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短編集  作者: 更級優月
24/24

吹雪の日に

「うっわ、さむっ!」

 玄関を出ると、タイツ越しに寒さを感じる。近年類を見ない寒波が、今、この北国の港町を襲っている。そう今朝のニュースで伝えていた。

 正直言って、寒いのはごめんだ。

 塗装の剥げかけた階段を下りていくと、次第に昨晩の暴風がもたらしたものが見えてくる。

「うわぁ、これ、間に合うかな……」

 今年ローンを組んで買った新車が、雪に埋もれてしまっている。いや、車だけではない。たった一晩で、辺り一面を純白の世界へと様変わりさせてしまっている。積雪は目測で二十センチはあるだろうか。長めのブーツが半分ほど埋まってしまい、歩きにくいことこの上ない。また、道行く車はどこか危なげで、運転席に座る影は、慎重にハンドルを握っている。

(まさか、大雪警報は出ていたけど、ここまで降り積もるとはね……)

 大きく溜息を吐きながら、車の後部座席側のドアを開け、除雪用具を取り出す。ボンネットから雪をどけ始め、続いてフロントガラス、両サイド、そして車の屋根部分。あらかた作業するのに、軽く十数分かかってしまった。

「……さてと、これくらい除雪すれば大丈夫でしょう」

 ほぅっと息を吐けば、ましろのそれが空気に溶けて消えて行く。今日の最高気温は氷点下。路面も凍結していることだろうし、気を付けて通勤しなくてはならない。

「んじゃ、遅れないように、出発しますか」

 車に乗り込み、履物をスニーカーに変えて、エンジンをかけた。車が、寒さに震えているような気がした。


二戸にのへ君、今日は五分遅刻だね。こんな状況だ。交通渋滞にでも巻き込まれたかい?」

「すいません! 十分余裕を持たせて家を出たのですが、部長の仰る通り、道中渋滞に嵌りまして……」

「いや、結構。こればかりは仕方がないさ。なんせ、突然の大雪だ。例年と比べてもこれほどの雪が一晩で降るのも珍しいし、これでは渋滞になるのも無理はない。本来であれば叱るべきだが、今回ばかりは目を瞑ろうと私は考えている。だから二戸君、今日を教訓に、明日から用心すればいいさ」

「申し訳ありません。ありがとうございます」

「それでは、仕事を始めてくれ。今日は少しばかり量が多いものでな。定時での帰宅を約束できないかもしれない。すまないね」

「いえ、構いません。私は一人身なので、いつ帰っても同じですから」

「そんな寂しいことを言うんじゃない、二戸君。そんなことを言っていると、来るべき幸せも逃げて行ってしまう。前向きに考えていこう」

「はあ。承知しました。……それでは、仕事の方に戻ります」

「分かった。今日も一日頑張ってくれ。何かあれば、すぐに来てくれ。頼んだぞ?」

「承知しました。失礼します。」

 軽く背中を曲げ、部長席の前から離れながら、説教を受けずに済んだ安心感に胸がいっぱいだった。案の定、通勤途中にある長い橋の上で渋滞に嵌り、ノロノロペースで通常の二倍時間がかかってしまった。通勤時間には遅刻してしまうし、業務開始五分前にある朝礼にも顔を出せなかった。遅れて顔を出した私を部長は呼び止め、先程のような口頭注意を受けたわけだが、部長の言葉に私は、遠く離れた山間の町に住む父親の柔和な顔を思い出していた。

 自分の席に着くと、備え付けのデスクトップを起動させて、業務を始める。昨日は大量のデータ処理に追われ、若干業務が残ってしまっていた。今日も昨日よりやや多いくらいのデータ処理作業があるので、これは残業かな、と心の中で溜息を吐いた。


 私の勤務する会社のお昼休みは、正午から午後一時の一時間の間で、三十分間許されている。この会社には社員食堂が無いため、お昼ご飯は各自で作って持ってくるか、二軒隣のコンビニに行って買うかの二択に絞られる。私は前者の部類に属しており、今日も自作の拙い弁当を持って、自分のデスクのある業務スペースから居を移し、休憩スペースのような場所に陣取ってお弁当を広げている。

「案外手ごわいものね……」

 午前中、ある企業から委託を受けた会計処理を行っていたが、なかなか計算が合わず苦労した。部長に報告したところ、相手方に確認を取ることになった。連絡をしてみれば、単なる申告漏れ。これだけで、二十分ほど無駄にしてしまった。何とか午前中でその業務を終わらせることができて安心したものの、午後には強敵が待っている。迫りくる強敵に備えて、自動販売機で買った緑茶に口をつける。新茶を使っているようで、苦みに癖が無くて飲みやすい。キャップはそのままに、お弁当を食べ進める。

