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短編集  作者: 更級優月
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夜桜


 夜の公園は、静かでいい。

 桜の蕾も徐々に咲き始め、現在は四分咲きと言ったところ。ライトアップされたそれは、ぼんやりと照らされて、私はまるで異世界に迷い込んだかのような錯覚に陥る。

 そんな、通いなれた公園で。

 私は一人で、酒を飲む。


 四月の中旬、勤務先の事業所の一室。新入社員と、私たちとの顔合わせが行われた。この職場は男女比が6:4といったところで、そのほとんどが私よりも年上かつ既婚済み。私は今年で二十七になるものの、相変わらず『運命の人』と言えるに値する人は現れていない。

 その上、同期で入った子も、寿退社をしていった。残されたのは、独身の私一人。勤務態度は個人的にもいい方だと思っているし、実際のところ、叱られることはほとんどない。

「植村、これをワードで打ち直して見やすくしておいてくれ」

「はい、分かりしました」

 課長から書類を受け取って、自分の席に着く。マウスを操作して、デスクトップの端っこにあるワードのアイコンをダブルクリックして立ち上げる。すぐに画面が切り替わって、文章作成ソフトが起動した。

「……んっ」

 軽く伸びをして、傍らに置いたパソコン用の眼鏡をかけて、仕事開始。書類の文面は所々手書きの修正文や、指示文が記入されており、それに従いながら、キーボードの上で指を躍らせ続ける。

 小一時間で、十数枚の書類を修正し終えた。印刷ボタンを押して、パソコン用眼鏡を外して机の上に置く。席を離れてコピー機から吐き出された書類の束を持って、課長にそれを渡す。

「課長、仕上がりました」

 渋面で画面をにらんでいた課長は、私に気付いて表情を変えると、書類を受け取って軽く眺め始めた。ものの数秒後、満足そうに頷いた。

「完璧だ。植村、ありがとう。あとは通常業務に戻ってくれ」

「はい、分かりました」

 軽くおじぎをして、課長の前を辞して自分の席へと戻る。そして、パソコンの隣に置かれた書類の山を見やりながら、これは一体何時間で終わるのだろうか、とぼんやり考えた。


 業務を終えて、会社を後にした。

 時刻は午後六時半。午前九時から働き始めて、途中の休憩時間を合わせると合計八時間の勤務。

 私の家までは、勤務先から歩いて十五分。車は持っているものの、ストレス解消と運動不足解消のために、私は歩くようにしている。その上、途中に公園がある。その公園は、心理的に追い詰められたときや、嫌なことがあったときに限らずに、気が向くと立ち寄っている。ここにいると、時間を忘れるくらいのんびりできる。まるで、ここだけが、他の世界と時の流れる速さが違うかのように思える。

 手短にあったベンチに腰掛ける。コンビニのビニール袋を脇に置いて、雲一つない空を仰ぐ。瞬く星々に、思わずため息が漏れ出る。

 コンビニの袋から、度数の少ないチューハイと肉まんを取り出す。咲き始めの桜を眺めながら、お酒を一口。カラカラの喉に、少しのアルコールが染み渡る。肉まんにかぶりつく。熱い。少し冷ましておこう。

「それにしても……」

 今年の新入社員は、2人だった。一人はすっと背の高い、有名大学出身の男の子。もう一人は、庇護欲のそそられる、可愛らしい女の子だった。序列でこれまで一番下だった私に後輩ができたというわけで、少し不思議な気分になる。

「私が先輩か……うん、似合わない」

 先輩として新入社員を指導している自分の姿を想像して、思わずクスリ。私はどうやら、下っ端の方が向いているらしい。

 ふぅ、と一息ついて、冷めて食べごろになった肉まんに手を伸ばした時、遠くから声が聞こえた。

 危うく肉まんを取り落しそうになって、寸でのところで難なきを得られた。そして、声がした方を見てみれば、あろうことか、今日付けで入社した男の子、在原元輝くんがいた。


「隣、いいですか?」

 私のすぐ近くまで来ると、彼は唐突にそう言った。特に断る理由なんてなかったから、二つ返事で彼が座れるようにスペースを確保する。失礼します、と呟き、彼がベンチの反対側に座った。ちらりと横目で伺えば、頭ひとつ分くらいの差があった。

「植村さん、少し聞いていいですか?」

「うん? いいよ?」

 小首を傾げてみれば、彼は視線をそらして桜を見つめた。

「植村さんはよくこの公園にいらっしゃるんですか?」

「うん。結構頻繁に立ち寄るかな。ここ、帰り道の途中なんだよね」

「そうなんですか……」

 しみじみと言う彼の姿が面白くて、思わず笑ってしまった。

「わ、笑わないで下さいよ。というか、ここって笑うところですか!?」

「ご、ごめんね……私、人とツボる場所全然違うから……ふふっ」

「はぁ、そうなんですか……」

「うん。ごめんね」

「いえいえ、大丈夫です」

 そう言って、彼はニコッと少年のような笑顔を浮かべた。途端、その屈託のない笑顔に、ドキッとする自分を垣間見た。

 それからは、彼と他愛もない話をした。興味のある音楽、趣味、出かけたい場所などなど。案外共通点もあり、結構盛り上がった。

「…くしゅん」

 どのくらい時間が経ったのだろうか。少し肌寒くなってきた。

「大丈夫ですか? よかったら、これで寒さを誤魔化してください」

 彼は徐にスーツのジャケットを脱ぐと、なんと、震える私の肩に掛けてしまう。

「な、何をしているの!?」

 驚きつつも、せっかくのスーツだ。汚してはいけないと思って、無意識のうちに自分に引き寄せる。

「いえ、植村さんが寒そうにしていたので、コート代わりと言っちゃ頼りないですが、幾分マシかな、と思いまして」

「でも、それじゃあ、在原君が凍えちゃうじゃない。風邪でも引かれたら、私、申し訳なくて出社できなくなっちゃうよ」

 声を落とすと、彼は苦笑交じりに手を軽く振る。

「そんな、大袈裟ですよ。こう見えても、僕は寒さに強い方ですから。それに、家もここから近いですし大丈夫です」

「むぅ。それじゃあ、もし在原君が風邪を引いたら、お姉さん、怒っちゃうかもよ?」

「お手柔らかにお願いします」

 そう、まるで囁くように言う彼は、とても楽しそうに笑っていた。つられて私も、自然と笑顔になっていた。


「んじゃ、帰ろっか」

「そうですね、そろそろ十一時になりそうですし」

 桜が咲き誇っていたら、さも風流だったろうな、と思うけど、残念ながら咲き始め。そんな公園の共同ベンチの前で、私と彼は、頷き合う。

 歩き出してまもなく、彼が口を開いた。

「植村さん、桜が満開になったら、またここに来ませんか?」

 そのお誘いに、私は二つ返事で了解した。


 夜の公園は、静かでいい。

 桜の蕾は花開き、辺りを淡い桃色に染め上げる。ぼんやりと照らされたそれは、私をまるで異世界へと誘う甘い誘惑のようにも思える。

 そんな、通いなれた公園で。

 私は彼と、酒を飲む。


練習兼感覚戻しがてら、書き起こしました。

(初出:2014年5月20日、当サイト)

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