プラハの二人
言葉が通じないヨーロッパのとある国に行ってみようと思って、はるばるチェコにやって来た。
頭の中で思い描いていたものと実際はかなり異なっていて、私はとっても新鮮な驚きと感動で満たされる。
これから私はチェコの首都、プラハの街観光に出かける。
はたして、どんな出会いが待っているのか。
高鳴る鼓動。心の音が早まる。
うきうき気分で支度を済ませると、私は宿泊しているホテルの一室から出た。
空は快晴。心地よい風が吹いていた。
✽
ホテルから出て、まず先に行こうと思ったのがカレル橋。確かこの橋、今現在ヨーロッパで残っている橋の中では一番古かったはず。確証が無かったから、私は日本を発つ前に購入した『これで完璧! チェコを歩こう』を開いた。
「えっと…確かここら辺に書いてあったはずだけど……」
おかしい。記憶にあるページに書いていない。
「仕方ない。索引で調べよう」
ぱらぱらとページを繰っていくと、あった。144ページ。
「あった!」
なんだかちょっと嬉しくて、橋の真ん中で小さくガッツポーズをしてしまった。周りを行く人が私を見て苦笑いを浮かべているのが分かるけど、気にしない。ちょっと項目を読んでみると、なにやら難しいことが書いてあった。
「カール4世? どちら様?」
高校時代に日本史を取っていた私にとっては無縁の世界史分野。頭の上には疑問符が輪を描いて踊っている。
「まあ、いいか」
口癖が飛び出して、開いていた本を閉じ、橋の欄干から半身を出して、下を流れるモルダウ川を眺めた。朝の陽を浴びて宝石のようにきらめく水面を滑るように行く小船。明日か明後日にはあれに乗る予定を組んでいる。
「楽しみだなぁ」
うふふと微笑んで、欄干から離れた。ゆっくりと橋を向こう側に渡って、辺りを見回した。日本にはあるはずのない景色。まさしく異国の地。建築様式の違いが明確に見て取れる建物。
「きっと、夜になったらもっと素敵になるんだろうな」
そんな事を思って、バロック様式で造られた世界遺産を後にした。
✽
行き当たりばったりの一人旅。さっそく私は行き詰ってしまった。いや、行き詰るというより迷子になってしまったといったほうがいいのかもしれない。
「ど、どうしよう……」
言葉の通じない国に行こうと思って来たのはいいけど、これでは道行く人に「ここってどうやって行けばいいですか?」なんて聞くことができない。改めて自分の無計画さを呪った。
「はぁ、私、これからどうしたらいいんだろう」
カレル橋から少し離れた路地脇に座り込んで、必死にガイドマップを見つめていた。
「あら、あなたもしかして日本人?」
突然、声を掛けられた。しかも、日本語。顔を上げてみると、そこにはいかにも現地の人とは違う黒髪に黒の瞳。新鮮な果物が入ったバケットを持った髪の長い女性だった。
「は、はい!」
嬉しくて、声が裏返ってしまった。途端に襲ってくる羞恥心。頬が熱くなるのが分かる。
「ふふっ。私、群馬亜美。この街で日本食のレストランをやっているの。あなたは?」
「わ、私、立岡小町って言います」
「そう、小町さん。素敵な名前ね」
「あ、ありがとうございます」
自分の名前が素敵だと思われるのは、なんだか少しこそばゆいような感じがする。えへへと笑っていると、亜美さんがところでと前置きをして、私に詰め寄ってくる。
「あなた、こんなところに座り込んでどうしたの?」
「あっ」
そうだ。私、迷子になっていたんだっけ。
「私、ちょっと道に迷っちゃって……」
すると、亜美さんは納得したように頷いて、笑顔のまま私に言った。
「それなら、私がプラハの街を案内してあげようか?」
「えっ、いいんですか!?」
「別に構わないわよ。今日、レストランも定休日だし」
この機会を逃すわけには行かない。私は「お願いします!」と即答していた。
✽
「ところで、小町さんはどうしてチェコを訪れようと思ったの?」
「答えにくいのですが、言葉が通じない国に行きたかったんです。それで、偶然にもチェコに来た次第で……」
「そうだったのね」
プラハの街中を、私は亜美さんと二人で歩いていた。亜美さんは相変わらずバケットを持ったままでいるので、中の果物が悪くならないか、心配でならなかった。
「そうだ!」
突然立ち止まったかと思うと、亜美さんは何か思いついたように瞳を輝かせると、私の肩をがっしりと掴んで言う。
「小町さん、お昼ご飯は未だでしょう?」
「は、はい」
「なら、ウチで食べていかない?」
「へっ?」
あ、亜美さん、それは真ですか!?
