chapter 1
「仕組んだ、よね」
春、新学期が始まりほとんどの生徒が帰った教室で、背中あたりまである金髪に翡翠色の瞳をした少女が、担任であるハルルに詰め寄った。
「何のこと?」
詰め寄られたハルルは、悪びれもせずに訊き返す。
「クラス替えのこと」
「普通にしたけど?」
ハルルに詰め寄る少女ーアヤ・フォルアナ・ウィルソンは、彼女の言葉に溜め息をついた。
「普通にやったの? だったら、何で私がまたはるるんのクラスなの?」
アヤは、仮にも担任であるハルルをあだ名で呼び、尋ねる。ハルルの心が広いからなのか、あだ名で呼ばれたことやタメ口であることを注意しない。
「さぁ? 私は嬉しいからいいけど」
「何で毎年クラス替えしてるのに、担任が一度もかわらなかったんだろう…」
「傷つくようなこと言わないでよ」
「今のは独り言だよ。はるるんは、良い先生の方に入ってるから」
「本当? アヤちゃんにそう言われると、すごく嬉しい」
ハルルの心が広いのは確かだが、二人は友達のような関係だから好き勝手に発言している。二年も一緒に、それも生徒と先生ではなく友達のように接していれば、親しくもなる。
「それは嘘じゃないから安心して。それにしても、三年間担任が変わらない…」
「仕組んではいないけど、本当のことを話すとアヤちゃんが怒りそうだからなぁ」
「なんとなく判った」
大方、生徒の要望と先生の要望でクラス替えをしたのだろう。それなら仕方ないか、とアヤは諦める。
「決まっちゃったものは仕方ないか…」
「怒ってる?」
「怒ってない。諦めた。ま、担任がはるるんでよかったかも」
アヤはそう言って笑った。
「そう思ってくれると嬉しいな」
ハルルも、アヤを見て微笑んだ。いつも生徒に見せている笑顔とは違う、優しい顔で。
「じゃ、そろそろ帰るね」
「うん。あ、そうだ。最近、アクマがよく街に現れるみたいだから気をつけてね」
「判ってるって」
アヤはかばんを片手に、教室を去った。
ハルルが言っていたアクマは、昔はあまり悪い存在とは思われていなかった。人々がアクマに悪い印象をもつようになったのは、数十年程前からだった。今までは、人に悪さをして困らせるだけだった。しかし、今は人を困らせるのではなく、人を襲うようになってしまった。そして、時には魔力を奪うこともある。何を目的としているのかは判らないが、以前よりも悪い存在になったことは確かだった。だから、フローレ国の人々はアクマを警戒するようになった。
アヤはアクマに会うこともなく、城へ着いた。
「ただいま」
アヤは、行方不明になってしまった両親の代わりである、城の王と王妃の元で暮らしている。
「おかえりなさい」
王妃が笑顔でアヤを迎える。
「学校の方はどうだった?」
アヤは少しムッとした顔になり、王妃にまたハルルのクラスになったことを伝える。すると、王妃は笑った。
高学部の三年間、担任が変わらないなんて…。
「でも、ハルル先生は良い先生だから、いいんじゃないの?」
「うん、まぁね」
アヤの表情がフッと緩んだ。
「帰ってきてすぐなんだけど、少しだけ出かけてきていい?」
「本当は、あまり外に出ないほうがいいんだけれど、仕方ないわね。アクマには気をつけるのよ」
「ありがとう」
アヤが城を出て向かったのは、彼女のお気に入りの場所だった。
其処は城や街のある所から少し離れた草原にある。人が来ることはあまりなく、とても静かな、小さな丘。丘の上にはその丘の象徴とでもいうように、一本の木が立っている。
丘に着いたアヤは、丘の上に立つ木の下に腰をおろした。春とはいえ、まだ肌寒い風が吹き、アヤは制服のまま丘に来てしまったことを後悔した。
しばらく目の前に広がる草原を眺め、そっと目を閉じる。春風が木の葉を揺らしていく、サワサワという音だけが聞こえてくる。静かな時間がゆっくりと過ぎていった。
少ししてゆっくり目を開けたアヤは、少しの間はこの場所に来るのを控えた方がいいだろうと思い、溜め息をついた。
(でもなぁ…。この場所、本当に気に入ってるのに。やっぱり、時々来よう)
そう思って再び草原を見ると、一人の少年の姿があった。
(アクマかも…)
アヤは立ち上がり、自然を装って丘を去った。
