アオ賭賭ケル
「お、ラッキー。まだいたぁ」
教室内に響く、綿菓子のような甘い声。
それは自分に向けられたものだと、檻見楽すぐにわかった。下校時間を過ぎた今、この場にいるのは忘れ物を取りに来た楽一人だけだからだ。
声の主は教室の引き戸に体を預け、真っ白な指でセーラー服の襟をぱたぱたさせている。
「もう十月入ったってのに今日はあちーねー。あ、てかうちのこと知ってる?」
「……五組の飛田さんでしょ」
変人で有名な――と内心で付け加える。
彼女――飛田蚕は、学年一変人と言われている女子である。
癖がありながらも艶やかな短い黒髪。きょとりとした大きい垂れ目に、愛嬌のある太眉。狸を彷彿とさせる彼女を見たら、きっと十人中十人が可愛らしいと言うだろう。だが蓋を開けてみれば、意味のわからない話ばかりをする変人だったと判明。入学当初はその見目に騙されていた男子も多かったと聞く。
とはいえ、蚕と挨拶すらしたことがない楽としては半信半疑だった。突然旧友のように話しかけてきた今日を境に、その認識は改めることになりそうだが。
認知していたことがご満悦なのか、蚕は飛ぶように軽い足取りで楽の元まで歩を進める。そして、高校二年生女子の平均よりも高い位置にある楽の顔を覗き込んだ。
「ねぇ檻見さん……いや、らっくんて呼ぶわ。らっくんさぁ、この後マック行ってうちと茶ぁしばかねー?」
至近距離でコーヒーのように黒々とした瞳に見つめられると、同姓なのについどぎまぎしてしまう。が、楽はすぐに顔を背け、窓ガラスに目をやった。そこには見慣れた少女が映っている。
パンフレットにでも乗っていそうなほどきちんと着込んだ濃紺のセーラー服に、遊び心の無いポニーテール。だというのに、髪色だけは燃え盛る炎のように赤かった。
落ち着くために深呼吸をする。その数秒後、髪色は緑へと変わった。それを見て、楽の切れ長の瞳が苛立たしげに歪む。
「ごめん。私、人の多い所苦手なんだ。悪いけど別の人誘って」
「あそっかー。たしかに、下校帰りの学生が多いファストフード店じゃあ奇病が目立ってしかたねーもんね」
そこまでわかってるなら誘うなよ。
そう思いつつ、蚕の方へ顔を向ける。
口元に手を当てているが、上がった口角は隠し切れていなかった。何を考えているのか、一切読めない表情だ。
これ以上変人と話す必要はない。
楽は肩掛けスクールバッグを背負い、その場を後にしようとするが、俊敏な動きで体を滑り込ませてきた蚕のせいで思わず足を止める。
「ヘイヘイヘイ、どこ行くんじゃーい。らっくんはこの後うちと駄弁るんだろーが」
「……私、さっき断ったよね?」
「そうね、でもそれは人の多いマックへのお誘いっしょ? 人がいない穴場ならそれには該当しない。つまりらっくんは、奇病の感染者であることを気にせずうちと茶ぁしばけるわけ」
「いや、行かないし」
「何で? 用事あるとは言わなかったじゃん。ほんの少しでいいからさー、お願いっ」
両手を打ち付け頭を下げる蚕に、言おうと思っていた反論が引っ込んでしまう。
あー、えっと、などの意味を成さない音だけが口からこぼれた。まるで切れかけの蛍光灯のように、視界の端に映る髪の色が高速で変化している。
「…………わかったよ」
肺の中が空になってしまうのではないかというほど、長いため息がもれた。
感情や思考が変化するたびに髪色が変わる、数時間だけ幼児退行してしまう、などの科学的に説明不可能な事象に悩まされる奇病――U・N・オーエン。
治療法は見つかっておらず、原因も不明。粘膜接触、飛沫による感染はなく、遺伝による発症もないことは判明済み。現在の調査によると、一万人程度の感染者が見受けられるという。
ネットで調べて出てくる情報はこの程度だろう。かく言うU・N・オーエン感染者の楽もこれ以上のことは知らない。
いつの間にか紫に染まっていた髪を視界に捉え、蚕に腕を引かれて連れて行かれた先――そこは、学校近くにある広場の東屋だった。