おそらく表情にも出ていたのだろう。亜美さんはにっこりと微笑み、「もちろんいいわよ」と言ってくれた。
私、今日はなんだか運がいい。
せっかくのご好意だったので甘えさせてもらうことにした。
プラハの中心部から少し外れた場所。それでも周りには住宅がひしめき合うように連なっていて、どこか忙しなさを感じるところに亜美さんのご自宅があった。
「さあ着いた。あがって」
「お邪魔します」
随分と古くて歴史のありそうな建物だ……。
「小町さん、そんなところにいないでこちらへどうぞ」
「あっ、すいません」
なんだろう。この感覚。心の底から「ただいま」って言える、そんな気分にさせてくれる空間。ど田舎の実家が懐かしく思えた。
「ありがとう、プラハ」
「えっ、どうしたの?」
私の謎の発言は、亜美さんを驚かせたらしく、彼女はしばしの間固まっていた。
時は少し流れて、太陽が空の真上にやってくる頃、私は亜美さんのご自宅で美味しい料理に舌鼓をしていた。
「小町さん、お味はいかが?」
「はひ、とってもおいひいれふ!」
「それは嬉しいわ。一生懸命作った甲斐があるわね」
亜美さんが作ってくれた料理は、本当に美味しかった。修学旅行で泊まった旅館に出てくるような料理が、それも程よい量で目の前に並べられている。これなら全て食べることができそう。それにしても、まさかチェコでこんなに豪華な日本料理が食べることができるとは思ってもいなかったから、かなり感激。
「ゆっくり食べても大丈夫だからね。デザートもあるわよ」
「で、デザートもあるんですか!?」
口の中に入っていた料理を飲み込んで、私は叫んだ。亜美さんはくすくすと笑って、日本式の台所へと姿を消す。彼女の姿が完全に見えなくなって、私ははっとした。
“私、なんて失礼なことをしているのだろう”
余りの美味しさに欲が頭を擡げ、理性が完全に負けていた。だからこそ、あんな非常識な言動をしてしまったのかもしれない。
“後でしっかり謝らないと……”
残っていた煮物をすっかり平らげると、台所にいるであろう亜美さんに向けて「申し訳ありません」と呟いた。
✽
「うわぁ……」
「さあ、好きなだけ食べてね」
「ありがとうございます!」
目の前に並んでいる豪華な果物の盛り合わせに、私の心は嬉しさではちきれそう。早速ライチを手に取ると、ひとくち頬張る。
「ん~!」
なんという瑞々しさ。まるで清涼飲料水を飲んでいるような感じ。
「おいしい?」
亜美さんがにっこりと微笑んで囁く。私は大きく頷いて見せると、亜美さんはそのままで「お腹を壊さないようにね」といってはくれたものの、この調子でいくとお腹を早くも壊してしまいそう。
「気をつけます」
私が言うと、亜美さんは笑った。
一通り食事を終えると、お腹を膨らませた二人の女性がいた。一人は私で、もう一人が亜美さん。あの後、亜美さんも果物を一緒に食べ始め、気がついたら午後の3時を回っていたので、少し休憩という形でこうしてゆったりとしている。
「小町さん、もしこれから行くとしたら、どこに行きたい?」
微かに膨れた亜美さんが、少し苦しそうながらも私に問いかけてくる。少し考えた後、私はかねてからのスケジュールの醍醐味として考えていた場所の名前を呟く。
「プラハ城……」
「よし、それじゃあ行きましょうか」
私の呟きを聞いた途端に活発化する亜美さん。でも、いきなり動き出したためか、その顔色の悪さは私に嫌な予感を与えた。
✽
支度やらなにやらを全て終えた頃には、もう時刻は午後6時を回っていた。普通の支度ではこんなには掛からない。でも、あえて支度の内容は言わない。結構修羅場だったから。
ひとまずお腹周りがすっきりした私は、亜美さんのガイドでプラハ城まで辿り着く。
「さあ、着いたわ」
いつの間に掛けたのだろう、シルバーのインテリ眼鏡を“くいっ”と押し上げている亜美さんは、なんだかとっても新鮮に見える。そんな彼女に連れられてやってきたプラハ城は、なんだかこの世のものではないような美しさと凛々しさ、荘厳さを兼ね備えていた。
「お、大きいですね……」
余りの大きさに感嘆の声を漏らすと、「それはそうよ」と亜美さん。
「このプラハ城、世界で一番古くて大きなお城なの。歴史好きにはたまらない場所よ」
「へぇ…」
なんだか、知っていて得をしそうなトリビアをゲット。
「それじゃあ小町さん、中に入りましょうか」
「はい!」
女二人のプラハ城観光が始まった。一歩城内に足を踏み入れて、思う。
“プラハ城広すぎ!”
