3
起こされたオリは村長のもとへと呼ばれた。顔を洗って衣類を整え、相変わらず野菜と穀物中心のヘルシーな朝餉をいただいた。
「うめぇ」
長は、例の連絡が戻ってきた、と言った。
寝ぼけ気味のオリでも分かる。その連絡とは、「川」と呼ばれる集落に、プリェロへの襲撃について尋ねたもの――それへの返答である。
「曰く、知らぬとのことらしい」
「なるほど」
オリは頷いた。まるで合わせるようにミオもこっくり頷くが、これは眠って舟を漕いでいるだけである。座りながら眠れるのだから器用なものだ。
ちなみに妖精は朝から二日酔いに悩まされていて、この場にはいない。今ごろ部屋でまた葉っぱをスーハーしていることだろう。変な意味でなく。
「もちろん、しらばっくれているだけの可能性もある。もしくは草か川、どちらかがウチと他を争わせようしているのかもしれない。――どちらか判断のつかない今なすべきことは、草の奴らにも同じことを訊くことだろうな。」
「そうですか、なるほどー」
「草の奴らには、数こそこちらが勝るものの、個体の平均的な強さでは敵わない。野蛮で、猪突猛進で、無駄に紳士的だが、いつも戦うことばかり考えているような連中だ」
「それは恐ろしいですね」
「……」
「……」
そして、そのまましばらく沈黙が続いて。
――結局根負けしたのは、オリのほうだった。
「……で?」
分かり易くいやいや尋ねれば、長は機嫌よさ気に鼻をならした。
「とにかく今は様子見だ。いずれ第五回目の会合を開く予定だが――それまで騒がしくなることもないだろう。その時まで、ゆっくりしていくといい」
「――ゆっくり、ねぇ?」
オリはトゥケロと共に、村の見学のため外に出ていた。
妖精はいまだに具合が悪いためお留守番。ミオは長に強くなる修練の仕方を教えてもらうつもりだそうで、屋敷にいる。
「まあ、この村で出来ることなんて特にない。のんびりする以外の選択肢は無いな」
「うーん、それ自体はいいことなんだろうけどね。私は好きだけどな、そういうの」
ぐるりと歩いてまわったところ、村の規模はそこまで大きくなく、数十分で回れるほどだ。村長の屋敷ほど規模が大きい住処はなく、それ以前に建物すらほとんど存在しない。ドアすらない簡素な小屋が四つ、五つほどだろうか。木の上にもいくつかあるようだ。
トゥケロ曰く、ほとんどの住人が自然に溶け込むようにして暮らしているのだという。そこまで見回ると時間がいくらあっても足りないらしい。
「究極のスローライフか」
「好きなら、ああやって暮らしてみたらどうだ?」
「それはない」
オリが即答すると、トゥケロはおかしそうに笑った。断言的な口調から無愛想にも見えるが、存外よく笑う男なのだ。
ちなみに、先ほどから「村」と呼称しているが、ここに暮らしているのはもともとそんな概念を持ち合わせていない住人たちだ。ただ同じスペースに暮らしているだけ、といった認識のほうが強いらしい。村だとか集落だとか、いまいち名称がハッキリしないのはそのためだ。
というわけで、いい場所なのだが、ここ自体に特に見どころがあるわけでもない。
案内しあぐねている様子のトゥケロをよそに、村人たちは足早に、どこかそわそわしながらその場を去っていく。
たまにオリへ寄せられる好奇の視線もすぐに途切れ、明るい笑い声だけがオリの耳に届く。
「ねえトゥケロ」
「――ん、なんだ?」
「なんだか村中そわそわしてるっていうか、はしゃいでるね」
「ああ、もうすぐ婚儀があるからな。村の一大イベントだ。――そうだ、そっちの準備でも見にいくか」
「え、いいの?」
「ああ。プリェロもお前の顔を見たがっていたからな」
「そこにいるってことは、プリェロは準備の手伝いをしてるの?」
「いや、違う――とも言い切れないか。そうだ、お前が会ったときに、プリェロが花を集めていたのを覚えているか?」
