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短編集  作者: 更級優月
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鬼の里の千里

登場人物紹介

・千里…鬼の女性。千里眼の能力を持つ。

・柚葉…鬼の少女。千里に仕える。

・虚無女…人間の女性。一身上の理由から、虚無僧として仏門に入っている。

(↓直接は登場しませんが↓)

・葛霧…鬼の女性。鬼の里の族長(当代)として、鬼の里を治めている。


 川の流れは絶え間なく、山の裾から湧き出た水は、こん々とそれらと溶け合い、一つになってまだ見ぬ地平線の彼方へと旅立っていく。少なくとも、この漣凍山れんとうざんからは、途方もないほどに離れてはいるが、時折私の耳にはかのせせらぎが、海原と出会った瞬間の喜びが伝わってくるようだ。

 白梅の蕾は膨らみ、甘い香りを辺りに漂わせている。このころになると、私たち鬼の一族は、族長あるじの伴侶となるおのこを異界から誘う。その折、男には族長を始めとする私たち一族の禁忌が伝えられ、受け入れぬものなら再び異界へと差し戻す。さもなくば、私たちは子孫を残すことなどできない上に、この血脈が途絶え、山が廃れ、生の去ったそれへと変わってしまう。故に、相思相愛の念が生まれなければならない。いつの世もそうしてきた。先代も、先々代も。私たち一族は、常に『滅』とともに生きてきたのだ。


 去る弥生吉日。当代の伴侶を異界から召喚する儀式が執り行われた。族長に使える鬼たちは皆慌ただしく、着物の袖をたくし上げ、雪のように白い肌を覗かせている。かわいらしく、やや幼さの残るあどけない鬼女たちは、額に薄く汗を滲ませ、広い族長の屋敷を右往左往、縦横無尽に走り回る。

「お通り、お通りでございます!」

「左様で! こちらを、当代様の寝室へ!」

 真向いから聞こえてくる、忙しない声色。塀の向こうでは、豪勢な料理や榊の玉飾り、白金の玉璽などを慎重かつ急いで運ぶ様。かれこれ、それはもう三度目のことである。これが意味するのは、当代のお目に適った男が現れず、異界へと二度召還せしめたこと。男が禁忌を受け入れぬためだ。

「この度は、誠に賑やかであるな」

 傍に控えていた柚葉ゆずはに声を掛ける。背の中ほどまでの髪は結われ、馬の尾のように垂れている。はっきりとした顔立ちで、顔は小さく、庇護欲をそそる声色。その上器量もよい。だが、華奢な体つきで力がなく、いつも柚葉は小さな胸元に左手を添える。今宵、今この時も。

「左様でございますね、千里せんり様」

「今回は、どうやら“だんしこうこうせい”なる者を召喚するらしいじゃないか」

「そうなのでございますか。柚葉は存じ上げておりません」

 ここで茶を一杯。空になった器に、柚葉が茶を注ぐ。

「これで、葛霧くずきりの伴侶が決まればよいのだが……」

「左様でございますね。さすれば、この“鬼の里”も安泰となりましょう」

 私は池を見やる。と同時に、柚葉が急須を盆に載せて奥に下がった。私は池を眺めながら、柚葉に菓子の用意を命じた。


 葛霧の屋敷は、私の住む屋敷の真向かいに建つ。いつも奉公の賑やかな声が聞こえてくる屋敷は広く、数多くの棟が連なる。古の言い方を用いれば、『寝殿造』と言うそうな。対する我が家は、他の家々と同様の、二棟庭付き池付きの屋敷だ。ただ、他の屋敷らと異なる点は、わが邸宅も古き呼び名では『書院造』と呼ぶことが可能。曰はく、古き良き“にほん”という国を模したそれは、私を始めとする鬼を満たすものらしい。

 だからこそ、この家には来客が絶えない。

「ごめんくださいまし」

 のびやかな声が家中に広がる。この家には私と柚葉しかいないために、どちらかが対応する。この点、主従は関係しない。

「はい、ただいま」

 近頃重くなった腰を持ち上げ、私はうぐいす張りの床を歩いて、母屋の玄関へと足を運んだ。


 客は、虚無の如き出で立ちの女子で、私より幾何いくばくか小さい。雪のように白く、たおやかな手だけが露わとなり、着ている法衣のような衣服も相まって、その肌は病的だ。私は今まで数多くの者に出会ってきたが、ここまでのものは見たことがない。

「もし、ここはどのようなものでも見通す千里という鬼の屋敷でよろしゅうございますか」

 深編笠を徐に脱いだ女は、どうやら人の子のようで、凛々しいかたちのなかに、上品な温もりが見て取れる。不思議と、相対するだけで心地が良い。

「確かに、ここはかの屋敷で、私が千里だ」

「あれまあ、あなたが千里様でございましたか。大変失礼いたしました」

 育ちの良さを匂わせる、高貴な笑顔に諸処の動作。こやつはいったい何者なのだ。

「どうか気を楽にしてくれ。私はこのような畏まった雰囲気が苦手なんだ」

「それは失礼しました。それでは、お言葉にお甘えすることにいたしましょう」

 女子は静かに草履を脱ぐと、ゆったりとした動作で、それを揃えている。まったく、とんでもない客人がやってきたものだ。鬼の里に人の子がやってくるのは、そうそう珍しいことでもない。しかし、ここまで礼儀がなっているものは流星の如く珍しい。たいていは、我らの里に災いをもたらしていく故に、私は自身の能力を持ってしても、彼女の目的を推し量ることができなかった。

