わくわく植物園
監獄迷宮。
一体いつからそのような物があったのか、知る者はいない。
王家の宝庫に収められた、綴られた時代の判明していない古書にすら、その名は記述されている。
誰もがその名を知っている。それは城の地下という不気味な場所におさまり、我々が思いもよらぬ秘宝を隠しており、しかし深淵を湛えた人帰らずの道で、愚陋な罪人の果てでもある。
地獄や常世といった、そのような形而上的観念に過ぎないはずのものが現存している――人々はそんな感覚を、それに対して抱いていた。
落ちてきた人間を等しく喰らう。そこは、まさしく人々の恐怖の象徴であった。
そしてその耳にするも悍ましい迷宮の地下深く。不思議と植物が生した空間に、一人の少女の影があった。
中学か高校、ともかく学校の制服だろう。一般的によく見かけるような紺色のプリーツスカートに、暑いらしく大胆に袖をまくったカッターシャツ。首元のボタンもいくつか外されている。
そしてその右手には石製だろう、筒のような刃部をした剣が握られていた。
「クソ、クソ……」
少女の眼下、否、汚れたローファーの足下には、そこから抜け出そうとあがく一匹の魔物がいた。がしゃがしゃと短い手足から伸びた長い爪が地面をひっかく。
もがくが、ひょろりとした背を踏みつけられて逃げ出せるはずもなく、ただひたすらつたない発音と貧相な語彙で、己の不幸と、それを見下す娘を呪っている。
少女はふっと軽く息を吐くのにあわせて、石剣をそれの頭へと振り下ろした。
「はー。南無阿弥陀仏……」
一仕事終えたオリが汗をぬぐっていると、ミオと妖精がもどってきた。
ミオは元気に手を振って足取りは軽やかに、妖精はミオの頭でぜえぜえ息を荒げているものの問題はなさそうで、安心したオリは顔をほころばせた。
「ただいま戻りましたー」
「おかえり。お疲れさま、妖精……じゃない。リューリン、どうしたの?」
「どうしたもこうしたもないわよー! ミオの動きが大雑把すぎて、フォローがすっごく大変なんだから!」
ミオは獣の力を宿した種族であり、戦闘にふさわしい肉体に恵まれていた。しなやかな筋肉やするどい五感、高い身長に長い手足といったもののおかげで、思うがまま暴れまわるだけで彼女は十分強かった。
しかしその分、正確さや細かい動きなどは苦手なようだった。演奏に例えれば、ひたすらアドリブばかり混ぜてくるくせに、こちらに合わせるのはド下手くそ。とにかく怪我しないようにとフォローする方からすれば溜まったもんではなかった。
もちろん彼女に一番欠けているのは作戦だとかそういったものだが、そこらへんは野生の勘や慣れなどでうまいこと補われているようだ。
「もうちょっと後ろみて動けないの!? もちろんアタシのこともあるけど、あんた、自分の後ろもあんま見てないでしょ。危なっかしすぎるのよね」
妖精ことリューリンが頬杖をつきながら愚痴れば、ミオは見えないはずの頭上の彼女を睨みつけて、
「だいたい分かってるから大丈夫ですぅー」
と反抗的な子どもみたいに唇をとがらせた。言葉通りちゃんと把握しているところが、普通の駄々とは異なるところだ。
ミオが周りに気を配るような戦い方をしようと努力しているのは、オリもリューリンも知るところで、しかし長年続けたスタイルを変えるというのはとても困難らしい。
注意を心がければ心がけるほどミオの動きはぎこちなくなり、それはそれで逆に危なっかしい。本人は「視野がひろくなった気がします!」と喜んでいたが。
まあ、それはともかく。
「あんたが分かってるのは知ってるけど、やっぱりたまに雑よね。オリがいるのに気付かないで後ろにジャンプしたり、うっかり私の前にでたり」
「慣れてないから、ずっと周りを気にしていると弱くなっちゃうんですー。これからもっと気をつけていきますから大丈夫ですぅ、わん」
ただミオは自分、というよりオリを裏切った妖精に、そういったことを口出しされるのが不愉快らしい。
こればかりは全くその通りとしか言いようがないうえに、感情の問題なので、周りは口出ししようがない。時が解決してくれるのを待つしかないだろう。
ちなみにリューリンの方はもちろんそれに気付いているが、「あいつ怒りすぎよねー」とけらけら笑う程度には気にしていなかった。ぶれない羽虫である。
「とにかく、二人ともお疲れさま。折角倒したんだしさ、先行ってみない?」
「はいはーい。というか最近、喋れる魔物も増えてきたわよね。やり辛いったらないわぁ」