「うん。白いやつだよね」
トゥケロは頷いた。
オリたちが出会ったときに、プリェロが集めていた白い花束。あれは友人である、此度の花嫁に渡すためのものであったらしい。
その花嫁はプリェロの姉のような存在で、そのためプリェロは遠出してまであの花々を摘みに行ったのだ。ただ姉のような彼女を、喜ばせたい一心で。
「それで、あの黒服に襲われたんだ……」
まさかの事態だっただろう。かわいそうに、不運としか言いようがない。
「ああ。――しかしそれでも、お前たちのおかげで最悪の結果にならなくて済んだ。長も、俺も含めてみんな、本当に感謝しているんだぞ」
「……どういたしまして。でも、こっちもすごくいい生活させてもらってるから、あんまり――、ん?」
ふと足を止めたオリに、トゥケロが振り返る。
「どうした?」
「プリェロって、なにか強烈な特殊能力持ちだったりする? こう、一瞬で野菜を召喚したりとか」
「いや、そんなわけないだろう。どうした? なにかあるのか」
「うん。……襲ってきた奴は、誰かに頼まれてプリェロの前に現れたんだよね」
「まあお前とプリェロから話を聞いたところ、そうなるな。失敗すればお咎めを受ける、というようなことを言っていたんだろう」
オリは頷いた。「これが出来ないとおまんまの食い上げ」――古い言い回しだが、あの黒服がどこかからプリェロの襲撃を依頼、もしくは命令されたのは間違いない。
「依頼があったということはつまり、多少は計画性があったってことでしょ。あんな場所で偶然バッタリ会って襲いかかったわけじゃない。ちゃんとプリェロがあの時間、あそこに、たった一人で行くことを知ってたってことになる。ということは、そんな情報があったということは、つまり……」
「……」
言い辛そうに口籠りながらも言外に伝えてくるオリに、トゥケロは観念したかのように溜息をついた。
能天気では無さそうな男だ。この程度のこと、思いつかないはずがない。
「そうだ。スパイの可能性がある。そして、まあ、……疑いをかけられている奴も、いるわけだ」
「それって、」
言い募りかけるオリを、トゥケロは首を振って制した。
「誰にも何も言わないで、いっそ今は忘れておいてくれ。後で話そう」
そう言って促された先には、木で造られた小屋があった。布で覆われた入口から、プリェロが顔を出している。
はっとこちらに気付いて輝く顔に、オリは小さく手を振った。
「オリさん、トゥケロさん、いらっしゃっていたのですね。ぜんぜん気が付きませんでした!」
「さっき来たばかりだからな。オリに村を見せていたんだが、それが終わったからこっちに寄ったんだ」
「見せるものなんてないですもんね。あ、オリ様、よかったら中へどうぞ。トゥケロさんはダメですよ!」
「はいはい」とトゥケロの声が後ろから聞こえた。
プリェロに手を引かれ、くぐった布の向こうには、もう一枚白い同じような布があった。カーテンのように、空間を真っ二つに遮っている。
「姉さん、さっき話していたオリさんです。村の見学をしてるんですって!」
「はじめまして、急にすいません」
「噂をすればってやつだねぇ。ああ、はじめまして、オリさん。退屈なところだと思うけど、どうぞゆっくりしていって下さい」
プリェロは布をめくることなく、それ越しに声をかけている。相手も当然のようにそれに応じる。
聞けば、花嫁は婚儀までの数日間、隔離された部屋で、誰にも姿を見せずに過ごさなければならないらしい。
その間に出入りできるのは女性のみで、男であれば血縁すら追い払われるのだとか。
「まあ血縁なぞいるわけ無いけどね」
白布の向こうで、花嫁がころころ笑う。
姿は見えないが艶めいた声の持ち主で、白布に映る影はすらりとしている。衣装のせいだろう、シルエットは細い筒のようで、体型などはよく分からなかった。
