ゲーム少年が世界を救う!?
《前記》
「眠い……」
ぼさぼさ頭の少年、遼はゲームのコントローラーを握りながら呟いた。
彼が今プレイ中のゲームは、先月発売されたばかりの新作だった。
バトル要素もありのファンタジー系RPG。
予約をしないと手に入らないといわれるほど人気の作品だった。
それを、彼はディスクが擦り切れるほどやり込み、パーティーのレベルはオールマックス。
一日の大半を学業に費やす学生とは思えないほどのやり込み時間。
彼はネットで話題の神業ゲーマーでもあったため、それが可能になったのだ。
「それにしても、このアイテムはどうすれば手に入るんだ?」
今、彼の眼中には一つのアイテムがある。
『細霧草』というアイテムで、それを手に入れると隠しダンジョンが出現するといういわく付きのアイテム。
しかし、このアイテムは数億分の一の出現率で、未だゲットしたというゲーマーはいない。
というよりも、本当に存在するのかどうかが怪しまれている。
そんなアイテムを求めてゲームを起動すること2時間、ゲームの神は遼に微笑んだ。
「あ、あれは……!?」
遼は思わず自分の目を疑った。
自身が操作するキャラクターの少し先、土を踏み固められた道沿いの叢に、それは確かに生えていた。
幻の植物、細霧草。
彼は大急ぎでキャラクターをその場所に向かわせた。
近くに来ると、件の草の上には、“細霧草”というアイコンが出ていた。
見間違うはずも無い。
遼の心臓は、爆発してしまうのではないかというほど高鳴っていた。
「つ、ついにこれを手にする時が来たのか……」
アイコンを再び確認し、“拾う”動作を行った。
画面上に、『細霧草を手に入れた!』と表示されるのを見て、遼は立ち上がって喜んだ。
彼は喜びを身体全体で表していた。
だが、このとき彼は知るはずも無かった。
自身が立っている床に、純白の魔方陣が現れていることに……。
《起》
―Ⅰ―
「テラ様。仰せつかった物の準備が整いました」
「ご苦労です。下がっていてください」
蝋燭の火が暗闇の中でぼうっと揺らぐ。
光一つ差し込むことの無い暗い場所で、純白のローブに身を包む少女と老人が、魔方陣を前に話し合っていた。
「テラ様、これから何が始まるというのですか?」
恭しく後ろに退きながら、老人は少女に訊ねた。
テラと呼ばれた少女は、半身を老人に向け、笑顔で話し始めた。
「これから、この混沌とした世界を救う勇者様を召喚します。戦闘能力などは分かりませんが、この世界を救ってくれるということには変わりありません。それでは、行きます」
そこで話を切ると、少女は懐から文庫本ほどの魔術書を取り出すと、目的のページを開いた。
「我、汝に願う。今ここに、混沌とした世界を救う強き者を召喚することを望む。汝、我の望みを聞き入れたまえ!」
詠唱を終えた途端、魔方陣が真っ白に光り輝いた。
「な、なんと……!」
テラの後方で、背の曲がった老人が呻いた。
「ついに、現れるのですね……!」
眩い光に目を細めながら、テラはその時を待った。
そして、ついにその時がやって来た。
魔方陣の輝きが一層強くなった。
「くぅ!」
テラはあまりの眩しさに、目を閉じた。
魔方陣からは火花が散り、光もより強くなったところで、何かが地面に落ちる“ドサッ”という音が、空間に響く。
「いてて……」
光が消えると、そこにはぼさぼさ頭の遼がお尻を擦っているだけだった。
そう、魔方陣の真ん中で。
「……」
テラは一言も話すわけでもなく、視線は魔方陣上に現れた謎の少年に痛いくらい注がれていた。
「……ん?」
ここで、遼は自分のことをじっと見つめる一人の少女に気がついた。
彼は両目をごしごし擦り、目を細めた。
狐のような切れ目が細められ、傍から見れば、目を瞑っている様にしか見えない。
「何か用ですか?」
気軽に声を掛けてみる遼。
一方テラは、普通に話しかけてくる少年の……いや、ここは勇者と呼ぶべきなのだろう。普通に話しかけてくる勇者の、いかにも頼りなさそうな体躯を眺めて、深くて大きい溜息を一つ。
そんなこととは露知らない遼は
「どうしたの? 溜息吐くと、その分幸せが逃げちまうぞ?」
魔方陣の中央で胡坐をかき、右手の小指を鼻の穴に差し込みながら、ぼんやりとそう言うのであった。
「テラ様、このような若造がこの世界を救うことなど出来るのでございましょうか?」
少女の後方で立っていた老人が、啖呵を切ったようにテラに詰め寄る。
「そ、そんなこと、私には判断しかねます! 実際にどれほどの力を持っているか分かりませんし、調べてみる価値はあると思います」
老人は老人で。テラはテラで焦っていた。
このぼさぼさ頭の少年が、本当に世界を救ってくれるのだろうか?