「あー確かにそうだね」
先ほど倒した相手を思いだしながら、オリは頷いた。
そういえば、迷宮の様子も初階層に比べずいぶんと変わってきた。以前は縦方向に高い長方形の通路が伸びているだけだったというのに、今ではその形も崩れ、先に向けてうっすらと膨らむような形をしている。
次に続くのは、かなり広い空間なのだろう。
ただそれでも「一本道である」というこの迷宮としての基本は変化していないので、律儀なことだと、オリは若干皮肉げに思っていた。
「……」
少しでも足を端のほうに寄せれば、這うように生えた植物を踏むことができる。苔や雑草じみたものなど、そういったささやかかつ力強いものばかりだが、それでもこうして奥に進めば進むほど、その量や種類は増えてきていた。今では蔦が壁にまで蔓延り、小指の爪ほどの大きさとはいえ、花すら咲いている。
と、それを何の気なしに、ミオの足が踏みつぶした。
しかし花は無事だった。さすが雑草は強い。
それでもオリがしょんぼり、情緒とか死んでるのかしら、と思いかけたところで、このようなことを、自分みたいな殺人――魔物だが――をさっくりこなすような人間に思う資格はあるのだろうかと考え直した。
だって普通の女の子がこうして食いもしない、意思の疎通ができる何かを殺すなんてことは、まずありえないからだ。しかも物理で。
「うーん、えぐい」
「なに? 独り言? 気色悪いんだけど」
「蠅叩きです!」
「ぐげっ」
神妙な顔のオリに茶々をいれようとするリューリンを、ミオの手がすばやく叩きつぶした。
これなら自分の頭も叩くのだからある意味喧嘩両成敗。オリ様も気にしまいという妙ちくりんな、彼女なりの理論を持ってのことだった。
「なにすんのよぉ!」
「いたたっ! あなたうるさいんですよ!」
「あんたに言われたくないわよこの犬! そっちこそワンワンうるさいのよ! いてっ」
突如はじまったドツキ漫才に、まだまだ暴れ足りないようだと理解したオリは、休憩を控えてより先へ進んでしまうことにした。
本当にただ、先に、としかいいようがない。この迷宮は区切りがはっきりしないため、現在、自分が第何層にいるのかも分からないからだ。
不便な造りだと思った。
そう心の中で愚痴ったのも束の間のことだった。それからしばらく歩くと、急に開けた空間がオリたちの目の前に広がった。
それはまるで、地上にある森そのままの外見をしていた。
樹木と溢れんばかりの植物が大地を覆い、隙間には鮮やかな花が色付いている。天井は鳥がいれば悠々と旋回できるほど高く、横幅に関しては把握できないほどだ。
生い茂る多種多様な樹木のせいでよく見えないものの、今までのものとは比べものにならないほど巨然とした空間だ。
あいかわらず原理の分からないあの灯かりが壁や天井にいくつかあるもののあまり明るくはなく、森自体は鬱蒼としている。しかし特徴的な植物が密集しているためか、どこか熱帯のジャングルを想起させた。
「おーすげー……」
道の様子からなんとなく大きな空間に繋がっているとは分かっていたものの、こうも急激に広がるとは思っていなかった。第何層目かは分からないが、この空間は一階層をまるっと占めているのではないだろうか。
オリはぽかんと口をあけ、瑞々しいグリーンばかりの視界をたっぷり堪能した。
新鮮な景色は目だけでなく、あの平坦な通路に飽ききっていた心にも優しかった。
「このまま、まーっすぐ行くと出口がありますよ、オリ様」
(……あ、これ抜けなきゃだめなのか)
終わりがみえない。敵の姿もみえない。急に襲ってきたリアルに心が萎えかけたが、こういった場を進むのも面白いかもしれないと気を取り直した。それにミオはたった一人でも抜けることが出来たわけだし。
怖気づいたら動けなくなるのは、自分が一番よくわかっている。
だから、冒険、探検、もしくは新たな環境――そんな浮ついた好奇心に無理に身をまかせ、オリは足を踏みだした。
ぎゅ、と踏みしめるたび靴越しに伝わってくる土の感触に少し驚く。
「すごい、地下じゃないみたい……きれいに森の形をして……うわあ……」
感嘆の溜息をもらすオリのあとを、喧嘩していた割に、妖精を頭に乗せたままのミオが、跳ぶような歩調でついていく。
「でもオリ様、私の住んでた場所も素敵なんですよ! ここにも負けてません!」
「へえ。ミオはもっと下のほうから来たんだよね」
