人柱
――オリを召喚したのは、謎の白ローブ集団だった。
目の前にあったはずの勉強机をさがすために少し視線をうろつかせてから、顔をあげる。
白ローブたちはただ黙ってこちらを見下ろしている。こうもずらりと並び囲まれると壮観だ。
「……お、おはようございます」
沈黙と、謎の威圧感に耐え切れずはきだされた挨拶に返答はなく。
オリは座り込んだまま、これたぶん頭打ったんだな、と思った。
イスから落ちたのか、もしくは宿題途中に寝てしまったのかもしれない。
ぼんやりしていると、ローブの装飾が一番豪奢な者が一人、前に出てきて口をひらいた。中年の、女性の声だった。
「召喚は、成功されました。使者殿、ようこそ我らがもとへ」
シシャ殿とは、やっぱり『死者』殿ということだろうか。
「ここは黄泉の国ですか、それとも死ぬ寸前に脳みそがフル稼働して見せてくれている幻覚ですか」
そんな寝言を頭のなかで呟きながら、オリはその顔を思いきりひきつらせた。
促されるままに彼らの後ろをついて行きながら、オリはそっと自分の頬をつねった。そこそこ痛い。痛い夢ってあるのだろうか?
へたり込んでいたときに見下ろしたままされた、端的な説明を思い出す。
――召喚だ、と言われた。
オリは違う世界から遣された使者である。よんだのはこの『城』の者たち。
違う世界ってなんだ。日本どこいった。
遣したっつーか無理矢理よび寄せたんじゃないの。
城っていうより神殿っぽいな。
云々。
ぴいぴい感情的に訴えた質問はすべて黙殺された。
ふざけんなと今度は論理的に語りかけるように喋り立ててみたが、どれもスルーされた上にどことなく殺気のようなものを感じたので黙ることにした。
このファンタジーちっくな容姿をした人々は何者なのだろう。誰一人顔すら分かりはしない。
ただ、こうして立ってみて分かったが、背丈は思いのほか低い。もしかしたら全員女性かもしれない。だとしたら巫女のような、神職者じみた者なのだろうか。
オリは現実から逃げるように、今の状態への推測を巡らせた。
それから通された先は個室だった。飾り気のうすい部屋で、家具らしいものさえない。
そこにいたのは、一人の美しい少女だった。
腰に届かんばかりに長い白髪に、やや垂れ目がちな赤色の瞳――アルビノらしい。オリよりもずっと背が高いその少女は、楚々と目を伏せ待機している。
どうしろというのだと困るオリをよそに、それ以外の人間は出て行ってしまった。
オリはたおやかな雰囲気の彼女に、今度こそコミュニケーションを、と口を開く。
「あの、ここは、どこなんですか。さ、さっきの人が言ってたことは――」
本当なんですか、と尋ねるまえに、そこで首を横にふられた。
「……」
困ったような顔と、身振り手振りから察するに、話すことができないらしい。首には白布と金のヒモが、まるで包帯のように巻かれている。
なんとなく悪趣味だ、とオリは思った。
じっと見ていることに気付いたのか、彼女はそっとそれを外してくれた。黒々とした二対の痣が、その白い細首におぞましくはりついている。
――声のない原因はそれか、とゾッとした。
恥ずかしげにまたそれを隠していく少女を見ながら、オリはこれ本当に夢じゃないのかなと思った。
痛い夢もあるだろう。あるはずだ。頼むから早くさめてくれ。さめて。お願い――。
ゆったりとして厚みのある白いローブを、制服の上から着せられた。さらさらと肌触りのよいそれは、先ほどの集団が着ていたものとそっくりだった。それから無駄に美しい銀白色の手枷を嵌められ、そこを白い布でぐるぐると覆われた。
アルビノの少女は、オリの着付けを担当しているらしかった。
途中、恐怖にかられて少女の手を打ち、ついでに頬をひっぱたいて倒してやったのだが、彼女はあまりにされるがままだった。赤くなった頬をおさえ、床に手をついたまま、哀れっぽく咽喉を震わせるだけ。
そして口答え一つしないどころか、なんと額を床にこすりつけ平伏しはじめた。声はなく吐息がこぼれるだけだが、どうやら謝罪しているらしい。
こんな相手をぶてるほど暴力に慣れていないオリは、ただ困ってしまった。
そして少女がとうとう泣きだしてしまったので、慌てて止めた。そして素直に着付けを受けいれることにした。
なんで私が罪悪感を覚えなきゃいけないんだ、と苦々しく思いながら。
泣いた後でも、美人は美人のままだった。清廉とした印象はうすれたが、パチパチと涙ぐむ瞳には愛嬌があった。
