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短編集  作者: 更級優月
18/24

とある球児のetc.

 昨晩、突然目が覚めた。

 午前二時に起きることは基本的にない。だから、何かよからぬことが発生するのかと思った。

 案の定、よからぬことが発生してしまった。


 現在、俺は教室にいる。今、学校は冬休みで誰もいない。だが、俺は学校に登校しなければならない事態に見舞われている。

 それは昨晩、俺の身体が女性化してしまったからだ。


 それは突然起こった。まず始めに、全身に程よくついていた筋肉が痛み始めたと思ったら、むず痒くなり、それが収まる前に今度は骨という骨が軋み始めた。あまりの激痛に意識が飛びそうになったが、顔の異変によってそれはならなかった。骨の軋みはしばらく続いた。と同時に、首元や顔、頭なども痛み出した。ただ、これに関しては全身の痛みほどではなく、軽い頭痛かな、といった具合で済んだことが幸いした。それらがすべて終わると、今度は髪の毛が伸び始めた。元々野球部に所属していたため、頭は坊主で、よくクラスの友人は『チリチリ頭』と笑っていたが、その頭から、細くてさらさらとした漆黒の髪が伸びてきたのだ。それは肩甲骨のあたりまで来ると止まり、落ち着いた。何が起きているのかわからないでいると、次は脇、脛を始めとした体毛が抜け始めた。俺は春夏秋冬季節を問わず、半袖半ズボンで寝ている。そのため、抜けていく体毛をこの目で目の当たりにして、正直愕然となった。

 体毛がすべて抜け落ちたころ、最後の仕上げとばかりに、胸が膨らみ始めた。それは今来ている半袖のジャージを押し上げて、こんもりとした丘を作り上げた。そうしてようやく、俺の女性化は幕を下ろした。


「……という次第なんです」

 男性時より1~2オクターブくらい高くなった声で、担任教師である坂田大輔さかただいすけ教諭にひとしきり説明を終えると、坂田教諭はストーブに伸ばしていた手を、腹の中ほどで組んだ。

 彼は学校内の男性教師のなかで顔も整っていて、身長も男だった時の俺より5センチも高い187センチもある。今の俺は165~170くらいなので、立って並ぶとしたら、頭一つ分大きいだろう。また、彼は纏っている空気もフレンドリーで、男女問わず話しやすいということで人気が高い。教師歴3年目と若手であるものの、今現在、この鳳嵩館ほうすうかん高校の中で一番人気の教師だ。そんな彼はしばらくうなった後で、ゆっくりと囁くように言った。

「んで、お前はどうするの?」

「どうするって、どういうことですか?」

 意味が分からず、俺は問い返した。すると、坂田教諭は視線を職員室の外、雪降る校庭へと向けた。

「今お前は野球部に入ってんだろ? 女性になった今では、活動に参加することもできないだろうな。だから、このまま野球部として活動に参加するのは、現実問題、厳しいものがあるんじゃないだろうかと俺は思うんだ。どうだ、はる。そうは思わないか?」

「まあ、それはごもっともですけど……」

 言葉を濁す俺に、坂田教諭は言葉を続けた。

「そして、お前は戸籍も女性に変更して、小山内陽生おさないはるきから小山内陽おさないはるになったわけだ。男に戻れる方法が分からないとなれば、これからは女性として生きていくしかないし、高校生活もあと二年あるんだぞ。今お前が着てる制服だって男子のものだ。この冬休みが明けたら、女子用の制服で学校に来なければいけない。課題は山ほどあるんだ。だから、野球部の件は休部なり、はたまた別の部に転部して、残りの高校生活で打ち込めばいいと俺は思ってる。……まあ、最後は陽、お前が出すんだがな」

 ははっと笑う坂田教諭の表情には、どこか同情に似た寂しさがあった。俺は膝の上でぎゅっと拳を握って、そして視線を窓の外へと向けた。雪は大粒の本降りで、視界も満足にならないような状況だった。

「そうですね」

 ぽつりと呟いて、パイプ椅子から立ち上がる。傍らに置いた通学用の肩下げ鞄をよいしょと持ち上げて、もう一度坂田教諭に向き合う。彼は言葉に出さず、目で「帰るのか?」と問いかけてきていた。俺は一度頷いて、口を開いた。

「先生、1月3日は学校にいらっしゃいますか?」

 坂田教諭は一瞬面食らったように息を詰まらせたが、すぐに頷いた。

「それでは、1月3日に、またこうして伺ってもいいですか?」

「ああ、いいよ。俺はいつでも暇だから」

 分かりやすい嘘を吐いて、坂田教諭は了解してくれた。俺は短く挨拶をして、温もり溢れる職員室を後にした。


 年が明けた。正月、2日とバタバタとした日々だった。それ以前に、年末にもかかわらず女子の制服を注文したり、女子用の服や下着の一式を購入するなど、両親には迷惑をかけてしまった。この身体になった当初、父は卒倒しかけ、母は驚きのあまり持っていたお皿を床に落としてしまったほどだ。今では「前から女の子が欲しかった」だの「自慢のかわいい娘だ」だの、大分馴染んできた気がする。

 そして、3日。生憎の天気。しとしとと雪が降っている。

「寒い……」

 なだらかな斜面の中腹にある鳳嵩館高校へと続く坂道を、俺は女子の制服に身を包んで登っている。ストッキングを履いているものの、スラックスのころとは比べ物にならないほど寒い。それに、スカートというものがこれほど頼りないものだとは思わなかった。