まだ日は暮れていないが人の気配は一切無い。蚕の言う通り、穴場であることは間違いなさそうだ。
ささくれだった木の椅子に並んで座り、来る途中で蚕に奢ってもらった缶ジュースを開ける。
空気の抜ける心地良い音が耳朶を打った。一口飲み、椅子の前に備え付けられているテーブルの上に置く。
蚕は三日月のような弧を描いたまま、口を閉ざしていた。
駄弁ろうって誘ったなら何か話してくれ。
そう抗議しようと思った瞬間、突然蚕が立ち上がり、前方に向かって大きく手を振り始める。
「こっちこっち。いやー急に集合場所変えて申し訳ないっす」
蚕と同じ方向へ顔を向けると、二人の男性がこちらに向かっていた。
一人はサングラスをかけており、もう一人は茶色のマッシュルームヘア。
唯一の共通点はワイシャツにスラックスという出で立ちのみ。おそらく社会人なのだろう。二人共、二十代後半ほどに見える。
男性たちは楽の向かいの椅子に並んで腰かけた。
「気にしないで。連絡も早かったから助かったよ。で、まずは自己紹介かな? おれが布施、そんでこっちが――」
「御手洗だ。よろしく」
布施と名乗った茶髪の男性の言葉を、サングラスの男性――御手洗が引き継ぐ。
「悪いがこっちは仕事を抜け出して来てるんでね、手早く済ませよう。黒髪ショートのあんたが蚕ちゃんだろ? 早速だがゲームの説明に移らせてもらう」
サングラスを下にずらし目を合わせながら言う御手洗に、蚕は笑みを返した。
「あ、すんません。今日ゲームするのはうちじゃないんす」
「へ? じゃ一体誰が……」
言いかけた布施の丸っこい瞳が楽の方へ向く。
「もしかして、こっちの子?」
「ご名答」
小さく可愛らしい手が数度打ち付けられる。その姿はさながら悪の親玉のようだ。
「彼女はうちが見つけてきた逸材――檻見楽。今日は彼女がゲームやりますんでっ」
「は、えっ、はぁ?」
状況が理解できない。
駄弁るために広場へ来たんじゃなかったのか? 騙していたのか? いや、それよりもまず――
「――やらないよゲームなんて! 私もう帰るから!」
「あらら? そんなこと言っちゃっていいんかー?」
スクールバッグを引っ掴んで立ち上がった楽の鼓膜を、場に似つかわしくない甘い声が震わせる。
「缶ジュース、奢ってあげたっしょ? もし本当に帰ったら、明日学校でらっくんに無理やり奢らされたーって嘘言い触らすよ。奇病のこともあるし、何より人目を気にするらっくんからしたら堪ったもんじゃないだろうね」
「……ッ!」
反論すらできない楽に、蚕は「だぁいじょうぶだよー」と神経を逆撫でするように言葉をかけた。
「負けてもらっくんにペナルティがあるわけじゃねーし。軽い気持ちでやってよ。十年来の友を助けると思ってさ」
「今日初めて話したばっかなのに?」
「そこはほら、脳内で補完してくんねーと」
ちらり、と御手洗たちの方をうかがう。
何も言ってこないが、早くしろというオーラを感じた。
楽は口をもごもごとさせ、再度腰を下ろす。
「お? やってくれる気になった?」
「やらざるを得ないでしょこんな状況! 御手洗さんたちに迷惑かけるわけにもいかないし」
かっけーやら何やら言っている蚕を無視し、どこから出したのかトランプの箱を持っている御手洗を見やる。
「話はまとまったか? 今度こそゲームの説明をするぞ」
「お、おねがいします……!」
「こちらこそ」
楽が頭を下げると、御手洗も丁寧にお辞儀をした。
サングラスも相まっていかつい雰囲気に包まれているが、思っているよりも穏やかな人なのかもしれない。
「これからやるゲームはこのトランプを使う」
御手洗は持っていたトランプの箱を振った。
「ジョーカーは除いてるから合計五十二枚。それを机の上に並べ、お互いに三枚ずつ引く。中身は見ずに自分が引いた三枚の合計数を予測して丁か半かを宣言。言い当てた方が勝ちってわけだ。ルールと手順は以上、簡単だろ?」
「丁か半って、時代劇とかで出るやつですよね?」
