが、荒事を収めるにしても無理矢理過ぎやしないだろうか。
オリが恐る恐るトゥケロを窺えば、彼は何故か岩のように硬直していた。
人間であれば汗をふきだしているだろう、重たいものを背負わされたような、やけにしんどそうな顔をしている。
それから解放されたがって今にも逃げ出しそう、と思ったのはオリだけではないらしい。森の長が、鋭く彼の名を呼んだ。
「トゥケロ」
「アッハイ……。あのな、チナ。えーと」
「ああ!?」
「前にもなんかうすぼんやり話したと思うが、こいつは裏切り者のスパイ野郎だったんだ、殺すべき奴なんだ、だから俺も誰も悪くない」
「そんなわけがないだろうがっ!! 殺すぞ!!」
「スマン」
トゥケロは下がった。なんの躊躇もなく下がって、そしてオリの背後に回った。オリはまじまじと彼の一挙一動を眺めていたのだが、たったの一度も視線が合わなかった。
なんとも言い難い、ただただ鉛のように重苦しい沈黙が辺りに漂った。
トゥケロは友人の罵声に大人しく引っ込み、プリェロなんて敬愛するチナの剣幕に半泣きだ。地面に転がった荷袋はまるで芋虫のようにもがき、時折料理番に蹴飛ばされては元の位置に戻されていた。
ただただチナの座する小屋から、周囲を押しつぶす程の圧がひしひしと発せられている。
ごほん。
とうとう長が、咳払いをした。
「チナ。聞いてくれ、それは事実なんだ。お前は聞き耳をもたなかったが。近頃の異変の元凶が去った後で、この男は、この階層から逃げ出そうとしていた。そこを捕まえたんだ……チナ、分かるだろう。お前は……私たちは皆、この男に騙されていたのだ」
「本当なのかぁおい!?」
「ち、違う、違うんだチナ。聞いてくれ! こいつらはグルだ、グルになって余所者の俺を殺そうとしているんだ、分かるだろ? なんだって俺が、君たちを騙さないといけないんだ!」
「花の、場所……」
「あ?」
ぽつりと呟いたのはプリェロだった。涙目で、それでもしっかり立って、未だ転がるばかりの袋を見つめている。
「白いお花のたくさん咲いてる場所――お姉さんの花束にって、捜してたとき、その場所を教えてくれたのは、このお兄さんでした!」
「うっ……嘘だ! 嘘! 出鱈目ほざきやがってこの餓鬼、畜生!! チナ、信じてくれ、俺は」
「お姉さんの好きな人だから黙ってたけど! 本当は、変だって思ってた! だって行った途端変な人に攻撃されて、だから!」
「く、くそがあああああ!!」
途端革袋がさなぎのように引き裂かれ、中からタンネが飛び出てきた。拵えた泥人形のような、その腕が欠けてそこからはぬらりと濡れたように光る刃先が飛び出ている。
「インチキチビが! くたばウゴェ!?」
ミオが躊躇なく身を詰め、抉り抜くようなパンチで泥人形の腹を撃った。途端、その衝撃で背中からきらりと輝く物が転がり落ちる。
どれもこれも金目のもの、小ぶりであるが確かに宝石や金、銀だった。淡灰色の泥にまみれて、硬貨らしき物も散らばる。
オリはふと思い出して、ヘレンのエメラルドをポケットからから取り出す。
わざとらしく掌の上で眇めていると、腹を抱えて蹲っていた泥人形が、ゲッと声を上げた。
「なんでテメェがそれを持ってやがる! それは俺のモン、俺のになるはずなんだ! 返せ、返しやがれよ!!」
「黙ってなさい泥んこボール! あんたにゃその辺の石ころがお似合いよ! 這いつくばって拾ってなさい! オエエ」
「リューリン休んでなよ……。なるほど、これを報酬にだされて、『森』に侵入してきたんだね」
「それを今すぐ寄越せ、さもないと、」
「あ、後ろ、色々落ちてるけどいいの?」
オリに指さされタンネははっとすると、己の背後に散っていた物を両手でかき集めた。片手が刃物なのでうまくいかずぽろぽろ落ちる、それでも彼は懸命に集め、一つずつ一つずつ、己の腹に沈みこませている。
哀れな光景だが、微塵も感情が動かされないのは何故だろう。
全員が黙りこみ、揃ってそれを見下ろすなか、
「あ、」
とか細い声がまるで幻のように響いた。
「あああああ」
身の毛のよだつほどの感情の波に震える声。しかしオリは背後のトゥケロにガッと肩を掴まれたことに驚き、それどころではなかった。
タンネの近くにいた料理番が駆け足で森の中に消え、異変に気付いたタンネもすぐさま立ち上がって足に力を込め逃げ出そうとした、その時。
「あああああああああ!!!」
屋根がたやすく弾けたかと思えば、それは怒涛の勢いでまるで激流のように立ちのぼった。ずるりと白い鎌首が持ち上がる。
滝、いや、奇術のように膨れ上がる白肌の大蛇――とオリが認識できたのは、それがぐるりと身を捻った瞬間で。
流星のように光る金目が大地に迫ってきたかと思えば、それはタンネを頭から丸のみにした。いや、よく見れば足首だけ取り残されていたので喰いちぎったのだろうが。
オリがその一部始終を目撃する間、トゥケロは逃げ腰の己を叱咤するように、彼女の両肩を鷲掴みにしたまま、彫像のごとく固まっていた。
盾にされているようなオリ自身も、ほっそり美人の花嫁の正体に吃驚仰天していたが、それ以上のトゥケロの動揺にどこか冷静になってしまって、やっぱりこいつドラゴンじゃなくて蛙なんじゃないか? と思い直していた。
三すくみ、あるいは三つ巴。蛙は、蛇に弱いのだ。
皆がその光景にそれぞれ思い思いのリアクションをしているなか、オリが上を仰いでトゥケロの様子を窺うと、彼はそっと目を逸らした。
「……チナは恐ろしいんだ」
「同意しとくよ」
「スマン」
「えーっと、オリ様。これで今度こそ、一段落、ですかね?」
手についた泥をぺっぺと払いながら、ミオが首を傾げる。
プリェロが小走りで未だ吼えるチナに向かっていくのを視界の隅にいれて、オリは「たぶんね」と溜息を吐いた。




