Mr. Marry Christmas
一人身のクリスマスというのに慣れてきた。
果たして、今年で何度目だろうかと考え起こしてみるも、まったく見当がつきそうもない。
仕方ない。今年も一人で迎えるか。
一年のうちで、いくつかある特別な日を。
無感情な目覚まし時計の歌声で目が覚めた。
気分的にはさほどよろしくはないが、日々の生活リズムを崩すつもりなど毛頭にない。
掛け布団をどけて、冬の朝の冷たい空気が、熱った俺の体温を静かに奪っていく。
薄暗い部屋の中をゆっくりと移動して、静かに扉を開く。
リビングは大きな冷凍庫だった。
昨日以上の冷え込みだ。これは堪える。
たしか、コーンスープは切らしていたはずだった。仕方ない。今日はホットコーヒーでも頂くか。
今日は少し変わったものが食べたい。そういえば、昨夜のペペロンチーノが残っていたはずだ。もったいないから食べてしまおう。
レンジに入れている間に、布団でもたたんでしまおうか。しなければならないことがたくさんありすぎて、もうすでに疲れてしまいそうだが仕方が無い。
さてと、もうそろそろだろう。
『最初のニュースです。本日未明、福島県○○市××町の住宅で、この家に住む角野昌義さん一家が惨殺されているのが発見されました。警察の調べによりますと、角野さん一家は全身に渡って鋭利な刃物で刺したような傷があり、出血多量で死亡したものと見ており、家の中には荒らされた形跡が無いことから、怨恨が原因と見て捜査を行っており……』
……朝から嫌なニュースだ。
この事件の犯人は、よくもまあ一家全員を殺害したものだ。
何の恨みを持っていたのかは分からぬが、話し合いで解決することはできなかったのだろうか。
ましてや、この聖なる日に、血を流さなくてもいいだろうに。
……くそう。せっかくの朝食がおいしく感じられなくなってしまった。ふう。仕方ない。これくらいにして、少し出かけるとしよう。
風が冷たそうだな。しっかりと防寒対策をしていこう。
……おや、ひげが伸びてきているな。忘れないうちに剃っておくとしよう。
ふう、寒い。
我が家から一歩外に出ただけでこの有様か。これは選択肢を間違えてしまったかな。
ひとまず、出てしまったからには行けるところまで行こう。
まず、街のほうにでも行ってみようかな。
これはこれは。あたり一面、クリスマス一色に染まっているものだ。
それもそうか。今宵はクリスマスイブ。こうなるのも無理は無い。いや、それに気がつかなかった俺が遅れているんだな。
このごろ、“今”その瞬間だけを見て生活しているのが続いていたから、日付を忘れていたのかもしれない。
いや、朝はしっかりと分かっていたはずだ。何故だ。
……。ひとまず、どこか休める場所でも探すとしよう。
腕時計を見ると、午前十一時を僅かに過ぎた頃。普段なら子供を連れた母親たちが集う街の小さな公園も、大寒波到来のためか、今日はさびしく見える。空いているベンチに腰を下ろすと、身に着けている衣服越しに寒さが伝わってきて、思わず身体を震わせる。
それにしても、さみしいものだ。人の声が聞こえるだけで、暖かさを分けてもらえるというのに、今日に限っては、風が俺に寒さを無理やり押し付けてくる。
ここにあるのは、塗装の剥げかけた動物型の遊具に、枯れた木立、寂しそうに風に揺られるブランコに、今、俺が座っている青が少しはげたベンチだけ。彼らがもし感情を持っていたのなら、きっと「寒いから何か掛けてくれ」とでも言うかもしれない。
……すまないな。今の俺には余りの防寒着を持ち合わせていないんだ。
だから、せめてもの思いで寄り添うことしかできないんだよ。
……ああ、俺、なにやっているんだろう。
先ほどの街の賑わいから置いていかれてしまったようなこの公園で、一人こうして時間を無駄に浪費して。
このままここにいたら、俺までも置いていかれてしまう。
申し訳ないが、ここらで失敬させてもらう。風なんか引くんじゃないぞ。
公園から立ち去るとき、後ろから「そっちこそ」と声が聞こえたような気がした。
どのくらい歩いてきたのだろう。
あたりを見渡せば、田んぼが広がり、少し離れたところににぎやかな街が見える。
結構な距離を歩いてきたんだな。俺もまだまだいけるということか。
頭の上では、侘しく黒の使いが孤独を嘆いて鳴き、ただならぬ哀愁を漂わせている。
ふと、視線を遠くに移せば、遠くの山々には白粉が施してあって、冬、到来とばかりの姿を晒している。昨日はあんなものしていかなったから、昨晩だけで今のようになったのだな。これは今晩も降りそうだ……。
……おや、うわさをすれば、もう降り出して来たか。
空を仰ぐと、先ほどまでの晴天が嘘のように一面灰色に染まり、そこからひらりと雪虫たちが降り注ぐ。まったく、気まぐれな天気だ。
それにしても、傘を置いてきてしまったから、このままここに居座るのはまずい。ひどくならないうちに、街のほうへ戻るとするか。
街へ戻る頃には、あたりはすでに暗くなってしまった。
まぶしいばかりに明かりが灯され、それに応するように流れる一昔流行ったクリスマスソング。
夕食のために入った喫茶店から見るこの街は、なんだか生きているようにも見える。
俺は、この街の一部として生きているんだという考えが頭をよぎるが、即座に捨て去った。
それは当たり前すぎて、今まで知らずの内に知っていた周知の事実。考えるだけ無駄なことだ。
さて、食べてしまおうかと思って手に取ったオーブンサンドウィッチは、すでに冷たくなってしまっていた。
店を後にすると、特に行き場の無い俺は町を彷徨うことにした。
今は街一番の通りを駅方面に向かってはいるが、格別駅に用は無い。
それにしても、この路には若い恋人たちが数多くいるものだ。これまでに、もう十指では数え切れないほどのカップルとであった。これも、きっと今日が特別な日だからだろう。
特別羨ましいとは思わないが、街に出てくると、やはり自分が一人だということに気づかされる。
そうして早くなる歩調。傍から見れば、カップルたちに嫉妬するかわいそうな男と見えてしまうかもしれないな。これは傑作だ。両親が知ったらどうなることだろう。
……いや、知らないほうが良いな。後々苦労することになるだろうからな。
歩いていると、ほろりと雪が降り始める。
先ほどまでやんでいたのに、また来てしまったか。ほんとうに気まぐれな天気だ。嫌われ者め。
道路をあわてて走っていく車は、見ていると少し可笑しく見えた。
……。おや、この曲は。
クリスマスソングではあるだろうが、少し場違いにしか思えない。……というより、聖夜の雰囲気を、冷酷な一撃の下に破壊してしまっている。
まったく。選曲ミスも甚だしい。
ふと、顔を上げると、見事にライトアップされた大きなクリスマスツリーが俺を出迎えた。
……ふっ。
見上げれば、最上部に輝くばかりの星が鎮座していた。
なんだって、今日は。
自分でも頬がほころんだのを感じながら、囁くような小さな声が、俺の口を突いて出た。
「Good evening, Mr. Marry Christmas」
クリスマス用に書き上げたものです。
(初出:2011年12月25日、当サイト)