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監獄迷宮  作者: ばち公
この世で最悪の二択を選ぶこともできない
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水中、手中

『城の奥深くにそれはある』

『地下の地下、人の暴欲、暗い秘密のさらに奥』

『地底に広がる暗闇の国、人外の宿る深淵』

『其はうるわしの、監獄迷宮――』




 ごうごうと唸りをあげ荒れ狂う急流に、異世界から訪れた一人の少女が投げ捨てられた。たいした抵抗もないままあがる水柱ごと飲みこまれ、あっという間にその影すら見えなくなる。


 少女を見送るのは、白いローブを着こんだ集団である。光の球うかぶ松明をもってしても、そのフードの奥深くに秘められた顔を照らすことはできない。

 その集団はただ厳かにそこに立ち、消えた彼女へと黙祷を捧げている――。




 放りこまれた急流の中で、少女の矮躯は小枝のようなものだった。手足も身体も思い通りにならず、ただ激しい流れになぶられ暴れる。一際強い水流にのみこまれた時には、腕が肩からもぎとられたかとまで思った。

 もみくちゃにされるとそれだけで疲労が溜まるのか、徐々に全身が重たくなっていく――。


 そして口から零れたあぶくが水流に砕かれたのを最後に、少女の意識はぷっつりと途絶えた。




 薄暗いがどこまでも青くのびる水底で、少女は赤子が眠るように丸まっていた。

 死んだ気はしないが、生き残ったはずもない。

 鬱屈とした気持ちでそのまま横たわっていると、冷たい感触が頬をすべり、それに続くようにひんやりとした声が耳たぶを打った。


「僕が助けてあげようか」


 その瞬間脳が一気に冷え、そしてカッと熱くなった。


「助けて!! 助けて!!!」


 少女は誰とも知れない傍にいるらしい人物に、がむしゃらに縋りつこうとした。しかしその手は空を切り、少女はぽかんと相手の顔を見つめた。


 背丈から見るに同じくらいの歳だろうか。端正だが愛らしくもある整った顔立ちはまばゆいほど白い肌とあいまって、どこか人外の相を見せている。長い睫毛はしっとりと憂いを帯びているようだ。装飾の類が一切無い純白のローブは彼を神々しく見せるが、同時になぜか幼さも感じさせる。


 そして少女がそのローブを掴もうと伸ばした手は、何にも引っかかることなくすっと通り抜けた。


「幽霊じゃないし、幻でもないよ」


 少女の絶望を見透かしてか静かにかけられた言葉を、なぜか真実だと彼女は思った。彼だけが彼女の希望だった。


「君は?」

「わ、わたし、オリ……」

「はじめまして。僕は、とりあえず――君たちの言うカミサマとか、そういうものかな」


 そしてくすくす笑う。死にそうなオリにでも分かる、馬鹿にしたような笑みだった。

 オリは神秘的な少年らしからぬ意地の悪さに目をほそめるが、彼はそれを気にした様子もなく話を続けた。


「それからここは最上層。人呼んで、『監獄迷宮』アドベント」

「――監獄、迷宮?」

「……それすらも知らないのか」


 呆れまじりの苦笑に、なにか言ってやろうと口をひらいたが、結局吐息だけもらして閉じた。反論のしようがないし、なによりそれすらも億劫なほど疲れていたからだった。

 突然の希望に無理矢理体を起こしているが、つい先ほどまで死にかけていたのだから当然である。


「ここは迷宮。未だ踏破した者はおらず、生きて帰還した者もいない、云わば人々の恐れの象徴――そして城の下にあるから、全てあわせて監獄迷宮」


 監獄は城の地下にあるものだからね。

 ケロリと言ってのけたが、色々ととんでもない事実を突きつけられたオリからしてみれば堪ったもんじゃない。アナタ地獄に攫われてきたんですよ、と宣言されたようなものだ。


「うへぇ……」


 置かれている状況とは対照的な、間の抜けた声。

 そのあと、しばらく沈黙が続いた。

 そしてこちらを見つめている少年に、なに?と言わんばかりに首を傾げると、


「……反応うすいね」


 別にいいけど、とつまらなさそうに零された。なにを期待していたのだろう。

 もちろん、もっと言いたいことはあった。しかしそれより体と頭が重たいのだ。これくらい勘弁してほしい。


 ちなみに、もしオリに少しでも体力が残っていれば、少年に疑問を片っ端からぶつけていただろう。こうして静かに済んだのだから、彼にとっては幸運だったかもしれない。


「しぬのか……」


 視線を落とせば膝が、紺色のスカートからちょっぴり覗いていた。すこしくたびれてしまったプリーツを見つめながら、オリはがっくり肩を落とした。

 こんな訳の分からないところに捨てられて、ただの女子学生でしかない自分が何かをできるわけもない。

 これほどくたびれていなければ泣いていただろうオリに囁きかけるのは、もちろん、自称神様の少年であった。


「だからさっき言っただろう。――僕が助けてあげようか」


 少年は微笑んでいた。

 一見優しげな、慈愛溢れる表情。ただよく見れば、その瞳にはなんの感情もうかんでいない。美しいスカイ・ブルーは見ていると吸い込まれそうだが、それだけだ。


 そして、ぼんやりしているオリの目の前に、白い手のひらが差しだされる。まるで引きこむように。


――悪魔だと思った。


「……」


 躊躇する。触れてはいけないと第六感だかなんだか知らないが、オリの深層が告げている。

 悪魔と取引だなんて、物語中では十中八九不幸への片道切符だ。くだらない儲け話には裏があるのと同じ。身ぐるみ剥されて周りとの縁もあっという間に切れて、社会からポイされてしまう。


