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オリたちが無策に飛び出していったところ、メイヤとヘレンというらしい子ども達は首を傾げて無言であった。
しかしいきなり逃げ出すなんてことはなく、どうやら勝負には乗ってくれるらしい。彼女らの身を取り巻く火炎がぱちぱちと、どこか暖炉を想起させる温かみのある火花を散らす。
「よっしゃ今こそ――」
そしてオリが取りだしたのは笛だ。去り際、トゥケロから渡されたものである。ようやくこれが役に立つ時がきたのだ。
まるで玩具に胸弾ませる子どものように、手の平ほどの大きさもない単純な構造のそれを、オリは意気揚々とくわえ、そして一気に空気を吹き込んだ。
が。
(……鳴らない)
意味がないと知りつつ笛を振ってみてから、もう一度息を吹きこんでみた。やはり虚しくも無音。空気が通りぬけていく感覚はあるのだが、それでも音はしない。
「……」
とりあえずもう一度。二度。三度。
もしや壊れたか、不良品でもつかまされたか、と半ば自棄になりながら、これが最後と言わんばかりにオリは深く息を吸い、そして強く吹きこんだ。
「うるさいわ!!」
「ひ!?」
飛びだしてきた巨体にいきなり怒鳴りつけられ、オリの口から悲鳴とともに、ぽろっと笛がこぼれ落ちた。慌てて手の平で受け取る。
この階層でも数度とお目にかかれないだろう巨体を、さすがに見間違うはずもない。『森』の長である。磨いた鋼のような毛並みが、ガタイに反した素早い動きにたなびいている。
否、彼一人、ではない。二人だ。
「我が拳法の神髄を見よ!!」
ライオン――でなく、『草』の長だ。謎の構えとともに現れたが、結局型なんて知るかとばかりに敵向けて突進していく。
それを呆然と見送るオリは、突如ハッと後ろを振り返った。が、これ以上何かが現れる気配はなかった。
オリがトゥケロから渡されたこの笛、彼は救援が来るとしか説明しなかったが、これは『長召集のホイッスル』で、呼べば鋭く鳴り響き、彼らを呼び出すことができる。
オリには何も聞こえなかったが、この長二人には確かに笛の音が聞こえていたらしい。
あくまで三分の二には、であるが。
「……『川』のアンテナは?」
「そう言えばおらんな。おい、あの肴は!」
「来ねぇよ! だいたい、あれに陸戦を期待する方が無理だろ。元々頭脳派だしな」
サカナとはなんだと思ったが、魚ではなく肴――電波イカことアンテナのことを指していたらしい。酷い言い草である。
一挙に五人に取り囲まれて、それでも黒幕二人はきょとんとした顔を崩さない。
わざとらしく小首を傾げ、その顔を見合わせて、
「ねえヘレン、これってもしかして、多勢に無勢って感じかしら?」
こちらの耳にはいる程度の声量で、ゆったりと相談をはじめた。
「もしかしなくても、そうみたいね。だけど、これって超チャンスよね」
「ね。これだけ――おまけも多いけど、重要人物が揃ったんだもの。超チャンスよね」
すべらかな手と手を握り合い、にこり、歯を見せず口角を上げるだけの、上品な笑顔。
「「蒸発させてあげる!!」」
ぶわりと少女ら二人を軸に空気が膨らみ、燃える、と周りが意識した一瞬。しかし炎はオリ達を襲わなかった。代わりに全員の不意をつき、地面がぐらりと盛り上がる。
こけて顔面を打ったオリ以外は見事回避したが、その飛んだ足を射るように木の枝が矢のように襲いかかった。しかしそれに構えれば、当たる直前、破裂するようにして一斉に燃え上がった。
「あっつ!」
「毛が燃える! 毛が燃える!!」
長毛な『草』『森』の長両名は、ばっさばっさとそれをはたいて火の粉を払い落しにかかっていた。いやもう、初っ端から完全に手玉に取られている。
引きつった顔で、オリはあの不敵な子ども二名がどんな顔をしているのか拝んでやろうと振り返って、
「い、ない?」
「は? 消えた!? オリ様消えました!」
「嗅げ!!」
「はい! ……すいません煙臭くて分かりません!」
咄嗟に叫んだが期待はしていなかった。ミオの五感は鋭いが、さすがに犬並みの嗅覚があるわけではないからだ。
オリは目線を素早く走らせるが、木陰などにもあの派手な色は混じっていない。
「逃げられた!?」
「「いないいない・ばあっ!」」
繋がれた手が、まっすぐこちらに向けて伸びていて。
オリがぱっと認識できたのはそれだけだ。あとは突如現れた猛る火球を、悲鳴をあげながら避けることしかできなかった。身をよじらせ変な体勢のまま再び地面に引っくり返る。
子ども二人はそんな無様なオリを笑っている。完全に嘲笑っている。