もし仮に救うと言ってくれたとしても、どれほどの力を秘めているのか?
必要としている情報が多すぎた。
そんな二人を尻目に、遼は魔方陣の中で寝転がり、辺りをゆっくり見回す。
だいぶ目も慣れてきたのか、はっきりとではなくとも、今いる場所の状況は確認できた。
レンガ造りの壁と床。壁には、この空間を照らし出すには弱々しすぎる蝋燭が等間隔に並んでいる。
遼は、ここが冷めた空気の漂う、牢獄のような地下空間だと推測した。
「ふむぅ……。おおよそ検討は付いたんだがな。ここが何処なのだかが分からない」
思案顔で呟く遼。
愛用しているクリーム色カーディガンの裾を伸ばしながら、ゆっくりと立ち上がり、背伸びを一つ。
そして、少し離れたところであたふたしている二人に、この場所について詳しく聞こうと一歩を踏み出した。
―Ⅱ―
「ところで、これって何をするの?」
全身に謎の幾何学模様を彩られた遼は、少し離れた場所にて分厚い本を床に広げるテラに訊ねかける。
「これ? これはあなたの中に眠る魔力や知力なんかを調べるためのジュゼータ方程式よ」
「……じゅ、じゅでー……」
「ジュゼータ方程式! これくらい一般常識よ。あなた大丈夫?」
「いや、そんなこと言われても知らねえし……」
遼は、それ以上聞いても返ってくるのは侮辱の嵐だと思い、口を閉じた。
その途端、身体に描かれた幾何学模様が淡紫色の光を放ち、そして複雑に交わり始める。
「な、何が起こって……」
「ちょっと黙ってて!」
彼の疑問の声は、分厚い魔道書を片手でなぞる少女の罵声によってかき消された。
仕方なしに、再び口を閉ざす遼は、どこか不満げだ。
(これって、俺の能力を測っているって事だよな?)
少し離れた位置に陣取る少女と老人を見据えながら、遼は思う。
(まさかとは思うけど、ドラ○エのザ○キじゃないよな? F○の○スじゃないよな!?)
「雑念やめて! 手元が狂うから!」
深刻に考え込んでいた遼の元に、またしても罵声。
(なんだよ。別にいいじゃねえか)
心の中で悪態を吐くと、彼はそれっきり喋るのをやめた。
そして、思うのもやめた。
彼は今、何も考えてはいない。
言うなれば、呼吸をして、心の音を響かせる器。
「そうよ。やればできるじゃないの」
徐々に光を帯び始めた魔道書に片手を突くような形で、少女はポツリと呟いた。
そして、視線を落とすと、遼には理解することの出来ない謎の言葉をその口から紡いだ。
「…………………………!」
まるでノリのいい曲のように、リズム良く、飽きさせず。
遼は次第に眠くなって行くのを感じた。
(やべぇ。眠くなってきた……)
視界がクロに染まってゆく中、聞こえてきたのは呟き。
訛りの酷い方言……いや、異国の言葉という例えのほうが正しい。
最後に遼はそう思った。
そして、彼は真黒に染まった。
―Ⅲ―
「……む?」
次に遼が目を覚ますと、そこはいかにも「手作りです!」というほど雑なログハウス。
そこら中に隙間が空いていて、隙間風が寒々しい。
「誰だよ、こんな欠陥住宅作ったのは! 訴えるぞ!」
遼はありったけの声で叫んだ。
“ミシッ”
「……えっ?」
何かが軋む音。しかも、あちこちから。
しかも、徐々に大きくなってゆくそれ。
彼は身の危険を感じ、ログハウスから飛び出した。
途端、それは大きな音を立てて崩れ落ちた。
正に、危機一髪。
「ふぅ……危なかったぞ」
溜息を吐くと、改めて自分の状況を確認した。
着ているものは、いつものクリームカーディガン。
そして、地味な色のズボンと革のベルト。
遼の普段着そのものだった。
「よしっ。やっぱりこうでなきゃな」
無駄にビシッとポーズを決める。まるで、ウサイン・ボルトその人のように。
その後彼は辺りの景色を眺めてみた。
どうやらここは小高い丘の上のようで、遠くに小さな集落らしきものも見て取れた。
そこからは煙が上がり、人がいるのが伺える。
遼は面倒くさそうに溜息を吐くと、その場に腰を下ろし、空を仰いだ。
雲一つと無い青空。そこに輝く真っ赤な太陽。
ピクニックには持って来い、最高コンディション。
しかし、ここは魔法が存在する“異世界”。ピクニックという単語が存在するかも分からぬ異郷の地でもある。
「はぁ……」
また、遼は溜息を一つ。
「溜息ばっかり吐いていると、せっかく訪れた幸せが泣いて出て行ってしまいますよ?」
「うわっ!」