 居間へ通すと、丁度柚葉が菓子を用意してやってきた。もちろん、私一人分だ。

「あらまあ、お客様でしたか。申し訳ございません。もう暫くお待ちくださいませ」

 彼女は驚き慌てて奥に引き下がる。客人の前では慌てることなどないと何度も言っておるのに、こればかりは治る気配を見せやしない。そろそろあきらめてしまおうかとも思い始めている。

「申し訳ない。頼りになる侍従なのだが、はしたないところをお見せした。どうか忘れてくれ」

 先方、笑みを浮かべて答えない。私はそれを了解の合図ととると、庭を見た。

「本日は如何の用で」

「実は、貴女様のお力添えを、と思いまして」

「どのような用件か」

「実は、私の家は元来、帝に使える家柄でございました。しかしながら、在りし日の政変により家は没落。主人は自らを絶ち、母や妹などは身売りで生計を立てております。私のように、僧として仏門に入ったものも少なくありません」

 やはり、そうであったか。でなければ、これ程までの上品さは生まれまい。

「して、何を望む」

 視線を女子の短い絹へと移す。この時代の貴族には珍しい、はっきりとした二重の瞳が、庭の池に浮かぶ苔生した岩に注がれている。

「あの岩のようになった私たち一族は、再び一堂に会することができましょうか」

 ほろりと、かの女の双眸から流れる雫。それは水晶のように輝いて、畳と触れ合った瞬間に爆ぜる。私はもう一度、庭へと視線を投げかけた。そこには、ただいつもの庭があるのみ。しかし、今は違う。苦労をしながらも、世間から苛まれようとも、懸命に努力し、都からわずかに離れた巨椋池の畔、宇治のはずれで、笑顔を見せる女子の姿が見える。しかも、これはそう遠くない未来。女子の望みは、すぐに訪れる。

「ほう……」

 これは面白い。没落した貴族が、これ程までに落ちた上でも生きる希望を見出し、再興の兆しを掴むとは。人とは、本意にわからぬものよ。


 柚葉が茶と菓子を持ってきた。茶は里の外れで摘まれた新茶で、菓子は柚葉特性の柚子羊羹。これは美味だと女子にも勧めて、かの望みへの答えを指し示す。

「お主の望みを聞いて、私は面白いと思った。一度壊れてしまったものを、私は再び組み上げようとは思わぬ。しかし、主、いや、主ら一族は、再びまみえんがためにもがき、苦しみ。そうして一つの光を掴もうと躍起になっておる」

 一度、茶を啜る。女子は黙って、私の口元を見つめている。故に、笑って見せた。

「私には、笑っているお主が見えた。取り巻きは、おそらく主の一族の者と思う。皆、苦労をしたであろう顔つきをしておるが、力強い笑顔をしておるよ」

 途端、女子は血相を変えた。権幕は武士もののふのそれに等しく、今にも私を切ろうとするようなものだ。

「そ、それは本当なのですね」

 細い声。わずかに震えている。

「ああ、本当だとも」

「それは、近い将来なのですね」

「ああ、私にはそう見えた」

 女子はほぅ、と息を吐き、ここを訪れた時のそれに戻った。その上、幾分憑き物の類も取れたかのように思われる。

 私は庭の松を見た。雄々しく聳え立つそれは、女子の家のように、これから先も雄々しさを失うことはないだろう。

「さあ、一切合切終いだ。悪くならぬうちに、食べてくれ」

 女子に柚子羊羹を勧めた。女子は一口、おいしいと眩き、笑みを浮かべた。


 女子は、長居は無用と手堅い感謝の言葉を置き土産とした。畏まった雰囲気はあれほど苦手だと言ったにもかかわらず、ついに正されることはなく。後には、私と柚葉の二人が残される、在るべき姿へと戻った。

「先程のお客様は、貴族の方でいらっしゃったんですね」

 柚葉はお茶を啜り、ほぅっと息を吐く。

「ああ、そうらしい。だが、今は虚無として俗世を離れ、仏門に身を徒しているが、ものの数年、はては数十年で、再び離散した一族と再会するだろう」

「それは誠に嬉しきことでありますね」

「屈託のない笑顔であったが故、先も長く続くであろうな」

「千里様がそうおっしゃる限り、お客様の未来は安泰ですね」

「そうであればよいな」

 そこでお茶を一杯。新茶はやや苦みが効いており、肥えた舌をとても楽しませてくれる。この里の茶は毎年癖が変わるがため、新茶を心待ちにする者は多い。

「葛霧の元へ、明日にでも茶と羊羹を持って行くとしようか」

「お供します、千里様」

 柚葉特製の柚子羊羹を頬張りつつ、向かいの賑やかな屋敷を垣間見る。今宵はよもや寝れぬのではないか、と僅かばかりの不安が過った。


 こうして一日を回顧すると、いつも日々の中での出会いは刹那的で、神のみぞ知るものであるのだなと思う。そろそろ硯の墨も僅かになるが故、これにて筆を置くべきかと思う。

 明日の出会いは、いかほどか。この小さな胸の奥は、目も当てられぬほどに輝いている。


鬼が主人公の話を書いてみようと思い、書き起こしました。

(初出:2013年3月9日、当サイト)


※2013年3月27日…前書きに簡単な登場人物紹介を追加するとともに、文章表記を一部改めました。

※2013年8月10日…文章表記を一部改めました。


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