ミオについてある程度のことなら道中、雑談がてら尋ねたことがある。
それはミオら種族の主食だとか得意なことだとか、その他特色などについてで、ピンポイントだが今後必要になりそうなものについてばかりだった。
そういえば、彼女の家族構成や、住んでいた階層自体について詳しく聞いたことはなかった。
気にしていなかったというだけでなく、あまり恐ろしいところだと行く気が失せるからという理由もあったのだが、こう聞く限りそんなこともないらしい。
「どんな感じなの? やっぱりここみたいに森みたいになってるの?」
「うーん、そうですねぇ……」
ミオはあまり説明が上手でない、というより下手くそだった。そのため詳しい描写などが必要になると最初に考えて、言葉を組み立ててから喋るようにしている。
もっぱらな聞き手であるオリがどれだけ時間がかかっても気長に待ってくれるため、最近ではそれにとる時間も長くなっていた。
そして今回はそれが幸運だった。
色々喋りたいことがあるらしく、いつも以上に考え事をしているミオの頭のうえの大きな耳が、ぴくぴくと二度、細かく動いた。
それを見たオリは素早く石剣を準備する。
ミオがどれほど索敵能力に優れているのか、もう十分過ぎるほど理解していた。
「……いま、何か聞こえませんでした?」
「ううん。どこから? 敵?」
「前のほうから。ううん、敵じゃなくって、子どもの悲鳴のような……」
「――こどもぉ?」
訝しげなリューリンの言葉をきっかけに、オリは走り出していた。躊躇わずミオもそれに続く。数歩遅れたにせよミオのほうがずっと早いので、オリはあっという間に抜かされた。
あーあ、と思って、すっかり見えなくなったミオを追うように樹を避け進む。ふと一本の大きな樹を避けた瞬間、自分よりも幾分高いミオの背中がちょうど立ちはだかるようにあった。
それにぶつかりそうになったのを慌てて避けたオリはバランスを崩し、から足を踏んだ挙句木の根に爪先を引っかけて、そのまま前方に飛びだした。
「あ」
ころぶ寸前のところでミオに腕を引かれたが、それでもやけにつんのめった体勢のオリに、ちょっとばかし沈黙がおちる。
「……なんだぁお前」
「助けてっ、助けてくださいぃ!」
かたや黒い覆面を被り、それとセットの装いで身を包む男。
かたや助けを求める涙声の……ホウレンソウの精霊がいたらこんな感じなのだろうなぁ、といった生物。
子どもが悪漢に襲われる、まるでイラストのような分かりやすい光景を予想していたオリは少し面食らって、そのホウレンソウをまじまじ眺めた。
全身が緑だった。オリの胸くらいにはギリギリ届くだろう二頭身の頭部は、濃緑で……控えめに言ってもホウレンソウ。しかしよく見ればそこから覗くようにして人間のような顔があり、くりくりした目のかわいらしい顔立ちをしている。だがホウレンソウだ。
明らかにこの悪人が子どもを襲っているのだと思いこんでいたが、もしこれがこの世界では普通の収穫作業だったらどうしようと思った。
なぜなら、この生物の外見が圧倒的にホウレンソウだったからだ。
「リューリンの知ってる野菜の収穫ってこんなかんじ?」
「急に何言いだしたのかよく分かんないけど、私は野菜なんて育てたことないわよ」
「ミオは?」
「肉は畑じゃ育たないんですよね……うまくいきません、わん」
そしてミオは「ふぅ」、と深刻そうに重たい溜息をついた。
オリが前から知っていることはミオの頭は悪いということで、最近知ったことは思索に耽っていそうなときも別に大したことは考えていないということだ。
「何ごちゃごちゃ言ってんだ、こら。用が無いならとっととここから――」
「お願いします、助けてぇええ!!」
「黙れ!」と植物が蹴飛ばされそうになったので、さすがにそんな姿見たくなったオリは慌てて止めにはいった。
こんな悲痛な声を上げるものが野菜、つまり被食者だとしたら相当エグイ。
「なんだぁ!?」
「ま、まだ取れごろじゃないから……」
「はぁ? テメー頭おかしいんじゃねぇのか!? これが出来なけりゃ、こっちがおまんまの食い上げだっての馬鹿が!!」
「に、肉とかあるだろ! なんか狩って食べろよ!」
オリは喧嘩腰に返しながら、あれっ、これはこれでまずいなと思った。普通逆だ。
「そいつじゃなきゃ意味ねぇんだよボケが! いいからどけ!! さもないと……」
「お前そんな感じのくせしてベジタリアンかよ!」
「!? ……?」