信じられないくらいの広さ。ガイドブックを開いてみると、敷地内には数多くの施設があるみたいで、地図の彼方此方になにやら建造物の名前が印刷されている。
「おっ? 小町さん、これは何?」
隣を行く亜美さんが私の読んでいるガイドブックが気になる様子。
「ちょっとみせてもらってもいい?」
「いいですよ~」
私は見ていたガイドブックを閉じると、亜美さんに手渡した。早速ページを繰り始める亜美さん。その顔は次第に嬉々としたものに変わってきた。どうやらご満足してもらっている様子だ。
「このガイドブック、とてもいい本ね。ありがとう」
一通り目を通し終えたのか、亜美さんは綺麗な笑顔でガイドブックを返してくれた。
「どういたしまして」
それを受け取り、改めて裏表紙を見てみた。そこには、夜の闇にライトアップされたプラハ城が写っていた。
ひた。歩みが止まる。
「あ、亜美さん!」
思わず、声が出ていた。
「なに、小町さん?」
当然のように、少し先を歩いていた亜美さんは振り返って私に訊ねる。
言うんだ、私。
言うんだ、小町!
「この、ライトアップされたプラハ城を見たいんですけど、一番綺麗に見れる場所に案内してくださいませんか?」
✽
プラハ城観光を一通り終えて、私と亜美さんはプラハ城から少し離れた場所にきていた。
城を川の対岸から臨むその場所には、先客の方々が思い思いの一時を過ごしていた。
「さあ着いたわ。ここが私の知っている中では一番ライトアップされたお城が綺麗に見られる場所よ」
自身ありげに胸を張って見せる彼女は、実に幼く見える。でも、それだけの場所であることはその絶景を見て分かった。
「す、凄い……」
その先の言葉を飲み込んでしまうほど、いや、呼吸をしているその一瞬さえもが無駄に思えてくるようなすばらしい景色。
“ああ、チェコにきて良かった……”
手身近にあった長椅子に腰を下ろして、食い入るように闇夜に浮かび上がるプラハ城を見つめていた。
左手首に嵌めた腕時計が午後9時を指す頃、私はふとした思いに駆られ始めた。それは、このままチェコに残って観光を続けるべきなのか。それとも、日本に帰ってしかるべき事をするべきなのか。考え出したらとまらない。でも、自分自身で答えを出そうにも出せそうにない。視線を川面に移した。昼間、カレル橋から見たモルダウ川の水面とはちょっと違う、ゆったりとして、かつ謎めいていて。私には到底理解できない世界が広がっていた。
「小町さん、どうしたの? 何か悩み事?」
そんな私の様子を見ていた亜美さんが声を掛けてくれた。この際、全てを話してしまおうか。
私の心の中が大きく揺れ動く。それは地震でも嵐でも、竜巻の所為でもなくて。私の素直な心とそうでない心とが争い、ぶつかって、時に和平を、戦争を。そんなことを繰り返して、また戻って。情緒不安定な私は、優柔不断でもあった。
「う~ん、ちょっと……」
曖昧模糊のような返事をしてしまった。こんな場所のこんな雰囲気には全くそぐわない。明らかに場違いな私であるものの、亜美さんはしっかり私を見ていた。
「何か話しづらいこと?」
「いや、そういうわけじゃないんですけど…」
「それじゃあ、話しちゃえば良いじゃない。楽になるよ?」
「は、はあ…」
言い出したいけど、ためらいの気持ちが働いてしまって一歩が踏み出せない。このもどかしさが嫌い。心の底から。確かに亜美さんの言う通り、言ってしまえば楽になるかもしれない。でも、もしそれを聞いた亜美さんが気分を害してしまったら、もしかしたら、この夜の街に一人ぼっち置いていかれるかもしれない……。それは、嫌。
「ねえ、小町さん」
先ほどとは違う、おっとりとしていて柔らかい口調で私を呼ぶ亜美さん。心の警笛が、「いつでも大丈夫ですよ」と合図を送ってくる。
「な、何でしょうか?」
慎重に、慎重に。できる限り相手の出方を伺って……。
「そんなに迷っていて、しかも埒があかないなら、最後は“アレ”で決めるしかないわよね」
「“アレ〟……?」
「そう、“アレ”」
そんな“アレ”といわれたって、何のことだかさっぱり分からない私。すると、亜美さんが私の前にぎゅっと握った右手を差し出してきた。
