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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

インドア・アウトドア

作者: 水川かずみ
掲載日:2026/04/11

「おお、来たか。二人が来たってことは、いよいよやな。」


 腹の出た男が出迎える。

 ベッドの角に腰掛け、歯を磨きながら。


 男は、迎え入れた二人の手を取ると、しばらく離さなかった。

 仮に、二人の名をシゲとカズとでもしようか。


 その建物は、入った瞬間に、オシャレなファッションビルを思わせるような。

 来た者に、非日常を味わせるような。

 そんな場所だった。


 わざわざ長いエスカレーターを登らせて、ようやくロビーのような場所。

 そこからさらに奥に、最上階まで貫くエレベーターがあった。


 男の一室は、最上階ではなく、一つ下の階だった。


「めっちゃエエ部屋ですやん。」

「景色良さそうですね。」

「んなもん、見ようとも思わへんわ。」


 時間的に暗いはずの都市は、仄暗い部屋から切り離され、煌々と輝き、眠ることを知らないようだった。


「後でまた来るけど、いったん帰るわ。」

「どっちでもええよ。」


 挨拶を交わした男の妻が、そう言って退室した。

 男は、それに軽く返すだけだった。



「密室魚って知ってるか?」


 3人だけになった部屋で、相変わらずの位置から男が言った。


「ほら、あの漫画に出て来るやつ。」

「いや、知らないっすね。」


 訪ねて来た男の一人、シゲが、そう答える。


「あれですよね、なんか密室を魚が泳ぐやつ。」


 知ってか知らずか、もう一人の男、カズがそう答えた。

 密室魚を、密室と魚に分けただけとも言える。


「あれがな、ずっとここらへん泳いでんねん。」


 男は身を乗り出し、椅子に座るシゲの膝のあたりを、魚が泳ぐみたいに空中でかき回してみせた。


「あー、フェンタいってますからね。」

「意識はっきりしてるときにも見えるんですね。」


 ベッド脇でちかちか光る機械に目をやり、液晶の文字と、貼られたラベルを見る二人。


「ゾンビたばこで話題になったヤツっすわ。まあ今いってんの、そんなパチもんちゃいますけどね。」

「俺はそんなもん、いらんゆーてんねんけどな。」


 シゲの説明に、男の軽口は続く。


「これ、エエよな。いっぺんやったらやめられへんて。」


 そう言って、自分の腰まわりを少し浮かせてみせる。


「いやいや、同意求めんでくださいよ。僕が普段から使ってるみたいやないですか。」


 まるで共通認識のごとく語られ、少し場の緊張が解れた。


「ただな、めっちゃしょんべん行きたなんねん。」


 そう言って、バッグを顎で指した。


「そのまま出してもうてエエですよ。」


 とんでもないことを、さも当然のように言い放つシゲ。

 それもそのはずである。


「悪い、ちょっと横になるわ。」


 シゲは立ち上がり、導尿の管を持ち上げた。

 引っ張られて抜けないようにである。

 カズは座ったまま、バッグを持ち上げた。


「こっち向きにしか横になられへんねん。ほんでめっちゃここ痛い。」

「あー、めっちゃ痕できてますわ。」

「いつも向き決まってるんでしたら、反対側から出してもろたらエエんちゃいます?」

「交換のついでにやってもらえるか聞いてみるわ。」

「やめられへんのはエエですけど、このままいったらダダ漏れでっせ。」


 シゲはそう言いながら、鼠径部にできた深い痕を確認し、寝たり起きたりによって、回ってしまっていたおむつを真っ直ぐに直す。


「あかん、めっちゃしょんべんしたいわー。」

「まあそれ入ってたら、ずっとしたなるもんなんですわ。僕も子どもの頃、膀胱炎になって大人用の一番細いやつぶっこまれましたわ。」


 尿意に従ったところで、バッグに入るだけだ。

 とはいえ、お腹に溜まった水のせいか、バッグにはほとんど溜まっていなかった。


「腹水、抜けへんのんすか?」

「それがな、血圧がなぜか70台しかないから危ないって言われたわ。」

「あー、それは確かにいってまうかもしれませんね。」

「よっしゃ、起きるわ。」

「おーっとっとっと。」


 シゲが背中を支え、カズは導尿の管を持つ。

 つい手が出たという感じで。


「元気っすね。」

「そやで。なーんもしんどないもん。」

「飯は食えるんすか?」

「先生は食っても食わんでもエエって。食いたいと思われへんねん。」

「まあ腹こんだけ圧迫されてますからね。」

「シゲさん、ちょっと水取ってくれへん?」

「あ、はいはい。」

「胸ヤケすんねん。水飲むと。これだけなんとかならんかなぁ。」

「なんでしょうね。わからんすわ。」


 月末まで、男は外出先の写真を送ってきていた。

 それが急に悪くなって、緊急入院になった。

 来週には、一軒家を借りて、みんなで集まる予定だった。


 最期に馬鹿やりたい。


 そんな話をしていた。

 だからシゲが、約束の日の段取りを整えた。

 急な報せを受けてそれもなくなって、今ここに駆け付けているのである。


「二人が来たってことは、俺もいよいよやな。」


 入室直後、そんな風に言われて、どう返せば良いかもわからなかった。

 とはいえしばらく話していると、軽口も叩くし、多少不自由はあるものの、言い方は悪いが元気そうだった。

 場の空気を軽くしていたのは、他ならぬ末期のはずの男の方だった。


「家族さん一旦帰るみたいなんで、ちょっと話して来ますわ。」


 そう言って、シゲは部屋を出た。

 残されたのは、男とカズ。

 二人だけになった。


「行きたいゆーてた場所って民泊みたいなとこなんですか?」

「おお、めっちゃエエとこやで!」


 言ってから、しまったと思った。

 話題を振るにしても、叶わなくなった希望の場所だった。

 軽率にも程がある。


 そんな配慮を欠いた質問にも、男はそこがいかに良い場所かを語ってみせる。


「テレビで言うてた言葉があってな、今めっちゃその気持ちがわかんねん。」


 何かを察したのかもしれない。

 男は急に深刻ぶるでもなく、ただ少しだけ、言葉を置くように続けた。


「未練はない。ただただ寂しい。」


 カズは、何も言えなくなった。


 未熟でも、悼んでいないことにはならない。

 ただ、ここでは未成熟だった。


 シゲは、家族のところへ話をしに行った。

 男が横になると言えば、すぐ立って、管を持った。

 カズは座ったまま、バッグを持ち上げた。

 その差に、意味を見出すのは簡単だが。

 

 だからこそ、カズにはなおさら遠かった。

 あれを格好いいとは思えても、自分の延長にあるものとは到底思えない。

 どうせ意味がないから、などと切って捨てるほど人の心がないわけでもない。


 ただ、過る。


 ああいうふうに振る舞えたところで、末期という現実が変わるわけではない。

 きっとその瞬間には、こうして言葉にして整理などできていないのだろう。

 だいぶ悪しざまな整理ではあるが。


 ただ、遅れる、という結果だけが残る。


 そんな自分が、もし同じ立場で同じ台詞を口にしたとしても、どこか嘘くさいだろう。


 劣等感と呼ぶほど上等なものでもない。

 その程度には、自分の性格を知っていた。


 入り口が開いて、シゲが戻って来た。


「寄らずに帰るみたいですわ。」


 それからしばらく、他愛のない話が続いた。


「クソして寝るわ。」

「可愛い看護師さんに、しっかり変えてもーてください。」


 最期までそんな軽口を交わした。


 それから数日、男はこの世を去った。


 約束の日を、待たずして。

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