「そうだ。偶数なら丁、奇数なら半。今回は丁方半方出揃わなくとも問題ないがな。若いのによく知ってるな、楽ちゃん」
トランプの箱が楽の前に置かれる。
御手洗に「細工してないか確かめてくれて構わない」と促され、五十二枚のトランプを箱から出した。
じっくり観察するが、至って普通のトランプだ。高級そうでもないし、おそらく百均で購入した物だろう。
確認を終えた楽はトランプを返す。
「大丈夫……だと思います」
「確認感謝するよ。これは補足になるが、さっき言った手順を一セットで行い、五セット目で勝ち星が多い方がこのゲームの勝者になる。引き分けの場合は……そうだな、あんたも色々大変そうだし、問答無用であんたの勝ちにしよう」
「いいんですか?」
「いいさ。若人はできるうちに甘えておけ」
慣れた手付きでシャッフルし、せっせとトランプを並べながら、御手洗は一切表情を変えずにそう告げた。手伝うと申し出たが、「悪いが俺は潔癖症でな。自分できっちり揃えて並べないと気がすまん」と言われたため静かに待つことしかできない。
「よし、これで準備は整ったな」
十三枚ごとに並べられた五十二枚のトランプ。何かの儀式だと言われても信じてしまうほど、一定の間隔おきに乱れることなく鎮座している。
「これからやるのは正真正銘、運ゲーだ。その名も〈トランプ丁半〉」
サングラス越しに、御手洗と視線がかち合う。
「さぁ、お互いの幸運を祈ろうか」
危険信号を表すように、視界の端で髪が黄色に染まった。
◆◆◆◆◆
テーブルの端に寄せた缶ジュースの側面を水滴が伝う。
それと同時に、楽の喉元も上下に動いた。
御手洗が譲ってくれたことにより先攻となったが、どれを引いたものか。
美しく並んだトランプの上を楽の手が右往左往する。
「あぁそうだ。言い忘れてたがお手付きもありだぞ。思う存分悩め」
「は、はい。でも仕事を抜け出して来てるんじゃ……」
「開始した瞬間からゲームが第一優先。それが御手洗のモットーだから気にしないで大丈夫だよ。こいつが巻きたかったのはそれ以外の時間だしね」
言葉を引き継いだ布施が人の良さそうな笑みを浮かべた。
少しだけ緊張がほぐれる。
「それじゃあ、これとこれ、あと……これにします」
御手洗も言っていた通り、これは運を試されるゲームだ。迷っていても仕方ない。
楽は適当に三枚引き、中身を見ずに伏せた。
「オーケー。次は俺の番だな」
御手洗はスラックスのポケットから白いハンカチを取り出して入念に手を拭く。
何の気なしにその動作を見つめていると、
「悪いな。潔癖症なもんで」
申し訳なさそうな声音で御手洗が謝罪を口にした。楽はすぐさま首を振って、気にしないでくれと伝える。責めるつもりはなかったのだ。
御手洗は、楽から見てトランプの右上部分に指を当てたと思えば熟考し、再度ハンカチで手を拭いて、次のトランプにも同じように指を当てた。それを五度ほど繰り返し、ようやく三枚引き終わる。
「それじゃお二人さん、三枚の合計は丁か半か、どっちに賭ける?」
審判のように布施が問うた。
それに対し、御手洗が先に口を開く。
「俺は丁だ」
「わ、私も丁です」
「了解。半方はなし、と。では――勝負」
楽と御手洗は引いたカードを同時に裏返した。
楽の元には、スペードの二、ハートの五と七のカード。合計十四。
御手洗の元には、ダイヤの六とQ、そしてスペードの四。合計二十二。
「どっちも予想は丁だったから、一セット目は引き分けだね」
引き分け。その言葉を理解した瞬間、楽は胸を撫で下ろす。
始めはどうなることかと思ったが、この調子でいけば問題ない。
程よく肩の力が抜け、酸素が脳に行き渡る。楽の心境を表すように、髪色は落ち着いた焦げ茶色に変化した。
しかし、それはすぐに変わることとなる。
理由は簡単――このゲームに「問題ない」なんて状況は存在しないからだ。
「これで三セット目終了だね」
布施の穏やかな声が、剣のような鋭さを持って楽の心臓に突き付けられる。