「危なかった…」
街へ来て、アヤがまず発した言葉がこれだった。
アクマは強さによってクラス分けされていて、一番強い順にSクラス、Aクラス、Bクラス、Cクラス、Dクラスとなっている。アヤが見た少年は、Aクラスのアクマだった。
高学部三年にもなれば、他人の魔力を感じることは簡単にできる。もう少しレベルが高い、特定の人の魔力を感じることだって、ほとんどの人ができる。それで、アヤは自分が見た少年がAクラスのアクマだと知り、丘を去った。
「アーヤちゃん」
背後から声をかけられ、アヤは振り返る。すると、教室で話をしたハルルが立っていた。
「はるるん。帰り、早いね」
「今日は始業日だからね。アヤちゃんこそ、どうしたの? 帰る前にちょっと注意したはずだけど…」
「そういえばそうだったね。でも、どうしても行きたい場所があったから」
「気に入ってるって言ってた、あの丘?」
アヤは首を縦に振った。それと同時に、はるるんの家は丘のある草原の近くだったな…と思った。
「久しぶりに、私の家にくる?」
「…行く」
アヤは少し考えてから、答えた。そして、ハルルと二人並んで草原の方へと歩き出した。
ハルルの家に着き、アヤは来客用のソファーで紅茶を飲んでいた。久々に来たのに、ハルルが作った薬品がよく目に入るな…と思っていると、ハルルがアヤの隣に座った。
「薬…前来た時よりも増えてない?」
「え、そう? 春休みだったからかな」
ハルルはそう言いながらアハハと笑う。
「はるるんって古代文字の先生なのに、薬品学に詳しいよね」
「薬品作りが趣味なんだから、仕方ないじゃない」
「だったら、薬品学の先生になればよかったじゃん」
「もう、判ってて言ってるでしょう。前にも言ったけど、趣味は趣味のままがいいの。それに、学生に教えるような薬品はあまり作らないし」
「そういえば、そうだね」
アヤは部屋にある薬品を見渡して言う。
「オリジナルもあるしね。それはそうと、アヤちゃんだって薬品学に詳しいじゃない」
「私はほら、学生だからね」
「普通の学生以上に詳しいじゃない」
「じゃあ、私も前に言ったけど、これは趣味のようなものなの」
「へぇ…それで古代文字にも詳しいのか。難しい薬品ほど、作り方は古代文字で書かれている本に多いからね」
「それは、はるるんもでしょう?」
「まあね」
会話が一旦終わり、二人してお茶を飲む。そしてハルルが先に口を開いた。
「それで、丘で何があったの?」
普通の人なら慌ててしまいそうな突然の質問だったが、アヤは落ち着いたまま「何もなかったよ」と答える。
「ふーん。疑問に思わなかったの?」
「何が?」
「私が何でその質問をしたのか」
「思わなかったし、大体判る」
アヤがそう言ってまたお茶を飲むと、ハルルはおもしろくなさそうに相槌を打った。
「私があの丘に行ったのに、帰りが早く感じたからでしょう? あの丘へ行った時は、夕刻の鐘が鳴るまで帰らないことがよくあるのを、はるるんは知ってるから」
「そうだよ」
「話を戻すけど、何もなかったのは本当だよ。でも、アクマは見かけたよ」
アヤは紅茶を一口飲み、カップをテーブルに置いた。「Aクラス?」
ハルルの問いに頷く。
「向こうに気付かれる前に逃げてきた」
「正しい判断だね。アヤちゃんは普通の人より少し強いけど、やっぱりまだ学生だからね。逃げるのが正解だよ」
アヤは静かに頷く。
もし、Aクラスのアクマと戦うことになっても、一般人よりも強い魔力をもつアヤは勝つことができる。そのことは、アヤもハルルも知っている。
「アクマ達の間で騒がれたら、大変だからね」
アヤがAクラスのアクマを倒すことがあれば、アクマ達はアヤのことで騒ぐことは目に見えている。学生がAクラスアクマに勝つことが珍しいからだ。アクマ達に騒がれてしまえば、アヤはアクマに狙われるようになる可能性がある。アヤはそうなるであろうと判っていたから、すぐに逃げたのだった。
街の方から鐘の音がとどく。
「夕刻の鐘…。そろそろ帰った方がいいよ」
「うん。お茶、ありがとう」
アヤはそう言ってハルルの家を後にした。
ハルルの家から街までは、少し離れている。アヤは少し早足で街へと向かっていた。街に入る前にアクマに見付かってしまうと、厄介だからだった。