「そんなことよりね、オリさん。プリェロを助けてくれてありがとうございました」
その影がお辞儀をしたように曲がったので、オリも頭を下げた。そして顔を上げたら花嫁がまだ下げていたので、慌ててもう一度下げた。
「プリェロはどんくさい子だけど、こんな私を姉と慕ってくれるいい子でね……。あなたが現れなかったら、どうなっていたことだろうと思うと……」
とつとつと語るその声は柔らかで、深い親愛が込められている。そしてわずかに震える言葉尻に、プリェロも「姉さん、」と目元を潤ませた。
ふふ、と花嫁はそれに答えるように、優しく笑った。
「プリェロも、素敵な花束をありがとうね。まだ、言ってなかったから……」
「いえ。私は、その。姉さんが喜んでくれたら……幸せになってくれたら、その」
頬を赤く染めて、もじもじと照れたように喋るプリェロはまるで恋する乙女のようだ。
イイ話だな、とオリは他人事のようにそんな二人を眺めていた。
トゥケロを待たせているということで、適当なところで切り上げたオリとプリェロが外へ出ると、なにやら見知らぬ男がトゥケロと話し込んでいた。
「オリ、もう出てきたのか」
「うん。邪魔してごめんね。それで、その人は――」
「ああ、こいつはタンネ。今回の花婿だ」
タンネ、というらしい花婿は穏やかに微笑んだ。
人の形をしているが、顔には笑みを作るための口しかない、そんな生物だった。グレーの土くれをこねあげて造り上げた泥人形、そんな風体である。
「はじめまして、オリさん。話は聞いたよ、プリェロを助けてくれたんだってね。ここに来たばかりだけど、仲良くしてくれると嬉しいな。よろしくね」
「来たばかり?」
「うん。数カ月前、下層からここに上がってきてね。どうしたらいいのか分からなくてウロウロしていたら彼女と出会って……そして、今はここで暮らしているんだ」
「お前スパイだろ」
オリはそう言いかけた言葉を必死で飲みこんだ。代わりにくわっと刮目してトゥケロを振りかえった。
――コイツ明らかに怪しいし明らかにスパイじゃないですか。
見開いたままの目で訴えかければ、トゥケロはそっと頷いた。
全て分かっていますよ、と言わんばかりの表情。いっそ聖人のような穏やかな空気だった。
――ですよね。
オリの脳髄に、言い表せない衝撃が走った。
多大なるショックは言語中枢をブッ飛ばしたようで、うまいこと言葉も出てこない。
アイコンタクトで通じ合う二人に、花婿は少しばかり不思議そうな顔をしていた。しかしオリの後ろに隠れていたプリェロに気が付くと、爽やかににっこり笑いかけた。
「やあ、プリェロ。久しぶりだね。元気にしていたかい?」
「はい。元気です。お兄さんもお元気そうですね。お姉さんが喜ばれると思います」
緊張しているのだろうか、プリェロはすこし硬い表情と口調で――それでも年配の人が好感を持つだろうくらい丁寧に――確実にスパイな野郎と言葉を交わしている。
結局オリが置物のように固まっている間に、その泥人形なスパイ野郎は会話もそこそこに帰っていった。
「で?」
「で? って、うーん……」
帰って早々、切り出したのはトゥケロだった。
今、客室としてオリ達に宛がわれたこの部屋にいるのはオリとトゥケロだけだ。
ミオは特訓、という名の狩り兼腹ごしらえに出かけているようで、リューリンはオリにそれを伝えると、空腹らしく、台所へのつまみ食いミッションに出かけていった。
「聞きたいことがあるんだろう。なんでも説明しよう」
そりゃもう説明しきれない感情の奔流で脳みそがパンクしそうだったオリは、とりあえず口を開いたが考えがまとまらない。
「トゥケロ、あの。なんというか、なんというか、そうだな――」
オリの脳裏に浮かぶのは麗しの花嫁、のほっそりとしたシルエットだ。次いで散らばった白い花、それをせっせと拾い集めるプリェロ。