「楽ちゃんは半方を予想したけど手札は丁方。御手洗は半方予想で手札も半方。この勝負は御手洗の勝ちだ」
布施が言った通り、二セット目、三セット目と続けて楽の予想は外れた。
運任せのゲームなのだから負けが二回続くこともあるだろう。それはわかっている。だが、二セット目の予想を外した御手洗は、三セット目でしっかり巻き返してみせた。
楽は一勝で御手洗は二勝。
このゲームは五セットで勝敗を決める。
次も楽が予想を外し、御手洗が当てたとしたら、どうやっても逆転できないため問答無用で敗北となってしまう。
背中に汗が伝った。
何かを賭ける本物の丁半博打とは違う。そんなことはわかっているはずなのに、確実に崖っぷちへと追いやられている感覚に襲われる。
いつ落ちてもおかしくない、首の皮一枚で繋がっているような状況。
その皮を切られるかどうかは、目の前にいる潔癖症の男次第。
「――あんた、いい子だな」
重たい沈黙が、御手洗の一言で破られる。
「……え?」
「急に何言ってんのかあんたにはわからんだろうが、二セット目を終えて思ったよ。あぁ、この子は言われたことをまっすぐ受け止めて、見えてるものを常識として落とし込むんだなって」
だから何だというのか。
思わず訝しげな表情で御手洗を見つめてしまう。が、彼は気にせずハンカチで手を拭いていた。
「楽ちゃん。三セット目、俺には半になることがわかってたと言ったらあんたはどんな反応をする?」
「ど、どうって、そんなの無理じゃないですか、引いたカードの数字は見れないわけだし……」
「そうだな、その通りだ。あんたも同じ意見か? ゲーム開始からずっと黙ってる蚕ちゃん?」
楽の右斜め後ろへ御手洗は顎をしゃくる。つられるように顔だけ向ければ、そこには眉を寄せている蚕がいた。へらへらとしていたのが嘘のように、力強く唇を引き結んでいる。
「と、飛田さん……?」
あまりの変化に面食らってしまい、次の言葉が出てこない。
瞠目したまま固まっていると、
「らっくん」
小さく名を呼ばれる。
「予言するわ。この〈トランプ丁半〉、らっくんは絶対に負けるよ」
「な、何でそんなこと、飛田さんにわかるのさ」
「わかるよ。だって御手洗さんたち――」
――イカサマしてんだもん。
不機嫌そうな声で放たれた一言が、夕方の広場でやけに響いた。
◆◆◆◆◆
テーブルの上に並べられたトランプは残り三十四枚。
――四セット目が始まった。
イカサマとはどういうことか。
蚕に尋ねた楽だったが、彼女は一切口を開かなかった。
この野郎、と平手打ちでもしたい衝動に襲われたが、そんなことをしたら学校で何て言い触らされるか容易に想像できる。唾と共にどうにか苛立ちを飲み込んだ。
それよりもまずはイカサマについてだ。それを見破らなければ負けてしまう。
幸いにも、四セット目の先攻は御手洗だ。じっくり観察すれば、きっと何かわかるはず。
そう意気込んだのも束の間、楽は己の頭を抱えることになった。
「…………」
まばたきもせず御手洗の手元を凝視していたのに、何もわからなかったのである。
彼は一セット目と変わらない動作で三枚のカードを引いた。
すぐに後攻――楽の番が回ってくる。
どうする、どうする、どうする⁉
混乱する脳みそと同様、髪色も次々に変化していく。
視界の端に映り込むそれを煩わしく思いながら、楽は御手洗の動作を反芻した。
ハンカチで手を拭いて、トランプの右上に指を当てる。御手洗はそれを繰り返しているだけだ。
少々クセが強いが、潔癖症だとわかればその行為も頷ける。
……いや、本当にそうか?
潔癖症だと言うのなら、どうして使い切り手袋をしない? その方が毎回手を拭くよりも清潔さが保たれるはずだ。それに彼は嫌そうな素振りもなく、誰が使ったかわからない東屋の椅子に腰かけた。トランプに触れていちいち手を拭くほどだ、普通は嫌がるんじゃないか?
トランプを引く際、必ず右上から触れていたのはなぜだ? ただの癖とも考えられるが、その考えで本当に合っているのか?