いきなり視界に入ってきた少女を見て、遼は腰を抜かし、距離をとった。
「そんなに怖がらないでよ」
「だって、仕方ないだろ! おま、お前の耳……」
そう。彼女の耳はおかしかった。
それは獣のようで、目の横ではなく、頭の上に。しかも、申し訳なさそうに生えていた。
見るからに、黒猫のような耳。
触ったら、ふさふさしていそうなそれを遼は凝視して、引きつった表情を浮かべた。
「お、お前は人間か!? それとも化け物か!?」
「もちろん人間に決まっているでしょう! 化け物なんてごめんだからね!」
「んじゃあ、お前は何者だ! ここで今すぐに答えろ! 百文字以上百五十字以内で!」
「私はテラ。テラ・ホルンゲート。古豪の貴族、ホルンゲート家の末裔で現当主よ」
「全然百文字いってないじゃないか。もう一度やり直し」
「そんなの関係ないでしょう!」
「いや、関係ある」
いつの間にか遼は、先程まで抱いていた少女への恐怖心を忘れ、彼女と(平穏ではないが)言い合っていたのだった。
《承》
―Ⅰ―
「で、何で俺をここに連れてきたのさ?」
場所はかわって、古ぼけた大きな洋館の一室。
ここはなんでもホルンゲート家が世を謳歌した時代に建てられた屋敷らしく、ホルンゲート家が衰退した後も代々の当主が住み続けているらしかった。
外見は名前も知らぬ蔦植物に覆われており、その姿はまさに“お化け屋敷”そのもの。
実際、お化けが出ると近隣の住民から恐れられているとか。
……話を戻そうか。
テラと名乗る少女にこの屋敷へと誘われた遼は、まさに今彼がいる部屋に通された。
その部屋には豪勢なインテリアが並び、当時の様子をうかがい知る事が出来る。
紅茶を入れると席を立ったテラに、現状をまったく理解していないご様子の遼が問いかけたのだった。
彼女は彼の問いかけに立ち止まり、振り返った。
頭についている耳がひょこひょこと動く。
「連れてきた理由は追って話すわ。今は静かにそこに座ってて」
そっけなく言うと、踵を返して行ってしまった。
その時に遼は、彼女の真っ黒の尻尾が嬉しそうに動くのを見逃さなかった。
―Ⅱ―
しばらくすると、テラが戻ってきた。
手には配膳用のプレート。その上に二つの黄金色のカップとスプーンらしきもの。そして、甘い香りの菓子が乗せられていた。
「口に合うかどうかは分からないけど、ひとまずどうぞ」
遼の目の前に置かれるカップ。中にはクリーム色の良い香りがする液体。
「ありがとうございます」
妙に丁寧口調になってしまう彼は、こそばゆそうにカップを手に取る。
一口啜れば、口の中に広がる練乳のような甘さ。
彼は満足そうに微笑むと、一度カップを置き、先程の話題の盛り返しを試みる。
「さっきの話なんだけど……」
「どうだった? この紅茶、私の新作なんだけど……美味しかった?」
「……」
遼の話は、彼女の紅茶に対する感想伺いによって途中で消え去った。
「ん? 浮かない顔をしてるけどどうしたの?」
自分が原因だと思ってもいない少女、テラ。ご機嫌伺いの如く遼に尋ねかける。しかし、彼は「別に」と淡白な反応を示し、溜息を吐いた。
相変わらずテラは頭の上に疑問符を浮かべていたが、遼が「これ、美味しかった」と呟いたことで、自己完結をなす事となった。
一方遼はというと、自分の話を無視された為にあまり心地よい体ではなかった。
この少女に対する価値観……言ってしまえばそのものの定義を確定させようとしている今、無視されてしまったのだ。
これから先、どうするべきかとゲームで培った知識をフルに稼動させて考え込む遼。
その結果生まれるのは、沈黙。
未だに白い湯気を漂わせる紅茶。それを挟んで対面する二人の間に訪れる静寂。
静かなのは苦手というように、テラの耳、尻尾は忙しなく動き続けた。
ボフッと尻尾が椅子を叩く。
無音の室内に、その音は良く響いた。
「うん。うん」
いきなり遼が頷き始めた。
「にゃっ!?」
お約束とばかりに驚くテラに、今度は遼が首を傾げた。
「どした? ゴキでもいたか?」
彼はこの場にいないで欲しいランキングにおいて十五連覇中の猛者の名を口にした。だが、少女は“ゴキ”というものが何なのか分かっていないご様子で、首を斜め四十五度に傾ける。
それを見た遼は、「これはダメだ」と心中愚痴を溢し、「分からなかったらいいんだ」と彼女に言葉を掛けた。
少女、テラは自分がいけないと思い込んだのか、右手でグーを作ると、その小さな頭を何度かポカポカ叩いていた。