細かな作業に向かないだろう小さな手で潰れた花を労わり、時間をかけてブーケの形に整える。他の花は、もう近くにはなかったのだ。
オリの手伝いを断り、プリェロは長い時間をかけてそのブーケを完成させた。出来たのはささやかだが上等のブーケで、オリもミオもリューリンでさえも驚いて、素直に褒めていたのを覚えている。あれを渡された花嫁も、さぞや驚き、喜んだことだろう――。
散々回想してもったいぶった挙句、オリは口を開いた。
「おまえらド屑だな」
そんな花嫁とプリェロの純情が、ドブ底のヘドロへと堕ちる日も近い。恋人(しかも近々結婚)の裏切りという最悪の部類で。
姉妹のごとく固い絆。深く想いあう二人によるささやかな感動小劇を観させられた後にこれじゃあ、助けた身としても浮かばれない。
「まあ否定はできんが、俺達だって何度も、まあ直接ではないが警告っぽいことをし続けていたんだぜ。ある程度だが。とにかくアイツ、あからさまに不審だからな」
「ですよね。でも遠回しな警告っぽいことを若干していたって、それほとんどしてないのと一緒じゃないの」
「確定できないことを大っぴらにも言えないだろう。ウチは『草』や『川』と違って所帯もずっとでかい。おまけに幅広い。詰め過ぎていてはその内、仲間内に軋轢が生まれてくる。集落内の綻びは困るし――それになにより、あの頃は別に問題も起きていなかったからな。ちょうど、抗争も終わりかけていたころだったから」
そこら辺りの事情は、部外者のオリには分からない。ただ緩そうな集まりだな、と思っていた認識が少しばかり改まった。
上には上の、まとめる側としての苦労があるようだ。
警告に関しては推測だが、「タンネって謎が多い奴だよな」「そうだねぇ、そういったところも素敵さ」なんて毒にも薬にもならないようなやり取りが行われていたのだろうと思う。
それ以上、トゥケロらに出来ることもなかったのだろう。……あえてしなかったのかもしれないが。
「とにかくチナ――花嫁が聞かなくてな。結婚すると頑なに言い張るし、アイツは頑固な上に切れたら止められないし。もしかしたら大元を叩くチャンスかもしれないし、じゃあいいか、と」
「じゃあ泳がせておくか、と」
トゥケロはうん、とすんなり頷いた。そこは素直になるとこじゃないだろ。
(適当に誤魔化してくれりゃいいのに)
オリは拗ねた子どものようにそう感じた。
「あいつの行動には、気を配っていたんだがな。いや、何もないことに安心して気を抜いていたのかもしれない。とにかく、お前が来てくれて本当によかった。ありがとう」
「そんなんもういいよ、さっき聞いたし。それどころじゃないし」
オリはしかめ面でゆるく頭を振った。これから先のことを想像するだけで、胸にむかむかと不快な気持ちが霧のように湧き起こる。
短い間だがその間に見せられた光景は、先に続くだろう幸せで少し寂しい、そんな理想的な結婚式を、容易に想像させるようなものだったので。
「ぶち壊しだ……くそったれ、ぶち壊しだ……」
「そうお前が気にすることでもないだろう」
「気にするよ! なんだよお前、そりゃ……気にするよ!」
「するよ! するともさ!」と何に憤っているのか自分でも分からないまま、オリは腕をぶんぶん振り回した。
非常にアホっぽいのだが、トゥケロは優しさなのかめんどうくさいのか、特に注意はしなかった。
「俺たちも、チナやプリェロに危害が加えられるような、最悪の事態は避けるつもりだ。そうだな、オリも何かあったら手を貸してくれるか?」
「うん。まあ、できることならね」
「そうか」
トゥケロはこっくり頷いた。
無表情なままだったのでオリは大して気に留めなかったのだが、服で隠れていた彼の口は、こっそりとほくそ笑んでいた。