 明らかに怖気づき、腰の引けているオリを見て、少年は蔑むように鼻を鳴らした。今度こそ完璧に馬鹿にしていた。君は馬鹿だなと口にしていないだけだ。とにかく堂々と見下していた。


「誰に遠慮だてしてるの? 他人? モラル? 社会? 自分? ――もう君の手元には、なにも残っていないというのに」


 その言葉が、疲弊にぼやけて愚図ついていたオリの脳髄を、雷のようにうった。

 愕然と、自分の手のひらを眺める。脆弱そうな、小さな手だ。それでも、自分なりに握っていたものはあった。がんばって得たものだってあった。

 それは家族だとか友人だとか学校だとかで、ちっぽけだったかもしれないが、それでもオリにとっては全てで、掛け替えのないものだった。


 今、そのやわらかな皮膚は地についたせいか汚れ、うっすらと黒ずんでいる。これだけ。今自分にあるのはこの、服で拭ってしまえば消えてしまうような砂だけ。

 そしてオリをここへ送り込んだアイツらからして見れば、オリもこのような、取るに足らない存在にすぎないのだろう。


「……ね?」


 悪魔はささやく。


 そうだ、誰も助けてくれなかった。私を陥れた。


 見ろ、私を見下すあいつらの顔を。伸ばした手の先すら分からぬほど暗い未来を。失われた、否、奪われた過去を。――独りぼっちの自分の、この様を。


「うん、そうだね――」


 だから私はあなたに縋る。あなたの手を掴む。あなたが私の手段となる。手段とする。


 少年は伸ばした手はそのままに、笑みを深めた。底意地の悪さのつたわらない、ただただ綺麗な笑みだった。

 まったく、こいつが何者であろうと関係なかった。そうだ、簡単なことだった。


「――死ぬよりマシだ」


 反吐でもはきそうな心持ちだった自分が、そのときどんな表情をしていたかなんて知る由もない。

 ただ少年はそれを聞いて、悪戯っぽい笑みをにんまりとうかべた。そしてこうのたまった。


「イイ顔してるね。交渉成立」


 握った、というよりもひっ掴んだ手のひらは冷たくて、少年の言葉は愉悦にあふれていて、正直ちょっと選択間違えたかな、と思わなくもなかった。


「でもはじまる前に死にそうなんだけど……」


 体の具合が生きていたなかで最も悪い。

 そうだ、インフルエンザ。あれのせいで高熱に苦しんでいたときよりも、ずっと寒くてずっと熱い――再び朦朧としてきた頭に、そんなことがグズグズ浮かんでくる。


 青ざめた、哀れでいたいけな娘を慰めるように、少年はその頬に指をすべらせた。今度はすり抜けず、触れられている感触がある。

 そうか、さっき手を掴めたのだから当然か。


「大丈夫。僕は君を、必ず最奥まで導く。必ず、何があってもだ」


 絶対に死なせない、と状況が違えばロマンチックであっただろう言葉をつむぎ、少年は呪いを唱える。ゴウゴウと耳鳴りがする。

 オリの体を流れゆく血潮の音だろうか、どこか馴染みのある響きだと思った。


「――だから君も進め。足が折れても、いや下半身がなくなっても、這いつくばってでも進め。どれだけ時間がかかってもいい。絶対に死なせない。僕は君を引きずってでも連れていく。最奥まで、連れていく」


 オリはやけに目をギラつかせて話す少年を、ぼんやりと見つめていた。覆いきれていない様々なものが、彼の瞳や声や言葉からこぼれていると思う。

 そしてオリはにごってきた思考で考える。


 死者しか生まないおぞましい地底の暗闇をくぐりぬけ、果てしない旅をするなんて、想像するだけで怖気がした。今すぐ帰りたかった。

 そうだ、家に帰りたい。あたたかい布団にくるまって、おかあさんに優しい言葉をかけてもらいたい――。


 少年はその、走馬灯じみた甘ったれた考えも見透かしたような言葉を、何でもない風に紡ぐ。


「嫌ならいい。逃げてもいいよ。帰れはしないけど」


 知っている。もうオリは、選択したのだった。

 何も口には出せない。だから心の中で、たくさんの言葉を付け足して。


「や、る、」

「……そっか」


 少女のその震える言葉に、少年はほっと破顔した。そんな顔からも、見た目相応の幼さは感じられなかった。

 それでも、先ほどよりはずっと優しげな顔になった。安心したのだろうか。そんなことを思っていると、彼はおもむろに「すこし眠るといい」と呟いた。

 自分に言ったのか、としばらくしてからやっと気付いたオリの前髪をすこしよけると、少年はその額に人差し指をあてた。


――あったかい……。


 久方ぶりの熱だった。ひどく心が休まり、緊張にかたまっていた肩から力がぬける。ぬくもりはその一点から体中にじわじわと広がっていき、それにつれて思考もどんどん鈍っていく。

 やがてそれが爪の先まで届いたとき、とうとう意識がくらりと傾いた。白んでいく思考の向こう、遠くから声がきこえる。


「ゆっくりとおやすみ、オリ」



 これ以降のことは覚えていない。ただ、

(このまま魂を吸われてもいいかな)

 そう思うくらい安らかだったことだけは、覚えている。

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