「あ、亜美さん? これは何かの儀式ですか?」
とってもあやしい光景。僅かに彼女と距離をとると、臨戦態勢のまま、恐る恐る問いかけてみた。すると、彼女は突然笑い出し、おまけに涙もほろりと流し始める。
「こ、小町さん…これは、もう、じ、じゃんけんしか、無いでしょう……」
口元を押さえて涙を流し、大口を開けて笑うその姿。果たして、上品なのか下品なのか分からないけど、ようやく謎が解明された。
「要するに、じゃんけんで私が負けたら話す。亜美さんが負けたら話さないということですか?」
「なんだ。わかっているじゃない」
「と、突拍子に言われたので、ぴんとこなかっただけですよ」
「そうかなぁ…」
「そうですよ。きっとそうです」
月と街灯の明かりが照らす川沿いの広場。そこで私と亜美さんのちょっとしたバトルが幕を開けようとしていた。
「さて、行くわよ」
「負けませんからね」
「最初はグーだからね?」
「もちろんです」
「じゃあ、いくわよ?」
「最初はグー、じゃんけんぽん!」
✽
時刻は午後10時をちょっぴり過ぎた辺り。プラハ城を望む川沿いの小さな広場で、私は事の全てを亜美さんに語って聞かせていた。
「…この国に来た理由も、本当は、変化の無い日々に嫌気が差しちゃって。気分転換というよりも、いっその事こっちで暮らしてみようかななんて思ったんですよ」
「うん、それで?」
「日本を発つ前、とんでもないくらい日本が嫌いで、一刻も早く離れたくて仕方が無かったんです。『あんな日々がいつまでも続くあの国には居たくない!』というような具合で……」
「なるほどね……」
私のカミングアウトを、真摯に聞いてくれている亜美さん。なんだか頼れるお姉さんみたいで、安心する。
「一通り聞いてみてある程度分かったけど、小町さん、あなたは今も日本には戻りたくないって思っているの? それとも、気が変わったの?」
「それはまだなんとも言えないですけど、この国に来たときよりは、確実に変わっていてはいますね」
「そう。それはよかった」
「今日ホテルに帰ったら、じっくり考えてみることにします」
「それがいいわ。…いい答えが出るといいわね」
「そうですね」
今日何度目か分からない笑顔を浮かべ、また視線をプラハ城へと戻した。相変わらずそこにずっしりと座り込んでいる。まるでそれは、もう帰ってこれないほど遠くに行ってしまったお父さんのようだった。
✽
それから私は亜美さんと別れて、夜のプラハをホテルに向かって歩き出していた。到着したのは午後11時少し前。分かれたのが10時50分だから、距離的にはそんなに離れていなかったことが伺える。
それにしても、ホテルまでの道のりはなんだか、別世界に迷い込んだかのような印象を受けた。日本とは違う家のつくりをしているのが影響しているのだろうけど、それだけでは説明しきれない、その場の雰囲気とか、街灯に施された中世ヨーロッパを思わせる装飾など、きっかけはいたるところにあって。
ホテルの自室の扉を開けた時、無事辿り着けた安堵感と同時に、あの不思議な感覚が終わってしまったという残念な気分の両方が襲ってきた。
“このプラハって街、不思議ね……”
自室に備え付けられている窓から外の景色を眺めた。赤い屋根が連なっていて、よく見てみると、先ほど観光してきたプラハ城なども見える。
“あの場所に、私、行ってきたんだ”
なんだかあの時の楽しかった気持ちがぶり返してきて、今すぐあの場所に行きたいという衝動に駆られた。でも、それは不可能。こんな遅くに開いているはずが無いから。
「私、どうしたらいいんだろう……」
亜美さんと約束…というより、話し合った答えが必ず出るとは限らないし、出たとしたって、その先に何があるのかもわからない。
“でも、答えを出さないと。私には、いつまでも立ち止まっている時間はないんだから”
自らを奮い立たせて、考え始めては見るものの、なかなか思うようには行かないもの。途中襲ってきた睡魔によって、私はそのまま眠りについてしまった。
夢を見た。
日本での日々の夢を見た。
ああ、あの頃の私だ。
辛くて厳しくて、何もかもがつまらなかったころの私だ。
…でも、笑っているのはどうして?