―Ⅲ―
時間が経つということ。それはその場にいる人がより密接に関わる様になるということ。
遼とテラも例外ではなかったようで、次第に言葉数も増えてきていた。
「ここの蔦はね、百三十年も生きているのよ」
「それは凄いな。ギネスもきっと飛びつくだろうな」
「……『ぎねす』、とはなんという生き物なの? 毒をもっているのかしら?」
「生き物でもないし、毒も持っていない。いろんな“一番”がたくさん掲載されている本みたいなものだよ」
「そうなのですか……。一度見てみたいものですね」
「ああ、きっとハマること間違いなしだな」
ときたま謝った知識が加わることがあるものの、二人の間にあった差は大分縮まり、もうすぐ手も届くのではないだろうかというところまで来ているようだった。
そんな時、テラが重々しく口を開いた。
「リョウに聞いて欲しい話しがあるの」
いつの間にか二人は互いの名前を知り、その名前で呼び合うようになっていたので、“リョウ”と呼ばれて遼は「ん?」と返事をして次の語を待った。
「実は、あなたをこの世界に招いたのには理由があるの……」
何かを含ませるようにして話すテラに、遼は「それで?」と軽く相槌を打ち、次を促す。
テラは彼の意図を察したのか、今度は淡々と話し始めた。
「実は、この世界には悪い王がいて……みんなはそいつを『魔王』って呼ぶの。そいつの本当の名前は『ラスタルフ・ゴルバドール』っていうの。ラスタルフは何処からとも無く現れて、世界を恐怖に陥れたのよ」
彼女はそこで一息吐くと、その華奢な身体を振るわせた。今、彼女の耳はパタンと折れて頭の上で小さくなっている。
よほど怖がっているのだろうと思った遼は、震える彼女を優しい視線で見守った。
そして、震えながらも彼女は続ける。
「そのラスタルフはこの近くに巨大な城を建設して、全てをその手に掌握しようとしているの。そこでリョウ、あなたにラスタルフを倒してもらう為にこの世界へと招いたのよ」
「ふーん……って、ちょっと待って!」
聞いていて納得した様子だったが、急に慌てだす遼。
無理も無いはずだ。なんせ、自分の使命がこの世界の人々を恐怖のどん底に陥れる魔王、ラスタルフを倒すことなのだから。
遼はテーブルに置かれた菓子をひとつ口に運ぶ。口の中に、桃に似たほのかな甘さが広がった。
「リョウ……?」
テラは遼の挙動不審を見て不安になったのか、酷く落ち込んだ声色で彼の名を呼んだ。
「でも、その……ラスラルフは強いんだろ?」
舌が思う様に回らず、肝心の魔王の名前を間違えてしまう始末。
「ラスタルフ。今まで千を越える勇敢な戦士達がヤツを倒しに行ったけど、誰一人として戻ってこないの。……おそらく、ラスタルフにやられたんだと思うわ」
「そんなやつに、俺が勝てると思うのか?」
「うん。きっと勝てるわ」
「こ、根拠はあるのか?」
「地下宮殿で行ったジュゼータ方程式で、あなたはラスタルフと同等。いや、それ以上の力を持っていることが分かったの。それが、私があなたを推す根拠よ」
「……」
遼は心の中で戦っていた。もちろん、相手は“弱い自分”。
強い自分は、魔王と戦ってやろうじゃないかと闘志を漲らせていた。
しかし、弱い自分はというと、どうせ勝てっこない。絶対無理だとの一点張り。
(どうしよう。これは素直に「はい、戦います」って言ったほうが良いのか……)
「リョウ、時間が無いのよ!」
なかなか答えが出せずにいる遼に、テラが詰め寄る。
しかし、彼は未だに悩んでいた。
(勇者って呼ばれたい。祝福されたい。……でも、魔王にもしやられちゃったとしたら、俺、二度とあのゲームが出来なくなるんだよな? それはイヤだ。断じて受けたくない)
「リョウ!」
テラが身を乗り出し、重病患者のような遼の顔にずいっと自身の顔を近づけた。
その距離、およそ数センチ。
少しでも身動きをしようものなら、間違いなくキスへと発展してしまうような距離だった。
「……俺」
弱音を吐く遼に、テラが諭すように語り掛ける。
「リョウ、良く聞いて。私はリョウに賭けてるの。きっと偉大なことをやってくれるって。物凄い賭けだって事は分かってる。でも、私とリョウならきっと出来る。不可能はないって思ってるの。……ねえ、リョウ。一緒に魔王を倒しに行こう?」
窓の外ではいつの間にか雷鳴が轟き、風もやや強まってきていた。
屋敷の庭にそびえる柳の葉が、不気味な音を立てて揺れていた。
