ニセカンジョウ。
時計の音だけが、灰色に染まった空間を支配する。吹き抜けのアンダーフロアには、ろくでなしの父親とどうしようもないくらいに使えない母親。無言で朝食を食べている。それは西洋風、パンにミルクに+α。部屋を出てすぐの手すりから見下ろせば、ひどく滑稽な姿に映った。
「文奈、今日は隣町にお買い物に行くんだから、早めに準備しておくのよ」
眼下から登ってくるのは、母親の耳障りな声。ひとつ空返事で撥ね退けて、私は部屋の扉を開いた。
車の中では、一番後ろの席に座った。……いや、寝転がっていた。頭上でスピーカーが一昔前のJ-POPを奏でていて、それだけがひどく懐かしく、そして心地いい。運転席で前を見続けている父親と、補助席に座る母親の後ろ姿は、なるべく視界に入れたくないと思っていたから、ずっと横になっていた。言葉を何度か放り投げてきたけど、大部分は黙殺した。これでいい。今のうちはこれで。
何度かがたんと車は揺れて、視線を窓の外に向ければ、青空に歪な形の雲が浮かんでいた。それは風に流されて、あっという間に見えなくなった。私もあんな風にどこかへ飛んでいきたいな、なんてくだらないことを思いながら、車の振動に身を預けることにした。
隣町についてすぐ、雲が多くなってきた。時刻は午後十二時を少し回ったくらい。今日の天気予報は午後から雨だった。嫌な日に、嫌な人たちと行動を共にしている。心の中はもう荒れ模様で、一刻も早くこの場から逃げ出したい衝動に駆られる。あるいは……いや、これはダメ。これを強く望んでしまっては、私の負け。勝ち負けのないゲームに、無理やり勝敗をつけるようなもの。ぐっとこらえて、ろくでもない二人の数歩後ろをついて歩いた。
買い物はあっという間に終わった。あっという間に、そう。一時間もしないうちに。
私の一人暮らしは来月から。重い空気が支配するあの家から遠く離れた、全国有数の進学校に通うことになっている。私一人で手に入れた切符だ。誰にも渡したくない。
車の振動が、横になった体に届く。時折来る強い揺れに、ぴくりと身体が反応した。「大丈夫?」の言葉も、流すようにして返事した。それでいい。今のうちはこれで。
いよいよ雨が降ってきた。それでも、向かう先にはちらほらと青空が見える。雲の切れ間から射し込む日差しを窓の外に認めながら、私は一昔前の歌謡曲に耳を傾けた。
練習がてら、書き起こしました。
(初出:2014年1月9日、当サイト)