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短編集  作者: 更級優月
11/24

放課後の一員

久しぶりの執筆です。

 放課後の教室は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。そのため、俺のような居残り組にとって、非常に貴重で快適な勉強スペースとなっていた。今日も放課後は俺だけが残り、机の上に広げた日本史の資料集と教科書、内容まとめ用のノートは、なんだが三種の神器に見えてきてしまう。ふっと笑みがこぼれて、ひとつ大きく背伸びをした。

「あー、少し休むかな」

 時計を見れば、いつの間にか二時間も経っている。ここ一週間で、古代から近代までまとめ、新品同様だったまとめ用ノートも、残すところ数ページとなってしまった。地平線の向こうに沈みそうな夕陽を眺め、そろそろ帰るか、と机の上を片付け始めた。


 昇降口を出ると、運動部の元気な声が聞こえてくる。元々帰宅部の俺から見れば、それはどこか別の世界のようで、きっと、手を伸ばしても届かないだろう。

「ふぅ」

 思わず漏れ出した溜息。白く天に昇っていく息が、俺の体温を奪っていくように思える。

 ここ最近の寒さは刺すようになり、手袋をしていなければすぐに手がしばれるほどだ。最近購入した厚手の手袋のおかげで何とか凌げているが、その他の部分はほとんどカバーできていない。そのためか、俺の歩調は次第に速くなっていった。

「そういえば、在庫のノートが切れていたな」

 今持っているノートが切れてしまえば、残りのノートがないために勉強も何もできたものではない。仕方ない。寄り道でもするか。

 しばらく歩いて、文房具店に立ち寄った。

 ノートを切らしてはまずいので、余分に七冊購入した。ついでに何か不足していないかどうか思い出そうとしていると、店内に新たな来客を示すチャイムが鳴り響いた。

「こんにちはー」

「はい、いらっしゃい」

 ……ん、なんだか聞いたことのある声だな。

 俺は数種類ある消しゴムの山から視線を移すと、そこにはクラスメイトの大井果歩がかわいらしい私服姿でいた。

「あれ、そこにいるのは支倉賢治君ですかな?」

「ああ、そうだ」

「奇遇ですねー。こんなところでクラスメイトに出くわすとは思ってもいなかったよー」

 果歩は狭い通路できゃっきゃうふふとはしゃぎ出す。危ないから今すぐにやめなさい。

「ところで、支倉君は何を買いに来たの?」

 ある程度はしゃいだ後、彼女はこちらをじっと見つめてくる。

「ノートの在庫がなかったから、補充しようと思ってな」

「それはそれは。……相変わらず、勉強好きですねー」

 にやにや底意地の悪そうな笑みを浮かべているが、整った顔が台無しになっているからやめなさい。

「勉強はそんなに好きじゃない。ただ、これ以外にすることがないから仕方なくやっているだけだ」

「ふぅん」

「なんだ、その『嘘つけー』的な目は」

「まあ、そんなことはいいとして」

「何がいいんだよ」

 彼女のペースに完全に飲まれていることに気が付くも、俺はこのまま流れに身を任せることにした。そして、頭一つ低いところにある顔を見ていると、彼女は甘える子猫のような声で、懇願するように言った。

「明日から、私に勉強教えてください!」

「はぁ!?」

 唐突すぎるだろう、これは。いったいどこからこんな展開に変わっていった。混沌の中に沈んだ思考を必死に手繰り寄せつつ、彼女の次の攻撃に備えた。

 さあ、どんな攻撃でもかかってきなさい。並大抵の攻撃じゃ、俺には通用しないぜ。

「お願いします! 今度のテストで赤点とったら、私、留年確定になっちゃうの!」

 ぎゅうぅぅぅぅ……

「ちょ、ちょっと待て!」

 ……核弾頭ミサイルじゃねえか! こんなの防げねえよ!

 あまり胸は大きくないにしても、女の子独特の柔らかさというか、その他諸々の感触がダイレクトに伝わってきて、俺は今、大変どえらい状況になっている。マジで。

 このままにしておくのは非常にまずいので、俺は大急ぎで彼女を引っぺがし、冗談半分に口を開いた。

「真面目にやるという意思は?」

「もちろんあります!」

 即答。目を輝かせているが、やめろ。

「今の成績を必ず二倍以上にする覚悟は?」

「……あ、あります!」

 おい、間を作るなよ。さっきの威勢はどうした。

 ……でもまあ、やると言ったからには、面倒を見てやるか。

「それじゃあわかった。明日からテスト最終日までみっちり教えてやるから、絶対85%の得点を取ること」

「そんな無茶な……」

 愕然とはしているものの、その顔には、若干嬉しそうにも見える。

 明日からは、きっと今までの静かさともさよならだ。でも、これはこれでいいものなのかもしれないな、と思えた。


 次の日の放課後から、果歩との勉強会がスタートした。彼女の成績を聞いてみると、ほとんどの教科が赤点ギリギリで、日本史と政治経済の二教科だけが三十点を下回っていた。

「よくもまあこの点数でやってこれたな」

「し、失礼ね! これでもちゃんとやってたんだからね!」

「はいはい」

 紺色のセーラー服に藤色のカーディガンを着た彼女は、両手を振り上げ、頬を膨らませて怒りを爆発させている。しかし、あまりの迫力のなさに、ただのかわいい小動物と化していた。