「お疲れ様です。向かい、座ってもいいですか?」

 突然声がかかった。弁当箱を持ったまま視線を上げると、今年入社したばかりの新藤恭介くんがそこにいた。彼は身長が180センチを超えていて、屈強な強面でありながら、近年、類稀たぐいまれなる好青年で社内での評判はとても良い。私も毎日何かしらで彼とは言葉を交わすが、今回のようなことは初めてだった。

「うん、どうぞ」

 優しく招くと、ぶっきらぼうな「失礼します」の一言が返ってきた。私よりも一回りも大きい体を椅子に収め、コンビニ袋をテーブルに置いた彼は、袋から食料を取り出しながら、どこか浮足立ったような空気を纏っていた。

「大分会社には慣れました?」

 お弁当を食べ終えて、何気なく問いかけてみる。彼はサンドウィッチを頬張りながら、こくりと頷いた。急いで咀嚼そしゃくし、某清涼飲料水を口に含んで嚥下えんかし、一息ついてから口を開く。

「ええ、なんとか。みなさん優しいですし、分からないことはすぐ教えてくれますし。愛未あみさんを始めとした先輩方は、どんな些細なことでも丁寧に教えてくれるので、安心して業務が出来てます」

「そうなんだ。そういってもらえると、先輩として嬉しいわ。これからも何か不明点があったら、いつでも言ってちょうだいね。お姉さんが優しく教えてあげるから」

「了解しました」

 彼は苦笑し、そしてにっと笑った。並びの良い白い歯が、育ちの良さを感じさせる。

「それじゃあ、私そろそろ仕事に戻るね。少ししか相手出来なくてごめんなさいね」

「いえいえ、そんなことないです。愛未さんと一言お話しできただけでも幸せですから」

「嬉しいこと言ってくれるじゃないの! お姉さん、新藤君に惚れちゃうかも」

 ふふっと笑ってみれば、彼は困ったように、そしてどこか嬉しそうに笑った。

 できればもう少し話していたかったけど、休憩時間はもうすぐ終わってしまう。だから、いたたまれない気もするけど、椅子から立ち上がる。

「それじゃあね」

 手をひらひら振ってみれば、彼はにっこりと笑っていた。でもそれは、どこか悲しげな笑顔だった。

 彼に背を向けてからも、私の背中には、彼の視線がずっと突き刺さったままだった。


 午後の業務が全て終わったのは、午後八時を軽く過ぎた頃だった。この会社の提示は午後七時。一時間と少し業務時間が超過してしまった。

「うーん、やっと終わった~」

 椅子の背に凭れて背伸びをすれば、体のあちこちから悲鳴が上がった。午後の業務が始まってからずっと座りっぱなしだっただけに、全身の筋肉が強張ってしまっている。ゆっくり肩を回して、もう一度伸びをした。他の社員も数名残っているが、全員が佳境を迎えているようで、集中して画面に向かっていた。その中には新藤君もいて、画面に噛り付くばかりの勢いがある。そんな彼らを横目に退社準備を済ませ、集中力を切らさぬように配慮しながら、タイムテーブルに記録して退社した。

 会社を出ると、外は猛吹雪で視界がほとんど利かない状態だった。それに加え、朝の凍結具合とは比べ物にならないほどに路面は凍り、街灯に照らされた路面が不気味に黒光りしている。

「これは帰りが大変になるわね……」

 コートを着ても寒さは防げず、寒さが身体から体温を奪っていくのが分かった。早く車に乗らなきゃと、本能で叫んでいるのを感じた。

 車に着くと、また雪が積もっていて辟易した。この吹雪の中、また除雪作業をするのかと思うと気が引けたけど、それをしなければ帰れない。仕方なしに除雪用具を取り出して、いそいそと雪をどかして、素早く車に乗り込んだ。ブーツに着いた雪を払っている間、それまでブーツに守られていた部分が外気に当てられ、全身を強い寒気が襲う。無意識に身体が震えていて、これではいけないと思い、急いでエンジンを掛けた。


 アパートに戻るのに、通勤時の二倍の時間がかかってしまった。

 時刻は午後十一時になろうというところ。渋滞には引っかかる、地吹雪で視界がホワイトアウトし、立ち往生した車、追突事故を起こして道を塞ぐ車などに阻まれ、安息の城にたどり着くころにはへとへとになってしまっている。