「?」
「??」
会話にならない。こうも会話にならないということは互いの前提が食い違っているということであり、この場合間違っているのはオリ以外にありえない。
つまりこれは野菜の収穫ではなく、悪漢の暴行ということだ。多分。
「邪魔するなら容赦しないぜぇ?」
まあどちらにせよ、正当防衛が一番強い理由になるな、とオリは石剣をぽんと手のひらにのせた。
「覚えてろッ!!」
黒マスクは布越しにも分かるほど顔をぱんぱんに腫らした挙句、捨てゼリフを吐き捨ててその場から去って行った。止めを刺し損じたミオが、リューリンを伴ってそれを追っていく。
オリはまあいいか、とホウレンソウに向きなおった。
「大丈夫?」
「あ、あ、ありがとう、ございました……」
そのホウレンソウはぷわっと黒い瞳に涙をため、それを隠すように俯いてしまったのだが、そうすると顔も手も見えなくなってしまうため完全に野菜になってしまう。
こんなときに言うのもあれだが、擬態する生物みたいでちょっとおもしろい。
オリはこの、少し懐かしい形をした生き物を、すっかり気に入ってしまっていた。
「えーっと、私はオリ。ちょっと上の階層から来たんだ」
彼女が泣き止むまで待ってから、オリは自分から名乗った。
そしてこの大きなホウレンソウに何を尋ねるべきか、内心ものすごく迷ったが……無難に済ませることにした。
「あなたの、……名前は?」
「わたし、プリェロっていいます。危ないところを助けてくださり、本当にありがとうございました。オリさんって強いんですね!」
立ちあがったプリェロは、ちょこんと手をそろえてお辞儀した。
目の前で相手を、遠慮なく鈍器でぼこぼこにしたので心配だったのだが、トラウマになっていないようでなによりだ。
気にかけてすらいないように見えるのは少し複雑だが、オリはほっと安堵した。
「あはは、ありがとう……ん?」
「どうかしたんですか?」
鳥の脚だ。オレンジ色の脚鱗に覆われた、前三本、後ろ一本という分かり易く鳥らしい足指。そこから生えた長い鉤爪が地面をしっかりとつかんでいる。
露わになったプリェロの足は、昔みた鶏を彷彿させるもので、オリは彼女が不憫になった。
鶏足――いわゆるモミジと称される部位であるが、栄養があり安価であることも相まって、アジア各国では食用として用いられている。
全身丸ごと食用素材。茹でるだけで野菜スープ。
「マジ勘弁」
「え?」
「ううん。なんでもない、なんでも……。ああ、ミオたちはまだかな」
オリが目線と話を逸らすと、プリェロもそちらに気を取られてくれた。
まったくどうしてこんな奇妙な生物が誕生したのか、心から疑問に思った。
それからすぐにミオとリューリンは帰ってきた。
結局あの逃亡者をみつけることはできなかったらしいのだが、その割に生傷が増えているのは――まあ、ぷんすかしている二人をみれば理由は一目瞭然。
「むぅ。面目ありません、オリ様」
「いいよ別に。二人とも、怪我は大丈夫?」
「余裕よ、こんなカスみたいな攻撃!」
「私も余裕です。蠅ほどにも感じません!」
にらみ合う二人は放置だ。
かがんで何やらせっせと集めだしたプリェロに近づくと、その手には丈の高い白い花と、オリにとっては雑草としか言いようのない、丸っこい葉をした植物が握られていた。他にもいくらか地面に散らばっている。
「これを取りにきて襲われたの?」
「はい。プレゼントにしようと思って集めていたら、急に後ろから――あ、ありがとうございます……」
集めるのを手伝い終えてみると、最終的にはささやかな花束ができるくらいの量になった。
プリェロはほくほくした顔でしばらくそれを眺めてから、頭部のホウレンソウにしまった。
あまりにも自然な仕草すぎてなにも言えないまま、オリはそこから目が離せなくなった。
「えーと。……どこからきたの? ついでだし送ってくよ」
「私、ここからしばらく歩いたところにある集落からきたんです」
「――集落?」
「時間があるのなら、ぜひ寄っていってください! 私、精一杯おもてなしします! きっと族長様たちも許してくださいます」
プリェロは興奮気味にそう語る。オリは花束の隠れるホウレンソウをガン見したまま、
「とりあえず送ってから考えるよ」
とだけ答えた。
おもてなし、という言葉につられて飛んできたリューリンは、明らかに目線がおかしいオリをものすごい訝しげな顔でみた挙句、彼女の肩にとまった。