「さて、早速始めるか。それじゃあ、日本史の教科書を開いて」

「ふぇえ~い」

 意味不明な返事をして、彼女は渋々教科書を手に取った。どれだけ勉強嫌いなんだよと思いつつ、テスト範囲を順に説明していった。


 次も、その次の日も勉強会は続いた。果歩は放課後になると、まるで人が変わったかのように勉強に熱中し、時折解説を加えてやると、あっという間に吸収していった。俺は彼女に、人にはない特別な才能を感じ、同時に教える楽しさを学んでいった。

 二週間が過ぎた。明日からいよいよテストが始まる。

 翌日のテストに備えるため、放課後の教室には多くの生徒が残っていたが、そんなことは関係ない。もう二週間も前からやる動作は決まっている。彼女と俺は机を向い合せにくっつけて、ひたすらノートにかじりついた。この二週間で書き満たしたノートは十冊をとうに超し、二十の大台に乗るのではないかと思っている。だが、俺以上に彼女の努力はすさまじかった。たまに声をかけられるが、その内容はすべて勉強のことのみ。二週間前の能天気なアホの子はどこへやら。俺はあの文房具店で言った冗談が本当になるのでは、と思い始めた。


 テスト最終日も終わり、多くの生徒がテスト勉強から解放されて安堵のため息を吐く中、今日も俺は放課後の勉強を始める。周りの生徒は部活やらカラオケやら、大きな方の荷物が下りた時の祖母によく似た表情をしている。

 まあ、そういう人はそういう人だ。

 俺とは無縁の、非常に遠い世界。俺は一人で、ノートに向かい合う生活を送るだけだ。テストも終わったことだし、果歩も晴れて自由の身だしな。……さて、今日は数学でも進めるか。

「は、支倉賢治君」

 誰だ、俺の勉強を邪魔する奴は……お? 大井果歩じゃないか。お前、勉強道具なんか持ってどうした。帰らなくてもいいのか。

「何の用だ。俺はこれから数学の勉強をしなければならないから忙しいんだが」

「あ、あの。これからも勉強会、続けたいんだけど……いいかな?」

 ……はい? 今、何とおっしゃいましたか。

「何を言っているのかよくわからないが。お前、勉強大嫌いじゃなかったのか」

「うん、そうだね。最初のうちはそうだったけど、だんだんいろんなことを覚えて、出来るようになって。そうしてくうちに、勉強がどんどん楽しく思えてきちゃったの。だからお願い。これからも支倉君と勉強がしたいです。お願いします!」

「……」

 驚いた。あの勉強大嫌いな大井果歩が、たかがテスト勉強でここまで変わるとは。でも、これは彼女にとってもいい変化であるから、拒絶するほうが悪い。

「……だめ?」

 ぎゅうぅぅぅぅ……

「や、やめろっ!!」

 と、突然リーサルウェポンをぶっ放すんじゃない! 危ないじゃないか!

「……仕方ない。これまでのように、わからないことがあったらできる限りで答えるから」

「あ、ありがとー!」

 ……まったく。

 ワガママ気まま、能天気な彼女は、いろいろあって放課後の一員になった。


 後日談として、今回も俺は学年1位だった。個人的には、数学Bの計算ミスが非常に痛々しい。そこがなければ満点だったが、仕方がない。

 だが、今回はそんなことがどうでもよくなるほどの事態が発生した。

 彼女、大井果歩がとんでもないことをやらかした。

 冗談半分のつもりで言った、得点率85%以上。これを達成したどころか、その得点率は93%。学年順位は2位。本人は真っ白大理石よろしく、放心状態でクラスは騒然。これには本当に驚いた。

 一体どれほどの努力をしたのかはわからないが、彼女の心に大きな変化が生じたことは確かだろう。

 今も目の前に座り、セーラー服の上に藤色のカーディガンを羽織った彼女は、今日も元気にペンを走らせているのだから。


感覚を取り戻しつつ、練習がてら書き起こしました。

(初出:2013年2月19日、当サイト)


※2013年2月24日…誤字を修正しました。

※2013年2月27日…誤字を修正しました。

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