「こんなに寒いのに、女子って本当にすごいんだな……」

 マフラーに口元を埋め、ほぅっと息を吐けば、息は白く、そして雪空へと溶けていった。

 しばらく歩いていくと、高校の正門が見えてきた。やっと着いたという気持ちと共に、早くあの暖かい職員室へという気持ちがわき上がってきて、俺は小走りで昇降口へと滑り込む。靴を脱ぐ前にセーラー服に積もった雪を払って、もこもこの手袋を外した。途端、一気に刺すような寒さが襲い掛かってきて、下駄箱に靴を入れてすぐにまた手袋をつけた。

「先生、この姿を見たらなんて言うかな……」

 職員室までの道すがら、そんなことを考えながら、でもその足取りは軽かった。


 職員室は薄暗い上に、誰もいなかった。

 約束したはずなのに、先生はいなかった。でも、今は少し席を外しているだけだと思って、扉のすぐ横に腰を下ろした。タイル張りの廊下はひんやりとしていて、スカート越しに冷たさを感じる。そしてスカートから露出した足はそれ以上で、何かひざ掛けのようなものを持ってくれば良かったと後悔した。

「なんか、ついてないな」

 誰もいない校舎の中に、俺の呟きはすぅっと溶けて消えた。


 いつの間にか眠っていたらしい。目を開けてみれば、職員室のストーブの前だった。寝ている間に誰かによってここに運ばれたのだと容易に想像がついた。

「いったい誰が……」

「俺だよ」

 低い、聞きなれた声と共に、キンキンに冷えた骨ばった手が俺の頬に触れた。

「ひゃあ!?」

 反射的に俺は飛びのくと、きっといたずらの主を見上げた。坂田教諭は声を殺して笑っていた。

「先生、これはあんまりだと思います」

 頬を膨らませて抗議すると、先生は「すまん」と笑いながら言った。正直、全然謝られている気がしない。

「すまんな、陽。あんまりにもお前の寝顔がかわいいから、いたずらしたくなったんよ。そしたら起きてしまったわけで、問いかけられた気がしたから答えたまでだよ。いやあ、反応も完全に女の子だね。結構結構」

 はっはっは、と笑いながら、坂田教諭はかわいらしいクマのキャラクターがあしらわれたマグカップで何かを飲んでいる。職員室に漂う香りから推測すると、おそらくコーヒーだろう。

 じっとマグカップを見ていると、彼はひとくち珈琲を含むと、「お前もいるか?」とマグカップを差し出してきた。

「別のコップで戴きたいです」

「なんだ、悲しいことを言うなよ」

 そうは言いつつ、坂田教諭は新しいマグカップを取り出して、暖かい珈琲を入れてくれた。

「ありがとうございます」

「気にするな。俺だけ飲んでたら不平等だからな」

 そうして前回と同じようにパイプ椅子。ストーブを中心として向かい合うように座ると、坂田教諭がさて、とマグカップを机に置いた。

「今日はどんな用事かな? こんな雪の中を学校まで来るってことは、何か大切な用事か?」

 んー、と背伸びをしながら、それでも視線は俺を見つめている。若干身体が強張るのを感じながら、俺はゆっくりと口を開いた。

「先生、俺は……」


 冬休みが明けた。鳳嵩館高校へと続く坂道に積もった雪は、高校へと向かう生徒によって踏み固められていて、若干歩きにくくなっていた。俺は足がとられないように注意しながら坂道を登っていく。それでも危ないと思う場面は何度もやってきて、無事に教室へたどり着いたときは安堵のため息が出た。

「男だった時とはえらい違いだな」

 入学以降愛用している肩下げ鞄を机に置き、冬休み中の課題を取り出して机の中に並べていく。それが終わると、筆記用具だけを机の上に残して、肘を突いてぼんやりしていた。クラスの男子面々からの視線が気になったものの、気にしないようにして時間を過ごした。

 朝のHRホームルームで俺のことが坂田教諭の口からみんなに伝えられた。それが終わると始業式などの学期始めを思わせる行事に追われ、一切合切終わった後に、質問攻めにされた。ただ、それも放課後になるころには落ち着いて、冬休み以前の教室の雰囲気に戻っていた。俺はそれまでのように肩下げ鞄に荷物を入れると、目的の場所へと向かうために教室を後にした。


 校庭の一角にある野球部の部室。そこには野球部の部員全員が集まっていた。野球部顧問も務めている坂田教諭にお願いして、集まってもらっていたのだ。

 部室に足を踏み入れると、むさい集団が勢揃いしていた。ただ、全員が「誰だこいつ」といった具合で、その後にやってきた坂田教諭が俺のことを紹介すると心底びっくりしていた。

「んで、お前らに朗報がある。陽、言ってやれ」

 坂田教諭に促され、野球部メンバーの前で俺は宣言した。

「こんな身体になってしまい、練習には参加できなくなりました。しかし、この部を辞めるつもりはありません。そのため、これからはマネージャーとしてみなさんを影からサポートしたいと思います。まだまだ勝手がわからずご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」

 言い終えると同時に、部室が歓声に包まれた。鳳崇館高校野球部に、数年ぶりの女子マネージャーが誕生した。


 今日もまた、雪が降る。

 今年は昨年以上に雪が降るなと思う。

 高校の長そでジャージを押し上げる二つの膨らみにも、大分慣れてきた。ジャージは上着だけ男の時のを使っているので、ぶかぶかで袖から手が出てこないが、何とかなっている。ズボンの方はさすがに長さが合わないので買い換えた。そのため、上下でバランスがかみ合っていない。

 俺はそんな服装で今日も校庭の一角で走り回っている。近々、うちの高校と隣町の高校が練習試合を行うことになった。そのための打ち合わせなど、監督をサポートすることになっているため、毎日落ち着いてなどいられない。

 それでも、俺は幸せだった。

 それは、こんな身体になっても、野球に携わることができたから。


練習用に書き起こしました。

(初出:2013年11月19日、当サイト)

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