“ピカッ! ゴロゴロゴロ……”
すぐ近くで雷が鳴った。屋敷の中が明るく照らし出された。
薄暗かった室内は照明を当てたみたいに明るくなり、遼は彼女の表情をこれまで以上にまざまざと見せ付けられた。
「テラ、泣くなって……」
彼女は泣いていた。
「泣いたら、俺まで悲しくなるだろ?」
遼の声が、若干上ずる。
「テラ、俺、決めたよ」
「……えっ?」
テラの弱々しい涙声が、遼の耳に届く。
彼はそれを身体全体で受け止め、噛み締めるように呼吸を整えると、はっきりこう宣した。
「俺、魔王ラスタルフを倒すよ」
《転》
―Ⅰ―
嵐の前の静けさとはよく言ったものだ。
外では、未だに雷鳴が勢いを保ち続け、一向に止む気配を見せなかった。
時折雷が落ち、爆音を響かせていた。
そんな中、遼は遠くに聳え立つ巨大な城を見やっていた。
――あの場所に、魔王ラスタルフがいる。この世界全てを恐怖に陥れる存在が。
窓から目を凝らせば、遠くに小さいながらも巨大な城の存在を確認できた。
「あそこに行くんだな……」
「うん」
遼とテラは、部屋の窓枠に体重を預けて、ラスタルフの居城を見つめていた。
それから二人は、は豪華な食事を取った。
横に無駄なほどに長いテーブルに向かうのは、この二人だけ。
だが、現れる料理の量はとても二人で食べきれるものではなかった。
遼にはこれが『最後の晩餐』に思えて仕方がなく、よけい箸が進まない。
しかし、彼はテラに余計な心配を掛けさせまいと、目の前にあった蒸しパンのような料理を手に取った。
一口頬張ると、先程の菓子のような桃に似た味わいが広がった。
「おいしいな、これ」
先程の勢いが嘘のように手が止まらなくなる遼。
その様子を見ていたテラは微笑み、尻尾をしきりに動かした。
「よかった。心を込めて作った甲斐があったわ」
やや頬が赤くなっているのは照れている証拠だろう。彼女は頬にそれぞれ手を寄せて、うっとり瞼を閉じた。
時間が流れていく。
二人はその後も、ゆっくりと食事を楽しんだ。
―Ⅱ―
「さて、いよいよね」
「ああ、覚悟は出来てるさ」
屋敷の正門に二人はいた。
雷も幾分収まり、雲の切れ間からは瞬く星々が見てとれた。
「ところで、この格好はなんだよ?」
「ん? 旅装」
今、二人は旅装をとっていた。
遼はいつもの服の上から漆黒のローブを羽織り、見た目からは想像もつかないほどに軽い大剣を背負っていた。
一方テラはというと、こちらは膝上十センチほどの白いドレスのような服を身に纏い、その上からこれまた純白のローブを羽織っていた。長めのブーツらしきものを穿き、頭には真っ白の三角帽子を被っていて、ご自慢の耳は隠れてしまっていた。
「俺はまだしも、テラの格好はなんだ?」
遼が頭を捻っていると、彼女が笑顔でこういった。
「白魔導士だよ?」
「……」
遼は思い切り突っ込みたくなったが、我慢することにした。
よくよくテラを見てみれば、手に大きめの石がはめ込まれた杖を持っている。
確かに、白魔導士に見えなくも無い。
というより、これこそ正にファンタジーじゃないかと遼は内心突っ込んだ。
そんなこととは露知らず、といった具合に、テラは一人で気合を込めるように叫び、遼の方に向き直ると、手を取って言った。
「さあ、行きましょう。勇者様」
顔に満面の笑みを浮かべるその姿を見て、遼はいよいよ天からお迎えが来たのだと思った。
―Ⅲ―
さて、屋敷を出発した二人はというと、魔王城が余りにも近すぎることに驚いていた。
「もう目の前じゃねえか!」
「本当ね。まさかこんなに近いとは思わなかったわ……」
小高い丘の上に聳え立つ魔王城を見上げ、二人は驚嘆した。
しかし、そこに辿り着く為には、かの城まで続く長い長い石段を登っていかなくてはならなかった。
所々崩れかけているそれは、見るからに歩を躊躇わせる。
だが、この男は違った。
「こんなの、見掛け倒しだろ!」
遼は軽い気持ちでひょいひょい石段を登って行く。
「待って! リョウ、戻って!」
後ろでテラが叫んでいたが、遼は「大丈夫だ」と声を張り上げて先を行く。
すると、遼の視界にあるものが飛び込んできた。
彼は良く目を凝らしてそれを見ると、やや驚いたように呟いた。
「なんで、これがここにあるんだよ……」
彼の視線の先。そこには、階段同様石で作られた台座があった。しかも、その上に乗せられているのは、P○Pと○S!