「大丈夫か?」
「……一応」
情けなさ過ぎて、このまま眠って現実から逃げ出したかった。
オリは溜息とともにそんな感情を吐き捨て、起き上がった。身体に異常はなし、間に合わないと思ったが、火はぎりぎりかすりもしなかったらしい。
オリの傍に来た、ちょっぴり毛の端が焦げて変な臭いを漂わせている『森』の長は、なんだかその巨体が滲んで見える。
これはリューリンの能力だ。他者の視界から姿が靄かかって見えるように、対象に幻覚をかける。攻撃を当たり辛くする、もしくは相手の攻撃を紙一重で避け、カウンターを返す際に重宝する。今回のような遠距離からのヒットアンドアウェイタイプの敵には効果覿面である。
「うおっ!? おい犬、ちゃんと周り見ろよ!」
「見てますよ! 目が開いてるのが見えないんですか!?」
ミオみたいな猪突猛進なタイプにもよく効くのが、ちょっとばかし問題ではあるが。
「なにやってんだあいつら。お、鼻血がでてるぞ」
「はぁ……ホントだ。あーあ。そろそろ行きます?」
「毛が焼かれたら敵わん」
「あ、そっすか……」
確かにぼさついた『草』の長のタテガミと違い、丹念に櫛で梳かれているらしいその長毛は流れるように美しい。こんなところでは再認識したくない事実だった。
説得しようにも言葉が出ず、オリはただ黙って額を撫でる。さっき地面にぶつけたからであるが、血などは出ていないようだった。鼻も額も痛みはあまりない。
「倒せそうにないな。なにか思いつかないか、人間」
「考え中です。それよりティッシュ持ってません? タオルとか」
「あるわけないだろ。うーむ、その着ている布で拭いたらどうだ?」
「やだなー。私も服汚したくないんですよね。一張羅というか、文字通り掛け替えのないものというか、オンリーワン……、ん? オンリーワン、なぁ」
「おっ、なにか思いついたか、」
と言いかけたところで『草』の長が突っこんできて、『森』の長の首根っこを引っ掴んで戦場に掻っ攫っていった。
罵り合いが聞こえるがオリは無視した。
そして鼻を片方の手でつまんだまま、その辺で手頃な石を拾いあげると、ミオと対峙していた赤の娘目がけて力任せにブン投げた。
――石が届く手前のところで、娘が消える。
しばらくの間があり、緑の娘のすぐ近くの木陰から、赤の娘は現れた。
「メイヤ!」
緑の娘が心配したように飛び寄り、二人仲良く手を繋ぐ。今度は二人の姿が消える。
「……ん?」
今のところをもう一度観たい。リプレイお願いします。
のん気にそんなことを考えたところで、当然今度は矛先がオリに向けられた。
死角から現れられてしまえば、こちらが咄嗟にできることなんて全力の回避くらいである。
飛びこんできてくれたミオや『森』の長がエスパー二人を攪乱し、そして遅れて来た『草』の長に抱えられてオリはその場から退避させられた。
介護される老人の気分である。
リューリンは小さい上に、自分自身にとっておきの幻影の魔法をかけているため正直目視できないのだが、オリが『草』の長に抱えられた瞬間に、かけられていた魔法が強化されたので、恐らく近くにはいるのだろう。
「どうした雑魚助、石なんて投げて」
「ざこすけ!?」
オリは『草』の長のとんだ暴言にびっくりしたが、(いや仕方ないか実際雑魚だもんな)と思い直してすぐさま冷静になることができた。
氷が溶けたばかりの水のような冷たい現実は、涙でちょっとしょっぱかった。
「……石はちょっとした確認というか、敵の能力を試しているというか」
「なんか思いついたのか、おい、できることあるか?」
「手伝ってくれるんですか?」
「当たり前だろ。――ああ、あいつと一緒にすんな。いいか、覚えとけよ雑魚助。大切なのは外見じゃねぇ。外内両方の筋肉、そして心だ」
(筋肉か……)
途中までいいこと言っていた雰囲気だったというのにもったいない。
まあこんな世界だ、信じられるのは己の身一つだというのも分かるが。
オリは手持無沙汰に眉間の辺りを掻いて、草の長の発言には特に言及することなく、自らの思い付きをかくかくしかじか語るのだった。
「散開!!」
草の長が叫ぶとともに、今まで入り乱れて争っていた奴らが一斉にその身を草陰に隠した。
その一方で、よっこいせとばかりに二人の眼前にその身を晒したのはオリである。
他の輩と比べ一際脆弱な見かけ、その通りたいしたものではない運動神経。
メイヤとヘレンはそっくり揃って眉を顰め、訝しげにその雑魚たる娘を宙から見下げる。
「何か用なの?」
「ふふふ、お前たちの瞬間移動の謎は見破っ、あつっ!?」