挙げ始めたらキリがない違和感に、様々な予想を当てはめていく。
その時、ふと、御手洗の言葉が脳裏をよぎった。
――言われたことをまっすぐ受け止めて、見えてるものを常識として落とし込む。
彼の言う通りだ。自分がそうだという自覚もある。
なぜならそれこそが、一般という波に紛れ込む唯一の方法だから。
木を隠すなら森。優秀でなく、劣等でもない子ども。いることすら忘れてしまう、特徴の無い少女。
ただでさえ変化する髪色のせいで奇異の目を向けられるのだ。目立たない生き方を選んで何が悪い。
図星だからこそ湧き上がってくる怒りに任せて、中身が残っていた缶ジュースを一気にあおった。
結露によって手についた水滴を払う。
この怒りを抑えるには、ゲームに勝つしかない。
何となく、そんな直感があった。
御手洗のイカサマはまだ見破れていない。だが、ある程度は絞れた。
あとは試すだけだ。
楽はトランプの右上に指を当て熟考する。そしてほかのカードにもその動作を繰り返し、時間をかけて三枚引いた。
「私は半に賭けます」
「こっちは丁だ」
同時にカードを裏返すと、楽は十九の奇数、御手洗も二十三の奇数である。
「四セット目は楽ちゃんの勝ちだね」
布施の声に、楽は息をついた。
これでどうにか引き分け状態で五セット目に入れる。
気を抜けば足が震えてしまいそうな凄まじい緊張。そんな中で、楽は無理やり口角をつり上げた。
「飛田さん、私も予言するよ」
黙ったままの蚕に顔を向ければ、見計らったように髪色が青く染まる。
「五セット目、私は必ず丁方で勝つ」
名にかけるほど有名なじっちゃんは身内にいないけど――
「――この青く染まった髪にかけてね」
そして数分後、宣言通り丁方に賭けた楽は――このゲームの勝者となった。
◆◆◆◆◆
二対二で迎えた五セット目。
見事丁半予想を当てた楽と御手洗は三対三の引き分けとなり、ルールに則ってこの〈トランプ丁半〉は楽の勝利となった。
「……驚いたな」
安堵の息をつく楽に、御手洗は視線を向ける。
「四セット目だけでイカサマを見破ったのか」
「見破ったというより、違和感から絞った予想が運よく当たったって感じですけど」
正直、五セット目でカードを引くまでイカサマの内容に確信はなかった。だが、
「このイカサマ、水に濡れると発色する特殊なインクが鍵ですよね?」
御手洗たちが用意したトランプの右上には、水発色の特殊なインクによる青いチェックが入れてあった。それも偶数カードのみにだ。奇数は無印であるため、それを確かめながら、御手洗は適度に負けて、最後には必ず勝つように計算していたのだろう。
そう伝えると、審判役の布施が身を乗り出す。
「全て楽ちゃんの言う通りだけどさ、どこでそれを見破ったの? おれたち、このイカサマで結構な人数騙してきたんだけど?」
「それこそさっき言った違和感です。御手洗さん、手を拭いていたハンカチを見せてもらえますか?」
「ん? あぁ構わないが」
御手洗が取り出した白いハンカチ。
所々色が濃くなっている部分を楽は指さす。
「物体は濡れると水の膜ができて表面がなめらかになるんです。それによって乱反射が減って、反射した色がわかりやすくなると科学で勉強したなって思いまして――」
「――このハンカチが濡れていると判断したわけか」
「はい。それに、同じハンカチで手を拭くというのにも違和感を覚えました。使い切り手袋の方が断然清潔さは保たれるのにって。でもそれを使わないということは、きっと使えない理由があるはず。そこから自分の中で色んな違和感を集めて、缶ジュースに付いてた水滴でばれないようトランプの右上にある印を確認したんです」
おそらく、潔癖症というのも濡れたハンカチで手を拭く動作に疑問を持たせないための嘘なのだろう。
蓋を開ければ子供じみたシンプルなイカサマだが、二セット目まではまるで気づけなかった。
となると、プレイヤーでないのにこのイカサマに気づいた蚕は天才ではないか?