その二つの間には立て札があり、『汝は何れかを選ぼう?』と書かれている。
いかにも罠です。という雰囲気だったが、遼は躊躇うことなく○SPを手に取った。
「俺はもちろんPS○派だぜ!」
勝ち誇ったように空高くP○Pを掲げる遼。しかし、彼は気付いていなかった。石段がとんでもない状況になっていることに。
「遼! 危ない!」
下の方からテラが叫ぶ。だが、もう遅かった。
「うわっ!」
いつの間にか石段はつるつるの坂道に変わり、彼はそのまま滑り落ちていった。
テラは身の危険を感じたのか、坂道の脇に退避した。その途端、遼が悲鳴を上げながら滑り落ちてきたのだった。
―Ⅳ―
それから二人は慎重に石段を登って行った。
先程のつるつる坂道は、遼が滑り落ちてきたすぐ後に元の石段に戻ったので、再びこうして登ることが出来るようになった。
テラも遼も無言で、言葉を発しようという気配が感じられない。
ただ黙々と石段を登るだけで、両脇に先程のような誘惑物があっても目を合わせようとはしなかった。
二人とも、これから怒りうるであろう闘いに備えて、イメージトレーニングを行っているのだろう。時折手を動かし、その動作は戦いそのもの。
上空でカラスのような鳴き声を響かせる怪鳥も、二人の眼中には無い様子であった。
石段を登りきった二人は、目の前の扉を見てビックリしていた。
「小さっ!!」
その大きさは、遼より少し大きいくらい。とてもではないが、ここに来る時に出くわした魔王の手下と見られる大男が通れるものではなかった。
木製の、いかにもひ弱なそれは、堂々たる魔王城にはとてもではないが不恰好だった。
「でも、大きすぎるよりはいいわよ」
テラが呆れながらも正論を述べた。確かに、大き過ぎては開閉の際に大きな音が立つので非常に目立ってしまう。
しかし、この小さな扉ならば静かに中へと侵入することが出来るのだ。
「確かにな。んじゃ、早速中に入るか」
「そうね。そうしましょう」
そうして二人は扉についている猫の取っ手を握り、思い切り引いた。
その途端、某レストランに出入りする際に流れる音が流れた。
「やばっ!」
「早く行きましょう!」
狼狽した二人は、大急ぎでその場所から離れようとしたが……
「待つのじゃ、そこの二人」
突如として掛けられた声に立ち止まることになった。
テラと遼は互いに顔を見合わせ、同時に声の主を見た。そこには、黒基調のドレスを身に纏った小柄な少女がいた。
首元を覆うフリルのバンド。腰まで届くであろう滑らかな漆黒の髪の毛は、頭の両脇で結われている。巷で言う『ツインテール』だ。
端正な顔立ちをしていて、瞳は紅蓮の炎を思わせる。
体格はまだ発達し切れていないようで、小学生を連想させた。
「なんじゃ? 髪になにかついておったか?」
触れただけで折れてしまいそうな細腕を頭に伸ばし、手触りで異物を探しているその姿に、思わず鼻の下が伸びるのを感じた遼はあわてて口を開いた。
「お、お前は一体何者だ!?」
彼の隣で、テラが頷く。
「なんじゃ? わしの名かの?」
「そうだ! 名乗れ!」
「その言葉、わしが言うべきものだと思うのじゃが……」
「いいから名乗れ!」
「仕方ないやつじゃのう……。名乗るほどでもないが、わしの名はラスタルフ。ラスタルフ・ゴルバドールじゃ」
少女が名乗った途端、テラと遼がその場で凍りついた。少女、ラスラルフは、「はて?」と顎に手を当て、首を左に傾けた。
「どうした。いじわるせず、わしの何処がおかしいのか教えるのじゃ。そうしていられれば、恥ずかしゅうて困るのじゃが……」
頬を赤く上記させ、もじもじしだす魔王。その姿からは、彼女が魔王だというのは考えにくかった。
一方テラと遼は、なるべく小さな声で話し合っていた。
「聞いてないぞ! 何で魔王があんなに小さくて可愛いんだよ!」
「し、知らないわよ! 私だってラスタルフが、あんなか弱い少女だなんて思わなかったわよ!」