……小手調べとばかりに放った火炎は、ひょいと避けられた。当てるつもりでもあったのが軽く避けられたので、思ったよりも反射神経はいいのかもしれない。
しかし、わずか掠ったに過ぎないくせに「熱い」だなんて情けない悲鳴、どうやら精神の方も軟弱らしい。
嬲ったら面白いかしら? ぺろりと内心舌なめずりして、少女二人はそっと猫のように擦り寄り、互いの手を握った。
「謎ってなあに? お姉さん?」
「瞬間移動の謎ってなあに?」
「ちがう、瞬間移動じゃない。遅い。全然瞬間じゃない」
「あは、退屈な言葉遊びでもしてるつもり? いい歳してさあ」
「ずっと手を繋いでる」
少女らの顔にほの浮かんでいた笑みが消えた。
そうしていると華美な装具やガラスのような目玉がより印象的で、本当に丸ごと人形のようになってしまうから、少女ら自身あまり好んでいなかった。
オリとかいう雑魚は、己を奮い立たせるようににっと口角を上げた。意地の悪い顔に、どこか慣れていない様子だった。
「――ずっと手を繋いでるね。タイミングよく、鬱陶しいくらい。二人揃ってそういう癖なのかなぁ? お姉さんどきどきしちゃう。でも、違うよね?」
「何が言いたいのよ、チビガキ」
「(えっ、私ガキ?)……お手手繋いで、消えてるんだよね。ただ、消えるだけ。透明になるだけ。それで素早く移動して、影から飛び出して、瞬間移動ですって。ね、違う?」
二人は黙ったままである。
四人は念力や発火能力などを含む共通の超能力と、それに加えて独自の特殊能力を持っていた。
例えばメイヤの透視・透明化、ヘレンの肉体強化である。
そして手を繋げば、そのばらばらの能力も互いに共有することができたのだ。
メイヤとヘレンの能力を合わせれば、簡易の瞬間移動を偽装することができた。化けの皮が剥がれてしまえばあんまりにも陳腐だが、トリックの仕掛けとしては上出来だろう。実際シンプル過ぎるが故に、ボロさえ出ない状況であればなかなか見破られない。
まあ、今回はその能力を無駄に運用し過ぎたせいで、こうしてこんな人間にバレてしまったわけだが。
沈黙を肯定ととったのだろう、オリは悠々と持論を捲し立て続けた。
「透明になりながら攻撃はできないのかな? そうだとしても便利な能力だよね、羨ましいなぁ。透明がどこまでかは分からないけど、完全に透けてなくなるのか、それとも見えなくなるだけなのか。どっちかな。私の予想では、後者なんだけど」
「……」
「ああ。手を繋がないと透明になれないのか、手を繋がないと“二人揃って”透明になれないのか。こればっかりは答えてくれないと分からないね。――ねー、なんか言ってよ。クイズには正解発表がつきものでしょー。だんまりなんてつまらな過ぎる。……ねえ、そう思うよね、ミオ?」
オリという存在はあんまり分かりやす過ぎる誘導、囮であった。メイヤもヘレンも、背後からの強襲にはなんなく対応した。樹木の根を鞭のごとくしならせてミオの体を打ち、そしてその先端を蛇のように伸ばし、その犬娘の腹を貫いてやろうとした。
できなかった。
その根は確かにその、ミオという対象を狙い打ち、腹に風穴を開け、途端にそのミオが消えた。幻だ。
追撃に備え炎の壁を周囲に張り巡らせるが、それを超えてまでメイヤに届いたものがあった。大ぶりの、何の変哲もない岩石だった。
がつんと小柄な体を打ち据えられ、メイヤはくぐもった呻き声とともに、為す術もなく地面に落ちた。
「メ イ ヤ !!」
身を引き絞るような悲鳴。うつ伏せる姉妹、その傍らには身を捻るように、石の剣を振りかぶった人間の女。
このままでは彼女が、と瞬時にその能力を立ち上らせ駆け寄るヘレンの方を、その憎たらしい女が向いた。
「え?」
訳の分からぬ衝撃に、ヘレンの華奢な体が吹き飛ぶ。
痛みは遅れて彼女を襲った。まるで肉を砕かれるかのような、痺れを伴う激痛。
地に落ちる彼女のすぐ傍らを、何やら細長い物が滑りこむように落ちて、愛想のように一度だけくるりと転がった。あの女の握っていた、石の剣だった。
――馬鹿みたいに投擲された。確かに横に振りかぶって、落ちた者を叩きのめす姿ではなかったな。焦って私は馬鹿か、自ら能力で思いきり飛び込んでいって、初めから狙いは、こっちだったのか。
遠くで転がるメイヤ、赤いドレスの裾が視界の端をちらついている。首が動かない、そこが折れたのだろうか。(メイヤ、逃げて。逃げなさい)思念は飛ばない。足音がしている。先ほどから炎を出そうともがいているのだが、これではよくてカスのような火花が散っているだけだろう。
能力が使えれば体を固められる、こうも脆弱な体でなければ、と恨み言の祈りとともに。
ヘレンの意識はぐちゃりと消えた。