そう思い目を向けるが、蚕の姿はない。
一体どこへ行ったのか。
辺りを見渡していると、察してくれたのだろう布施が、
「蚕ちゃんは少し席を外してるよ。電話だってさ」
と、彼女がいる方向を指で示して教えてくれる。
たしかに、蚕は離れた場所でスマホに向かって何かを話している様子だった。
丁度いい、と楽は思う。
この時間を使って、ゲームが始まってからずっと気になっていたことを尋ねよう。
「あの、御手洗さんに聞いてもいいですか?」
「何だ?」
「私、奇病の感染者なんですけど……ゲーム中、御手洗さんは髪色のこと見てませんでしたよね? あんなに変化してたのに、気にならなかったんですか?」
すると、御手洗は困ったように後頭部を掻いた。
「決して気にならないってことはないさ。でもな、不躾に凝視するほどのもんでもない。ゲームの勝敗の方が大事だ」
彼の言葉は、今までずっと目立たないことを第一に考えてきた楽の心を軽くした。
自然と口元が綻ぶ。
「ありがとうございます。その言葉、今日だけは覚えていようと思います」
「いやもっとちゃんと覚えておいてくれ。これでもいいこと言えたと思ってるんだから」
慌てた様子の御手洗に、つい吹き出してしまう。
緊張と不安に襲われながら始まった〈トランプ丁半〉だったが、最後は笑い声と共に幕を下ろしたのだった。
◇
『あ、よかった。もう〈トランプ丁半〉は終わってたんだね』
スマホ画面の通話ボタンをタップすると、聞き慣れた声が鼓膜を揺らす。
「ずいぶん耳が早いじゃんか、兄貴。てか、〈トランプ丁半〉やるってわかってたわけ?」
『いや、僕は何も聞いてなかったよ。でも御手洗さんと布施さんのことだから、やるなら〈トランプ丁半〉かなって思ったんだ。それにあのゲームは大体五セットで勝負するし、御手洗さんは優しいから引き分けの際は相手の勝ちにするとか言い出しそうだなーって。当たってた?』
「……」
全て当たっているからこそ、言葉が出ない。
千里眼を持っていると言われても信じてしまうほど、この兄貴は他人のことをよく理解している。
『その感じは当たりだね、やった。ふふ、ついでにもう一つ当てちゃおうかな? 昔から好きなものは最後に取っておくタイプの蚕が第一声でゲームのことを話さなかったってことは、いい知らせがあるとお兄ちゃんは見たよ。つまり、僕が準備したプレイヤーに蚕の友人が勝ったんだね。きみのことだから無理やり連れてきただろうその子が本当に友人かは不明だけど、まずはおめでとう』
「……うちが喋る前だけどお祝いの言葉サンキュー。で、兄貴との賭けはうちが勝ったわけだけど、約束忘れてないよね」
――あと二回うちが勝ったら、父さんが死んだ理由話してもらうから。
電話越しに息の音が消こえる。
『警察が言ってたことがそのまま真実なのに』
「ダウト。兄貴だってわかってるっしょ、そんな言葉で騙されるわけないって」
『……わかったよ。それじゃ、また次のプレイヤーが準備できたら連絡するから。体調には気をつけてすごすんだよ。それと、きみが選んだ逸材にもよろしく伝えといて。妹をよろしくお願いしますって』
「あーまぁ、うん、了解」
蚕は曖昧な返事を返し、自ら通話を切った。
◇
「おかえり、今回の元凶。御手洗さんたちはもう帰ったよ」
戻って来た蚕に顔を向けると、どことなく浮かない顔をしている。
「どうしたの? 何かあった?」
「いや別にー?」
そう言うと、蚕は楽が持っていた缶ジュースを奪いあおった。が、すぐにげんなりとした表情を浮かべる。
「なんだよ、空じゃんか」
「勝手に取ったんだから文句言うな」
缶ジュースを奪い返すと同時に、「ねぇ」と声をかけられる。
「何で勝ったの?」
「は?」
「〈トランプ丁半〉の話。うちが無理やり巻き込んだんだから、わざと負けても良かったのに」
その問いに、楽は暫し悩んだ。
彼女の言う通り、そう思っていた部分もたしかにある。でも――
「――私が負けたら、飛田さんはペナルティがあるでしょ?」
眠そうに垂れた目が大きく見開かれる。
「……どうしてそう思ったん?」
「負けても損はないって言った時、私の名前しか出なかった。二人共何もないなら、わざわざあんな言い方しないでしょ」
「それってつまり……あたしがペナルティ受けないために勝ったってこと?」
「そうならなければいいなって思っただけ。ていうかほかにも勝とうと思った理由あるし」
何だか照れくさくて、楽は顔を背けた。
しかし、「ふぅん、へぇ、そーなんだ」と揶揄うような声が耳朶を打つ。
「その気持ちに対するもんが缶ジュース一本とか、見合わんわな」
「は――」
瞬間、柔くあたたかい物体が頬に押しつけられた。
目を細め口元を隠す蚕を見て、キスされたのだと遅れて気づく。
「これは追加分のお礼。ありがとね、らっくん」
楽は口をあんぐりと開けたまま固まってしまう。
視界の端で、髪が春のような桜色に染まった。
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