少女はオリのそんな視線には気づかず、せっせとオリの前髪をととのえている。
そんなもんどうだっていいだろうと思わなくもないが、角度に何かあるのだろうか。よく分からない。
少女の頬は、オリのせいで赤らんだままだった。
白い肌によくはえてしまう痕を申し訳なくおもって
「……ごめんなさい」
と撫でると、少女は目を丸くして、まためそめそと泣きだした。
泣きたいのはこっちだと思いながら、手枷のせいで少し大変だが、せっせとローブの裾で涙をふいてやった。するとさらに涙をあふれさせてくる。
キリがないので、もう放っておくことにした。
着付けを終えた少女は、なんと手錠を外そうか、と声無き声と身振り手振りで提案してきた。
「マジかよ頼む!」
とここぞとばかりにぶんぶん頷くと、そのときはじめて笑ってくれた。笑うというより、遠慮がちにはにかんだ、と言ったほうが正しいかもしれない。
そしてその時はじめて、大人びて見えたその少女が、自分とたいして歳が離れていないことに気がついた。
「……ありがとう」
オリも笑みを返したその瞬間、とんとん、とドアを叩く音がした。
はっと少女が顔をあげる。
声もかけずずかずかと入ってきたのはオリを連行してきたローブの集団で、オリの衣装が整えられていることを確認すると、少女に外に出るよううながした。
彼女が出るのを渋ると、その背を押して部屋の外に追いやっていく。
幾度も幾度もこちらを振りかえる少女にオリが微笑みかけると、二人の視線を断つようにドアが閉じた。
なんとなくこうなることは予想できていたので、あまり気にしないことにする。……さすがに落胆はするけど。
オリがしょんぼりしていると、ローブの奥から初めと同じ、中年の女性の声がした。
「杷の巫女、」
声がかけられると、長い白髪の老婆がよたよたと近づいてきた。梅干しのように皺くちゃな顔と垂れた頬肉のせいで、ブルドッグのように見える。
老婆の巫女なんてなかなかお目にかかれんぞ、とガン見していると、杷の巫女は手枷と布で覆われたオリの手首を持ち上げた。
枯れ枝のような指で赤い染料をすくいとると、手首の布に紋様を描いていく。言葉ないまま、ぶつぶつと唱えるように口を動かしながら行われているそれは、まさに儀式という感じで興味深い。
まじまじと眺めていたのだが、それもすぐに不可能となった。
まっさらな布でくるくると視界を隠されてしまったからだ。
それからのことはあまり詳しくは説明できない。
縛られた手をひかれ、螺旋状の階段を延々と下った。目隠しをされているので恐る恐る、ゆっくりとだったが、特に責められることはなかった。
ただでさえ時間のかかるところをさらに時間をかけて進んでゆき、そろそろ足も動かなくなると思われたとき、オリはごうごうと水鳴りが唸る真ん前にいた。
目隠しは外されローブもとられ、手枷も解かれた。じゃあはじめからするなと言ってやりたい。
もとの高校の制服姿に戻されたオリは、自分を連れてきたローブの集団に向き直った。
光の射さぬ空間。
発光する球体をかかげた松明だけが、あたりをぼんやりと照らしている。
「――ここはどこですか」
「『水神様のお腹』と称される滝壺です」
一番偉そうな人間が答える。
正直怖かった。知らない人に誘拐されて訳分からないまま着飾られて、辺りはまっくらで後ろは急流、ついでに説明も意味不明。
だって滝ないし。滝がないのに滝壺とはこれいかに。壷か。ただの壷なのか。
そしてジリジリと迫ってくる女性の手から逃れようと後ずさりながら、そんなことを考える。
こうして怯えながらも、まだ夢だと思っている自分がいる。逃れたがる自分がいる。
ぐ、と首根っこをつかまれた。慌てて振り返るが誰もいない。それでも確かに感触はある。
見えない手は力強く、身をよじろうが首を振ろうがビクともしない。
とうとう足が地からはなれ、オリの体は宙に浮いた。
――そのまま荒れ狂う滝壺にポイされた瞬間、何人かの白ローブの顔が見えた。予想通りみな女性で、淡白な表情で、無感情にこちらを見下ろしている。
そのなかに一人、見知った顔があった。あのアルビノの美しい少女だ。
目があった瞬間赤い瞳が揺れ、逸らされる。
……それが、オリが地上で見た最後の光景だった。
以上、長ったらしい一連の流れを懸命に説明したオリへの一言は、
「君は本当に説明がヘタだな」
だった。