そんなに楽しそうに振る舞えるのは、どうして?
夢の中の、あの頃の私は、誰にとも言うわけでもなくこう言った。
『楽しいからこそ、笑うんですよ。でも、いくら楽しくたって辛い時は辛いし、つまらない時にはとってもつまらないものなんですよね。それを乗り越えた時に、真の楽しさを知ることができるからこそ、私はこの仕事をしているのかもしれませんね』
ああ、思い出した。
私は別に、あの日々が嫌いだったわけではなかったのだ。単に私自身のわがままが発展しただけなのだ。
今ならはっきりと言える。
「あの日々に帰りたい」
思った時には口に出ていた。つくづく私は隠し事のできない人間なのだなと少し悲しくなる。しかし、しっかりと答えを出すことができた。優柔不断という不名誉な称号はご返上いたしますね。
亜美さん、私、やったよ。ちゃんと答えが出せたよ。えらいでしょう。亜美さん、これを聞いたらどんな反応をするのかな。でも、明日会えるのかな。それよりも、明日日本行きの飛行機何時出発だろう……。
✽
『SIDE:T.KOMACHI』
チェコを発ってから一時間くらい。飛行機の中は外国人観光客で満員だった。その人の多さに驚いたものの、今は慣れてしまって、窓側の席であることを良い事に、外の景色を眺めている。
雲の隙間から僅かにのぞく大地。
もし、これが日本に続いているのなら、世界はどう変わっていたのだろうかと考え始めた。でも、すぐやめた。だって、そうしたら亜美さんともあえなかったかもしれないから。日本での日々が『楽しい』って思えなかったのかもしれないから。だって……
『人は、偶然の出会いがあるから成長する。そして、偶然の出会いは運命の出会いとなり、あなたの血となり肉となる。そんな出会いを繰り返したものは、大いなる草原を駆ける風となる』
そんな素敵な言葉が本に書いてあったから。亜美さんと出会ったのも偶然だし、チェコに行ったのも偶然。でも、それが結果として私を変えてくれた運命の出会いだった。
……そういえば、メールアドレスゲットしたのに、送ってないな。よし、何かメッセージでも送りますか。ぽちぽちっと。
亜美さん、必ずまた会いに行きますからね!
✽
『SIDE :G.AMI』
小町さんは先日、チェコを発った。最後の別れ際、「私、今度は亜美さんのレストランに行きますから」と言ってくれたのが本当にうれしかった。彼女、次はいつ来るのかしら。
“ピピピ……”
あれ、メールが来てる。知らないメールアドレス。一体誰なの。用心しつつも一応メールを開いてみた。すると、こんなことが書いてあった。
『亜美さんの見ていない間にアドレスをゲットしてしまいました。ごめんなさい。また今度来たときには、プラハの案内よろしくお願いします。
立岡小町』
「……小町さん」
目尻から、何か暑いものが噴き出してくる。視界が何かで揺らぎ、頬を伝っていく。それが涙であることはすぐに分かった。かばんからちょうど良いタオルを取り出すと、別れの印を丁寧にふき取って、呟いた。
「任せなさい。この前よりももっとすごい穴場スポットに連れて行ってあげるからね。忘れないでいてね、小町」
私はそのまま踵を返して、空港を後にした。
文芸部の部誌作成の際に、『国』というテーマで書き上げました。
(初出:2011年9月某日、某高校文芸部部誌)