「学生か?」
少年の声がして前を見ると、丘で見かけたアクマの少年が立っていた。そして、丘で見た時は一人だったのに、今はもう一人増えて二人の少年がアヤの前に立っていた。丘で見かけた濃い灰色の髪に群青色の瞳をした少年が声をかけてきたようだ。もう一方の黒髪に澄んだ碧色の瞳の少年は、ただ静かに立っている。
(どうしよう…。逃げるにも、後ろは草原だし、街への道は目の前の二人がいるせいで通れそうにもない)
「お前…夕方にあの丘にいた奴か?」
普通のアクマなら話しかけてこないし、すぐに攻撃してくるはずなんだけどな…と思ったアヤは、声をかけてきている濃い灰色の髪をした少年の質問に答えてみることにした。
「そう…だけど。あなたは?」
「俺はクリス・アイル・トルネシア」
名前を聞いたアヤは、ふとクリスの年が気になった。というのも、魔術師の多いフローレ国は十五歳が成人年齢で、十五歳になると成長が止まったかのようにゆっくりになり、実年齢が見た目の三から五倍程になるからだ。実際、魔法学校の教師も見た目は生徒とさほど変わらないが、年だけかなり高い者もいる。クリスも十五歳の姿だが、五十歳を越えていてもおかしくないのだ。
「こっちは、タクト」
「………」
「どうした?」
「ちょっと、年が気になっただけ。それと、変わったアクマだなって思ってた」
アヤは心の中で思っていたことを言った。
「年は二十歳くらいだ。こっちも言わせてもらうが、アクマと普通に会話するお前も変わってると思うぞ」
クリスの言葉に、アヤは少しムッとして反論する。
「あなたが話しかけてきたからじゃない」
「そりゃ失礼しました」
クリスは全く心のこもっていない声で言った。そして、自分も何か言い返したかったのか、もっともなことを言う。
「だが、俺としては声をかけられたのに逃げなかったお前にも、原因があったと思うがな」
それを言われたアヤは、言葉に詰まったが、すぐに一番最初の原因はクリスだったと気付き、言い返そうとした。が、言わなかった。早めに帰りたいのに、こんなことで言い合っていてはいつまでたっても終わりそうにない、と思ったからだった。
「言い返さないんだな」
「言い返したい気持ちは山々なんだけど、早く帰りたいからね」
「だったら俺等のことは無視すればよかっただろう?」
アヤは呆れたように溜め息を吐いてから言う。
「私の帰り道に立っているあなたたちを無視する方法を教えてほしいな。それに、無視したところでしつこく話しかけてきたんじゃないの?」
「さあな。…にしても、平気でアクマと話をする奴には初めて会ったな。俺が今までに会った学生は、俺等アクマの姿を見ただけで、血相変えて逃げてったってのに」
クリスは半ばおもしろそうに言う。
「クリス、いつまで話してるつもりなんだ?」
今までずっと黙っていたタクトが、クリスに尋ねる。すると、クリスは「そうだったな」と呟いた。
「特にようはなかったんだ。じゃあな」
クリスはタクトと共に、その場を立ち去ろうとしたが、すぐには立ち去らなかった。
「どうした?」
クリスが、自分のことを見るアヤの顔が、何か問いた気だということに気付いたのだ。
「普通、何も用事がなかったなら襲ってくるはずなのに、何もしてこなかったから不思議に思っただけ」
「あ、そう。俺等だけだし、お前にだけだ、こんなことするのは。じゃあな」
今度こそ、クリスとタクトが姿を消す。アヤはそのまま歩き出し、城へ戻った。
そのころ、アヤの前から姿を消したクリスとタクトは、草原の丘の上で何やら話をしていた。
「クリス、あの子がローズの言ってた子か?」
「さあな。お前はどう思うんだ?」
「ローズが言ってた通り、金髪に翡翠色の瞳。多分、魔力も強い」
「そうだな」
タクトの呟きに、クリスは自分も同感だと相槌を打つ。
「声をかけても逃げなかったってことは、少なからず自分の力に自信があったんだと思う」
「そうとれなくもないが、最初にあいつを見た時はすぐ逃げられたからな…。しばらく様子見ってとこか?他のAクラスの奴にやられるか、逆に倒すか」
「判った」
丘の上を風が吹き抜ける。それとほぼ同時に二人は姿を消し、風が通った後の丘には、誰もいなかった。