 ようやく見えてきたアパートの外観に、思わずため息をついてしまったほどだ。

「やっと着いたわ……」

 駐車してエンジンを切った途端に、ふっと身体から力が抜けた。手をにぎにぎしても、違和感しか感じられない。これはいけないと思っていると、次第に感覚が戻ってきて、力も入れられるようになった。

「なんだろ、近頃こういうの多いけど」

 最近頻発するこの症状に、私は若干の諦めを持っていた。不審に思って医者に行っても、帰ってくるのは『疲労だろう』の一言。そんなことはないとは思うものの、やはり疲労なのかな、と感じてしまう今日この頃。サプリメントに手を出そうか悩みどころ。車から降りてワイパーを上げながら、ぼんやりと考えていた。

 錆びた階段を上って自室の鍵を開けると、途端に外気とは違う冷たさを感じる。もう慣れたはずなのに、いまだに感じるこの冷たさ。孤独という立場故に感じる冷気。

(やっぱり、実家の方で就職した方がよかったのかなぁ)

 ブーツを脱ぎながら、ふと思う。

(もし私がもっと可愛かったら、男の一人や二人、家に連れ込んでいちゃいちゃできたのかも……)

(もうちょっと私に積極性があったら、奥手男子を振り向かせられたのかも……)

「もし、私に……」

 いつの間にか声に出していたようで、自分自身にギョッとした。もしこれが誰かに聞かれていたとしたら、私、嫌われてしまうのかな。

「そんなの、嫌よ……」

 あぁ、考えたくもない思考が動き始める。一人でいると、途端にこうなる。ダメだと分かっているはずなのに、またネガティブな事ばかり考え始める。ブーツを脱いでフローリングの床に一歩足を踏み入れただけなのに。服も着替えなきゃ皺になっちゃうのに。

 どうして、こうも私はダメなんだろう……。


「ほわっ!」

 突然、携帯の着信が鳴った。聞きなれた邦楽歌手のメジャー曲。聞いているだけで、元気になれる曲。携帯の画面を開くと、そこには可愛らしい後輩の名前。私は慌てて通話ボタンを押した。

『もしもし、愛未先輩ですか?』

 今日話した時とは違う、初めて聞く彼の低音に、少し胸がキュンとなる。生で話すのと電話とでは、こうも聞こえ方が違うのか、と感慨に浸っていると、『先輩?』と新藤君が訝しげな声で尋ねかけてくる。

「あ、ううん聞こえてるよ! どうしたのよ突然?」

 新藤君とは以前にアドレス交換はしていたので、電話番号は互いに把握しているが、こうして電話を掛けてきたのはこれが初めてだ。緊張しながらも様子を伺うと、帰ってきた返事はとんでもないものだった。

『先輩、本当に申し訳ないんですけど、無理も承知で、僕を今晩だけ泊めていただけないでしょうか?』

「と、め……ってふえぇぇぇぇ!? なして!? 私んちに、新藤君を!?」

『はい。実は、実家に繋がる道が地吹雪で通行止めになって帰れなくなっちゃって。そこで、市内でなんとかやり過ごそうと思ったのですが、いい方法が見つからず。藁にも縋る思いで電話した次第なんですが……ご迷惑ですよね?』

 電話越しに、彼の声がトーンダウンする。ダメ元で電話を掛けてきたのが手に取るようにわかるが、外は地吹雪でほとんど視界が利かない状況。しかも彼の家はここから二十キロほど離れたところにある。こんな天気の中、回り道をしてまで返して事故を起こさせてしまったら、先輩として責任をどう取ればいいのか。いや、それは間違っているんじゃないのか……

「状況は分かったわ。いいわよ。今晩泊めてあげる。場所、分かる?」

 混乱した頭でなんとかそれだけ言って、あとは覚えていない。通話を切ってから、台所にあるテーブルの椅子に腰を下ろした。

「ウチに、新藤君が……」

 上司として、いや、人間として善意を示しただけなのに、どうして私はこんなにもウキウキして彼の到着を待ち望んでいるのだろうか。たかだか同じ会社の上司と部下の関係なのに。どうして胸がこんなにもときめいているのだろうか。

(もしかして、これって……)

 刹那、玄関のチャイムが鳴った。


感覚戻しがてら、書き起こしました。

(初出:2014年12月29日、当サイト)


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