「でも、倒さなきゃいけないんだよな?」
「ええ。あれでも魔王だからね……」
「どうやって倒す?」
「それは、私が動きを封じている間に、リョウの大剣で……」
「大剣がどうしたのじゃ?」
「っ!!?」
いつの間にか、ラスタルフが二人の傍まで来ていた。
最後の部分を聞かれたと見て、二人は慌てた。
そんな二人の様子を見て、あどけない魔王が場の空気を変えるかのように言った。
「ここではさむかろう。続きはわしの部屋にてするとしよう。ついてまいれ」
「……」
テラと遼はその一言に唖然としていたが、スキップをして上機嫌な魔王ラスタルフの言に従うことにした。
《結》
―Ⅰ―
魔王城内は、綺麗に整頓されていた。
長い廊下には赤い絨毯が敷かれ、所々には美しい絵画が飾られている。
「これって、動いたりしないよな……」
見事な絵画を横目で見た遼は、思わず呟いた。すると、ラスタルフが振り返り、呆れるように笑った。
「そんなわけなかろう。全て本物の絵画じゃ。わしの趣味のひとつじゃ」
「それは凄いな……」
「ふんっ! わしの手に掛かればこんなものじゃ!」
ぺたんこの胸を張り、魔王は得意げだ。
そうこうしているうちに、ラスタルフはある扉の前で立ち止まった。
「少し待っているのじゃ」
あせるように言い捨てると、一人だけ部屋の中に入っていった。
絨毯の敷かれた豪勢な廊下に残されたテラと遼の二人。お互いに顔を見合わせ、扉の向こう側で少女が一体何をしているのかを妄想しあっていた。
「テラ、この中ってどうなってると思う?」
唐突に遼が口を開いた。
「うーん……人体実験場?」
「それは絶対に無いと思う」
「何でそう言いきれるの? ここは魔王ラスタルフの居城なのよ?」
「でもなぁ……」
遼には、先程からラスタルフの様子を見ていたが、とても残虐な心を持っているとは思えなかった。
実際に、室内から聞こえてくるものは、“ぬいぐるみ”だとかそういう類のものだった。
『あぁ! クマさんが! ネコットさんもだめぇ!』
「……」
廊下に、不思議な沈黙が流れた。
―Ⅱ―
しばらく廊下で待っていれば、扉が開かれた。
「待たせたな。もう入ってもよいぞ」
先程の出で立ちそのままで、ラスタルフは笑顔を浮かべていた。
彼女に連れられて部屋の中に入れば、そこは何処にでもありそうな少女の部屋だった。
「そこに腰掛けるがよい」
遼とテラはそういわれてみてみれば、ピンクの可愛らしい刺繍が施された椅子だった。
「あ、ありがとう」
戸惑いながらも、一先ず座る。それを確認したのか、ラスタルフも同じような椅子に座った。
途端、三人の正面に、透明のスクリーンらしきものが出現した。
「うぉ!?」
「な、なに!?」
二人は驚いて声を上げていたが、ラスタルフは平然と口を開く。
「お主ら、このわしを倒しに来たのじゃろう?」
「くっ……!」
どうやらラスタルフには二人の来訪の意図が分かっていたようで、あどけない顔に浮かぶ笑みには愛嬌が消えていた。だが、それでも可愛らしさはご健在だった。
「ならば、これでわしを倒してみよ!」
パチンとラスタルフが指を鳴らすと、遼、テラ、ラスタルフの三人の前に現れた一台のゲーム機器。
「こ、これは……!」
「?」
疑問符を浮かべるテラをよそに、遼は益々驚きを隠せない。
なぜなら、目の前にあるゲーム機器は、遼がよく使用するそれそのものだったからだ。
日本でも最大といって良いほどのゲーム会社で発売された、家庭用ゲーム機。
「任○堂、Wi○……」
「なんじゃ、お主良く知っておるのう」
「いや、俺持ってるし」
「そうじゃったか。ならば腕が鳴るのう」
妙にはしゃぎだした魔王を視界に捕らえつつ、ゲームが起動したのでスクリーンを見た。
そして、唖然。
スクリーンに映っていたのは、これまた遼がやりこみ、先日完全クリアをしたばかりのソフト。
「スマ○ラじゃねえか!」
そう、あれである。
「お主、随分物知りじゃのう」
「いやいや、これも持ってるからね?」
「そうか、それならば話しが早いのう。この大○闘で三勝した方が勝ちじゃ。さあ、キャラクターを選ぶのじゃ!」
とその時、遼の隣で静かにしていたテラが、か弱い声を出した。
「私、ちょっと無理かもしれない……」
「えっ!?」
遼は戸惑う。なんせ、魔王は物凄く強いかもしれないので、二対一で同等かもしれないと思っていたので、まさか正々堂々の勝負へと換わるとは思っても見なかったようだ。
「ふむ? そこの女よ。お主が抜けたら男一人になるのじゃが、それでもいいのかえ?」
魔王が意地悪そうに言うが、テラには聞こえていないと見える。頻りに傍らの男に懇願しているようだ。
「リョウ、お願い……」
「うっ……」
小動物のように小さくなってしまった少女の上目遣いを頂戴し、遼は引くことが出来なくなった。
(ここでテラと一緒に戦ったら、ギリギリで勝てるかもしれない。でも、俺一人だったら、負けるかもしれないからな……)
頭の中で天秤を創造し、“一人で戦った時”と“二人で戦った時”を量る。
(でも、俺は一人でいろんな技術を身につけながらクリアしたんだ。二人だったら、せっかくの技術が使えなくなるんじゃないか)
天秤が一人の方に大きく傾く。
(しかもテラは“ラスタルフと同等。いや、それ以上”って言ってたじゃないか。あれはきっとゲーム技術のことを言ってたんだよ!)
とうとう天秤が振り切れて、はじけた。
「よし、一人でやってやる」
遼の瞳に紅蓮の炎が燃え上がった。
「容赦はせぬぞ?」
魔王ラスタルフは、その顔に似つかわしくない妖艶な笑みを浮かべた。
―Ⅲ―
早速ゲームが始まった。
魔王ラスタルフが選んだのは、ゼ○ダの伝説でおなじみのリ○ク。
一方、遼が選んだのは、ピンク色で、なんでも吸い込んでしまう少し恐ろしいようで可愛いあいつ。
ステージは何故だか終○だった。
「さて、わしの腕前を見るがよい!」
開始早々、ピンクボールに容赦なく襲い掛かる剣士。しかし、その攻撃がヒットすることは無かった。
「どうした? あたらないぞ?」
遼は回避を上手に使って斬撃をかわしていた。
「むぅ! 何故じゃ! 何故当たらぬのじゃ!」
徐々にではあるが、魔王に苛立ちが見え始めた。
それを見た遼は、攻守交換といわんばかりに激しいコンボをお見舞いした。
「行けぇ、“ショッキングブラスター!”(注・ただの攻撃です)」
「ぐふぅ!」
「お次は“ヘビープレス!”(注・例のストーン攻撃です)」
「げふぉ!」
「締めの“ライジングスマッシュ!”(注・ただのスマッシュ攻撃です)」
「あぁ! わしのリ○クがぁ!」
遼、余裕の一勝目。
続く二戦目、三戦目もノーダメージで魔王を下し、遼の完封勝利で幕を下ろした。
「わしが、わしが負けるとは……」
床に手を突き、ラスタルフは心底ショックを受けているようだった。
「す、すまない。つい本気になっちまった」
「別に気にするでない。わしの力が及ばなかっただけじゃ」
そんな二人を遠くで見つめるテラは、あっという間の展開に呆然としているだけだった。
《後記》
魔王ラスタルフを(ゲームで)倒し、世界に平和が訪れた。
これまで彼女に挑んだ勇者達は、魔王場内でゲームの特訓をしているだけで、命に別状は無かった。
ただし、ゲームによる精神的なダメージは大きく、暫く安静にするとの事だそうだ。
「終わってしまいましたね」
遼の隣で、尻尾を元気良く動すテラが言った。
「だな。何もかも」
地平線を見つめて、遼は呟いた。
「本当に感謝しきれませんね」
「別に。俺はただゲームをしただけだし」
「でも、それが世界を救ったわけですし……」
「まったく、あっけない結末だな」
「ですね~」
二人は声を上げて笑った。
風に揺られて、近くの柳がざわざわと音を立てていた。
依頼されて執筆した作品です。
(初出:2011年4月10日、当サイト)